市丸の雑記帳

創価学会婦人部、市丸の個人ブログです。記事本文、コメント共に、無断転載・引用お断り。誹謗、中傷は即削除します。

人生は勝負

2007-03-31 07:11:14 | Weblog
 人生、勝たなければつまらない。

 勝つ事、勝利と言う事に対して、異常に反感を示す輩もいるが、では、その御仁、敗北の連続の人生で、満足されるのだろうか。
 進学で敗北し、就職で敗北し、結婚で敗北し、家族の中で敗北する。その前に、生まれて来る場所にも敗北しているのだろうか。
 勝利を否定する、と言うことは、その敗北の連続の人生を肯定する、と言うことなのだ。

 私個人に力があるとは、毛頭考えていないが、そんな敗北の人生は、御免こうむりたいものだ。敗者復活戦からでも、勝ち上がりたい、と言うのが本音である。 
 なぜなら、敗北の人生は、自ら幸福を放棄することであり、勝利する、と言うことは、石にかじりついてでも、絶対に幸福を獲得する戦いに勝つ、と言うことになるからだ。

 『夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり。 (四条金吾殿御返事 1165頁)』

 学会の言う事には、条件反射的に反対を叫ぶ一部の人がいるが、特にこの勝利と言う言葉に敏感に反応するようだ。では、その人達は、敗北ばかりの生き方をしている人をすばらしいと讃えるのだろうか。立ち会うすべての事に、敗北ばかりしている人生を、幸福だと感じ、自分もそのような生き方をしたいと思うのだろうか。

 創価学会は生きた宗教である。日々の生活に、プラス現証やマイナス現証を現して、途中にいかなることがあったとしても、最終的に絶対的幸福境涯を実現していく宗教である。
 その方程式を幾多の人たちが実感し、確信している。
 やり通した人達にとっては、分りすぎる程に分る事である。

 師匠が教えてくれた持続の信心で、勝利を目指したから、今、私は生きているし、日々、当たり前の生活を営めているのだ。
 この当たり前の人生こそが、私にとっては大勝利の明かしてもある。

 創価学会、と言う宗教団体の目指すものも理解せず、本気で活動もせず、だから功徳を受け損なった姿が、敗北の証明ではないのだろうか。自分のレベルで信仰を判断して、アンチになった事そのものが、幸せの軌道を外れて行った、敗北者の姿なのではないだろうか。

 確かに信仰は自由である。
 しかし、勝手に辞めていった者たちが、何時までも、かつて所属していた宗教の悪口を言い続ける事こそ、根深い未練に縛られているように思う。
 
 この不自由な人生。
 何か矛盾していないだろうか。
 

広布の母

2007-03-27 07:11:08 | Weblog
 先日、一人の婦人が霊山へ旅立たれた。
 享年七十九歳。
 創価学会に入会し四十五年、周囲の人の幸せのために、闘いきった生涯は、多くの人に讃えられた。

 救急車で病院へ運ばれて二十四時間後、全く家族の手を煩わせる事もなく、永眠されたその相は、色が白く、ふっくらと暖かく、柔らかく、生前よりも十歳以上も若く見えたと言う。

 この方は学会に興味を持ち、信心したいと思っても、夫の反対で入会できず、まず兄夫婦と母親を折伏し、その姿を見て、やっぱり学会には入りたいと、夫を説き伏せ、母親に遅れる事一年、晴れて入会した、と言う経緯を持ってある。
 この母親が、遠路尋ねてきては、まだ幼かった子供達を、活動に駆け回る彼女に代わって、面倒を見てくれたこともあったと言う。

 娘である友人は言った。
 「信心には厳しい母で、小学校の低学年の時から、夏休みなんて、午前中題目を上げないと、遊びにも行かせてもらえなかった。だから母が嫌いだった」
 「でも」と友人は言葉を継いだ。
 「とにかく題目のよくあがる人だった。夜中に何かで目が覚めた時なんか、よく題目の声がしていて、一体母は何時寝ているのだろう、と思ったことがあるぐらい。それと、母から愚痴、文句、悪口を聞いたことがない。それは絶対私の叶わない事」と。
 友人が、卒業して東京に就職した時は、寮生活では信心も出来まい、せめて娘の為に、と二人分の勤行を、戻るまでの数年間、続けていたと言う話も聞いた。
 子供の信心には厳しかったが、自らの信心には、さらに厳しい人だったのだ。
 「それがあったから、どんなに母が嫌でも、信心から離れる事はなかったのだと思う」
 友人の述懐である。
 
