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「東大名物教授がゼミで教えている人生で大切なこと(伊藤元重)」という本はとてもオススメ!

2016年04月15日 01時00分00秒 | 
「東大名物教授がゼミで教えている人生で大切なこと」の購入はコチラ

 「東大名物教授がゼミで教えている人生で大切なこと」という本は、1996年より東京大学大学院経済学研究科教授で、阿倍政権の経済財政諮問会議議員でもある著者が、苦労して身につけてきた読書法やメモの取り方、資料や情報の処理法、講演法、スタバ等での勉強や読書、歩きながら思考、対談のメリット、差別化、to do list、現場主義等の知的戦略行動について若い人に伝えるためにまとめたものです。

 どの内容も腑に落ち、参考になるものばかりで、自分の人生に活かせる内容で、とても感銘を受けましたね。

 しかも分かりやすく具体例を示しながら書かれているので読みやすいです♪

特に以下については感銘しましたね。

・何度も繰り返し読む深い内容のある本があると良い
・様々なジャンルの本を読むことは大切
・自分の人生で読んできたベストの書籍の書棚を持つと良い
・本や資料のメモをタイプし、そのメモのメモも作っていくと1冊の本が出来上がる準備が完了する
・人の話はメモを書くことに意義がある
・原稿を書くというアウトプットこそ、その準備のため実は最良のインプットとなる
・膨大な資料や作業はまず仕分けることが大切
・講演は草稿を読むのではなく自分の言葉でしゃべること
・講演をしているうちに書籍の形にまとまる
・ディスカッションをするとより深く考えるようになる
・スタバ等での原稿執筆等は時間が限られるので集中力が増し効率的
・立って仕事をすると効率的
・歩きながら考えると色々なアイデアが浮かぶ
・対談はその道の専門家に短時間で集中していろんなことを聞ける
・毎日一つ新しいことをやることも大切
・1日に30分など一人になって自分の仕事について考える時間を作ることも大切
・複数のことを同時に行うことが大切(例えば原稿書きや読書は複数のものを同時に進める)
・ほかの人がやらないことをやって差別化することが大切
・異質なものを組み合わせることが大切(たとえば海外の論調など)
・明日はないと思い今日やること
・いつやるのか、やらないのか今その場で決めてしまうことが大切
・重要でないことはやり過ごすことも大切
・to do listには優先度をつけることが大切
・スケジュールには重要な案件をまず入れることが大切
・現場の情報の価値は高い
・現場には専門家と一緒に行くのが良い
・外からのアドバイス、コメント、批判の声には常に耳を傾ける必要がある
・プロの話は重要だが鵜呑みにしてはいけない、プロにも見えていない大きな変化が起きている可能性がある
・業界が違っても直面する問題には似たようなところがある
・先生より身近な優れた同級生をロールモデルにした方が良い
・熱心に語る内容が原稿や本、論文の内容になる(話すことで頭の整理となる)


「東大名物教授がゼミで教えている人生で大切なこと」という本は、人生向上のポイントがたくさんありとてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です。

・クリステンセン氏が強調した「人間は長期的な目標の重要性を忘れて、どうしても目先の動きに流されやすい」存在であるという点は、人生の戦略論を考える上で重要なポイントである。人間というのは弱い存在であり、周囲に振り回されることが多い。だからこそ、自分の弱さが何かをよく知り、自分が本当に何をやりたいのかを常に確認する必要があるのだ。私には研究者として多くの弱点がある。たとえば長時間続けて考えることが苦手だ。分かりやすくいえば、飽きやすい性格といってもよいかもしれない。一つのことをじっと考え続けることができるということは、研究者にとっては貴重な能力であるが、残念ながら私にはその能力が足りないようだ。一冊の本を最後まで読み通すというのも得意ではない。そんな私でも研究者としてなんとかやってこられた。自分の弱点を知ること、自分の行動を戦略的に考えることは重要であるのだ。私は整理整頓が苦手だ。家内などそれがよくわかっている。その私がいろいろな人に「伊藤さんはよくそんなに多くの情報を管理していますね」と感心される。管理しているわけではないが、戦略的な情報収集と情報処理をしていることは確かだ。大学のゼミの学生などには、こうした私の知的戦略行動について話すことが多い。若い人たちに、私が苦労して身につけてきた秘伝を伝授したいという思いが強いからだ。そして、クリステンセン氏の論文を読んでいるうちに、私が日頃周囲の若い人に話していることを本にまとめてみようという気になった。その結果が本書である。

