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「たった一人の熱狂(見城徹)」という本はとてもオススメ!

2016年04月22日 01時00分00秒 | 
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 「たった一人の熱狂」という本は、幻冬舎代表取締役社長が755というSNSでユーザーが抱える日常の悩みや苦しみに一つひとつ丁寧に答えた書き込みを元にして、加えて20時間以上に渡ってインタビューされたものをまとめたものです。

 天台宗比叡山・酒井雄哉阿じゃ梨が、映画「南極物語」の過酷なオファーを受けた高倉健に送った「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」という言葉を現代的に展開した内容とのことです。

 特に、刻一刻と死に近づいていることを意識し、「一度この道を往くと決めたのならば、圧倒的努力によってとことんやり切る!」という言葉にはとても勇気づけられましたね。

圧倒的努力によって結果を出せるのだと思います。

 また、人に安目を売らないことや、義理・人情・恩返し(GNO)が大切、スランプにはとことん浸かることも大切ということが共感できましたね。

「たった一人の熱狂」という本は、魂に響き、人生向上のヒントとなることが具体例を示しながら分かりやすく書かれてあり、とてもオススメです! 

 なお、755とは、ホリエモンこと堀江貴文氏とサイバーエージェントの藤田晋社長が新会社「7gogo」を創立し、始めたSNSサービスで、長野刑務所に服役していた懲役囚・堀江貴文の囚人番号755番が由来とのことです^_^;)

以下はこの本のポイント等です。

・「生まれる」というゼロの地点から「死ぬ」という終着地点までの間に、不公平や不平等など、さまざまな個人差が出てくる。だがオギャーと生まれる瞬間と、死ぬ瞬間だけは、すべての人が平等だ。その死へ向かって、誰もが一方通行でずっと歩まなければならない。その歩みは虚しいに決まっている。人生の終着地点へ向かうまでに、何度も光り輝く場面はあるだろう。ただし、ゴールには必ず輝きを失った死が待っている。人生のすべてがゼロに戻ってしまう死は、僕にとってとてつもなく虚しい。死を宿命づけられた生の虚しさを紛らわせるために、僕は子どもの頃から常に何かに入れ込んで来た。そうでもしなければ、死への虚しさに押しつぶされそうになって、居ても立ってもいられなかった。僕はとてつもなく臆病な人間なのだ。生の虚しさを紛らわせる要素は、せいぜい①仕事②恋愛③友情④家族⑤金の5つしかないと思う。人によってはこれに⑥宗教を加えるかもしれない。僕の場合は、①から⑤に熱狂しながら虚しさを紛らわせてきた。①~⑤は合わせ技だ。①~⑤のどれが欠けても良くない。とりわけ上位に来るのは①仕事②恋愛③友情の3つだ。もちろん金も大事だし、金儲けを否定することは単なる言い訳に過ぎない。だが、たとえ宝くじで20億円が当たったり、何かの拍子に巨万の富を得たとしても、①仕事を放り出してすぐさまリタイアするなど考えられない。そんな生き方をしたところで、死への一方通行を歩む虚しさに、ますます苛まれることになるに決まっている。

・圧倒的努力とは何か。人が寝ているときに寝ないで働く。人が休んでいるときに休まずに働く。どこから手をつけたらいいのか解らない膨大なものに、手をつけてやり切る。「無理だ」「不可能だ」と人があきらめる仕事を敢えて選び、その仕事をねじ伏せる。人があきらめたとしても、自分だけはあきらめない。こうした圧倒的努力は、当然のことながら苦難を極める。辛さでのたうち廻り、連日悪夢にうなされることもしばしばだ。だが、僕は圧倒的努力をやめない。覚悟を決め、自分がやるべき仕事と対座する。憂鬱でなければ、仕事じゃない。毎日辛くて、毎日憂鬱な仕事をやり切った時、結果は厳然とあらわれる。この世には二種類の人間しかいない。圧倒的努力を続ける人と、途中で努力を放棄する人だ。苦しくても努力を続ければ、必ずチャンスは巡って来る。死ぬ気で努力するから、大きなチャンスをこの手でつかめるし、圧倒的努力が10重なった時、初めて結果が出るのだ。圧倒的努力ができるかどうかは、要は心の問題なのだ。どんなに苦しくても仕事を途中で放り出さず、誰よりも自分に厳しく途方もない努力を重ねる。できるかできないかではなく、やるかやらないかの差が勝負を決するのだ。