 彼女の住んでいた地域は、二回の宗門問題に大きく揺れた所でもある。幹部家族、議員、その他幾人もが学会を裏切って去って行った。彼女は一人でも幸せの軌道を外れることがないように、と必死で部員を激励し、学会の正しさを訴え続けた。歯ぎしりする様な思いで、学会の旗を振り続けた人であった。

 彼女の元には女子部も相談に来た。親が嫌いで、彼女に指導を求め続け、信心を確立して行った人もいる。一番頻繁に指導を求めていた一人が、息子の嫁になった。嫁は、最初の頃は、実母の影響で、何かあれば愚痴を言っていたが、何時しか姑である彼女の生き方を見習って、愚痴がなくなっていった。
 「義母は私の誇りです」
 葬儀の席で、嫁は言い切った。
 
 孫が出来てからは、孫に信心を教えることに一所懸命になった。結婚して家を出た友人の子供達も、彼女が大好きで、やはり信心は受け継いでいる。
 同居している息子の子供で、まだ小学生の女の子は、「創価学会の正しさを、世界中に叫びたい」とまで言う。

 葬儀は、県総合長が導師を勤め、県婦人部長の名誉称号が彼女に与えられた。 
 
 「孫全員でおばあちゃんの最期を送ったけど、あたかもそれは、信心の後継の儀式のように見えた」と友人は言った。

 出棺の前に、孫がクラリネットで「母」を演奏した。
 暗譜でフルコーラス、葬儀の席に「母」の曲が流れ、そこにいた誰もが涙した。


   母よ  あなたは
   なんと不思議な  豊富(ゆたか)な力を
   もっているのか
   もしも  この世に
   あなたがいなければ
   還るべき大地を失い
   かれらは  永遠(とわ)に  放浪(さすら)う

 
  合掌

三世の生命

2007-03-23 09:41:22 | Weblog
 人は小さいものである。
 この宇宙の広さからすると、砂粒よりも、もっと小さいかもしれない。
 だから、この宇宙の前にひざまざき、謙虚にその声を聞く。

 人の一生は短い。
 久遠の時から考えると、瞬きよりも短いかもしれない。
 だから静かに時の流れの音を聞き、自らの生命の儚さの教えを請う。

 その謙虚さに、宇宙はその雄大さを示し、時はその遥けき流れを示す。

 もしも人の生命の中に、その謙虚さがなくなってしまったら、宇宙の広さからも、時の遠大さからも、何も学ぶものはなくなってしまうだろう。

    …………   …………   …………   …………
 
 生命は永遠である。
 この一点を見失うと、一切が無駄になってしまう。
 どれほどの苦しい修行も、遠大な教義も、甚遠な仏の言葉も、全て空理空論に感じられ、自分の存在そのものが、無力になってしまうのだ。

 生命は、何時から流れているのだろうか。
 宇宙の始まり。久遠元初。
 それは何時なのか。
 宇宙は無限か有限か。

 あるところに巨大な岩があった。
 そこに百年に一度、天女が降りてきて、その軽い羽衣で、岩を一撫でしていく。そして遥かな時の果てに、全てを撫でつくして、その岩が無くなった時、永遠と言う一つの時が終わる。

 この永遠を、その生命で分った人がいる。
 その人を、尊敬をこめて。仏と名づける。

 仏は、自らの悟りを、惜しげもなく衆生に伝えるが、疑いを起して迫害のみ加える。
 希に信じた者は、仏の生命に導かれ、自らも仏となる。

 この単純な理屈。
 
 信じる、とはこう言う事である。 

迫害は続くよどこまでも

2007-03-20 07:46:57 | Weblog
 創価学会に入会して五年を迎えようとしていた頃、小児麻痺で、首から下が不自由だった姉が死んだ。母の言葉を借りれば、やっと信心の腹が座った時だった。
 母は、未発育で、小さなままに死んだ姉に向っていった。
 「不自由な体になって、信心に付けてくれてありがとう。もう大丈夫だから。もう絶対に信心はやめないから。こちらの信心がしっかりするまで、頑張って生きてくれてありがとう」