・一度さっと読んでもわからない論文でも、2度、3度と読んで行くと、薄皮をはいでいくようにその内容が見えてくる。最初に読んだときにはとても歯が立たないようにみえた難解な内容も、何度か読むうちに信じられないような感じでその内容が頭に染み込んでいくのだ。読書の醍醐味は、同じものを何度も読めることにあるとも言える。一度読んだらそれでもうよいと捨ててしまえるような本は、実はあまり価値は高くないともいえる。私の学生には、いつもこの点を強調している。ベストセラーのような本はいつでも読める。ハウツーものはなおさらだ。学生の時しか、あるいは感受性の鋭い若いときでしか読めないような難しい本、あるいは深い内容の本に積極的に取り組むべきだ、と。それは結局はスローリーディングということになるはずだ。ところで、いまでも、何度も繰り返し読む本がある。たとえば、経済学者のフリードリヒ・ハイエクの「自由の条件」などはその代表だ。気が向くと、この本を寝床のそばに置いておく。そして寝る前に20分から30分この本を開く。数行しか読めないこともあるし、2ページほど読み進めることもある。どれだけの分量を読むのかということではなく、目の前にある文章をゆっくりと味わうことにしている。ハイエクの含蓄のある文章を読みながら、いろいろなことを考える。スローリーティングの醍醐味を味わう瞬間でもある。

・あの2年間、電車の中でひたすら数学の本を読み続けたのはよい経験であったと思う。学生にはよく言うことだが、自分が慣れしたんでいる世界とは違った世界を一度でも見た人は、それだけ視野が広くなる。たとえば、微分方程式を解いたことがある人と、それを見たこともない人では、当然、自分が認識できる視野が違うことになるのだ。数学だけではないだろう。小説、それも様々なジャンルの小説、美術書、音楽評論、歴史書、生物学など、なんでもそれに少しでも触れてみるべきだろう。それによって自分の視野や見方が広がっていくと信じて。

・その先生の部屋には大きな本箱が一つあった。100冊ほどの本が入る大きさだ。その本箱の本を見て、強い感銘を受けたことをいまでも覚えていr。本の多さではない。数なら私の研究室の本の方がはるかに多い。私が感銘を受けたのは、その本の内容だ。一冊一冊がすべて厳選された、この研究者の一生の重みを感じさせる選択であったからだ。おそらくどの本も深く読み込んであるに違いない。「いまの自分はこの本だけで生活していける」と冗談を言っていた。私ももう少し時間に余裕ができたら、「自分の人生で読んできたベストの書籍」の小さな書棚を作り、時間を作ってそうした本を何度も読み返したいと思う。

・「研究の秘訣は本や資料の読み方にあると思う。これはと思う本や資料をじっくりと読む。そして重要だと思うところにはアンダーラインを引いておく。さらに気がついたこと、疑問などがあったら、欄外に手書きでよいのでメモをしておく。1冊読み終われば、今度はそのアンダーラインをした内容や自分の書いたメモを、シングルスペース(つまり行間を空けないでという意味)でタイプする。それで立派なメモができる。そうした作業を続けていくと、何冊も本を読めばそれに応じてメモも増えていく。ある程度メモが増えたら、今度は自分の書いたメモにアンダーラインをつけながら読んでいく。気がついたこと、疑問に思ったことがあれば、それを欄外に書いておく。そうしたら今度は、メモについたアンダーラインやコメントでまたメモができる。つまりメモのメモだ。こうした作業を続けるとメモは相当な分量になり、それに応じてメモのメモも増える。メモのメモを読んで、メモのメモのメモもできてくる。この頃になれば一冊の本が出来上がる準備が完了する」という。

・メモをとることに集中していたら、人の話が聞けないのではないかと思う人もいるかもしれない。しかし事実は逆である。メモもとらないで漠然と人の話を聞いていたら、後には何も残らないこともある。相手の話を丁寧にすべてメモするわけではない。気になった事実、考え方、疑問を自分の言葉でメモにするだけである。メモであるので、文章になっていないことが多い。キーワードを書いてそれを○で囲んだり、ときには絵を描くことさえある。

・iPadには、手書きでノートをとる機能がついている。これを利用したソフトでGoodNotesというソフトウェアを利用し始めた。ほとんど紙に書く感覚でかけるので、パッドに書くのと違いはない。ペンを忘れても、指を利用して書ける。そして何よりもよいことは、ノートをいくら書いても、ファイルでずっと残っているということだ。管理して保持したければPDFファイルとして自分のアドレスにメールして、パソコンに入れればよい。スマートフォンやiPadの特徴は、暇なときなんとなくそれを見るということだ。タクシーの中で、あるいは人を待つ喫茶店などで、メールをチェックする。最近はそうした空き時間で、自分のノートを読むことが増えたような気がする。iPadのおかげで自分の書いたノートを読むということがやっと実現したような気がする。

・原稿を書くというアウトプットこそ、実は最良のインプットでもあるということだ。毎週の原稿を書くにあたってテーマを決めるために、まず頭を使う。次のその鍵となる考え方、あるいはキーワードが何かを考える。必要があれば、事実などを調べる。他の人がどんなことを書いているのかを読むこともあるが、これはそれほど多くはない。

