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カラオケ秘史 創意工夫の世界革命(烏賀陽弘道)

2009年05月01日 01時00分00秒 | 
<金曜は本の紹介>

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 この本は、カラオケの定義から、カラオケの2人の発明者、カラオケボックスを考案した弁当屋のおじさん、ミシン会社による通信カラオケの開発、カラオケの音源づくりの現状などについてまとめた本です。

 とても分かりやすく、面白い内容となっていますので、とてもオススメです!!

 特にカラオケ発明で明暗を分けた内容、通信カラオケの開発については興味深く読みました!

 人生の教訓にもなると思います!


以下は、この本のポイント等です。

・日本全国にはカラオケボックスはいくつあるのでしょうか。それが何と、約9800ヶ所。駅の数とほぼ同じなのです。これだけで驚いていてはいけません。カラオケボックスに「酒場」「旅館・ホテル」など「カラオケが置いてある施設ぜんぶ」を加えると、約219,400ヶ所に膨れ上がります。日本では、公共交通の拠点より、歌をうたう施設の方が20倍以上も多いのです。

・筆者の取材した範囲の情報で判断する限り、日本で初めて(ということは世界で初めて)商業用(あるいは娯楽用)カラオケの機械をつくり、売り出した最初の人物は根岸重一である。井上大祐ではない。それではなぜ、井上は世界の有名人になり、根岸は歴史の波に消えたのか。結論を先にいってしまうと、井上が基本的に「素人の歌い手」を客に育った「流しのミュージシャン」であり、カラオケ音源も自作したのに対して、根岸は機械作りの専門家、言うなれば歌好きのエンジニアで、音源テープを自分では作らなかったからである。

・井上大祐と根岸の明暗を分けたのは(1)素人にも歌える伴奏テープを自分で製作したかどうか(2)「先発業者」である「流し」と強調できたか、の2点である。井上はもともとプロの流し、つまりミュージシャンだったのに対し、根岸は電気技術者であり発明家であり、音楽のプロではなかった。これが「カラオケの発明者」である根岸が先発者なのに忘れられ、井上がその栄冠を手にした理由である。直、根岸もカラオケの特許も意匠登録も取っていない。

・佐藤は、廃車予定のトラックに付いていたコンテナボックスを60万円で買ってきた。11トントラックのコンテナは幅9メートル、奥行き・高さ2.5メートルである。そして断熱材を張り、窓をあけてエアコンをつけたうえ、内装をリビングルーム風に改造した。200万円かけた改装が済むと、14畳弱の広々としたリビングルームが姿を現した。カラオケ機器(プレイヤー、マイク、テープセットなど)を140万円で設置すれば出来上がり。つまりカラオケボックス1台400万円である。

・開店当初の料金は、1時間2000円プラス1曲100円。1時間にだいたい14曲は歌えるので、1時間で3400円が1つのボックスから入る計算になる。1日が終わってみると、総売り上げが100万円近くに達している日さえあった。こんなに効率のいい土地の利用法はない。佐藤は確信した。

・佐藤によれば、コンテナのカラオケボックスにはこんな利点があった。
 (1)壁と屋根がすでにできているので、建物を新たに作る必要がない。よって役所で建築基準法上の確認を取るなどの煩雑な手続きが少ない。
 (2)もともとトラックの一部なので、運び入れるのが簡単。
 (3)営業をやめて引き上げるときも、引っ越しが簡単。
 (4)移設が簡単なので、地主の心理的な負担が軽く。土地を借りやすい。

・LDにせよCDにせよ、次に現れる「通信カラオケ」にはどうしてもかなわない欠点を抱えていた。
 (1)LDやCDが増えると、場所を食う。よって店に置ける曲数には物理的な限界があった。
 (2)「オートチェンジャー」がない店では、店員なり客なりが手足を動かして再生機のところまで行き、LDやテープを替えないと曲も切り替えることができない。手間、人手を食う。店の営業の邪魔になる。
 (3)新しくレコードが発売された「新曲」がカラオケになるまでに、タイムラグが開いた。演奏を録音し、ディスクやテープを大量生産し、お店に行き渡らせるには、どうしても一ヶ月前後かかった。
 カラオケボックスの登場で新しくカラオケの客層の仲間入りをした若者層にとっては(3)が一番の不満のタネだった。お気に入りの歌手やバンドの新曲は早く歌いたいのがファンの心理である。