 家族の死というものが、悲しくないわけがない。ましてや子供に先立たれた母親の思いと言うものは、どれほどのものだったか、当時子供だった私には、知る由もなかった。
 だが、家族全員に、重くのしかかるような悲愴感はなかった。からっとした悲しみ、肢体が不自由だった姉が、始めて手足を伸ばして眠れた安堵感みたいなものがあって、静かなペールにつつまれた様な安らぎさえ感じていた事を覚えている。


 問題はその後だ。当時は宗門とも切れていなかったから、正宗寺院の住職が来てくれたのだが、「学会の坊主は、香典を持って行く。気をつけろ」と、まことしやかに囁く者がいたのだ。
 何時からこんな事が言われていたかわからない。しかし姉の死は昭和三十年代の後半である。学会はまだそんなに大きくはなかった。にもかかわらず、すでに香典云々はあったのだ。
 
 昭和六十年代になって、主人の家で葬儀を出した時は、「学会は香典を持って行くから、直接渡す」と主人に香典袋を手渡しにした者が、数人いた。
 そんな事は絶対にない、と言って、主人は、そのまま袋を仏前に供えた。
 さらに平成になって、主人の父と、私の両親と、計三回の葬儀を出している。
 その都度、学会は香典を持って行く、そうだ、と言う囁きは消えなかった。

 この間四十数年、学会は香典を持って行く、と言う事実無根の噂は絶えた事はない。
 一体誰がこんな事を言い出したのか。それは信者が学会に入会して、食い扶持が減る事を恐れた他宗からと思われる。
 数十年に亘って、学会員の葬儀には出席しているが、ただの一度として、そんな事があったためしはない。
 しかし、今も何処かで、学会は香典を持って行く、と言う事が、まことしやかに囁かれているのだ。

 すっかりそんなたわごとは慣れっこだが、一体何時までこんな作り話が続くのだろう。この世が終わっても、この手の噂はなくならないのかもしれない。

私見 心の病

2007-03-17 10:45:21 | Weblog
 恩義口伝・下
 薬王品六箇の大事 第六
 『然らば病とは謗法なり、此の経を受持し奉る者は病即消滅疑い無きなり。 774頁』

 二十一世紀は心の時代と言われていますが、病気も心に関するものが増えてきているように思います。
 世間でも、かなり前から、ストレス社会と言われ、心の病が増えて来ているように感じます。昔は、心の病と言えば、家の恥だとして、ひたすら隠してきていましたが、今はどんなに隠しても、表面に現れて来てしまっているようです。

 私も長い事うつでした。(教えてもらったサイトでテストをしたら、パニックまであった、と分かって、へぇー、そうだったの、と病気が治った二十数年後に感心しているのですが)

 家族の中で、私だけが心の病を抱え込んで、何故一人だけこんなに苦しまなければならないのか、と思ったこともありました。家族は、病気である事が分らず、意気地なし、根性を出せ、恥ずかしい、と私を責めました。
 たった一人でもがき苦しんで、大変な戦いをやって行った時、ある日、突然、ぱっと、本当に、ぱっと、治ったのです。

 随分たって、何故自分がこんな病気にならなければならなかったかを考えました。
 そして思ったのです。
 私は過去世に於いて、多くの人を苦しめてきたので、その報いを受けなければならなかったのだと。たぶんまともに、私の業を見せ付けられたら、あまりのことに狂い死にしていたかもしれないのに、考えられないほど軽く受けさせてもらったのだ、と。
 どれだけ私によって苦しんだ人がいるのか。その積み重ねが、今の私の結果であるのなら、こんな軽い苦しみで終わるはずが無いのに、御本尊様の功徳によって、大きな変毒為薬をさせて頂いたのだ、そう考えると、どんなに感謝しても感謝し切れないぐらいです。

 宿命転換とは、八識の掃除ですが、信じられないぐらい、軽く出し、軽く受けさせてもらっているのです。
 それでもこんなに苦しいのだから、一体過去世に、私は何をやってきたのだろう、と考えると、本当にぞっとします。

 『過去の因を知らんと欲せば、現在の果を見よ.未来の果を知らんと欲せば、現在の因を見よ』

 今は過去の結果であり、未来の原因を積んでいるのです。
 私はこのように、自分の体験で、過去世の業と言うものを考える事が出来たので、信心をやめることもなく、またご本尊様に疑問を持ったとしてもそれを打ち消す事が出来てのです。
 自身の業の深さ、不幸の深さに、むしろ感謝したいぐらいです。