・新聞に書く原稿(1000字~1500字程度が多い。)の場合には、まず真っ白な紙(あるいはメモ帳)を開いて、何が書きたいか候補を書き出す。そのリストを書きながら、無意識のうちにそれぞれのテーマの背景にどのような論点があるのか考えている。そしてそのリストの中からもっともよさそうなものを一つ選ぶ。苦労するときには、これに結構時間がかかる。だから1週間以上前から、空き時間を利用して考えることもある。いったん内容が決まれば、一気に書き出す。新聞記事のような長さの原稿は、読者も一つのキーワードを追っかけて読むことになる。だから、なんでもかんでも内容をぶち込んではいけない。一番強調したいことだけを中心に書くのだ。これが執筆のプロセスである。そういう作業を通じて原稿を書くのであるから、原稿執筆はアウトプットである以前に重要なインプットでもある。自分の頭を整理して、重要なポイントを明らかにし、今後の考察の方向についても検討するのだ。

・新聞に書く原稿は一度限りではない。たとえば消費税について何か書けば、そこには必ずその先の問題が見えてくる。あるいは、世の中の議論も進化していく。だから、また消費税について新たに書く機会が出てくる。そうした原稿を何度か書けば、消費税についてより深くかつ広い理解が広がって行く。連載原稿を何度か書けば、消費税についてより深くかつ広い理解が広がって行く。連載原稿を続けていることで確信した連載のメリットである。これはアウトプットである以上にインプットでもあるというこおだ。もちろん、新聞や雑誌の原稿をゼロから書いているわけではない。空間をにらんで突然天からアイディアが降ってくるのを待っているわけではない。私の生活は多くの細切れだが大変に密度が濃い情報のやりとりの連続なのだ。政府の会議に出たり、著名な専門家のセミナーを聞いたり、国際会議に出たりすれば、実に様々な面白いアイディアや考え方や事実に直面する。書籍や資料を読んでもいろいろなアイディアが頭に浮かんでくる。それをノートに書き留めるわけだが、それだけで放置しておけばいずれどこかに消えてしまう。それどころか、ほっておくと一週間ほどで忘れてしまうかもしれない。日々、次々に新しいことが入ってくるので、そちらに集中すれば、先週のことは忘れるものだ。新聞の連載はその記憶をピン止めし、自分なりの言葉で整理し、キーワードを見つけ、より深く考え、そして次の思考につなげる最高の手段である。連載原稿でなくても、日記や個人的メモでよいのかもしれない。ただ、締め切りがあるということ。そして人の目に触れるということ、この緊張感が重要である。人に読んでもらって役に立ったと思われなければいけない。教科書でも新聞原稿でも、こうしたサービス精神が重要であるが、これがまた原稿をまとめるときのプレッシャーになる。こうした作業を毎週のように繰り返している。結果的に見れば、たとえば2013年には新聞・雑誌・ウェブなどの原稿を合計200本近く書いた。「継続は力なり」とは言うが、よくも書いたものだ。これがいまの私には血となり肉となっている。若い頃の研究者時代のインプットとはずいぶん違うが、毎日の連鎖執筆のプレッシャーこそ、いまの私に最高のインプットであるのだ。私はいろいろなところで講演を行う。許されるなら、資料やスライドは使えないようにしている。それが一番よい話し方ができるからだ。私の講演を聞いた方から、よくあれだけのことをメモなしに話せますね、と言われることがある。しかし、それは私が特に優れた記憶力を持っているからではない。毎日苦労して書いている連載原稿、これが私の講演のネタである。苦労して原稿の形にまとめているのだから、自分の血や肉となっている。メモなしでその内容が話せるのは当然のことである。書くことは最高のインプットである。

・最近はアマゾンなどを利用して書籍を購入することが多いので、以前よりも書店に行くことは少なくなった。それでも時々出かける魅力的な書店がないわけではない。その一つが東大生協の書籍部だ。東大構内にある。読者の好みを反映しているのか、街の書店とは明らかに違った品揃えである。いつも短い滞在時間ではあるが、思わず手にとって本を購入することがある。ネットの書店とは違い、本の選択で編集できる書店は魅力的な存在だ。こうした書店がもっと増えればよいと思うが、再三に乗せるのが難しいのかもしれない。

・本に書いてある基本的なメッセージや結論だけを知りたいのであれば、そんなに何度も熱心に聴く(読む)必要はない。当時の私は英語の文章を覚えたいというまったく別の意図でヒックス教授の本の録音を何度も聴いていたのだが、結果的にはそれはヒックス教授の論理の進め方などを何度もなぞる結果になった。若いときに体に染み込んだものは一生残るのだろう。いまのように忙しくなると、なかなか若いときのように本を一冊暗記しようなどという時間もないし、その気も起きない。若いときだからこそできたことかもしれない。また、若いときにそうしたことにチャレンジしたからこそ、自分の血や肉になったのかもしれない。英語である必要はないのかもしれない。日本語の本でもよいので、これぞと思う本があったら、それを録音したものをウォークマン、あるいは今だったらiPodやiPhoneで聴き続けてみたらどうだろうか。