・通信カラオケでは、カラオケ音楽はデジタル・データ化され、店にあるカラオケ再生端末機に電話回線を通じて電気信号として送られる。そして再生機に内蔵されたハードディスクにデータとして記録・貯蔵されていく。しかもその再生機の大きさはコンポーネント・ステレオ程度で、ハードディスクの容量が満杯にならない限り、どれだけ曲を増やしても場所を食わない。新曲が出てもCDやLDを店に配達する必要がない。新曲がカラオケ化されるまでのタイムラグもほとんどなくなった(現在では新曲の発売日とカラオケの配信日は揃えるのが普通)。

・実はもう一人だけ、「この人がいなかったら通信カラオケは存在しなかった」という発明家がいる。安友が、音楽のデジタル化された楽譜データを電話回線で送るのに使った言語は「MIDI」だった。この「MIDI」を開発したのも、前述のように日本人エンジニアなのである。その人は名前を梯郁太郎という。梯は「MIDIの発明者」というより、シンセサイザーなど電子楽器の世界的メーカーとして有名な「ローランド」を一代で築き上げた技術者・企業家といったほうが通りがいいかもしれない。

・森社長によると、やはりどうしても日本人が作った音源が「最高」なのだそうだ。データが耳コピー職人から納入され、電話がかかってくる。日本人はまず「ぼくのデータ、どうでした?」と自分の「作品」の評価を聞きたがる。外国人は「それで、いつおカネを払ってくれるのか」と商談がいきなり始まる。「日本人は自分への評価を気にする、つまり見栄がいい、カッコいいものを作ろうとするんですね。そこを一生懸命やってくれるのがいい」このカラオケの音源作りに見せる日本人の「芸の細かさ」は、なかなか他の国の人には真似できない、と業者は異口同音に言う。日本人の耳コピー職人は、コンマ数秒の違いをちゃんと再現してくる。外国人が打ち込みをすると、こういう細かい表現は飛ばされていることが多い。

<目次>
序章 日本人はなぜ「聴く」より「歌う」のが好きなのか
第1章 「カラオケの発明者」になりそこねた男
 発明者は誰だ
 語源は空オーケストラ
 定義はさまざま
 定説のウソ
 井上の証言
 マルチミュージシャン井上
 商売のタネ
 テープも自作
 二ヶ月で爆発
 流しの怒りを買う
 大手と結びつく
 世界のイノウエに
 幻の発明者
 命名「カラオケ」
 第三、第四の男
 同時多発の理由
 コラム カラオケ前史・その1「歌のない歌謡曲」
第2章 カラオケボックスを考案した弁当屋のおじさん
 第二の革命
 岡山で誕生
 第1号は現存していた!
 カラオケうどん
 コンテナ人気沸騰
 演歌からポップスへ
 増殖するボックス
 地方から都会へ
 高級化戦争
 なぜ岡山だったか
 コラム カラオケ前史・その2 小唄ブーム
第3章 原子力博士はなぜミシン会社で通信カラオケをつくったのか
 第三の波
 最先端技術の導入
 札幌の博士
 ブラザーの事情
 飛び込みの電話から
 会社にも秘密のプロジェクト
 通信カラオケとは
 百人を監禁
 アナログ回線を使用
 ターゲットを若者に
 動画の開始
 カラオケからヒット曲が生まれる
 MIDIとは何か
 スタートは時計店
 MIDIの革命
 コラム カラオケ前史・その3 流し
第4章 音源づくりの耳コピー職人は自宅作業をしていた
 演奏者は誰だ
 そこは自宅だった
 打ち込み職人の現場
 耳コピー職人会社
 日本人の音源は最高
 コラム カラオケ前史・その4 民謡酒場と歌声喫茶
終章 日本人はいつから人前で歌うようになったのか
あとがき
主要参考文献



面白かった本まとめ(2008年)


<今日の独り言>
 5歳の息子は幼稚園の年長組になったのですが、年少組をお世話するようになったようです。息子は一応優しく対応できているようで、その年少組のお母さんからお礼を言われると、うれしいもんですね^_^)

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