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父のル-ツ

2012-11-17 22:22:26 | 日記・エッセイ・コラム

 姫路の博物館へ赤松円心、則裕展に行ってきた。「播磨守赤松氏と矢野荘の人々」の講演を聞きたくて今日いった。

 この頃、食事して次の食事が近づいてお腹がすいてくる頃になると、胸やけや、吐き気がしてくる。

昨日もお昼が近付くと胸やけがしてきた。お医者で貰った頓服も残り少ないので飲まずに我慢していた。我慢できない程悪くなり頓服を飲んだぐらいで治らない。昼食抜き、夜はリンゴ半分だけ、それなのに又胸やけがしてきた。慌てて頓服飲んで寝た。

 今朝、起きると頭痛がしている。朝食は牛乳とリンゴ半分。それでも吐き気がした。

雨は酷くないし、講演は今日しかない。よし行こうと思って行った。

 父は赤松。遠い祖先は円心ゆかりらしい。

田舎のバス通りの道路から少し入り橋を渡るとそこに赤松一族が住んでいる。

父はその中の赤松本家の生まれだ。本家には系図があるそうだがうさぎちゃんは見た事はない。

講演で何か解るかと思ったが、そうはいかなかった。

父は田舎に残らず就職したので田舎を離れた。

本家の蔵にはいろんなものがあるらしく、刀を貰っている。本家の従兄は刀を出征する際軍刀に作り変えたそうだ。

 母の実家は十数代続いた庄屋だ。母のおばあさんの実家は落人で貧しい村人に助けられ、納屋に匿われてはったいを貰って露命をつないだ。それを徳として今でも元日にははったいを食べる。2日になって初めてお雑煮を祝うそうだ。

 母方の祖母は父方のひいじいさんの弟が分家した家の娘だ。父方の祖父とは従兄妹同士だ。したがって父と母は二従兄妹だ。

 いなみ野学園で両親と同じ村から来ている同級生がいた。

両親の出身地を話すと、いろんな事が解るので話さなかったが、卒業式の後謝恩会の際たまたま彼が隣の席だった。

もう逢うこともほとんどない。両親も同じ村だと言うと赤松家はよく知っていた。母はたらだだと言うと実家をちゃんと言い当てた。

田舎はなんでも解るんだね。

 これ書いている途中で友達から電話で、何か手伝うよと言ってくれた。彼女も腰の滑り症で長年あちこちのお医者に通院していた。そんな彼女に手伝って貰う訳にはいかない。丁寧にお断るしたが草引きにでも行くと言ってきかない。ならうさぎちゃんも一緒にしよう。

 


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