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酒田市立資料館(山形県 酒田市)は酒田市の歴史が分かりとてもオススメ!

2022年03月09日 01時00分00秒 | イベント・外出

 このブログで紹介しましたが、山形県の酒田市の「こい勢」で美味しいお寿司ランチを食べた後に、2時間ほど時間があったので、歩いて酒田市立資料館へ行ってきました♪

<酒田市立資料館>
・住所:山形県酒田市一番町8番16号
・開館時間:午前9時~午後4時40分
・休館日:4月~11月は無休、12月~3月は月曜日(月曜日が休日の時は翌日)、年末年始(12月29日~1月3日)
・無料駐車場あり
・入館料:一般200円、高校生90円、小中学生50円

 最近江戸時代の北前船などについて興味があったためです♪

 場所はJR酒田駅から徒歩約10分の所にあります。
酒田市が素晴らしいのは至る所に酒田市内観光の地図があるので、この酒田市立資料館にも通り過ぎることなくすぐ行けました。

↑酒田市立資料館

 入口で手を消毒して検温をして200円を現金で支払って入館します。
電子マネーやクレジットカード等は利用できず現金のみ対応ですので注意が必要です。
コインロッカーはありませんが荷物は無料で預かって頂き嬉しいです。

また写真撮影する場合は事前に許可が必要とのことで住所などを記入して許可を頂きます。

 一階が企画展示室でこの日は、「新収蔵品展 梅月 謎多き酒田の女絵師」の素晴らしい絵画がありました。たまたま山形放送局の取材撮影がありその感想を述べたりして、それが放送されたようで嬉しいです。

 二階が常設展示室として、酒田の歴史と民俗の資料展となっていてかなり充実していました。
まずは年表を読んで時代の流れを把握します。

↑二階の様子

↑二階の様子

↑酒田の歴史と民俗の資料展の年表

↑年表拡大

↑年表拡大

↑年表拡大

 また酒田市の航空写真があり、海に近いことや近くの最上川や鳥海山が素晴らしいということが分かりましたね♪
 年表を読むと、その鳥海山は1801年に噴火し新山ができているんですね。

 また1804年や1894年には大地震もあり、100年に一度は大地震が起きるのでしょうか。
それから後で説明がありますが、酒田は海に近いので風が強く、そのため何度も大火に遭っているようです。

↑酒田市の航空写真

↑酒田市の航空写真

 年表では、そのほか1672年に酒田湊を基地とする西回り航路が整備されたことや、第二次世界大戦中は昭和20年6月30日に米軍機により酒田港一帯に93個の機雷と照明弾が投下され、8月10日に米軍艦載機27機により空襲を受け、死者16名、行方不明者4名、重傷18名も出していることが興味深かったですね。

 そして時代を追って説明があります。
庄内には旧石器時代から遺跡があるようで、特に縄文時代や弥生時代の遺跡が多いようです。
平野部が広いので稲作で昔から繁栄していたのでしょうか。

↑庄内の遺跡分布図

 それから飛島の説明がありましたね。
 飛島があるとは知らなかったのですが、酒田より北北西約40kmの場所にあるようです。
暖流と寒流が混じり合い春夏秋冬を通じて緑が多く、年間の平均気温が山形県で最も高温とは興味深いです。

↑飛島

 それから中国大陸では西暦698年~926年に渤海という国があったのですが、当時からその交流が出羽国であったとは驚きです。
渤海からは35回も訪れ、日本からも14回渤海へ行っていたとは知りませんでした。
 日本から絹・綿が送られ、渤海から毛皮が送られたとは興味深いです。
出羽だけでなく能登や松原(京都府?)とも渤海とは交流があったようです。
 遣唐使の時代ですね。

↑渤海国との交流

 そして戦国時代の群雄割拠の図(元亀~天正初期)があり興味深かったですね♪

↑戦国時代の群雄割拠の図(元亀~天正初期)

 それから日本海海運を支配してきた商人たちによる民衆のための自治組織である酒田36人衆は興味深かったですね♪
井原西鶴の日本永代蔵にもその中の鐙屋(あぶみや)の記述があります。
その鐙屋(あぶみや)は現在もあり、この後に散策した際に行ってみましたが現在改修工事中でしたね。
改修小路は令和4年3月18日まであるようで、改修後にはぜひ行ってみたいですね。

↑改修工事中の鐙屋

↑改修工事の案内

↑酒田36人衆

そしてその酒田36人衆の組織と機能も興味深いです。
売買だけでなく船員の宿泊機能としても大切だったんですね。

↑酒田36人衆の組織と機能

↑北前船

 それから酒田湊で活躍した町人は全国各地から集まり活躍していたとは興味深かったですね。
当時は移動は大変だったと思います。
そのため屋号を出身地の国名にすることも多かったようです。

↑酒田湊で活躍した町人の主な出所

 そして西回り航路とその主な北前船寄港地の地図がありこれも興味深いです♪
佐渡島に寄る方が楽だったのでしょうか。
各地の寄港地にはぜひ今後寄ってみたいですね。

↑西回り航路と主な北前船寄港地

それから酒田湊の歴史の説明もありました。
酒田は当時かなり繁栄していたようです。

↑酒田湊の歴史

 また最上川の各船着き場から各地の産品が船で運送され、そして北前船で全国で交易されていたようです。
最上川沿いからは米はもちろんのこと、大豆や紅花、大豆、小豆、葉タバコが出ていき、塩や魚、茶、陶器、日用品を手に入れていたようですね。

↑最上川の船着き場と運送された品物

そのため当時は最上川整備も進められたようです。

↑最上川整備

 それから明治維新時の戊辰戦争関連の資料も充実していましたね。
酒田も戊辰戦争に巻き込まれたようです。

↑戊辰戦争と酒田

↑戊辰戦争の背景など

↑戊辰戦争関連地図

↑戊辰戦争関連

↑戊辰戦争の動き

 それから酒田は風が強いため、江戸時代から大火に見舞われていたようです。
比較的最近の昭和51年にも大火があったとは驚きでしたね。
それらの資料もかなり充実していました。

↑酒田と大火

↑酒田火災年表

↑酒田大火について

↑酒田大火焼失区域図

↑大火時の写真

 酒田市立資料館は、遣唐使の時代に渤海国との交流があったことや江戸時代の北前船、明治維新時の戊辰戦争、酒田大火など酒田の歴史について分かりやすく説明があり歴史の勉強になりました♪

とてもオススメです!

コメント
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