・アレン氏の方式の第一のポイントは、すべての資料や情報を処理するということだ。処理するということは、必ずしも対応するということではない。放置しておくという選択もありうる。ただ、私たちが往々にして陥りやすいのは、いつかやらなくてはいけないと思いながら、机の上に放置してある案件があるということだ。こうした案件があると、なんとなく心にストレスが生じる。そこで、すべての案件を完全に自分の頭から消し去るために、まず書類の処理をするということだ。皆さんの机の周りにたくさんの案件がたまっていれば、それをすべて分類するところから始まる。すぐに処理してしまうのか、資料として残すのか、それとも後の処理のために残しておくのか。この分類が重要であるという。分類することで、自分が抱えている処理内容をすべて頭の外に出してしまうというのだ。アレン氏は、最初は週末全部かけてもよいからこれを全部行ってしまえという。あとは、日々入ってくる新たな情報や作業に対応するだけですむという。私の場合には、アレン氏が言うようになかなか完璧にはできない。ただ、目の前に積み上がっている膨大な資料や作業をまず、可能な限り仕分けてしまうという作業を行うようにしている。処理すべきものですぐに処理できるものは、その場ですぐに処理する。少し時間がかかるが必ず処理しなければならないものは、ファイル名をつけてファイルをしておく。ファイル名はその日の日付と名称だけだ。たとえばゲラのチェックであれば、「○○という原稿のゲラのチェック」という作業内容とその日の日付がファイル名になり、ゲラの現物はフォルダーに入れてキャビネットにしまい、そしてパソコンのメモソフトにファイル名を記す。ファイル名は時間順であるので、上から順番に書くことになる。メモソフトはマックのパソコンに入っているものを利用している。自動的にクラウド上で同期化される。そのファイルの率尾は、パソコンだけでhなく、iPadやiPhoneで見ることができる。そちらから修正も可能だ。このファイルさえ見れば、いま自分がどのような仕事を抱えているのか、どのような資料がストックされているのかがわかる。最近は、多くの資料や仕事の依頼がメールなどに添付された電子ファイルで来る。この電子ファイルの資料についても同じような対応になる。今後の処理が必要なもの、あるいは残しておくことが必要な電子ファイルはパソコン上に集めておき、日付を加えたファイル名をつけておく。そして電子ファイルリストという形で、先ほどのメモソフトに記しておく。従って、私のパソコンには紙のファイルというリストと電子ファイルというリストの二つがある。それらは常時パソコンでもスマホでもチェックできる。

・最初はその草稿を読むことで授業を進めようとした。しかしすぐ気づいたことは、書いたものを読んだのでは話は面白くないということだ。いつの間にか、せっかく準備した草稿を見ないで、自分の言葉でしゃべり始めていた。内容については徹底的に準備したので問題はない。何を話すべきか丁寧に詰めてある。ただ、自分の言葉で話しているので、英語としてはずいぶん不正確なものであったと思う。それでも学生の反応は良かったし、話している自分もこの方がやりやすいように思えた。後から考えれば当然のことだが、準備された原稿を読むとどうしても話が面白くない。聴衆の反応を見ながら自分の言葉で話をする方がよほど説得的である。結局この講義で私はベストティーチャー賞を受賞した。後から考えてみれば、これも3ヶ月近くかけて綿密な準備をしたたまものであると思う。自分で一生懸命に準備のノートを作ることで、あとはそれを読まなくても、その場での自分の言葉で話すことで学生から評価される授業ができるというものだ。私にとっては人前で話すという作業が非常に重要なものとなっている。大学の授業で話すとき、どうしても学生の顔を見ながら話すことになる。その反応を見ながら、話し方を変えていく。学生が目を輝かせて聞いていれば、さらにペースをあげて話をする。学生がつまらなそうな顔をして聞いていたり、あるいは難しいなという顔をして聞いていれば、講義のペースを変えようとする。こうした場で話をすることで、頭の中がずいぶん整理されてくる。

・一般向けの講演も、私にとっては頭の中を整理する上で非常に有益な機会だ。講演というと、入念に準備した内容を聴衆に向かって話をすること、と考えている人が多いかもしれない。そういう講演も多いだろう。私も、テーマによっては、そうした講演をしようとすることがある。ただ、若い頃に米国の大学で行った講義のときと同じように、準備した草稿の話をするのでは非常に詰まらない講演にしかならない。そこで、講演ではできるだけその場で頭に浮かんできた言葉で話をするようにしている。聴衆の目を見ながら、反応を感じながら、話の内容を整えていくのだ。この聴衆との微妙な緊張感が重要である。1時間から1時間半の講演は、私にとっては大変な緊張を強いられるものである。ただその間に頭はフル回転して、いろいろなことを考えている。講演の前には想定しなかったようなフレーズがときどきでてくる。ディスカッションの中で出てくる瞬間芸のようなフレーズだ。これが後で思考を進めていく上で非常に重要な鍵となることが多い。一方向の行為のように見える講演で、講演者である私は多くのことを考えるきっかけをもらっているのだ。もちろんまったく準備なしに講演をしているわけではない。毎日のようにパソコンに向かって原稿を書いているわけだから、私の頭の中には多くの引き出しがあり、そこにいろいろな材料が詰まっている。一つの引き出しの中身で、10分や15分の話はできる。講演は、そうした引き出しの中身をいくつか出して、つなげていくのだ。少しオーバーな言い方をすれば、この引き出しをつなげていけば、3時間でも4時間でも話をすることはできる。

