いつもこの季節になると、卒業前のドタバタがはじまる。
『単位が足りなくて卒業できない!』
慌てる人が4種類に分けられる。
心配性の指導教員。
親。
本人。
そして、教務に責任を持つ先生。
さて単位を出す方として、成績を出すことの出来る根拠は1つ。
講義内容をどれほど理解したか、だけである。
それを計る物差しは
1。出席はしていたか?
2。レポートは出していたか?
3。試験の成績は?
私はこの3つは数値データであり重要な判断材料であるが、本質は講義内容をどれほど理解したかであると思っている。
だから無理に出席などとるのは面倒くさい。取らないと教務がうるさいので仕方なく行っている。
単位が足りなさそうで、本人が必死になる場合は救える余地がある。
その必死な思いで、講義内容を理解しなおせば単位は出せる。最低成績合格可でよいレベルまで本を読んだり、レポートを仕上げれば良い。
しかし、問題は指導教員が出ばったり、果ては親が出ばったりする場合である。本人が顔を出さず、このような者が出て来てお願いされても、私の心は動かない。
『挫折した方が本人のためですよ。見せかけで『順風満帆』であっても人生ろくなことはないですからね』
といって、さらっと断る。
実は私は学部は留年している。現役で大学に入学していた余裕のなさが、この留年のおかげで「余裕」が生まれた。
親には嘆かれ、大変申し訳ないことをしたと、思ったものだが、おかげで十分な時間の中で様々なことを考えることができたし、その小さな『挫折』は私の人生を大変豊かなものにしてくれた、と今では思っている。その私の経験は必ずしも一般化はできないが、1年や2年、長い人生から見れば、どおってことない。急がないと損をするのは公務員を希望するひとくらいである(私の人生での総給料は数百万円は損をしたかな?。でも車2、3台はタバコでもやしているな?酒でもさらに2、3台)
あとは実力の世界。小さな『挫折』などいくらでも取り戻すことができる。
『迷惑をかける親のことはしっかりと考え、堂々と留年しなさい』といいたい。
見てくれだけの『順風満帆』など、人生を豊かにするためには、何の役にも立たない、よね。
『単位が足りなくて卒業できない!』
慌てる人が4種類に分けられる。
心配性の指導教員。
親。
本人。
そして、教務に責任を持つ先生。
さて単位を出す方として、成績を出すことの出来る根拠は1つ。
講義内容をどれほど理解したか、だけである。
それを計る物差しは
1。出席はしていたか?
2。レポートは出していたか?
3。試験の成績は?
私はこの3つは数値データであり重要な判断材料であるが、本質は講義内容をどれほど理解したかであると思っている。
だから無理に出席などとるのは面倒くさい。取らないと教務がうるさいので仕方なく行っている。
単位が足りなさそうで、本人が必死になる場合は救える余地がある。
その必死な思いで、講義内容を理解しなおせば単位は出せる。最低成績合格可でよいレベルまで本を読んだり、レポートを仕上げれば良い。
しかし、問題は指導教員が出ばったり、果ては親が出ばったりする場合である。本人が顔を出さず、このような者が出て来てお願いされても、私の心は動かない。
『挫折した方が本人のためですよ。見せかけで『順風満帆』であっても人生ろくなことはないですからね』
といって、さらっと断る。
実は私は学部は留年している。現役で大学に入学していた余裕のなさが、この留年のおかげで「余裕」が生まれた。
親には嘆かれ、大変申し訳ないことをしたと、思ったものだが、おかげで十分な時間の中で様々なことを考えることができたし、その小さな『挫折』は私の人生を大変豊かなものにしてくれた、と今では思っている。その私の経験は必ずしも一般化はできないが、1年や2年、長い人生から見れば、どおってことない。急がないと損をするのは公務員を希望するひとくらいである(私の人生での総給料は数百万円は損をしたかな?。でも車2、3台はタバコでもやしているな?酒でもさらに2、3台)
あとは実力の世界。小さな『挫折』などいくらでも取り戻すことができる。
『迷惑をかける親のことはしっかりと考え、堂々と留年しなさい』といいたい。
見てくれだけの『順風満帆』など、人生を豊かにするためには、何の役にも立たない、よね。