なすがままに

あくせく生きるのはもう沢山、何があってもゆっくり時の流れに身をまかせ、なすがままに生きよう。

墓参り

2005-08-16 15:25:50 | 昭和
僕は歩道を歩いていた、その時一台のトラックが僕の横を通り過ぎた、トラックを運転している人と目が合った。何とそのトラックを運転している人は僕の父だった。「とうちゃん!」僕はトラックを追いかけた、すると行き過ぎたトラックは僕のいる歩道まで後退してきた。荷台に緑色のシートをかぶせた懐かしい父のトラックだった。夢だった。実は昨日母を連れてお盆の墓参りに行った。時間をかけて墓を清掃し、父の好きだった焼酎のワンカップを供えて今年で4回目のお盆で帰って来た父の墓前に手を合わせた。実は一昨日母も父の夢を見たと言う、そして、今朝は僕も父の夢を見た。やはり、父はお盆で家族の元に帰ってきたのだ。母と話をして僕の顔を見て安心して再び浄土へと帰ったのだ。もし、父が生きていたら今年で90歳だ。夢で見た父の姿は40歳位、昭和の街を大型トラックに乗って走り回っていた逞しい父の姿だった。肉親の霊は姿は見えないが浄土から子孫を見守っているのだと思った。今朝の目覚めはいつになく壮快だった。

睡眠不足

2005-08-14 11:31:05 | 昭和
ここ数日睡眠不足である。原因はテレビだ。一昨日は日航機事故の特番が2本もあった。DVDに撮ろうとしたが「寅さん」で予約が埋まっている。だから、2本とも最後まで見た。2本とも感動した、見終わってからも目が冴えて寝付けなかった。ボイスレコーダーの機長と副操縦士の懸命の操縦は最後まで諦めることなく続いた、感動した、そして大きく揺れる機内で書き残した企業戦士達の遺書があった「子供を頼む、幸せだった、ありがとう」そんな文面があった。何故か「会社を頼む、仕事を頼む」と言う遺書はなかった。そうなのだ、人は行き着くところ愛する家族のために働いているのだ。会社のために働いているのではない。機体が山中に激突して意識がなくなるまで彼らは残された家族の事を思い続けていたのだ。本当にやるせない事故だった。そして、同じ日福岡空港ではエンジンが火を噴いて部品が落下していた。日本航空は大丈夫なのか。そして、昨夜「小野田さん遅すぎた帰国」を見た、これも見ごたえがあった、続いて12チャンネルで「零戦」の特集も見た。世界最高水準でデビューしたこの戦闘機もアメリカの技術にはすぐに追い越された。よって2日間ともテレビで睡眠不足になった。今年は戦後60年の節目の年だ戦争関連の番組が多い、若い人も大いに見てほしい。君たちの祖父や祖母が築いた今の日本の繁栄。忘れてはならない。

あの日 20年前

2005-08-12 16:57:25 | 昭和
昭和60年8月12日6時50分頃僕は仕事帰りの車を運転しながらラジオを聴いていた。「日本航空羽田発123便が消息を絶ちました」。と臨時ニュースを何度も流していた。自宅に帰ってもテレビには消息不明の日航機のテロップが流れていた。これが単独航空機事故として最大の犠牲者を出した事故の最初の報道だった。時間が経過するごとに群馬県の山中に墜落したらしいとの情報が流れてきた。その頃は各局とも全てこの事故の特番を組んでいた。僕もこの事故の報道を目をこらして見ていた、深夜を過ぎて事故の概要がわかりだした。日航ジャンボ機が500名の乗客を乗せて山中に墜落したと言う事実だった。次の日は仕事だと言うのに僕は明け方近くまでテレビの前にいた。翌日仕事に行くとみんな目を真っ赤にしている、みんなもテレビを深夜遅くまで見ていたのである。あれから20年経った、早いものだ。毎年8月12日がくると車の中で聞いたラジオニュースの第一報を思い出す。この事故は世界最大の航空機事故として歴史に残る事になった。今夜はこの事故を再現したドラマが放映される、事故の実写映像をからめながらのドラマだと言う。見たいけど見たくないドラマだ。

コンビニ書店

2005-08-11 14:10:22 | 昭和
今日セブンイレブンで初めて本を受け取った。「セブンアンドワイ」を初めて利用したのである。近くのセブンイレブンを指定すればそこに希望の本を届けてくれるサービスだ、配送料も手数料もいらない。実際に利用すると確かに便利である。メールで知らせを受けて10日以内に受け取りにいけばいい、しかも、24時間いつでもオーケイだ。僕はヤマトブックサービスはこの10年位利用してきた、本屋を覗いても目当ての本がない事の方が多い、それでヤマトブックサービスを利用してきたが代引き手数料と送料が少しかかる。今度は一切不要だ。これからは書籍の購入はセブンイレブンに決定した。しかし、月に一度買っている雑誌「ウォーキングマガジン」だけは近くの本屋で買いたい、雑誌を買うだけが目的ではなくいろんな本を手に採って見れるから月一の本屋通いの習慣はやめたくない。ネット注文の本は本屋に絶対に在庫がない本だけを注文しよう。今後ネット注文とコンビニ受け取りは本だけでなくあらゆる物販に拡がって行くに違いない、結果的には街から本屋が消え、商店が消えていく事になるかも知れない。寂しい時代現象である。そう言えば近くの本屋はこの頃お客が少ない。○○書店様頑張ってください。