・新しいテーマで何回か講演を続けていると、自分の頭の中が次第に整理されていくる。そうした行為を続けているうちに、小さな書籍にまとめようという気持ちが強くなってくる。私の場合には、書籍が先にあって、それを講演するというよりは、講演をしているうちに書籍の形にまとめることになるという順番が多い。要するに、人前で話すということが、私にとっては重要なインプットとなっているのだ。

・知的活動には3つの異なったステップがあると思う。第一は、外から知識を習得するという活動だ。講義を聴いたり、本を読んだりして学ぶのがこれにあたる。日本の高校までの教育の多くはこれにあたるのかもしれない。第二は、自分で考え整理して発信するという知的活動である。レポートをまとめる。人の前で発表する。こうした活動はここに入る。自分の頭で考えていくという作業は重要である。そして第三は、人とのインタラクション(相互作用)を通じて、思考を発展させていくという活動である。グループディスカッションを通じて学んだり、ディベートで論争することなどは、この範疇に入る。大学の私のゼミでは、この3つ目の活動を重視している。周りの人と意見をぶつけあってこそ、人はより深く考えるようになる。会話の中で、質問をぶつけることも重要だ。よく言われることだが、与えられた問題を解くよりも、問題を設定することの方が重要であるということも多い。問題設定さえできれば、その問題の半分以上は解決できたともいえる。少人数のディスカッションでは、自分の意見を述べたり、相手にコメントをすることも重要だが、その場で適切な設問(疑問)を提示することのできる能力を磨くことも期待される。私にとって学部の学生たちとゼミでディスカッションをする場は非常に貴重である。学生たちから見れば自分たちは先生から教えてもらっているという感覚を持っているかもしれないが、私から見れば、学生たちと議論することによって自分の理解がさらに深まったのではないかと考えることが多い。学生との議論の最中に、突然、重要なひらめきに出会うこともある。

・あるとき、ある日本の大企業の海外のマネージャーを集めたセミナーで話すことを依頼された。30人ぐらいの聴衆だったが、日本人はいなかった。その会社の海外のいろいろな拠点の現地のマネージャーたちである。当然、セミナーは英語で行う。2時間ぐらいの予定であるので、1時間半ほど話して、後の時間は質疑応答だと考えていた。ところが話し始めて10分もしないうちに、あちこちで手が挙がりはじめた。質問があるという。その質問に丁寧に答えると、また次の手が挙がる。結局、その後の2時間は質問とそれへの返答だけで終わってしまった。ただ後で振り返ってみると、これほど短時間に濃密なセミナーをしたこともなかった。受講者とのインタラクションがあった方が、はるかに内容の濃いセミナーになると実感した。日本の企業の方も大学の学生も、もっと教室やセミナールームで自由に発言したらよいと思う。

・スターバックスはどこの店でも勉強する若者たちでにぎわっている。先日、スターバックスの本拠があるシアトルでも、似たような光景を目にした。地元の大学の先生が言っていたが、自宅に立派な部屋があるのに、彼女の高校生の子供は「勉強をしに行く」と、近くのスターバックスにいそいそと出かけていくようだ。そこで誰かと会うというわけではない。周囲がザワザワとした空間であることで、かえって自分一人の世界に集中することができる。それでも自分一人だけで部屋の中にいるのとは違って、周囲にいろいろな人がいることがある種の安心感を与える。日本にも米国にも共通した「スターバックス現象」のようなものがあるのかもしれない。現代社会ではそうした空間が求められているようだ。

・私の知的活動は喫茶店の存在を抜きにして語ることはできない。いまでも原稿執筆の一部は喫茶店で行っている。なぜえか喫茶店での原稿執筆ははかどる。喫茶店で一気に原稿を書いてしまい、あとで家に帰ってから自宅の書斎でじっくりと文章を修正するということも多い。なぜ喫茶店での原稿執筆や読書はよいのだろうか。私はこう考えることにしている。喫茶店での時間は限られている。少し粘るとしても、せいぜい1時間程度しか店にいない。その1時間という限られた時間が、大変な集中力につながる。1時間しかいないので、あるいは30分しきないので、その間にできるだけやってしまおう。そうした集中力を提供してくれるのが喫茶店の存在である。私の頭脳はどうも短距離型のようだ。瞬発力はあるが持続性はない。そうした人間には、喫茶店のような場所で短時間に集中的な作業をする方が、オフィスや書斎でじっくりと思索をすsるよりも向いているかもしれない。世界中のスターバックスでこれだけ多くの人が読書や勉強をしているということは、そうした短距離的頭脳の人がたくさんいるということだろう。ところで、今までで一番速いスピードで原稿を書いた場所の話をしたい。どこだったと思うだろうか。実は、地下鉄の駅のベンチなのだ。そのときの状況はよく覚えていないが、本当に忙しくて新聞の原稿の締め切りが迫っていた。喫茶店に入る時間はない。ただ、次の会議までに15分ぐらいの時間があった。そこで地下鉄のホームのベンチで、パソコンを開くはめになった。私のマックはすぐに立ち上がる。15分しかないという緊張の中で、あっと言う間に1000字ほどの原稿を書き上げてしまった。もちろん、書くべき内容については電車の中で考えていた。また、その原稿の推敲については、後で家に帰ってから行った。推敲は10分程度で終わるほど、原稿は完璧だった。15分しかないという緊張感から、極度の生産性が生まれたのだろう。

