『幸なるかな一生の内に無始の謗法を消滅せんことを悦ばしいかな未だ見聞せざる教主釈尊に侍え奉らんことよ。 顕仏未来記 御書全集509頁』
人は生まれながらにして、様々な宿業を持っている。ある人は裕福な家庭で、何の不自由もなく、幸せな一生を送り、ある人は苦難の連続の中で不遇な生涯を閉じる。
その違いは、一体どこから来ているのだろうか、と考えた事があるだろうか。同じ人間に生まれながら、余りにも不公平である。
天は人の上に人を作らず、と言った人がいるが、上下の差のありすぎではないか。
私は子供の頃、兄弟の中で、一番親から駄目な者として扱われてきた。頭の良い長兄と比較され、良い子の次兄と比較され、いつも家の中の落ちこぼれだった。
信心の面でも、私には我見が強い、として親からは認めてもらえなかった。
だから、ではないが、自分の宿業を深く見つめ、何とかしたいという思いは家族の中で、一番強かった。自分だけの確信がほしくて、教学は頑張った方だと思う。
後輩の育成にも、全力を注いだ。
結果を以て、自分の信心を積み重ね、自分が幸せになるしか道はなかったからだ。
そして入会から三十年が近くなった頃、大きな戦いの連続する中で、自分のことを考える余裕もなく駆け回っていく中、私は大きな功徳を受けた。
自分の人生が大転換する体験をしたのだ。
その内容については、いつかふれることもあるだろうが、ここでは、長くなりそうなので省略する。だが、それを一言で言うなら、私にとっての宿命の転換があったのだ。
その後、冒頭の御書に出会って、私はこの信心が、文証で表されたことの、理論としての正しさを知り、さらにそれが現実の生活の中に証明される事を確信した。
この命がどれほどの生死を繰り返してきたかは、分らないが、その間に溜め込んだ宿業が、どんなものであったとしても、必ず宿命を転換し、幸福の軌道に乗れることを実感したのだ。
どんなにその戦いが苦しかったとしても、ただこの一生の内に、全てをいい方へ転換できる事のすばらしさは、体験したものにしか分らない醍醐味だろう。
以来、私は決して不幸の淵に沈まなくなった。
私が創価学会を辞めないのは、もう二度とあの不幸を味わいたくないからである。
人は生まれながらにして、様々な宿業を持っている。ある人は裕福な家庭で、何の不自由もなく、幸せな一生を送り、ある人は苦難の連続の中で不遇な生涯を閉じる。
その違いは、一体どこから来ているのだろうか、と考えた事があるだろうか。同じ人間に生まれながら、余りにも不公平である。
天は人の上に人を作らず、と言った人がいるが、上下の差のありすぎではないか。
私は子供の頃、兄弟の中で、一番親から駄目な者として扱われてきた。頭の良い長兄と比較され、良い子の次兄と比較され、いつも家の中の落ちこぼれだった。
信心の面でも、私には我見が強い、として親からは認めてもらえなかった。
だから、ではないが、自分の宿業を深く見つめ、何とかしたいという思いは家族の中で、一番強かった。自分だけの確信がほしくて、教学は頑張った方だと思う。
後輩の育成にも、全力を注いだ。
結果を以て、自分の信心を積み重ね、自分が幸せになるしか道はなかったからだ。
そして入会から三十年が近くなった頃、大きな戦いの連続する中で、自分のことを考える余裕もなく駆け回っていく中、私は大きな功徳を受けた。
自分の人生が大転換する体験をしたのだ。
その内容については、いつかふれることもあるだろうが、ここでは、長くなりそうなので省略する。だが、それを一言で言うなら、私にとっての宿命の転換があったのだ。
その後、冒頭の御書に出会って、私はこの信心が、文証で表されたことの、理論としての正しさを知り、さらにそれが現実の生活の中に証明される事を確信した。
この命がどれほどの生死を繰り返してきたかは、分らないが、その間に溜め込んだ宿業が、どんなものであったとしても、必ず宿命を転換し、幸福の軌道に乗れることを実感したのだ。
どんなにその戦いが苦しかったとしても、ただこの一生の内に、全てをいい方へ転換できる事のすばらしさは、体験したものにしか分らない醍醐味だろう。
以来、私は決して不幸の淵に沈まなくなった。
私が創価学会を辞めないのは、もう二度とあの不幸を味わいたくないからである。