今日は、関東地方城趾めぐりで、神奈川台場へ行きました。台場といえば、東京のお台場 、品川の台場、 神奈川台場とあります。神奈川台場は、最寄り駅は、京急神奈川か 京急 仲木戸駅で JRなら東神奈川駅になります。
仲木戸駅と東神奈川駅は50m程の距離、東神奈川駅の駅周辺の案内図には、台場公園となっていますから海側に歩いて、約10分程度です。台場公園には、神奈川台場の案内板があり、建設経緯が説明されています。台場の石垣は、現在見えるのは、台場公園の近くの民家の際の石垣 角角になって約50メートルと
台場の敷地だったほとんどがJR貨物駅 東高島駅になっている反対側にあり、遠うまわりして行く必要があります。ここは高層マンションの公園と台場石垣が柵で囲われていました。
ここの石垣は、約30メートルのほぼ直線でした。
公園として良く整備されていました。
稲付城趾のあとは、赤羽駅からJR埼京線に乗り、池袋 巣鴨から 都営地下鉄で 志村三丁目と乗り換えて 志村城趾へ向かいました。
志村城趾は、駅の南側でやはり台地になっているところです。台地の手前は、志村城趾公園となっています。
志村城趾は、熊野神社が二の丸あたりで、空堀が残っています。まあ だたの開発されず残った山ですが。志村城趾にも碑がたっていまして、説明板もありました。
データ
築城年代は不明だが、豊島氏一族の志村氏により築かれたとされる。
康正元年(1455年)、享徳の乱に乗じて挙兵した馬加氏に追われた千葉宗家が赤塚城に拠ることとなったが、この際、志村城には一族の千葉信胤が入った。
大永4年(1524年)、北条氏綱に攻められ落城、北条氏の支配するところとなる。
その後の志村城については詳らかではないが、小田原の役後廃城となったものと考えられている。
ほぼ徹夜の関係で、金曜日に、自宅に帰るのは止めて、土曜日午後から関東の東京都内の城めぐりをしました。
まずは、京浜東北線で、蒲田から赤羽駅に向かいました。赤羽駅の西口のイトーヨーカ堂側に、台地があり、静勝寺となっているところが稲付城趾です。史跡 稲付城趾の碑がたっています。石段をあがったところには、説明板がありました。
データ
太田道灌が築城したという稲付城跡。
石段右の石碑に「都旧跡 稲付城跡」と刻まれています。
石段を登ると静勝寺の山門があり、武蔵野台地の崖を三方に使った城跡。
昭和62年(1987)、静勝寺南方面でおこなわれた発掘調査によって出土した遺跡は石段を登った右側に置いてありました。
城跡は、東京都指定文化史跡 北区赤羽西1-21-17
稲付城跡は現在の静勝寺境内一帯にあたり、太田道灌が築城したといわれる戦国時代の砦跡です。昭和62年(1987)、静勝寺南方面で行われた発掘調査によって、永禄年間(1558~1569)末頃から天正10年(1582)頃に普請されたとみられる城の空堀が確認されました。
帰りの首都高速は、渋滞13時半に新橋に帰り着きました。
今日は、趣味の車いじりです。エンジンオイルは交換してすぐなので、まだ綺麗です。バッテリーは、一度外して、直流安定化電源で充電しました。土曜日から約5時間ぐらい約3アンペア程度ですが、充電していると水素が湧き出て来ます。電圧は約15ボルトまでで実施してます。直流安定化電源で電圧は調整出来るので、まあまあです。バッテリーは、やはりオルターネータ発電機の故障に関係するようで、バッテリーが悪い、充電電流が多く発電機が早く故障する気がします。
寒いですが、乾燥が早く拭き取りは楽です。雨や雪をはじくので、レインエックスを塗布して来ましたが、3ヶ月ぶりでした。
任意保険は、すこし特約の変更がありましたが、料率クラスでは、車両が4 から 5と高くなっています。車両の修理費がハイブリッドのためか高いのかも知りません。