・先日、米国に出張していたとき、地元の大学で教えている日本人の研究者と話していたら、米国では立って仕事をする人が増えているという話をしていた。その先生も立って仕事ができる机を注文中であるという。電動式で高さを調整できるような机で、一番高くすれば立った姿勢で仕事をするのにちょうどよい状態であるそうだ。こうした机が販売されているのは、立って仕事をする人が増えているからかもしれない。確かに座るよりも立って仕事をしたほうが集中度は高まりそうな感じである。立ったままで何時間も続けて仕事をするのは難しいかもしれないが、30分程度の時間集中して仕事をするのであれば、座っているよりも立って仕事をした方が効率的であると言えるかもしれない。ちなみに、この人の話によると、立ち飲みバーなどで、足を置くような横棒が足下にあるが、あれは非常に重要であるそうだ。床の平面の上に立って仕事をするのではなく、時々足を動かしバーの上に足を置くことで疲労度なども違うという。靴を脱いでいれば、足裏を刺激する効果もあるのかなと考えたりもした。

・仕事をするときの姿勢は重要である。座って仕事をするのがベストとは限らない。私の場合は歩きながら考えるのが好きだ。何か集中して考えたいときは、オフィスを抜け出し、大学のキャンパスの中を歩き回るのが好きだ。歩きながら考えると、いろいろなアイディアが浮かぶような感じがする。難しい問題を考えているときでも、歩いているときに思わぬ答えが見つかることがあるのだ。歩きながら考えるというのh、多くの人が実行していることのようだ。

・歩いている最中に思いついたアイディアは多くある。不思議なことに、そのアイディアを思いついたときに、どこを歩いていたのかよく覚えているものだ。

・1時間の歩行の最大の成果は、その間に実にいろいろなことを深く考えるということだ。新しい書籍の構想、いま考えているテーマの深堀りなどだ。自分の仕事の進め方や今後の予定などについても考える。歩くことで思考が刺激される、と多くの先人が言っているが、その通りだと思う。そういえば、若い頃は歩いている間に数学の問題を解けることが結構あった。論文に詰まったときも、歩きながら考えているうちに光明が射したこともしばしばであった。

・対談が優れた手法であるのにはいくつかの理由がある。その道の専門家に短時間に集中していろいろなことを聞けるということが何よりも重要である。本を読むよりも、その分野の専門家に1時間話を聞ける方が貴重な情報がとれることが多い。その人が強調したいポイントがより明確に出てくるからだ。その人がどの点に力を入れて話そうとしているのか、何をキーワードにしようとしているのか、お話をするからこそ分かる部分がある。また対談やインタビューの重要な特徴は、聞き手の方で質問をぶつける必要があるということだ。質問を考えることは、その問題について考える重要な入り口とん。相手に質問をぶつけてそれに答えてもらうことは、相手の話を受動的に聞くよりははるかによい。聞く側にも緊張感が生まれる。こちら主導で話を聞くのと、相手の話をただ受動的に聞くのは大違いであるのだ。

・専門家と面と向かって1時間という限られた時間で話をすると、本当に本質に踏み込むような知識が得られることが多い。私は仕事柄、活字にするために対談を多くしてきた。ただ、そうした活字にならないような会話の機会の方が、実ははるかに多い。大切なことは、いろいろな専門の方とお話をする機会をできるだけたくさん持つということだ。そしてその話をただ聞くというのではなく、積極的に質問したり、相手の話にコメントしたりして、相互のインタラクションを活発にした会話をすることである。

・成功の秘訣は何かと言えば、「毎日一つ新しいことをやってみる」ということだという。毎日、一つ新しいことをやるというのは大変なことだ。1年に360個以上新しいことをしなくてはいけない。当然、たいして大きなことはできない。小さな新しいことの積み上げになる。店に新しいタイプの商品を置いてみる。昼に新入社員と食事をしながら話をする。いつもとは違ったルートで通勤する。出張のついでに、今まで行ったことのない店に入ってみる。何でもよいので新しいことをやってみると、時々思いがけない発見があるという。また常に新しいことにチャレンジするという姿勢を持ち続けることが、経営者として成功する必須の条件である、というようなお話をされていた。

