楽学天真のWrap Up


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ことば (5)処世術としてのことば技

2012-07-19 05:02:02 | 人間
処世術としてことば技
 大学受験、就職試験のみならず様々な応募において小論文を課すことがほとんどである。私どもの大学院の入学試験でも原稿用紙一~二枚程度の作文を課している。蛇の道はヘビ。それに応じて如何に書くかの処世のための文章技指南のための書もはびこり売れる。


私はめったに批判的書評は書かないのであるが、ちょっと眉をひそめてしまった書が二冊ある。樋口裕一「ホンモノの文章力」―自分を売り込むための技術(集英社新書)と和田秀樹「大人のための文章法」(角川書店)である。

 両者共に受験産業界で名をなした人である。前者は、「文は人なり」の理念とそれをもとにした小論文課題というリトマス試験紙には、「文は自己演出」というアンティテーゼで対応せよ、という提案である。求めに応じ相手にあわせて記せ、ということだ。自己演出を悪く言うと「自己ねつ造」。科学論文では、永久追放対象の文書となる。
 
後者は、東大理科三類という日本受験界最難関突破を売りに、現役東大生の時にその突破術指南本でベストセラーを書いた人である。
彼にも、私にはどうして受け入れられない主張がある。書き続けるためには世間(文章を求める側)にあわせた文章を書けるかどうかが鍵だというメッセージである。


 この両者に共通するのは、その場対応の処世術技としての文章技だ。文章は人生の中で蓄積されて行く。時とともに自然観も人間観も変わって行くものだ。しかしその時々に自分をごまかし、演技としての文章を蓄積しても、その場限りの嘘で塗固めたものとなり、全体としてみれば支離滅裂なものとなることは明白。

 これらの著者が本業でどれだけの仕事をなし、書き残しているか、その余技としての文章指南であるかだけが、文章術においても影響力が生まれるのだと信じたい。数ある文章術本の書評はまだまだ続くが、それらを読む私の視点は、そのことに尽きる。
(つづく)
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