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「自分の中に毒を持て(岡本太郎)」という本はとてもオススメ!

2014年09月19日 01時00分00秒 | 
<金曜は本の紹介>

「自分の中に毒を持て」の購入はコチラ

 「自分の中に毒を持て」という本は、あの「芸術は爆発だ!」で有名な今は亡き画家の「岡本太郎」さんが、世の中や人生の本質を突いた自分の思いを明らかにしたものです。

 主に幼少の頃から他者と迎合しない信念、第二次世界大戦前夜に青年時代を過ごしたパリ時代の自由や恋愛、危険な道をとると決断して帰国し兵としての戦争体験や戦後の画家としての歩み等も散りばめ、以下について書かれていて素晴らしいと思いましたし、勇気づけられましたね。

・生きるということは自分で自分を崖から突き落とし、自分自身と闘って、運命をきりひらいていくこと
・新しい自身の人生観が開くような読書は必要
・若い時に世界の歴史に残るような思想家や芸術家と毎日のように出会い、対等に話し合ったのは青春時代の大きな糧となった
・「いまはまだ駄目だけれど、いずれ」と絶対に言わないこと
・みんなは安全な道の方を採りたがるものだけれど、それがだめなんだ
・友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる
・自分自身にとっていちばん障害であり敵なのは、自分自身なんだ。その敵であり、障害の自分をよく見つめ、つかんだら、それと闘わなければいけない。
・あらゆる場所、あらゆる状況で、孤独な「出る釘」であった。そして叩かれても叩かれても、叩かれるほどそれに耐えて自分を突きだしてきた。いや、むしろ、出ずにはいられなかった。それが情熱であり、生きがいだからだ。
・恋愛というのは、相思相愛でないと成り立たないと、とかくみんな誤解しているんじゃないだろうか。それだけが必ずしも恋愛じゃない。たとえば片想いも立派な恋愛なんだ。
・男女の仲というのは、肉体的な関係だけじゃない。年が離れていても気持ちの上での溶け合いができるのだ。
・芸術はきれいであってはいけない。うまくあってはいけない。心地よくあってはいけない。それが根本原則だ。
・己自身と闘え。自分自身を突きとばせばいいのだ。炎はその瞬間に燃え上がり、あとは無。-爆発するんだ。
・人間本来の生き方は無目的、無条件であるべきだ。それが誇りだ。死ぬのもよし、生きるのもよし。ただし、その瞬間にベストをつくすことだ。

 人生においては、特にあえて危険な道をとり、己と闘い、今を大切に生きることが大切だと改めて思いました。
まさに人生は集中した爆発が必要ですね!
また片想いも恋愛とは素晴らしいと思いました^_^)

「自分の中に毒を持て」という本は、人生に役立つ言葉がたくさんあり、とてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です。

・「安全な道をとるか、危険な道をとるか、だ」あれか、これか。どうしてその時そんなことを考えたのか、いまはもう覚えていない。ただ、この時にこそ己に決断を下すのだ。戦慄が身体の中を通り抜ける。この瞬間に、自分自身になるのだ、なるべきだ、ぐっと総身に力を入れた。「危険な道をとる」いのちを投げ出す気持ちで、自らに誓った。死に対面する以外の生はないのだ。その他の空しい条件は切り捨てよう。そして、運命を爆発させるのだ。戦後の日本でぼくの果たした役割、ポジションはその決意の実践だった。ぼくは1940年、ドイツ軍がパリを占領する直前にヨーロッパを去り、太平洋戦争突入前夜の日本に帰ってきた。パリでの体験を経て、それをポジティーブに生かすため、ぼくは日本という自分と直接いのちのつながりのある場で人生を闘うべきだと考えたのである。それは日本の現実に自分をぶつけること、惰性的な精神風土と対決し、ノーと叫び、挑むためであった。

・結果がまずくいこうがいくまいがかまわない。むしろ、まずくいった方が面白いんだと考えて、自分の運命を賭けていけば、いのちがパッとひらくじゃないか。何かをつらぬこうとしたら、体当たりする気持ちで、ぶつからなければだめだ。体当たりする前から、きっとうまくいかないんじゃないかなんて、自分で決めて諦めてしむ。愚かなことだ。ほんとうに生きるということは、自分で自分を崖から突き落とし、自分自身と闘って、運命をきりひらいていくことなんだ。それなのに、ぶつかる前からきめこんでしまうのは、もうその段階で、自分の存在を失っている証拠じゃないか。