 そして断言できます。
 心の病が、過去世の謗法であるのなら、正しい信仰によって、絶対に治せる、という事を。
 ただし、そこには自分の命をひっくり返すほどの戦いが待っているということも、同時に付け加えておきますが。

悪知識

2007-03-15 23:56:46 | Weblog
 『涅槃経に云く「菩薩悪象等に於ては心に恐怖すること無かれ悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ悪象の為に殺されては三趣に至らず悪友の為に殺されては必ず三趣に至る」[已上]  立正安国論 21頁』

 人の意見に振り回されて、正しい教えから外れていく者がいる。実は信心をしていく上で、これが最も恐れなければならないものなのだ。例えば、交通事故とか、通り魔的な殺人とか、自然災害などで命を落す事があったとしても、またそれがどんなに悲惨な状況であったとしても、何も恐れる事はないが、たった一つ、絶対に寄せ付けないようにしなければならないのが、間違った教えを、さも、正しいように説く者である。
 不意の事故で命を失ったとしても、それはその人の善根や福運を消す事は出来ないが、間違った教えに引きずられては、善根も、福運も、すべて破戒してしまい、再び三悪道、無間地獄へ堕ちてしまうのである。それを大聖人は、悪友の為に殺されては必ず三趣に至る、と仰せである。

 無間地獄という言葉を使うと、大仰に感じる人もいるかもしれないが、実はこれは日常にありふれていることである。例えば、借金まみれになっている人が、借金を返す為に借金を重ねていくのも、無間連鎖の苦悩だし、病気が一つ治ったと思ったら、新しい病気が出てきて、その事で苦しみ続けるのも、苦しみの無間連鎖である。
 この苦しみの無間連鎖を、どうしたら断ち切ることができるのか。そこに境涯革命、宿命転換がかかってくるのだ。

 境涯革命は、自身の生命がどのような状態を基底にしているか、つまり十の生命のカテゴリーの内のどこに、今自分がいるかを把握して、それを変革していく事である。しかし、これは努力と信念の及ばない所にある、と言う事も事実である。
 
 ここに信心が絡んでくるのだが、この境涯革命に本気で取り組んだ時、悪知識は待ってましたとばかりに襲い掛かってくる。
 当然だろう、この世界は仏と第六天の魔王のせめぎあいだとの御書もある。人一人が幸せになろうとすると、一番困るのは眷族を持って行かれる第六天の魔王だからだ。全力挙げて、幸せになるのを阻止すべく、それなりの事情や状況、対人関係の中での混乱を掻き集めて、信心の妨害に出るのだ。

 経験された方も多いだろう、今日頑張って題目一万遍あげようとすると、必ず問題が起きて、上げられなくなってしまったと言う様な事が。

 そんな信心の妨げになる物一切を振り切って、ただ信じた道を真っ直ぐに進む事が、自分に勝つ事になり、自分の宿業に勝つ事になり、自分の境涯を広げていく事になるのだ。

 そして、それは生きている限り終わる事はない。

修羅の境涯

2007-03-12 22:52:49 | Weblog
 まず、境涯と言う事から、少し説明いたします。境涯は境界とも書き、仏法で言う所の、十界のどこに生命が属しているかを言うのです。
 十界とは生命を十のカテゴリーに分類したものです。一般社会で言うところの境涯は、むしろ境遇の事を指していて、仏法で言う境涯とは若干異なっています。
 境遇は、見えるまま、その人の生活能力や経済状況、つまり、外面に現れたものを指します。
 対して、境涯は、基本的な生命の状態。表には出ない、作家宮本輝氏の表現を借りれば『命の器』と言う事になりましょうか。
 境涯と境遇は良く混同されます。

 十界とは 地獄 餓鬼 畜生 修羅 人 天 声聞 縁覚 菩薩 仏 以上を言います。

 長くなるので、今回は、最も分りやすい修羅に限って説明します。

 修羅とは、捻くれて曲がった命、他人を見下す意地汚い心のことです。人の不幸をあざ笑うのも、この命の現れです。他人に勝つことばかり考え、自分を亡ぼす事も厭わず、戦いを挑みます。帝釈に挑んで破れる阿修羅の如くです。

 修羅の生命の強い人は、自分をとても大きい存在だと思ってしまうようです。全てをなぎ倒して君臨しているように考えて、自分を中心に地球をぶん回しているような錯覚さえ持ちます。持ち上げられればどこまでも舞い上がり、少し本質を突かれると、異常なまでに反論します。
 この反論は、それまでの君主的な言葉に比べ、正面突破でかかってきます。珍しく、敵を木っ端微塵に砕こうと、全知全能を傾けます。