・トレーニングだけは必ず結果が出る。ウェイトトレーニングに挑戦すればバーベルの重さに従って筋肉は付くし、有酸素運動やパワープレートをやれば肉体は着実に絞られて行く。トレーニングは絶対に裏切らない。と同時に、ごまかしながら身体を鍛えているふりをしたところで、結果は一目瞭然だ。優秀な経営者は、例外なく皆トレーニングを日課にしている。対価が必ず得られるトレーニングによって自らを鼓舞し、生まれ変わった肉体と精神で再び仕事に飛び出して行くのだ。

・「ああ、何の後悔もない満足な人生だった」と最後に思える人など、およそ存在しないと考えた方がいい。死の瞬間には、誰しも多かれ少なかれ後悔するに決まっているのだ。だったら、死の瞬間に後悔を少しでも減らすために熱狂したい。フランスの作家アンドレ・ジッドが言うように、「死の睡に以外の休息を願わない」生き方をしたい。こうしてこの本の原稿を書いている僕も、僕の原稿を読んでいる君も、死というゴール地点へ向かって今も刻々と時間を過ごしている。どうせ生きるならば、仕事に熱狂し、人生に熱狂しながら死を迎えたいと僕は思うのだ。

・自分には何ができるのか。天職とは何なのか。今いる場所で悩み抜き、圧倒的努力をして欲しい。文学界に金字塔を残して死んでいった中上健次をはじめとする作家たちもまた、君と同じく苦しんでいた。君が心底苦しんでいるのだとすれば、今の君は彼ら作家と同じ地平に立ち、人生と本気で向き合っている証拠なのだ。本気で向き合わなければ、何も生まれない。

・結果とは何か。賞というのも一つの結果ではあるが、一番判りやすい結果は利益をいくら上げたかであり、それを曖昧にしては駄目だ。この世界で生きるからにはその数値にこだわり、数値で自分を納得させるべきだ。僕は部数がいくら出たか、利益がいくら上がったかという数字にこだわり続けたい。売れる本は良い本である。視聴率を取るテレビ番組は優れている。大衆は愚かではない。大衆の支持によって数字を弾き出すコンテンツは、おしなべて優れているのだ。愚かなのは、数字を曖昧にして自分の敗北を認めない表現者や出版社の方なのである。

・昔から「早起きは三文の徳」と言うとおり、惰眠を貪る豚であってはならないのだ。僕にとって朝は勝負である。情報を摂取するにしても、考えごとをするにしても、朝ほどはかどる時間はない。早朝にけたましく電話をかけてくる人はいないから、誰にもジャマされず自分だけの時間を過ごせる。早朝には永遠が見えるとすら思う。しかし、「今日もまた一日死へ近付くのだ」という冷厳な事実を確認し、「悔いのに一日にするぞ」と奮い立ち、朝というとば口から残りの人生を照射するのだ。

・今日の自分の言動はどうだったか、経営者としての判断はどうだったか省察する。自分が発した言葉によって誰かを傷付けていないか、やり残したことはないか、その日起きた出来事を振り返って思いを巡らせる。僕は1日に10回は手帳を広げる。そこには「××に電話する」「××の約束を果たす」とto do listが書いてあり、用事が済んだ時には赤いボールペンで線を引いて消す。相手が言ったことのうち、感動したセリフや心に引っかかった言葉も手帳にメモする。改善すべき点、部下に確認し忘れたことがあれば、すぐさま手帳に書く。翌日の用事を確認し、前夜のうちにやっておいた方がいい準備があれば進める。

・僕にとって、1日の終わりは毎日が後悔だ。何もかも自分の思い通りになった日など、これまで1日としてない。そんな辛い毎日を送りながら、押し寄せてくる後悔をエネルギーに変えて明日を生きたい。生き切りたい。過ぎてしまった1日を悔い、死へ近づいたことを憂いながら、僕は明日という未開の1日へとジャンプするのだ。