・どんな本を読んだらいいかというと、星の話でも、文化人類学でも、旅行記でも哲学書でもいいし、小説でもいい。ただ、小説の場合、興味本位だけで、だらだらと空しいものが多い。読んでしまって、あとに何も残らないなんて、時間のムダだ。そうじゃなくて、ほんとうに新しい自身の人生観がひらくような本がいい。ぼくも子供時代からあらゆる本を濫読した。童話や、グリム、アンデルセン、アラビアンナイト、ガリヴァー、西遊記などはむろん、母が感激して読んでいるものはどうしても読みたくなって、モーパッサンやトルストイ、ツルゲーネフなど小学校の高学年のときには夢中になって読んだ。中学に入るか入らないかの頃、ショーペンハウエルにとりつかれ、学校の授業中でも、前の席の子の背中に隠れて読みふけったのを覚えている。はじめての哲学書だったけれど、とてもよく解ったし、面白くて、ちっとも難しいとは思わなかった。天才論とか、因果論など、うむ、その通りその通りといちいちうなずきながら読んだ。天才は憂うつと高揚が周期的に激しく襲ってくるとk、大抵背が低く、猪首だなんてところまで自分にそっくりで、うむ、やっぱりぼくは天才なんだな、とひそかにうなずいたりした。パリに行ってからは、フランス語に馴れる意味もあって、まず小説に取り組んだ。スタンダールの「赤と黒」が最初に読んだ本だ。「パルムの僧院」なども面白くて、徹夜して一気に読んでしまった。またアンドレ・マルローの「人間の条件」が出版され、評判をよんだ。アトリエからモンパルナッスのキャフェなんかに出て行く途中も、とぎれるのが惜しくて、この本を読みながら道を歩いて行ったのを思い出す。哲学書ではニーチェ、キェルケゴール、ヤスパースなど、実存哲学に熱中した。

・ぼくはパリ時代は昼も夜も、ほとんど毎日、キャフェへ出かけていった。一杯のコーヒーで何時間もねばっていてもいい。そういう店でコーヒーを飲んでいると、必ず、誰か友達がやってくる。すると、お互いに「やあ」「やあ」と挨拶して話し合ったり、議論したりした。火花が散るような、生きがいのようなものをずいぶん感じた。当時のぼくは20歳そこそこで、若かったが、そのキャフェで世界の歴史に残るような思想家や芸術家と毎日のように出会い、対等に話し合った。それがぼくの青春時代の大きな糧になったことは確かだ。マックス・エルンストやジャコメッティ、マン・レイ、アンリ・ミショーなどシュール系の画家や詩人、ソルボンヌの俊鋭な哲学徒だたアトラン、後に芸術批評の大家になったパトリック・ワルドベルグや、写真家のブラッサイなんかもモンバルナッスの「ル・ドーム」や「クーポール」で毎日顔をあわせる仲間だったし、カンディンスキー、モンドリアン、ドローネーなどと一週間おきに集まって、芸術論を戦わせたのも、「クローズリー・デ・リラ」というキャフェだった。10年以上のフランス生活はほんとうにキャフェとともにあったわけで、いちいち思い出を話すことはとても出来ない。ぼくの一生を決定したともいえるジョルジュ・バタイユとの出会いも、考えてみればキャフェがきっかけだった。

・「いまはまだ駄目だけれど、いずれ」と絶対に言わないこと。”いずれ”なんていうヤツに限って、現在の自分に責任をもっていないからだ。生きるというのは、瞬間瞬間に情熱をほとばしらせて、現在に充実することだ。過去にこだわったり、未来でごまかすなんて根性では、現在を本当に生きることはできない。ところが、とかく「いずれそうします」とか「昔はこうだった」と人は言う。そして現在の生き方をごまかしている。だから、ぼくはそういう言葉を聞くたびに、怒鳴りつけてやりたくなる。”いずれ”なんていうヤツにほんとうの将来はありっこないし、懐古趣味も無責任だ。つまり、現在の自分に責任をとらないから懐古的になっているわけだ。しかし、人間がいちばん辛い思いをしているのは、”現在”なんだ。やらなければならない、ベストをつくさなければならないのは、現在のこの瞬間にある。それを逃れるために”いずれ”とか”懐古趣味”になるんだ。

