テニスプレイヤーの日記

日々の随想や所感を書きます。

瀬田城趾へ

2011年01月15日 | Weblog
寒い寒い日です。プリウスを走らせて、瀬田城跡へ向かいました。
大津市瀬田二丁目の瀬田川沿いのマンション前に、城跡碑が建っていました。

壬申の乱以来源平の戦いなどで重要な地点として瀬田川畔に戦国時代に瀬田城を築いたのは甲賀武士の流れをくむ佐々木氏家臣の山岡景房である。
 織田信長の命によって瀬田橋をかけた当時の城主山岡美作守景隆は本能寺で信長を討ち安土城に向う明智光秀と瀬田川で対戦したが力つき自ら城に火を放って甲賀へ引きあげそれ以来廃城となり今はわずかに石垣を残すばかりです。

また、瀬田といえば、石山ですが、
{石山城〕現在地元で城跡と伝えられている場所は、石山寺二丁目の関西日本電気石山寮の建つ地であるとか。石山寺の山門の左手から南へのびる細い旧道を進むと、右手に西蓮寺がみえる。そこを右に折れると、京都の醍醐へ抜ける道があり、曲がり角には、天明五年(1875)建立の、岩間道・宇治道を示す道標もたっている。城跡とされる石山寮は、その角にある西蓮寺の背後の台地上に建っている。
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