・今日考えたことを明日には具現化し、できたものをさらに改善する。そういう努力をスピーディに繰り返さない限り、仕事はダレていく。廊下で「こうしようぜ」「ああしようぜ」と立ち話したり、しばらくゆっくり話していない社員がいれば社長室に呼んで1対1で話をす。「今どんな仕事を抱えているの?」「実は××という企画をやりたいんです」「おお、面白そうだな。だったらこう進めたらどうだ」。会議なんていちいち開かず、企画は僕と社員のタイマン勝負(1対1)で決めて行く。飲みに行った席、移動の車の中、エレベーターの中、どこであろうがその場の語り合いによって企画は動いていく。定型にとらわれた会議でしか企画が生まれないとすれば、それらの企画は平均点のつまらない内容になりがちだ。脳味噌を洗濯機にかけるように、頭の中で考えていることをシャッフルする。直感とヒラメキに耳を澄ます。イノベーションとは、会議室か荒野へ飛び出した瞬間から生まれるものなのだ。

・圧倒的結果を出せば、社内で僕の足を引っ張る妬みの輩などいなくなる。なにしろ角川書店の売上年間ベスト10のうち、僕が担当した本が毎年、7割は占めていたのだ。会社のためにずば抜けて利益を上げていることは誰もが認める客観的事実だった。だから一人5万円はかかる名店「京味」で何度会食しようが、月400万円近く経費を使おうが、誰も文句は言わなかった。文句は言わせなかった。「職場でやりたい仕事を担当させてもらえない」とか「希望の部署に行けない」と不満を抱えている読者もいると思う。そんな人は、まずは今任されている仕事で圧倒的な結果を出して欲しい。中途半端な結果ではない。圧倒的な結果を残せば、おのずと希望のポストは手に入るものだ。やりたい仕事は向こうから舞い込んで来る。社内筆頭の稼ぎ頭になれば、あらゆる不満は消えてなくなるはずだ。

・ただし、圧倒的結果を出したからといって決しておごってはいけない。僕はこれまでたくさんの成功した起業家と付き合ってきた。彼らは一様に、成功したからといって調子に乗ることはない。おごる者は、知らず知らずのうちに見えない敵を作る。いい気になっておごり高ぶる傲慢な人間は、必ず墜ちていく。トップランナーであり続ける成功者ほど、みな謙虚だ。ほめられても「いやいや、たいしたことはないですから」と静かに笑い、自分の話は早々に切り上げる。傲慢な人間から仲間は離れ、謙虚な人の周りには協力者が集まる。ビジネスの世界を勝ち抜く本当のしたたかさを持っていれば謙虚に振る舞うのは当然だろう。おごれる者は久しからず。謙虚であることは、成功を続けるために必須の条件なのである。

・自分が感動した作家の原稿を世に送り出し、無名を有名にする。マイナーをメジャーにする。未だ見ぬダイヤの原石の発掘者、未開の原野の開拓者になれば、自分というキャラクターと名前は職場にも業界全体にも響きわたる。自分の感覚や感動の源泉を信じ、たった一人でも自分が信じた道を行く。人の100倍も不安に怯え、困難に耐えながら、苦痛を糧として仕事をする。それが僕の言う「たった一人の孤独な熱狂」だ。たった一人で孤独に熱狂しながら、僕は無名を有名に、マイナーをメジャーに変えて結果を出して来た。

・君は職場で目立つ人を見て「あいつはいいな」とうらやましく思うかもしれない。だが、そういう人は誰にも見えないところで魔物のような不安に夜な夜なうなされ、自傷行為のように身を削る努力をしているものだ。身を切り、血を噴き出しながら命がけで仕事をしていてこそ、初めて圧倒的結果が出る。人々から認めてもらえる。「ここに○○あり」と皆に気付いてもらい、キャラクターとブランドを確立するためには、自らの体から噴き出した血で旗を染め、その旗を高々と掲げるしかないのだ。

・仕事ができない人間には決まって共通点がある。小さなことや、片隅の人を大事にしないことだ。そんな人間に大きな仕事ができるわけがない。雑用をいい加減にやったり、人との約束を簡単に破ったり、名もない人を無下に扱うような人は、大きな結果や成功をつかむことはできない。自分一人だけが一匹狼として活動するのであれば、小さな約束を守らず、小さな人を大切にしなくても仕事は回って行くかもしれない。だが、数多くの人と関わる仕事をするのであれば、他者への想像力は必須だ。一人一人と向き合い、小さなプロジェクトを一つずつきめ細かく成功さえていくうちに、信頼が積み重なり大きな仕事につながっていく。