・みんなどうしても、安全な道の方を採りたがるものだけれど、それがだめなんだ。人間、自分を大切にして、安全を望むんだったら、何も出来なくなってしまう。計算づくでない人生を体験することだ。誰もが計算づくで、自分の人生を生きている。たとえば美術家でいえば、美術家というのは、人に好かれる絵を描かなければならない。時代に合わした絵で認められないと、食ってはいけない。生活が出来ない。だけど、ぼくはまったく逆のことをやって生きてきた。ほんとうに自分を貫くために、人に好かれない絵を描き、発言し続けてきた。一度でいいから思い切って、ぼくと同じにだめになる方、マイナスの方の道を選ぼう、と決意してみるといい。そうすれば、必ず自分自身がワァーッとももり上がってくるにちがいない。それが生きるパッションなんだ。

・ぼくは太平洋戦争がはじまる直前に12年間のフランス生活を切り上げて日本に帰ってきた。そしてすぐに兵隊にさせられた。中国の真中、漢口の近くにつれて行かれて、言うに言えない苛烈な軍隊生活を送った。30を過ぎた、パリ帰りの男が18、9の若者たちと一緒に初年兵訓練を受け、徹底的にしごかれたんだ。辛いなんてもんじゃなかった。戦争も軍隊も知らない、いまの人たちにはわからないだろうが、「ホフク前進」という、銃を地面につけないように捧げたまま、這って前に進む訓練があった。これはキツイ。フラフラ、目もくらむまでそれをやって、最後に「突撃に前へー」という号令でパッと立ち上がって突っ込む。また「伏せーっ」という号令。息もたえだえで地面に這いつくばったとき、ぼくは目の前に小さな花がゆれているのを見た。雑草のなかに、ほとんど隠れるようにして、ほんとうに小さい、地味な、赤っぽい花だった。そいつと鼻をつきあわせて、ぼくは、いのちがしぼりあげられるような感動にふるえた。こんなに広い大陸の、荒れた原野で、これっぽっちの、小さい、何でもない”いのち”。おそらく誰にも見られることのない。オレのような、惨めな初年兵が偶然にも演習で身を投げ出したから、はじめて目を見はったのだが。だが何という美しさなのだ。小さい、その全身を誇らかに、可憐に、なまめかしくひらいて、はてもなく青いこの空の下に咲いている。人間だから、花だから、と区別することはない。いのちの共感は一体だ。

・ぼくは小学校の頃ずっと寄宿舎で過ごした。家はすぐ近くにあったのだが、芸術家同士だった両親はぼくを持てあましたらしい。子供の世界にはガキ大将を中心とした階級制度みたいなものが厳然として存在している。ぼくは生まれつきそういう権威に頭を下げたり、すり寄ってうまくやるということが出来ないたちだ。たった一人で、ガキ大将集団にタテつき、闘った。ガキ大将自身はそういうぼくを逆に認めていうようなところもあって、そんなに悪くなかったのだが、そのまわりにくっついて歩いて威張っている小頭みたいな連中、こいつらには徹底的にいじめられた。学校の授業時間だけでなく、寄宿舎生活だから、まる一日じゅう、イビられる。子供の世界の意地悪というのは残酷だ。だが、ぼくには自分は純粋なんだ、何か自分のなかの清らかな心を必死にまもっている、というような信念があった。子供心に、絶対に譲れない聖なるものといったらいいだろうか。それが何かということは後年、パリに行って哲学や社会学を学んで、やっとはっきり自覚できるようになったが、・・・とにかく子供ながらに絶対に頭を下げず、ガンバった。大人になって、かなり社会的に名前も出てからのことだが、その頃のガキ大将に会った。「寄宿舎ではヒデエ目にあったよ」昔のことで、恨みは残っていないが、ふと思い出してそう言った。すると、「当たり前だよ。君だけは絶対に言うことを聞かなかったんだもの」ヘエーそうだんおか、とぼくはその時はじめて当時の状況、子供集団の力学がわかった。自分ではそんなこと考えず、気づきもせずに、ただひたすら自分の心を、アイデンティティをまもり、貫いていたのだ。