・あることをできるだけ毎日実行するようにしようと考えた。それは1日に30分、何もしない時間をつくろう、ということだ。仕事の時間ではない。家族との団らんの時間でもない。一人になって、ひたすら自分の仕事について考える時間だ。「いま自分は何の仕事をしているのだろうか」、「これまで1年の仕事ぶりを振り返って反省点はないのか」、「自分の周りでよい仕事をしている人の仕事ぶりで参考になることはないのか」などなど、仕事についてじっくり考える時間だ。仕事をするのではない。仕事について考えるのだ。この毎日の30分を入れたことは、私の職業人生の中で大きな転機になったような気がする。仕事に一生懸命に取り組んでいる人でも、いや仕事に真剣に取り組んでいるからこそ、意外に自分の仕事について考えていないものである。だから商売をしている人にはよくこういう話をする。「朝から晩まで店の切り盛りで大変でしょう。夜になって店を閉めると、あとはくたびれて何もしたくなくなる。でもそれではいけません。1日10分でよいので、何もしないで、自分の店の運営について考える時間をとる必要があるのです」、と。

・瞬発力はあるが持続力がないと自認している私にとって、一つのことをずっと追い続けることは苦手である。そう認めている。だから、いつも複数のことを同時に行うようにしている。読書でも1冊の本にずっと集中するのは、よほど面白い本でないと無理だ。そこで1冊の本に集中できなくなると、別の本を読むようにしている。いくつかの本を同時に読んでいると、面白い本により多くの時間を費やすようになる。結果的に、面白い本から読み終わることになる。原稿でも同じだ。一つの原稿を一気に仕上げるというよりは同時にいくつかの原稿を進めている。本でも最初から最後まで1冊に集中して書くというよりも、何冊もの仕事を同時に少しずつ進めていくようにしている。

・経営者の方を前にお話しするとき、私はよく次のようなことを言う。「競争が激しいときに、企業が生き残る方法は三つしかありません。この三つのどれかをしない限り競争に敗れることになってしまいます」、と。三つの方法の一つはもっと頑張ることである。日本の企業はこれまで同質競争の中で頑張ってきた。ただ、もっと頑張ることは大切だが、同質競争の中で疲弊することでよいのか考えてみる必要がある。生き残りの第二の方法は、競争相手を消滅させてしまうことだ。企業経営でいえばM&Aがその典型である。昨日までの競争相手でも、合併してしまえば明日からは仲間になる。M&Aは重要な手法であるが、しかし、どの企業でも利用可能というものではない。結局、私が一番言いたかったのは第三の方法であるのだ。それが差別化だ。競争相手との違いを出していくことで、厳しい競争の中でも生き残ることができる。いかに違いを出すのか、これを企業は真剣に考えるべきである。差別化できない企業は生き残れない。それぐらいに考えた方がよい。以上で述べた経営の原則は、企業だけでなく、私たち個々人についても言えるだろう。職業人生を歩む中で自分の価値を高めていくためには、人にはないような何か特徴的なもの持つようにすることが非常に重要であると思う。

・異質なものを組み合わせることは重要だ。異質なものが組み合わされるからこそ、そこにシナジーが生まれる。日本の経済問題を議論するのに、皆が同じような新聞や資料を同じように読んで議論したのでは、つまらない議論しか出てこない。だから海外の論調は重要である。海外の論調が正しいとは言わない。ただ、私たちが通常慣れ親しんでいる考え方とは異質の考え方に接することが重要である。

・捨て去る勇気があるほど、すぐに処理しなければならない案件の数は減る。それだけ、その案件についてはすぐに処理できるようになる。多くの人が利用している方法に、to do listというものがある。今日中に片づけなければいけないタスクだ。ある米国の著名な経営者は、すぐに対応しなければならない項目をいつも3つだけリストアップして、それから実行するようにしているそうだ。超多忙な経営者である。日々の雑務や様々な予期せぬ動きに対応することで優先順位を間違えることもあるのだろう。それを防ぐためにも、すぐに対応する3つを常に意識しているということだ。

・このto do listについては、モルガン・スタンレー証券のロバート・フェルドマン氏が書いている方法が有効で、私もそれを利用している。私のパソコンのto do listには、処理しなければならない案件が次々に入ってくる。非常に重要なものから、時間がっかるものまで実に雑多なリストである。1日1度はそのリストを見て、1から10の点数をつけるのだ。高い点数ほど、緊急性が高いということだ。この点数をつけるのはものの1分もあればできる。そして点数の高い項目から優先して実行するようにしている。