・いくらビジネスでそこそこ成功していたとしても、当たり前の挨拶や礼儀を大切にできない人が成功し続けられるはずがない。小事が大事、一事が万事である。同じ若い起業家の中でも、100万人に1人の爆発的な成功者はとても神経が細かい。小さなことを大切にし続けてきた結果、彼らは誰もがうらやむ大きな成功と富を手にしたのだ。僕は人との約束には絶対遅刻しないよう心がけている。特に大切なアポイントが入っている時には、約束の30分前に現地に到着することもある。約束の時間にしょっちゅう遅刻する人は、もはや遅刻が癖になっているのだろう。常日頃から自分に厳しく言い聞かせていれば、遅刻のような癖は簡単に直せる。平気で時間に遅れ、人を待たせる人は、自分が極めて初歩的なところでつまづいている事実に早く気付いて欲しい。小さな仕事をおろそかにする人もまた、大きな結果を手にすることはできない。

・GNO(「義理」「人情」「恩返し」の頭文字)こそが、仕事においても人生においても最も大事だと思っている。相手の心をつかみ、いざという時に力になってもらうにはどうすればいいか。「あの時良くしてもらった」「お世話になった」と相手に思ってもらうことが大切なのだ。

・僕はこれまで何人もの政治家と会って語り合い、食事をして来た。政治家の中でも、安倍晋三さんは傑出している。安倍総理はGNOの人だ。総理大臣になる前も総理に就任してからも、安倍さんは義理と人情と恩返しを大切にしている。人の信用と信頼を損ねることがないし、約束は必ず守る。驕らない。無私無欲に生きる。人間として超一級の総理大臣だ。お会いするたびに、リーダーとはかくあるべきだと感嘆する。GNOを死守する生き方は、人よりも何倍もエネルギーを要する。しかし僕は、現職の総理大臣や政財界の重鎮、ベストセラー作家やIT業界の寵児、芸能プロの社長たちと付き合い、GNOを死守しながら、同時に無名の人々とのGNOも同じように絶対死守する。GNOをごまかしたか、ごまかさなかったかは、自分が一番よく知っている。GNOに生きるのは疲れるが、同時に清々しい。義理と人情と恩返しを、重んじてたとえ損をしたとしてもそれに殉じたい。その生き方を感じてくれれば、僕以上に大きく義理と人情と恩返しで報いてくれる人は必ず現れるはずだ。僕はそうやって生かされて来たのだ。

・「安目を売らない」という言葉がある。下手に出る必要のない場面でへりくだり、相手に借りを作る。それが弱みとなり、相手を優位に立たせてしまう。安目を売らない生き方を貫くためには、「やたらと貸し借りしない」という軸をブレさせないことだ。安目を売らずやせ我慢すれば、君の生き方はブレない。僕は常々「貸しは作っても借りは作るな」と自分に戒めてきた。人の頼みを聞く時は、難しければ難しいほどやる価値がある。易しい頼みを簡単にかなえたところで、先方にとってはありがたくもなんともない。

・頼まれ事にきちんお答えを出すためには、日頃からやらなければいけないことは山ほどある。相手に2つや3つの貸しを作るくらいならば、どうってことはない。10も15も貸しを作るには、僕にもそれなりの努力が必要だ。15も貸しが貯まれば、「見城にはいつも世話になっている。いつか借りを返そう」と相手に思ってもらえる。そうなれば、こちらが窮地に陥っているときに相手のキラーカードを切ってもらえる。つまらないことをやたらと人に頼まない。そのかわり、人の重要な頼みは全力で引き受ける。これが僕なりの「安目を売らない」という意味だ。

・竹下登元総理は「自分で汗をかきましょう。手柄は人にあげましょう」と言ったそうだ。日本テレビの故・氏家会長はこの言葉を口にしながら「見城、俺はこの一行を加えたんだよ」と教えてくれた。「自分で汗をかきましょう。手柄は人にあげましょう。そしてそれを忘れましょう」「自分で汗をかいて働き、手柄を人に譲れる人なんてほとんどいない。その上、人に手柄を譲ったことを忘れられる人なんて、一人もいない。見城、お前はその一人になるんだよ」と、氏家さんは何度も繰り返し教えてくれた。恩は人に与えるものだ。そして、人にGNOを与えたことはきれいに忘れてしまう。田辺エージェントの田邊社長やバーニングの周防郁雄社長、氏家さんのような「志高いやせ我慢の男」には、歯を食いしばって心の中で醸成してきた厚みのある色気が匂い立つ。