・なぜ、友達に愉快な奴だと思われる必要があるんだろう。こういうタチの人は自動的にみんなに気をつかって、サービスしてしまうんだろうけれど。それは他人のためというより、つまりは自分の立場をよくしたい、自分を楽なポジションに置いておきたいからだということをもっとつきつめて考えてみた方がいい。もっと厳しく自分をつき放してみたらどうだろう。友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分をつらぬいていけば、ほんとうの意味でみんなに喜ばれる人間になれる。自分で自分のあり方がわかってやることなら、もう乗り越えているはずだ。自分自身にとっていちばん障害であり敵なのは、自分自身なんだ。その敵であり、障害の自分をよく見つめ、つかんだら、それと闘わなければいけない。戦闘開始だ。つまり、自分を大事にしすぎているから、いろいろと思い悩む。そんなに大事にしないで、よしそれなら今度から、好かれなくていいと決心して、自分を投げ出してしまうのだ。ダメになって結構だと思ってやればいい。最悪の敵は自分自身なんだから。自分をぶっ壊してやるというつもりで。そのくらいの激しさで挑まなければ、いままでの自分を破壊して、新しい自分になることはできない。

・神様の次に神聖な存在であるべき先生が、卑しい態度をとったり、矛盾したことを言ってごまかしたりすると、許せなかった。ヨチヨチの子供が、一人ぼっちで闘った。出る釘は打たれる。打たれても打たれても、頭を、そして心を引っ込めなかった。まったく孤独だった。仲間の子供たち、ガキ大将のピラミッド集団とも闘った。辛くて、自殺したいと何度思ったかわからない。ぼくは日新学校以来、慶応幼稚舎まで、小学校時代をずっと寄宿舎に入れられて過ごした。ある日、冷たいベットの脚にもたれて、一人で板の間に座っていた。ふと目についた釘の頭。少しゆがんで、孤独に、板の間からもちあがっている。見つめながら、ああ、「出る釘は打たれる」-耐えなければならない運命というものを、ナマに、ひしひしと感じ取った思い出がある。小学校2、3年の頃である。考えてみれば、その時代から、今日に至るまでぼくは少しも変わっていない。あらゆる場所、あらゆる状況で、孤独な、「出る釘」であったのだ。そして叩かれても叩かれても、叩かれるほどそれに耐えて自分をつき出してきた。・・・いや、むしろ、出ずにはいられなかった。それが情熱であり、生きがいだからだ。

・”あなたは何故、結婚なさらないのですか?”という質問をよく受ける。しかしぼくはパリ時代、何人もの女性と同棲しているから、これは役所に届け出なかっただけの話で、実質的には何回も結婚生活をしたことになる。その中には3年、2年、1年、半年、1ヶ月のも、数日のもあった。一晩のも随分あったけれど、これは同棲とはいえないだろう。同棲のキッカケとなる恋のはじまりというのは、ぼくの場合、つき合っているうちにだんだんと、といったものではない。それはある一瞬から始まる。目と目が最初に出会った瞬間、何かを感じ魅きつけられる。当然、美女に魅きつけられることのほうが多いが、これがつき合っているうりに美女でない感じになってくることもある。恋のはじまりは瞬間でも、つき合いが長引くかどうかは、美醜よりも人間味にかかわる問題だろう。ぼくは、どんな女性に出会っても、まず漠然と恋の対象になり得るという気分になり、夢をかける。その時、相手がまっすぐにこちらに向き合い、ごく自然に振る舞えば、おのずと魅力があふれる。だが、素直で明朗でないとすぐ幻滅する。フランス女性だと、好きな相手には、”好きよ”という態度をはっきり示すし、”冗談よ”とか、”あなたは人間として好きだけど、恋愛する気持ちはないわ”という態度を明確にする。ところが日本の女性は、つつましいのは結構だが、まともにこっちを見ようともしないのはつまらない。列車の中などで、ああ素敵な人がいるなあと思って、じいっと見ていると、気がついているのに、知らん顔で窓の外を見ていたり、またすうっとこっちをよけて別の方向に視線をそらしてしまう。だから「出会い」にならない。

