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つらい話

2007-12-02 14:41:12 | 日記・エッセイ・コラム

 書道仲間の友達見かけないなあ、お母さんがお悪いと聞いていたのでお里へ帰ってはると思っていた。昨日来られて「お母さんが10月に亡くなった。自分で命を絶ったんだ」言われた。彼女外地で誕生、お父さんは現地で召集、戦後お母さんの実家に引き揚げ、お父上とはそれっきり音信不通でお母さんのお里で成人なさった。彼女は遠く離れたこの地に住み、お母さんはそのまま実家で暮らしておられた。足が弱って寝たきりになり、2~3年前から入院なさっていた。彼女もよくお世話に帰られていた。そのお母さんが皆に迷惑かけると死を決心され、食を断たれたそうだ。はじめはそのつもりで食べなかったのが、脳の働きで本当にたべられなくなりお亡くなりになったそうだ。さど辛かったことと思い涙がこぼれた。

 98歳で逝った母もみんなに迷惑かける、早くお参りしたいとよく言っていた。4月1日に亡くなった年の暮からお正月にかけて入所先の老人保健施設から帰ってきた。ここにも足の立たなくなった母が私に迷惑かけるから行くと行って11月末に入所した。お正月にお雑煮を食べた切り後は食べない。母いわく、「施設では食べたくないのに薬を飲まされて無理に食べさせられる。ここにいる間だけでも好きなようにする」といって頑として食べない。「そんなんゆうて食べへんねんやったら、もう行き」と言うと「嫌や、ここで死んでもいい。行かへん」大きい声を出して言う。入所は余程嫌だったんだろうな。帰って1週間ほど碌に食べてない。暮れには少しづつは食べたが。妹と相談して連れて行った。母は観念したらしくおとなしく行った。行くなり点滴をして貰い、ああこれで命は大丈夫と安心した。それから3か月、肺炎でたった半日の患いであっけなくこの世を去った。こんなことならあの時もう2日家に置いといてあげたらよかったのにと思う。母が家で迎える最後のお正月になるだろうと「決して亡くなると思った訳ではないが動けなくなる」と思い母の好きなおせちを心を込めて作り、美味しいと言って食べてくれるのを楽しみにしていた。だのに食べなかった。

 過ぎてしまえば、ああすればよかった、こうすればよかったと思うが、その時はそれが最良とまではいかなくても、今出来る一番よい方法と思いおこなう。だが、今でも後悔ばかりしている。


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