 もし、何かの弾みで、自分のペースが狂ってしまうような人は、自分は修羅なのだと思った方が、正解でしょう。
 そしてこれも十界と互具していますから、修羅を基底部にして、現れ方は十界のどれかになります。しかしどの生命が現れても、基底の修羅は変わらないので、何に対しても突っかかり、打ち負かそうと言う本質だけは変わりません。丁寧に対処しようとすればするほど、修羅の生命は、誰からも見破られてしまいます。
 
 この生命に思い当たる人は、案外多いのではありませんか?

 『おごれる者は強敵に値ておそるる心出来するなり例せば修羅のおごり帝釈にせめられて無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し。
                        佐渡御書  957頁』
  

親の顔見て子は育つ

2007-03-10 22:54:51 | Weblog
 創価学会二世三世と名乗りながら、退転した人のブログを読むにつけ、その愚かさに哀れみを感じてしまう。
 彼等彼女等は、今現在、少しは理屈の通ったようなことを口にしているが、それは自分を正当化するための屁理屈でしかない事を、本人達が十分に承知しているのだろうと、思われる。

 彼等彼女等の理屈の一つが、こうである。
 「知らないうちに、親が勝手に学会に入れた」
 勝手に入れられたと思うのなら、勝手に辞めれば良い。そしてそんな勝手なことをする親とは、一切縁を切ってしまうことだ。勘当される前に、勘当すれば良い。
 それも出来ないで、何時までも学会にぶら下がって、「親は好きだけど、親をそんなにした学会は許さない」などと妙な屁理屈を言わない事だ。
 言わせてもらえば、彼等彼女等は、見事なまでの学会ストーカーになってしまった、と言う事だ。

 日本の大部分の家庭は、江戸時代からの寺受け制度によって、なんらかの宗教に属している。多くが念仏だ。そんな家庭の子供が、勝手に念仏に入れられた、なんてことは言わない。何故言わないか。それは元々家にあるもので、特別入るの入らないのと言うものではないからだ。学会だけが特別ではない。
 偉そうな事を言っても、結局は単なる甘ったれでしかないのだ。

 しかし親に問題がなかった、とは言わない。
 むしろ自分の子供に信心を正しく伝えられなかった事を、大いに恥じるべきだ、と思う。
 子供に信心を教えたいがばかりに、小さいうちから、勤行や活動を強制したりはしていないだろうか。勤行をしない子は、悪い子だ、とか、家の子供ではない、などと、子供心を傷つけることを言った事はないだろうか。
 信心をさせたいばかりに、子供のご機嫌を取ったり、好きな物を買ってやる、とか、神経を逆なでするような事などで、取引をした事がないだろうか。

 そうやって育てられた子供達は、創価学会さえなければ、親は普通の家庭と同じように、無条件に自分を可愛がってくれるはずなのに、学会こそが諸悪の根源だ、と思ったとしても、仕方がなかったのではないだろうか。

 先生は、子供達を未来部として、とても大切にされている。であるならば、師匠の思いを受け、親は子供達に対して、尊敬を以て信心を教えなければならなかったはずだ。
 一番大事な友人を折伏する時と同じように、理を尽していくべきだったのだ。少し位勤行を始める時が遅かったとしても、そんな事は一生の問題からすれば、大したことはなかったはずだ。

 だからと言って、退転した者をかばう気は毛頭ない。蓮祖は『善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし。(開目抄 232頁)』と仰せである。
 
 ただ、願わくば、これから子供達を育てていく人たちは、よき先輩として、信心はすばらしい、と言う事をしっかり伝えて行って欲しいものである。

退転者の共通項

2007-03-08 08:34:22 | Weblog
 志半ばで、学会を去って行った方々に共通している事を、一言で言えば、人を見てしまった、という事に尽きるようだ。

 幾つか、学会に疑問を持った、と言う方のブログを読ませていただいて、何故そうなったかに、大変興味を持った。だから、共通した言葉がないものか、と探してみて、幾つかのキーワード、とも言うべき物を見つけた様に思う。

 その① 知らないうちに、親に入会させられた。
 その② 幹部が云々。要するに対人関係の中で、気に入らない事を言われた。
 その③ お金が云々。学会がお金持ちである事への不満。
 その④ 堪え性がなかった。願っていた通りの結果がすぐに出なかった。
 その⑤ 池田先生が尊敬されている。何であいつばかりが、の根性。