・これじゃいつまでたってもだめだ。フランス人のように積極的にとびこんでいkないかぎり、ぼく自身、自由にはなれないと思った。そこで、あらゆる機会に女性に声をかけ、気楽に愛の告白を試みた。つまりスポーツ的スリルを味わった。そのうち、ぼくはほんとうにひとりの娘にまいってしまったんだ。その娘はアルゼンチンの富豪の令嬢で、ノエミといった。でも、ノエミは恋のしたたか者で、ぼくは1年間というもの彼女にホンロウされ、結局その初恋は実らずに終わってしまった。初恋を終えて、初めて勉強に打ち込めるようになった。ぼくの熱病がさめてからノエミに逢ったとき、彼女は悲しそうに、”ああ、あなたはすれた大人になってしまったのね”といった。つまり初恋はひとつの卒業なんだ。誰でも初恋を経験して大人になる。さめてしまえば、なぜあんなに熱病みたいに悩んだのだろうと思う。それは大人になったうれしいような悲しいような証拠でもあるんだ。愛する人の前に行くと、思ったことが言えなくなり、かえって逆な行動をとってしまったりして悩むというのは、自信のない人やシャイな人なら、誰でも経験することだろう。とりわけ思春期っていうのは不器用にとまどうものだ。

・パリでさまざまな女性と出会い、一緒に暮らしたが、不思議なことに、一度も彼女らとけんか別れをしたことがない。うらみつらみを伴う別れは一回もなく、いつでも何かしらお互いの事情があって自然に別れただけだった。あるとき、とても知的で、色っぽい、チャーミングな女性とキャフェでビールを飲んでいた。「そういえば、あなたと一緒に暮らしたことがあるね」ふと気がついて言うと、彼女はにっこり笑って「そうね、あのときは楽しかったわ」何か悩ましい、いい匂いの風が吹き抜けていったような気がした。

・最後に別れたのは、オーストリア系のウィーンの女性、ステファニーという名だった。彼女とは2年ほどの燃えるような生活を共にした。ショーダンサーで、パリの有名な劇場で踊っていた女性だが、とてもきれいで、僕が一緒に街を歩いたり、キャフェなどに入っていくと、フランスの友達も気になるとみえて近寄ってくる。「あんな美女をどうしたんだい?」「紹介してくれよ」とか、いろいろ言われたものだ。だが、ドイツとフランスの戦争がいよいよ激しくなって、彼女はパリにいられなくなった。ぼくが北停車場まで送っていったのが最後の別れとなった。戦時下で、北停車場には武装警官がひしめいていて、ものものしい雰囲気だった。そんな中で、改札口を入った彼女は悲しそうな顔で柵越しにぼくを見つめ、立ち去りかねている。ぼくたちは柵をはさんで抱き合い、熱烈な口づけを交わした。その柵越しのキスがぼくたちの永遠の別れになった。

・純愛とは、男女関係につきものの些末な利害をのりこえたまったく無条件な愛の姿だ。愛といいながら、ほとんどの場合、相手の好意に期待するとか、それによる孤独からの脱出、あるいは生活上の便利さなど、いろいろな条件の枠を前提にしている。純愛とはそんな諸条件を抜きにした生きがいなのだ。好きになった男と女が、無条件に自然にそのままの姿で合体する。それが純愛である。ヨーロッパの普通の家庭では、娘は二十歳を過ぎると、部屋を借りて独立する。また17、8歳でも仕事を見つけて働き出すと、親は何も言う権利がなくなるので、彼女は思うような生活ができる。男と二人で暮らしたほうが何かと生活しやすくなるから、自然と同棲生活者が多くなる。愛情だけが二人の仲を結んでいる。無条件の関係だから、男も女も相手に対していい加減にはなれない。その緊張感が女を、また異性としての男をみがくのだ。パリの男も女も年をとってからも何か色っぽいのは、こういう気風と関係があると思う。