・行動経済学の示唆で、仕事を進める上でもう一つの重要な鍵となるのは、コミットメントということだ。それは自分も仕事にある種のルールを設定するということだ。私の同僚でジムに行って運動をすることを大切にしている人がいた。健康を維持するためにそう考えたのだろう。スケジュールに重要な案件をまず入れてしまうというのは、コミットメントとしての基本である。1年前から夏の休暇を決めてしまい、その予定は絶対変えないということを大切にしている友人がいた。クリステンセン氏の場合は、日曜日は絶対に仕事を入れないということを一生のルールにしていた。1週間のうち半日でも1日でも何も予定を入れずに、その時間にまとめて読書をするという友人もいた。一日一冊という読書ルールなどもコミットメントであろう。あまりに厳しいルールを設定してコミットしようとしてもなかなか実行は難しい。ただ、守れる範囲でのコミットメントは、長期的に見るとその成果はきわめて大きいはずだ。「毎日一つ新しいことをやってみる」というコジマの小島勝平氏の方法も、コミットメントということになる。

・現場を見るということは、私にとって欠くことのできない作業であり、これなしには現在の私はありえないと考えてい。現場には書籍では得難い貴重な情報が詰まっている。それも非常にインパクトのある形で存在している。きちっとした問題意識さえ持っていれば、その現場の情報の価値が良くわかる。

・現場に行くことh大切だ。ただ、できれば一人ではなく専門家と一緒に行くのが望ましい。私は自動車や繊維などの工場に見学に行くことも多い。その場合でも、一人で行くより、東大の同僚の藤本隆宏教授のような製造業の研究のプロと一緒に回ったときの方がはるかに得るものが多い。プロは現場を見るこつを知っているものだ。その知恵は最大限に活用する必要がある。

・現場を見に行くときは、そこに必ず現場の担当者がいる。小売店であれば店長や仕入れのバイヤーであり、工場であればエンジニアである。そうした担当者の話には大変な価値がある。なぜなら、担当者は自分がこだわっていることに力点を置いて話そうとするからだ。そこには重要なポイントが集約化されている。

・伊勢丹の新宿店は色を戦略的に利用しているという。1年間を10以上の期間に分け、それぞれの期間の基本色を設定するという。たとえば秋のある季節は紅葉の色を基本色としたとする。顧客の動線を考え、主要な動線の全面にその色に近い商品を並べるようにするという。新宿通りの正面から入って行く売場の通路沿いのマネキンにはそのような色の服が意識的に出ているのだ。

・経済というのは変化の連続である。その変化の渦中にいる人には、時としてその変化の方向が見えていないことがある。これまでの経験や知識を前提に考えるので、変化の本質を見極めることができない。外部からその変化を見る人は、より大きな視点からそれを見ることができる。経済学者も外部から変化を見る人の一人である。外部から見るので、その道のプロの目ではないが、内部にいる人の見えないことで見えるものがあるものだ。どんな業界の人にも言えることだが外からのアドバイス、コメント、批判の声には、常に耳を傾ける必要がある。たとえそれがプロではない人の声でもだ。

・プロから直接話を聞くことは、最高の情報収集である。自分の頭を鍛えることにもつながる。しかし、プロの議論を鵜呑みにしてはいけない。自分の直感や疑問を大切にしなくてはいけない。プロが向きになって「素人はわかっていない」というときにこそ、プロにも見えていない大きな変化が起きている可能性があるのだ。

・自動車業界の現場のことであれば、自動車業界の方が一番よく知っている。自動車業界についての分析を我々から聞きたいとは考えていないだろう。しかし、自動車業界の多くの方は、自分の業界のことしか見ていんことが多い。小売業界や家電業界など、他の業界で起きている動きについての話を聞けば、得るところは大きいのかもしれない。業界は違っても、直面する問題には似たようなところがある。

・人間はつねに自分の周りの人を参考にす。あるいは自分の周りに目標にする人を探すものだ。いろいろな生徒が雑多にあふれている教室は、そうしたロールモデルの宝庫なのである。刺激であふれている。こう言っては申し訳ないが、先生がどんなに頑張っても同級生にはかなわないのだ。誤解してほしくないが、1クラスの学生数を単純に増やせばよいと言っているわけではない。大切なことは、教室を同級生による刺激あふれる場にすることなのだ。優れた教師が目の届く少人数の「優れた」環境で質の高い教育をするということが、もっとも重要なことのように考えられがちだ。しかし、そうした上から目線の教育観を一度疑ってみることも必要な気がする。

・小宮先生で忘れられないのは、いつも教員談話室や昼食の場で、今の自分の関心のある経済現象について熱心に語っておられる姿だ。ときには耳にたこができるほど、何度も同じような話を聞いたことがある。しばらくして気づくことがあるが、そうした会話で話されていたことが、いつの間にか文章になっている。雑誌の原稿の一部であったり、本や論文の中に入ることもある。先生は周りの人に向かって話をするこおで自分の頭を整理しているのだ。もちろんそれに対して反論や批判があれば、それでさらに深く考えるということになるだろう。人の前で話をするということは、自分の頭を整理する上でも絶好の機会である。読む→書く→話すというサイクルは、私の知的作業の中でも重要な手法となっている。

良かった本まとめ(2015年下半期)

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