・読者の方々も、自分が進めているプロジェクトが大コケしてしまったり、全てを賭けて望んだ大勝負に負けてしまったこともあるだろう。ちょっとやそっとでは立ち直れないダメージを負った時には、僕は無理して気分を切り替えない。落ち込んだときの対処法は何か。スランプの原因をごまかさず、徹底的に落ち込む。落ち込んで、落ち込んで、落ち込み抜き、自分と向き合うのだ。

・人生の中でスランプなんていくらだってある。スランプから抜け出す方法やコツ、HOW TOなんてあるわけがない。しかし、どれだけ落ち込んでも、人は1年も2年も落ち込み続けてはいられないものだ。2週間も沈み込んでいるうちに吹っ切れる。落ち込んでいる自分と対峙し、スランプに肩までどっぷり浸かったあとは、勢い良く飛び出せばいいのだ。何をやっていても無駄な時間などない。過ごした時間は必ず先に活きて来る。当面、無駄な時間に思えても、自堕落な時間を貪っても、必ず意味を持って来る。起こっていることは常に正しいのだ。一度大きな失敗をすれば、誰だって自信を失ってしまう。長いスランプに見舞われたアスリートは、どうやってスランプを克服するのか。とことん落ち込みスランプを直視し、また目標に向かって圧倒的努力をするしかないのだ。圧倒的努力は岩をも通す。「自分はこれだけ努力した。やれることはすべてやったのだ」と自分に言い聞かせ、戦いに臨めばいい。自分を直視し、自分をごまかさずにつらい道を選んで進めば、必ず結果は出る。圧倒的努力に基づく結果が10貯まった時、君はまわりの世界を動かし始めるだろう。圧倒的努力に基づく結果が100貯まった時、業界における君の評価が確固たるものへと定まる。圧倒的努力に基づく結果が1000貯まった時、君はリビング・レジェンド-伝説の人になるのだ。スランプにはとことん浸かり、圧倒的努力とともに再び這い上がればいいのだ。

・「できるだけ人を増やさないこと」と「金の入りと出に目を光らせること」が編集バカだった僕がここまでになった極めてシンプルな経営方針だ。

・人類の歴史は、一握りの政治家や有名人の活躍によって形作られてきたわけではない。一人ひとりの無名の人たちによる、小さくて誠実でおびただしい営みが歴史を作ってきた。彼らが一つずつレンガを積み上げ、人類の歴史という巨大な建造物が成ったのだ。歴史の教科書に名を残す人は、有能なリーダーとして大衆を先導しては来たのだろう。だがそのリーダーの元には、何の文句も言わず軍隊に駆り出され、敵軍に向かって特攻して死んで行った少年兵がいる。国家を守るため、家族を前線に差し出し涙に暮れた人々がいる。そういう無名の人たちの重みを感じられなくなったらおしまいだ。人知れず誠実に生き、目立たない生涯をまっとうする。かたや事業に成功し、日本中から注目され、死去したときには「訃報です」と全国ニュースで名前が読み上げられる。どちらの一生も、その重みには何ら変わりはない。前者には価値がなく、後者は重んじるべきだと勘違いするようでは話にならない。

・失敗して落ち込んでいる人に出会うと、僕はこうやって声をかける。「今起きていることはすべてプロセスだ。プロセスの中で生じた暫定的な結果によって、人生がすべて決まるわけではない。最後の勝負は、死ぬときにあなたがどう思うかだ」金持ちにも貧乏な人にも、いずれ死は訪れる。仕事で多くの功績を残している人にも怠惰な生活を送っている人にも、いずれ死ぬ瞬間は平等にやって来る。「あの人は貧乏だし、家族にも恵まれずかわいそうな人だ。あの人の人生は失敗だった」と周りからあわれまれても、死ぬときに「俺は自ら望んでこういう人生を送ってきた。一人で死んで行くことに何ら悔いはない」と独りごちることができれば、それが幸せなおだ。ビジネスの戦争から途中で脱落して早々にリタイアすれば「あの人は今どうしているのだろう。一時は華やかな様子だったのに、一度階段を転がり落ちてからは惨めなものだな」と白い目で見られる。だが本人は「ああ、あの時にすべて投げ出して、山奥の、小屋で晴耕雨読の生活をして良かったな」と満足しているかもしれない。いくらビジネスで成功したセレブであっても、死ぬときに「ああ、俺の人生はさんざんだったな」と情けない思いにとらわれるようでは虚しい。有名か無名か、金持ちか貧乏か、そうした尺度で幸福は測れないわけだ。そんなものは所詮、幸福を測るうえでの相対的な基準でしかない。要は死ぬ瞬間に自分が満足できていればいいのだ。