・出会いのはじまりだが、ぼくは、はじめて接吻するときの態度がとても大事だと思う。その女性の実体があらわになる。それは精神と肉体が微妙にからんでくる瞬間である。その受け方、拒み方で、その人本来の自然のセンスと、オーバーにいえば人生観がおのずと浮かび上がってkるものである。いかにも重大なものを許したという大げさな態度をとる女性は愚かしい。かといってあまり何でもないという調子では、有り難くもないし、興ものらない。ためらい、投げだし、そして自分の行為に対して悪びれない。そういう女性こそ、いじらしく、可愛らしく、頼もしい。あわてて、男が気にするより先にこちらにつけてしまった口紅を拭き取ろうとされたりするのもかなわないが、いつまでたっても一向に無頓着でいられるのも困る。これはスライドして考えれば、そのまま肉体関係の種々のケースに当てはまっていく。いわゆる教育やしつけで教えられたり教わったりできないものだけに、その人のセンスがひとりでに行わしめるコケットリーが問題なのだ。

・ぼくは、結婚という形式が好きじゃない。男と女の関係は、証明書を登録し、形式的にワクにはめられるようなものではない。一人の男性は、すべての女性にとって、友だちであり、影響をあたえ合う存在であるし、一人の女性は、すべての男性にとって、つながりうる存在であるはずなのだ。しかも、男の存在のしかた、女の存在のしかた、その双方が結びついて、はじめて、広がりのある”世界観”が形成されると思う。形式的に結婚というかたちで、男と女がたがいに他をしばりあう。2DK、3DKと、小さな境界線を立て、けちくさい空間、スペースに自らをとじ込める。これは卑しい考えだ。小市民的な平穏を、いじましく守るだけの考えではないだろうか。人間には、自由という条件が必要だ。自由というのは、たんに気楽にやりたいことをやるのではない。そうではなく、できるかぎり強烈な人生体験を生きるのが、自由の条件なのだ。ところが、結婚は、人間の手かせ、足かせにしかならない。結婚という形式にしばられた男と女は、たがいに協力し合うのではなく、相手の行動に反対の作用をする-こうして、たがいに、人間の可能性をつぶし合うしかない。あるいは結婚という不自由があるからという理由で、自らが自由を実現できないことの、ゴマカシにしえいる。つまりは、結婚が人間を卑小な存在にしているわけだ。

・結婚する相手と出会うことだけが、運命的な出会いだと思っている人が多いようだが、運命的出会いと結婚とは全然関係ない。たとえ、好きな女性がほかの男と結婚しようが、こちらがほかの女性と結婚しようが、それはそれだ。結婚というのは形式であり、世の中の約束ごとだ。ほんとうの出会いは、約束ごとじゃない。たとえば極端なことをいえば、恋愛というものさえ超えたものなんだ。つまり自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手のなかに自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ。たとえ別れていても、相手が死んでしまっても、この人こそ自分の探しもとめていた人だ、と強く感じとっている相手がいれば、それが運命的な出会いの対象だといえる。必ずしも相手がこちらを意識しなくてもいいんだ。こちらが相手と出会ったという気持ちがあれば、それがほんとうの出会いで、自己発見なんだ。

・夫婦がいつも新鮮な気持ちでいるためにはどうしたらいいかというと、最も親密な相手であると同時にお互いが外から眺め返すという視点を忘れてはいけない。ところがほとんどの場合、好きな相手と一緒に生活すると、ただ安心して相手によりかかってしまうからいけないのだ。

・リュシエンヌはいつもよく本を探しに行った書店の売り子だった。かなり専門的な難しい本について相談をもちかけても、てきぱきと的確に応じてくれる。しょっちゅうその本屋に入りびたっているうちに、自然と彼女と親しくなり、とけあうようになった。一緒に暮らしたのは、4、5ヶ月だったろうか。彼女は夕方帰ってくると、「タロー、ちょっとお散歩していらっしゃい。ついでにワインを買ってきてね」などと、何か適当な口実をつけてぼくをアトリエから追い出す。キャフェでちょっと友だちと話したり、頼まれた買い物をしたり、頃合いを見て部屋に帰ると、あたりはきれいに片づいていて、リュシエンヌは服を着替え、お化粧も直して、昼間、店で働いている時よりずっと女っぽい、やわらかい雰囲気で迎えてくれるのだ。「お掃除しているところなんて、あんまり見てもらいたくないわ」と彼女は言っていた。愛する男にはいつでも花のように、優しく微笑んで、チャーミングな女として向かいあいたいというリュシエンヌの美学、心意気をぼくは尊重したし、嬉しく思った。結婚してもお互いがうれしい他者であり、同時に一体なんだ。夫婦になる以前の新鮮かつ無条件な男と女としてのあの気持ちを忘れないことが大事だ。