WIN XP Pro 着いたが

2005-08-10 21:58:07 | 昭和
先週末職場に注文していたPCが着いた、OSはWIN XP proである。業務用ソフトや通信ソフトの移行のためPCサポート会社に人につきっきりで作業してもらった。そのかかった時間が述べ20時間、実に一日半に及ぶ移行作業だった。動作確認が出来たのは一作日だった。僕の職場で使っている業務用の販売管理のソフトの値段は120万円位した、ソフトメーカーはXP用にバージョンアップして欲しいと言ってきた「価格は半額の60万です」と顧客の都合も考えず要求してきた。僕は頭にきた「5年しか使ってないソフトにこれ以上金は出せん!XPに合うようにソフトを変更しろ!」僕はどなりつけた。ソフトメーカーも僕の怒りにひれ伏して僕の要求を呑んだ。その、移行作業料金は7万円で済んだ、しかし、20時間に及んだ作業中は顧客との連絡が中断したため後でクレームの電話が何度も入った。何とか本日までには移行に成功したようだと思ったがXP PROに他のソフトを入れたが何本か拒否された。XP用のソフトを買い直してもわずか2万円くらいの出費なのでそれは気にならなかった。しかし、OSが変わったと言うだけでこれだけの出費なのだ、今回はプリンターとか他の周辺機器の買い替えはまぬかれたが、予想外の出費は悔やまれる。OSが変わる事にパソコンの性能が変わたびに消費者は無駄な出費を負担せねばならない。「マイクロソフトのビルゲイツ会長あんたは凄い人です」

DVDレコーダー整理

2005-08-09 16:55:35 | 昭和
一昨年買ったソニーのDVDレコーダーに取り貯めた番組を整理する気になった。寅さんシリーズを連続録画するため空き容量を増やしたいからだ、それに8月15日から3日間BS2で今度はビートルズの特番も控えている、この際HDDを整理せねばならぬと思ったからだ。そして、これからはもっと高画質で取りたいのでもっと容量を増やしておかねばならない。HDDのタイトル一覧を見ると50タイトルほどあった。これだけ録画してもHDDの容量は半分以上残っている、たいしたもんだ、ビデオテープレコーダー時代の事を思うと技術の進歩に驚く。もう完全にビデオテープの時代は終わったのだ。僕は30年前のビデオレコーダー発売の頃を思い出した。当時僕はK無線久留米店で働いていた。ソニー製で商品は旅行用スーツケース位の大きさがあり、テープも弁当箱位の大きさがあった。ソニーが店頭デモのため貸し出した機械だった。早速テレビを録画した、アントニオ猪木対モハメッドアリの対戦を録画した。「おー撮れとる、すごいのー」と僕たちはお客と一緒になって何度も繰り返し見たものだ。あれから30年、ビデオレコーダーは進化を続け現在のDVDにたどり着いた、もう、アナログの時代は終わろうとしているテレビもあと7年後に全てデジタルになる。音楽の世界はもう全てデジタルである。しかし、僕は時々レコードに針を落として音楽を聴く、同じ音楽をレコードとCD聞き比べるとレコードの方がはるかに音質がいい。音に深みと厚みがある。その当時のLPレコードを今でも200枚位もっている、ビートルズ、ジャズ、クラッシック、吉田卓郎そして山口百恵いずれも今では貴重品だ。そうだ!今夜はレコードを聞こう!卓郎の「御伽草子」を聞きながら、バーボンのオンザロックとしゃれこもうか、卓郎の曲とバーボンは何故かよく合う。結局、本日の話は寅さんからバーボンへ大きくそれてしまった。

寅さん

2005-08-07 15:57:16 | 昭和
BS2で寅さんの作品48作全部放映すると言う、今週いっぱいは7作連続放映して来週から2年かけて毎週土曜日に放映すると言う企画だ。8月7日の今日は寅さんの9回忌だ。それに合わせたNHKの特番である。僕は今度は寅さんの映画を全部DVDに録画する事にした、HDDに録画して後日DVDにダビングしてオリジナルラベルを作り永久保存するつもりである。映画は一度見たらそう何度も見る事はない。しかし、寅さんの映画は別だ、何度見ても飽きない、笑って泣いて過ぎ去った昭和の人情がそこにある。日本の映画史を語るうえで寅さんを抜きにしては語れない、あの馬鹿正直で人なっつこいキャラクターは渥美清以外の俳優さんには演じられない。

