テニスプレイヤーの日記

日々の随想や所感を書きます。

ステラエンジンオイルの交換

2014年11月30日 | Weblog
ステラのエンジンオイルを交換しました。ステラのドレインプラグは、やや運転席側に
ありますが、すこし車の下にもぐれは、作業が出来ます。
前輪タイヤを、5センチほどの板木に乗り上げて、作業体制にし、オイル受けをおいて、
ドレインプラグをゆるめていくと、オイルが出てきて、オイル受けにうけます。
ここでは、ドレインプラグを、最後に外す時に、オイル受けに落とさないように注意が
必要です。オイルを抜き終わったら、古いオイル缶に、こぼさないように入れます。
ドレインプラグは、新しいパッキンに交換したあと、オイル受けをおいたままで、
つけるのですが、この時、オイル受けに落としてしまいました。ちょつとした失敗
です。ドレインプラグの締め付けは、パッキンのあたりで確認して十分しめておきます。
下回りがすべて終わったら、あと、エンジンの上のオイル注入口からオイルを入れます。
この時は、オイルを口からこぼして、エンジンにこぼさないことです。今日は、注入口に
ウェスを巻いて、注入したので、大丈夫でした。オイルは、入れすぎないように注意して
行います。ステラのオイル量は、エンジンオイルのみ交換で、2.7リットルです。
次回の交換予定は、5000kの36500キロで、オイルフィルターも同時交換予定
です。
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今年も黄色のタグのカニをいただきました。

2014年11月29日 | Weblog
今年も黄色のタグのついたカニをいただきました。「越前」のカニのタグは、黄色なのです。
ありがとうございました。
早速、いただいて、「から皮」と「黄色のタグ」が残りました。
ごちそうさまでした。
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山陽道から中国道の合流地点で接触事故寸前

2014年11月28日 | Weblog
金曜日、山陽道を順調に走行し、中国道との合流地点です。
右のウインカーを出しながら、中国道側に進入していきましたが、中国道を走行していたミニバンが
ミニバンの右側走っていたトラックのため、プリウスの前に、急に割り込んで来て、びっくり、
接触事故寸前でした。アクセルを緩めて事故には、なりませんでしたので、良かったです。
そのあとの中国道は、西宮名塩サービスエリアから宝塚インター間のいつもの渋滞もなく走行出来て
良かったです。時間帯は、20時前でしたから、渋滞が解消されたあとだったようです。
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今日は雨、姫路バイパスでまた事故 朝姫路南の東行きで

2014年11月25日 | Weblog
三連休の開けた火曜日、朝から雨です。姫路バイパスを通勤に通るので、
事故が心配でしたが、思った通り事故発生で渋滞です。雨の日は、特に慎重な
運転が必要なのに、スピード・車間距離をもっと遅く・もっと長くとらないといけないのに
安全運転に徹したいです。
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白兎神社に参拝

2014年11月24日 | Weblog
湖山池の城跡をめぐったあと、海岸側にでて、白兎神社に参拝しました。
小さめのやしろの神社でした。




神話では、大国主命(おおくにぬしのみこと)の兄弟と一緒に、因幡の国へ行く途中、毛をはがされたうさぎに出会いました。いじわるな兄弟は「海の水で体を洗い、風の吹く高い山のてっぺんでかわかしたらいい」とうさぎに言いました。
言われたとおりにやってみると、体がひりひりとしみ、その痛いこと痛いこと。
そこへ通りかかった大国主命は、「どうしたの、うさぎさん」とやさしく声をかけました。
うさぎは、「私はおきの島からなんとか因幡の地へ渡りたいと考え、ワニザメをだまし、その背を踏んでやってきたのですが、
それがばれて毛をむしりとられました。あなたの兄弟の言うとうおりにしたら、今度は体中が痛くて苦しいのです」と答えました。
大国主命は「早く真水で体を洗い、ガマの穂をつけてごらん」といい、うさぎは言われるとおりにしました。するとうさぎは、元のきれいな姿に戻ることができました。
その後、助けられたうさぎは大国主に、神代の美女「八上姫」と結ばれると言い、うさぎの言うとおりになりました。

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城巡り 鹿野城跡へ

2014年11月24日 | Weblog
白兎神社に参拝したあと鳥取県の本日予定の城跡、鹿野城跡へ
向かいました。城跡のナビ目標地は、鹿野中学校です。
二の丸の城跡のなかに、学校が出来ていました。体育館の屋根は、城の
御殿のようです。また、二重の堀は、今も水をたたえ、まさに城です。
本丸は、妙見山の上にある。


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鹿野城主・亀井茲矩は、尼子氏の家臣の時代から豪快な武将として数々の手柄をあげ、豊臣秀吉とも意をつうじており、秀吉が「領地として欲しいところはどこか」とたずねたのに対し「琉球(沖縄)をください」と返答し、秀吉は茲矩の大胆な発想を褒め讃えて、「亀井琉球守」と軍扇に書き与えたといわれています。その後、関ヶ原の役には、東軍(徳川家康方)に属し、その功によって家康から領地の加増を受けますが、狭い日本に飽き足らず、朱印船貿易を行いこれによる利益で領内の開拓、殖産にも力を入れ現在の城下町を築きました。茲矩の墓石には、「中山道月大居士」と刻まれいます。中山道とは中国風にいって琉球の別名で、遥か海の向こうを夢見た茲矩の壮大なロマンを感じさせます。また、亀井茲矩とその一族の菩提寺・譲傳寺には、亀井一族ゆかりの品々が納められ、茲矩が文禄慶長の役に従軍したときの将来品(天狗の爪、虎の爪、毛氈など)が寺宝として保存されています。今でも「亀井さん」と呼ばれ、郷土の人達に親しまれ、尊敬されています。