・男と女は異質であり、だからこそ一体なんだ。でも、ひとことで男女の愛は闘いであるということは正しいし、闘いでなければ愛ではない。愛がなかれば闘いはない。これは確かだ。ごまかしている恋愛もあれば、惰性的な恋愛もある。愛といってもこれはさまざまだ。無神経な奴がやたら口でいっている愛もあるし、ほんとうに愛していても、愛という言葉が口に出ない愛だってある。ぼくの場合、愛はすべて闘いだった。闘いといったって、女性といざこざを起こすわけじゃない。女性を愛するときは、自分との闘いになるわけだ。彼女とほんとうに一体になるためにどうすればいいかという-これは、自分自身にどう対すべきかということなんだ。つまり自分を強烈にたたきつけて彼女と一体になれるかどうかということだ。男性の方だけが愛している場合は、自分だけで燃えているんだ。自分で自分を試しているんだ。自分が自分に挑んでいる。だから、自分に勝つか負けるかが問題で、これは相手に対する闘いでなく自分自身に対する闘いなんだ。ぼくが体験してきた愛というのは、そうだった。

・恋愛というのは、相思相愛でないと成り立たないと、とかくみんな誤解しているんじゃないだろうか。それだけが必ずしも恋愛じゃない。たとえば片想いも立派な恋愛なんだ。相思相愛とひと口にいうが、お互いが愛し合っているといっても、その愛の度合いは必ずしも同じとは限らない。いや、どんな二人の場合だって、いつでも愛はどちらかの方が深く、切ない。つまり、男女関係というのは、デリケートにみていくと、いつでもどちらかの片想いなのだ。悲しいことに、人間の業というか、運命的な落差。そこに複雑なドラマがある。たとえば、自分自身を、客観的に評価して、あらゆる点で彼女にふさわしくないと判断してしまうこともある。学力とか、自分の容貌や肉体的条件といったものから、自分のすべてを、いつも相手より低くみてしまう。辛い。しかし自分に絶望しているだけでは意味がない。自分がいろいろな点で低いからと引っこんでしまうのは、これは片想いでもないし、恋愛ともいえない。もっとわかりやすくいえば、初めからほんとうの愛を捨ててしまっているといえる。ぼくはそんなのだらしがないというよりむしろ卑怯だと思う。自分がその人を好きだという、その気持ちに殉じればいい。どんなにすごい美人にでも、無視されてもいいから、彼女のそばで、気持ちをひらけばいいんだ。愛情を素直に彼女に示すんだ。その結果、彼女から答えが得られようが得られなかろうが、お返しを期待せず自分の心をひらくことで、自分自身が救われるはずだ。たとえ、お互い愛し合っていても愛の度合いが、同等のレベルだなんてことはありえないんだから、彼女がどう思おうと、自分は愛しているんだと強烈に感じれば、そのとき片想いはほんとうの恋愛になる。そうすれば、いろんな意味での価値の差によっておじけづくなんて、むなしさは感じなくなるだろう。彼女からいい答えを得たいと願っていてもそれはくまで夢で、現実に己自身なんだから、孤独のなかでその夢を生かし、愛を深めればいいじゃないか。きっとその闘いによって自分自身がぐうっと深まり変わっていくに違いない。

・ぼく自身の経験からいえば、自分が片想いしていると思っている時の方が強烈だ。つまり、相思相愛、おめでたいのが恋愛ではなくて、片想いが恋愛だといえる。恋愛というのは、こちらが惚れれば惚れるほど、喜びと同時に心配や不安といったものが起こってくる。ということはつまり片想いだろう。ぼくの場合は、どっちの方がより深く愛しているなんて特に意識したことはない。恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがあると思う。だから、恋愛も自分をぶつける対象としてとらえてきた。恋愛だからどうだとか、こだわって考えたことはない。