 その他の疑問質問は、大体この五つに要約されているように思う。
 さらに決定的なのが、被害者意識とひがみ根性の強さである、様に思う。

  一つ一つに反論は出来る。しかし一つ一つにいちいち反論するほどのものもない。読み物としては一所懸命書いてあるのだろうが、余りにも内容が画一的である。つづり方教室ではあるまいし。
 そして類は友を呼ぶを地で行くかのごとく、同じ思想の者達の溜まり場となり、学会憎しの大合唱。なんともおかしなハーモニーである。

 いっそのこと、この中の誰かが、教祖様にでもなって、新宗教を立ち上げて、皆をまとめたら、それはそれで団結できるんじゃないんだろうか。そして反学会の旗を高く翻して見せて欲しいものだ。
 だけど、創価学会という、宗教としては、教義も組織も、もちろん本尊も確立されている所に収まりきれなかった連中が、単なる学会憎し、だけで何時まで団結できるものだろうか。


 涅槃経には『法に依って人に依らざれ』とある。
 釈迦が八十年の人生を終えようとする時、後世の人への遺言として、この言葉を残した。信仰生活の中で、様々な事があるだろうが、決して人の言に振り回されてはけない、と言う事を言ったものだ。
 心して仰いで行くものは連祖の言葉であり、御本尊であり、御書を根本とした師匠の指導だけである。
 この一点が狂って来ると、もう信仰をしている意味もなくなってしまうだろう。

 迷った時は御書に戻ればいい。
 悩んだ時は師匠の指導を求めればいい。
 それ以外、信仰はないと、決めてしまうしかない。

 しかし、退転した人達には、もう関係のない言葉ではあるだろうが。

雪山の寒苦鳥

2007-03-06 09:29:39 | Weblog
 昔、雪山と言うところに、鳥の夫婦が住んでいました。
 この鳥の夫妻は、いつも仲良く遊んでいました。
 
 ところがこの鳥の夫婦が住んでいるところは、名前のとおり雪が解けることのない、高い山の上だったのです。昼間の陽が射す時は良いのですが、夜になると、とても寒くなって、この夫婦は、木の上で体を寄せ合って、震えていました。

 妻が言いました。「寒い、死んじゃう。なんとかして!」
 夫も言いました。「寒い、何で俺達ねぐらを作らなかったのだろう!」
 妻「どうしてこんなに寒いのよ?」
 夫「ねぐらがないからだよ」
 妻「どうしてねぐらがないのよ?」
 夫「作らなかったからだよ」
 妻「どうして作らなかったのよ?」
 夫「遊んでばかりいたからだよ」

 こうして相手をなじっても、文句を言っても、後悔しても、寒いのには変わりありません。この夫婦は一晩中、寒さに震えて夜を明かしたのでした。

 この鳥の名前は、寒苦鳥と言います。
 夫と妻では鳴き方が違うのです。
 妻は、ただ寒いと現状を嘆き、夫は巣を作ればよかったと後悔し、明日こそは巣を作ろう、と嘆きます。
 しかし陽が昇って、暖かくなると、夜眠れなかった事もあって、とても気持ちよく、寝てしまうのです。
 妻は思います。ああ暖かくて気持ち良い、何もしたくないわ。
 夫も思います。こんな気持ち良いのだから、少しぐらい眠らせてよ。
 そしてそのまま夜を迎えてしまうのです。

 後はエンドレス。

 
 『雪山の寒苦鳥は寒苦にせめられて夜明なば栖つくらんと鳴くといへども日出でぬれば朝日のあたたかなるに眠り忘れて又栖をつくらずして一生虚く鳴くことをう一切衆生も亦復是くの如し地獄に堕ちて炎にむせぶ時は願くは今度人間に生れて諸事を閣ひて三宝を供養し後世菩提をたすからんと願へどもたまたま人間に来る時は名聞名利の風はげしく仏道修行の灯は消えやすし。
                        新池御書 1440頁』

 寒苦鳥は、一切衆生の生命の傾向性を、ずばり表しているといえます。
 女性は現状を嘆き、男性は将来の希望を夢見て、それでも現実を変えることをしないのは一緒です。
 この傾向性と戦う事が、成長の第一歩、かも知れません。