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城巡り 防己尾(つづらお)城跡へ 漢字訂正

2014年11月24日 | Weblog
鳥取市の西に、広がる池が、湖山池ですが、その南西の端に、城跡がありました。防己尾と書いて「つづらお」と読みますが、城跡は、整備されて公園になっていました。
城跡は、整備されていて、駐車場から坂を登っていくと、本丸跡で、整備されて手入れされています。
城跡の石碑もありました。本丸跡からは、湖山池の北側が展望出来ました。


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防己尾城は、もともと吉岡氏は六反田の丸山城を本拠としていたが、1573年(天正元年)頃に箕上山城(標高297m)に本拠を移した。しかし箕上山城はあまりに峻険かつ深山だったため、前記1579年(天正7年)に防己尾城を築いて新たな本拠とした。1581年の羽柴秀吉の鳥取城攻撃に際し、吉岡将監は防己尾城に拠って羽柴秀吉に対抗する。湖畔の小城一つと見くびった秀吉は3度にわたって手勢を差し向けるが、将監は変幻自在の戦法で秀吉の大軍を3度とも撃破している。特に2度目の防己尾城攻撃の際は、秀吉自慢の千成瓢箪の馬印も打ち捨てられるほどの大勝だった。力攻めは不利と悟った秀吉は兵糧攻めに切り替え、糧食つきた吉岡一族は降伏して城を出て、毛利氏の本拠である安芸国など諸国を放浪の末、因幡国にもどって帰農したと伝えられている。

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城巡り 鳥取 天神山城跡へ

2014年11月24日 | Weblog
鳥取市内に宿泊したあと、今日は、次の城巡り 天神山城跡へ向かいました。
天神山城は、因幡山名氏が本拠を構えていたところです。別名、布施天神山城ともいいます。
文正元年(1466)山名勝豊により築城されたといわれています。鳥取市中心部から5㎞西にある湖山池の東岸の高台、現在は鳥取緑風高校の裏手にあります。

天神山は、高さ15メートルほどの高さの山の城跡です。案内板が設置されていました。二重の堀の城です。敷地は、高校のなかにあります。構内は、工事中でした。
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城巡り 鳥取城跡へ 仁風館を拝観

2014年11月23日 | Weblog
鳥取砂丘の後は、やはり、城巡り 鳥取城跡です。
立派な石垣の鳥取城、麓の城と山城とあるのですが、当然、麓の城に、行きました。石垣は、補修されていますが、当時の石垣が混ざり、城という感じです。紅葉のもみじもあり、いい感じでした。城の大手橋から学校側は、工事中で、櫓門他の復元工事ということでした。
また、閉館時間まで時間があったのと、鳥取城の特別展ということで、城跡の三の丸に建つ仁風閣に入館しました。立派な洋館で、建物の外観の白と、内部の豪華さを見ることが出来ました。
JAF会員割引で、入館料は、120円でした。


鳥取県の観光案内から///////////////////////
鳥取城跡は、16世紀半ばの天文年間より明治維新に至る久松山を中心とした山城。
山頂部には中世期の城郭遺構である山上の丸、山麓には慶長年間より明治に至るまでに整備された二の丸、天球丸、三の丸などの遺構を残します。国指定史跡です。

久松公園 久松山のふもとにあり、鳥取城跡を中心に、仁風閣や県立博物館など見どころの多い公園です。お堀から見ると、白鳥の浮かぶ水掘と何段にも重なる石垣が歴史的な景観を創りだし、印象的な場所となっています。
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鳥取砂丘へ

2014年11月23日 | Weblog
姫路から鳥取砂丘を目指して出発しました。山崎インターから中国道に乗り、佐用から鳥取自動車道に進みました。鳥取自動車道は、無料で、速度規制は、70 60 50 区間が存在します。
規制速度以内で、走るには、少し無理があるのですが、ゆずり区間は、後半の方にあるだけです。
ゆずり区間を、もっと佐用側とか途中にも造って欲しいところです。
鳥取自動車道の鳥取で、降りて29号線から9号線に入り、進むと鳥取砂丘の案内が出てきます。
ナビの目標地砂丘センターにしたのですが、左折したところで、鳥取砂丘ジオパークセンターの方に入り、その駐車場に入れました。清掃協力他のための駐車料金は、500円です。
天気は、晴れで、砂丘見学日和です。砂丘に来るのは、10年以上前に、一度、来たことはあるのですが、ちらっと見ただけで帰っています。今日は、まず、ランチです。
おすすめの雑誌のとおり、村上水産の海鮮丼です。1080円で、少し待ちましたが、無事いただきました。
その後は、砂丘を歩きました。丘を越えて、オアシスを越えて、下り登りして、日本海を望みました。風は、少し冷たく感じ、砂は、風にながれていきました。
足は、砂に取られて、すこし疲れました。なんやかんやで、10000歩ぐらい歩いてしまいました。
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