日本語の未来

2005-08-06 17:04:54 | 昭和
僕の隣の家には中学3年生の女の子がいる。昨夜、窓を開けていたら、携帯電話で話す声がよく聞こえる、母親に似て話し声が大きく、しかも金きり声である。隣も窓を開けているので特に話し声がこちらに届いてくる。
その話の内容を記してみよう。
 「わーマジ!」「超 むかつくね」 「うそー やばいよ」「えー 本当?」
電話は長々と30分以上続いた、その子の受け答えする言葉は上の単語の繰り返しだけである。何を話しているのか検討もつかない。日本語の会話ではない、メールで顔文字を添付するような内容の会話である。そういえば、テレビのバラエテイ番組でタレント女性が使っているような笑いと取るためのテレビ言葉を思い出した。僕はいい加減頭に来て窓を閉めてエアコンのSWを入れた、やっと静かになった。日本の国語教育はどうなっているのだろう。携帯メールの文字打ちで日本語が崩壊して行くような気がした。今の子供たちは文章の読解力や表現力が著しく衰えているという。その原因は本を読まなくなった事に尽きる。新聞など読んだ事がない学生もいると言う。このままでは日本語の未来が危ない。「わーマジ!超 やばいよ!」   

車が恐い

2005-08-04 21:59:56 | 昭和
先週の人身事故を目撃していらい車を運転するのが恐くなった。ハンドルを握ると左側面を押しつぶされた軽自動車の光景が目にうかぶそして、そして車内に閉じ込められて血の気をうしない身動きしない人の姿が思い浮かぶ。思えば僕が人身事故の瞬間を目撃したのはあの時が初めての経験だった。交差点での出会いがしらの事故を目撃した事は何回かある。それは、本当に軽い事故だった。今日も帰りがけに車を走らせながら思ったみんな僕の車をどんどん追い抜いていく、「みんな ようとばすなあ」僕の車のスピードメータを見ておどろいた、40キロで走行していた、そこは50㌔制限の道路である、いつもは55キロ~60キロで走っている道路なのだ。それが40キロでも早いと思うようになった。やはり、あの日の事故の心理的な後遺症だと思った。そして、バイクを見ても恐い、あの時の事故はバイク対軽自動車なのだ、左前方を走るバイクを追い抜く事も出来ない、対向車が途絶えてから左にかなりの余裕を持ってからでないと追い抜けない。普通なら当たり前に走れるいつもの通い慣れた道が自動車学校の教習車並の運転しか出来ない。今、高速道路を走れと言われても絶対走れないと思う。それほどあの人身事故は僕の心にスピードに対する恐怖心を植えつけた。まだ、普通の運転が出来るまでしばらく日にちが必要だ。そして、思った、あの事故は僕に絶対に安全運転をさせるように神が目撃させた事故だったのかも知れない。そして、今は自転車に乗るのもいやだ、月初めには本屋で「バイスクルマガジン」を買うのだが今は自転車の本を見る気にもなれない。自転車事故の打撲の痛みは日を追うごとによくなっている。明後日自転車メーカーと自転車販売店の人がお見舞いと話し合いに来ると言う、「僕は二度と折りたたみ自転車には乗らない、買った値段で自転車を引き取ってくれ」と言っておいた。今はただ、車やバイク、そして自転車の事は考えたくない。職場が歩いて一時間以内だったら僕は徒歩かランニングで通勤したい気持ちである。以前、職場から家まで歩いた事があるが片道2時間半かかった。徒歩通勤で往復5時間、「こりゃ 無理だ」

交通事故検証

2005-08-03 13:17:54 | 昭和
今朝携帯に電話が入った。若松警察署の事故係の人からだった。先日の日曜日にあった事故の検証をしたいので現場で立ち会ってくれませんかと言う。僕は「いいですよ、高須のサンリブの駐車場で待っています」。と言って、サンリブに車を向けた朝9時であった。日中は日が暑いのと開店前のスーパーは人がいないので好都合だと思ったから朝一番に立ち会う事にした。事故現場を歩きながら、事故時の様子を僕はありのまま話した、そして、警察の人は現場にチョークで印を描きながら距離を測ってノートに記録していた。やはり、バイクが交通トラブルで軽自動車を追いかけている途中に起きた事故だった。かなりのスピードを出していた事も分かった。警察官二人に僕が事故現場を前にして説明していると車道を通過する車は速度を落とし僕の方をしげしげと見ながら走っている。僕は事故の当事者と思われていたかも知れない。しかし、僕はあの日の事故の唯一の目撃者なので、記憶に残っている事を出来るだけ正確に思い出して話すのに精一杯だった。他人の目を気にするような余裕はなかった。検証が終わって世間話をするうちに、その警察官は僕の高校の2年後輩だと分かった、そして、僕の同級生で県警に入ったN君の事もよく知っていた彼は今小倉北署で事故係をしていると聞いた。今度連絡を取ってみよう。しかし、世間は狭いもんだ。現場検証に立ち会うなど初めての経験だった。自分が事故の加害者でもなく被害者でもなかった事が救いだった。ちなみに、あの事故で軽自動車に乗っていたのは4名で、三人は重症でもう一人は今も意識不明の重態だと言う事だった。