・アメリカ先住民に「君がなんとなく生きた今日は、昨日死んで行った人たちがどうしても生きたかった大切な明日だ」というような言葉があるそうだ。緊張感も切迫感もなく、ただのほほんと生きる。そんな1日の時間に、しがみついてでも生きたいと思う人もいる。この言葉は、僕の胸に強く共振する。僕は今日の夕食をおそろかにしたくない。死へのカウントダウンが始まっている中での貴重な一回の夕食を「ああまずかった」「ああつまらなかった」と思って終えたくないのだ。「今日も満足の行く夕食だった。しかも刺激的な話ができた」と満足しながら、死へと一歩近づいた時間をどん欲に生きたい。死という視座から現在を照射すれば、今自分がやるべきことが鮮明に見えてくる。独りの女に身も心も捧げ尽くし、駆け落ちしても絶対に後悔しない。そう本気で思えるのなら、仕事を放り投げその女と逃避行すればいい。

・「不倫」という言葉がある。結婚している人と付き合ってはいけないというルールなど、共同体が決めただけのものだ。燃えるような恋に落ちた相手と性愛を貫くためなら、共同体のルールなんていとも簡単に突破できる。そもそも恋愛とは多かれ少なかれ背徳を含むものであって、背徳をまったく含まない恋愛など官能的ではない。「女が女を愛してはいけない」「男が男を愛してはいけない」「ムチで人を打つのはヘンタイだ」。共同体が勝手に決めたルールなど無視して、性愛を貫けばいい。毛深い女性が好きだ。ハイヒールに異様に興奮する。体臭はキツければキツイほどいい。人それぞれフェチズムがあり、その嗜好は他人に理解されrなくたって一向に構わないのだ。「radical」という英語には「急進的な」「過激な」という意味もあれば「根源的な」という意味もある。仕事も友情も恋愛も、文字どおりラディカルでありたいと僕は考えて来た。性愛を根源的に突き詰めて行った時、生きることの意味が問われる。

・恋愛だけは、時代がどう変わろうと不変だ。他者について想像力の翼を広げ、さまざまな道筋をシミュレーションする。そうしなければ恋愛は決して成就しない。恋愛と同じく、他者の気持ちを想像し、理解できない人には仕事はできない。ビジネスは一人で完結するものではないからだ。僕が取り組む出版業であれば、作品を創る作家やカメラマンもいれば、デザイナーもいる。製紙会社や印刷会社の人もいる。プロモーションのためには、芸能プロダクションやラジオ局、テレビ局の人にも協力してもらわなければならない。広告だって大事だ。ビジネスで成功するためには圧倒的努力と他者への想像力がワンセットで必要だ。異なる他者への想像力を発揮して、初めてビジネスの成功はある。恋愛は、他者の気持ちを知るための絶好の機会である。

・京味ですごい発想のヒントをもらったりと、京味の会食は仕事におおいに役立った。感謝の思いを籠めて出版した西健一郎さんのレシピ集「日本のおかず」は、30万部超のベストセラーになった。富山から出た「幻燈士・なかだ」、京味出身の「井雪」、「くろぎ」、滋賀の「招福楼」出身の「松川」、名物親方の「室井」、モダンな「Kuma3」、新和食の「ラ・ボンバンス」、「青柳」や「かんだ」など、僕が大好きな日本料理店はいくつもある。これらの店で至高の料理を堂々と堪能できるよう、僕は仕事で圧倒的な結果を出したいのだ。

・大企業のエグゼクティブからの誘いだからといって、先約をいとも簡単にキャンセルするやり方を僕は潔しとはしない。そんなことを平気でするようになったら、自分が駄目になったような気がして自己嫌悪に陥る。だから約束はできる限り死守する。

・やすくて飲めるおいしい白ワインとしては、ニュージーランドのソーヴィニヨン・ブランからドライ・ヒルズやクラウディ・ベイ、マウント・ネルソンあたりを推薦しておきたい。これらはいずれも3000円程度で買えるし、きちんとしたワイン屋であればどれかは置いている。1万円ぐらい出してもいいのであれば、ナパヴァレーのソーヴィニヨン・ブランからケンゾー・エステイトの白ワイン「asatsuyu(あさつゆ)」を推薦しておこう。


良かった本まとめ(2015年下半期)

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