・もし手紙を書くのなら、ラブレターではなく、まず友情のこもった手紙を出すほうがいい。そういう親しい手紙で十分にこちらの気持ちはわかる。恋愛というのは、とかくエゴイスティックになるけれど、相手を想いやる余裕をもちたい。人生だって、余裕のある、ひろがりに満ちた人生のほうがいいだろう。もし無邪気な自分をみせても、彼女が愛してくれない場合は、自分だけが心のなかで、ひとりで恋愛をはぐくんでもいいじゃないか。そうすればとても素晴らしい夢がひろがる。ぼくの心の中でも、思い出ははいまでも忘れられない。楽しく美しく残っている。そういう思い出があるということはとても素晴らしいことだ。だから、男女の仲というのは、肉体的な関係だけじゃない。年が離れていても気持ちの上での溶け合いができるのだ。

・ぼくは「今日の芸術」という著書の中で、芸術の三原則として、次の3つの条件をあげた。芸術はきれいであってはいけない。うまくあってはいけない。心地よくあってはいけない。それが根本原則だ、と。はじめて聞いた人は、なんだ、まるで反対ではないか、と呆れるかもしれない。しかし、まことに正しいのだ。ただ一言、「美しい」ということと「きれい」というのはまったく違うものであることだけをお話ししておきたい。

・ある時、パッと目の前がひらけた。・・・そうだ。おれは神聖な火炎を大事にして、まもろうとしている。大事にするから弱くなってしまうのだ。己自身と闘え。自分自身を突き飛ばせばいいのだ。炎はその瞬間に燃え上がり、あとは無。-爆発するんだ。自分を認めさせようとか、この社会のなかで自分がどういう役割を果たせるんだろうかとか、いろいろ状況を考えたり、成果を計算したり、そういうことで自分を貫こうとしても、無意味な袋小路に入ってしまう。いま、この瞬間。まったく無目的で、無償で、生命力と情熱のありったけ、全存在で爆発する。それがすべてだ。そうふっきれたとき、ぼくは意外にも自由になり、自分自身に手応えを覚えた。むろん、生活の上で、芸術活動の上で、さまざまな難問や危機は次々と押し寄せてくる。しかし恐れることはない。

・個人財産、利害損失だけにこだわり、またひたすらにマイホームの無事安全を願う、現代人のケチくささ。卑しい。小市民根性を見るにつけ、こんな群れの延長である人類の運命などというものは、逆に蹴飛ばしてやりたくなる。人間本来の生き方は無目的、無条件であるべきだ。それが誇りだ。死ぬのもよし、生きるもよし。ただし、その瞬間にベストをつくすことだ。現在に、強烈にひらくべきだ。未練がましくある必要はないのだ。一人ひとり、になう運命が栄光に輝くことも、また惨めであることも、ともに巨大なドラマとして終わるのだ。人類全体の運命もそれと同じようにいつかは消える。それでよいのだ。無目的にふくらみ、輝いて、最後に爆発する。平然と人類がこの世から去るとしたら、それがぼくには栄光だと思える。

<目次>
1 意外な発想を持たないとあなたの価値は出ない
 -楽しくて楽しくてしょうがない自分のとらえ方
 1 自分の大間違い
 2 ”モノマネ”人間には何も見えない
 3 一度死んだ人間になれ
 4 直線と曲線の違い
 5 ”捨てる主義”のすすめ
 6 らくに生きる人間は何を考えているか
 7 エゴ人間のしあわせ感覚
 8 好かれるヤツほどダメになる
2 個性は出し方 薬になるか毒になるか
  -他人と同じに生きてると自己嫌悪に陥るだけ
 1 ”爆発”発想法
 2 道は一本か、十本か
 3 正義の裏・悪の裏
 4 成功は失敗のもと
3 相手の中から引き出す自分それが愛
  -本当の相手をつかむ愛しかた愛されかた
 1 愛の伝え方を間違えると
 2 ”その一瞬”を止める方法
 3 男と女に知的関係はあるか
 4 自分の愛とその人の愛の違い
 5 失ったときから始まる愛
4 あなたは常識人間を捨てられるか
 -いつも興奮と喜びに満ちた自分になる
 1 きれいになんて生きてはいけない
 2 頭を遊ばせて世の中をみてみよう
 3 ”爆発”の秘密
 4 自分を笑ってごらん
 5 むなしさの生みの親
 6 あなたは何に燃えたいか

面白かった本まとめ(2014年上半期)

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