(^o^)(^o^)(^o^)(^o^) 投稿者:73 投稿日:2008年 3月29日(土)00時33分59秒
何度も返答している。
この御文は
「一代聖教(=釈尊五十年の説法=法華経28品=三大秘法(本尊・題目・戒壇)
は相伝によらなければ理解することは難しい」。
(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)
ブログの更新が遅れてしまって、申し訳ありません。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、今、某板にて、数字をHNにした方と、対話をいたしております。
そのきっかけになったのが、冒頭の、その方の投稿でした。
最初は学会員のやま○○さんと、数字の人のやり取りだったのですが、あまりに不思議な数式を見つけてしまって、その説明をお願いしたことが、そもそものきっかけでした。それからかれこれ一カ月、持論を曲げずに押し通す根性には、笑えます。
挙句、「権実相対=権実対等」と言うところまで説明は進んでまいりました。しかも、新宗教の立ち上げだ、と数人に言われ、「ではどういう名称なのだ」と言ってきましたから、その方の数字にちなんで「チンジャラ経」と名付けてあげました。ついでに権実対等の題目として「南無タイシホーレンダブツ」などはいかがなものか、と提案をしております。
『爾前の経経実ならば法華経は大妄語法華経実ならば爾前の諸経は大虚誑罪なり。(法華経題目抄945頁)』
『日蓮大聖人御書全集』には、『法華経』という文字が、一ページから1599ページまでの間に、実に1789回も使われています。(満月城岡山ネット御書語句検索による)御書全集は1600ページですから、ほとんどのページに「法華経」と言う文字があることになります。
なぜ大聖人は、ここまで「法華経」にこだわられたのでしょうか。
それは当時の日本国内の仏教事情によるものといえましょう。
鎌倉時代、巷には念仏、真言、禅、律と言った宗教がはびこっていました。釈迦四十二年間に説かれた、いわゆる権経が元になった宗教です。大聖人はこんな時代、苦悩にあえぐ一切衆生を救わんと、『南無妙法蓮華経』と唱えられたのです。
しかし、深く権経に染まった衆生に、簡単に受け入れられるはずもなく、種々の法難にあわれたのです。
民衆に誹謗させて、地獄に落とすのが仏の目的ではありません。大聖人は、深く権経にとらわれた衆生の生命を、まずそこから引き離し、正しい方向に向かわせる必要があって、法華経、という言葉を使われたのではないでしょうか。
釈迦が、四十二年間にも亘って、衆生の機根を整えたと同じ方法をとって、末法の衆生の機根を整えられていったのだと思います。
しかし、大聖人は、決して釈迦の法華経を宣揚するのが目的ではありませんでした。
『又日蓮が弟子等の中になかなか法門しりたりげに候人人はあしく候げに候、南無妙法蓮華経と申すは法華経の中の肝心人の中の神のごとし、此れにものをならぶればきさきのならべて二王をおとことし、乃至きさきの大臣已下になひなひとつぐがごとし、わざはひのみなもとなり、正法像法には此の法門をひろめず余経を失わじがためなり、今末法に入りぬりば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし、かう申し出だして候もわたくしの計にはあらず、釈迦多宝十方の諸仏地涌千界の御計なり、此の南無妙法蓮華経に余事をまじへばゆゆしきひが事なり。(上野殿御返事 1546頁)』
今、末法も進んで、いちいち法華経、という言葉を使わなくとも、南無妙法蓮華経で通じるようになりました。
出家に教えを乞わなくても、誰でも教義を学べる時代になりました。
数字の人の言う事は、己義ではあるのでしょうが、やはり出家を特別に扱うところから出たひずみが、根本にあるのかもしれません。
数字の人、自らが打ち立てた教義の正当性を主張する姿勢を、取り消すことはないでしょうが、いい笑い者になっている事にも、案外気が付いているのではないでしょうか。
何度も返答している。
この御文は
「一代聖教(=釈尊五十年の説法=法華経28品=三大秘法(本尊・題目・戒壇)
は相伝によらなければ理解することは難しい」。
(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)
ブログの更新が遅れてしまって、申し訳ありません。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、今、某板にて、数字をHNにした方と、対話をいたしております。
そのきっかけになったのが、冒頭の、その方の投稿でした。
最初は学会員のやま○○さんと、数字の人のやり取りだったのですが、あまりに不思議な数式を見つけてしまって、その説明をお願いしたことが、そもそものきっかけでした。それからかれこれ一カ月、持論を曲げずに押し通す根性には、笑えます。
挙句、「権実相対=権実対等」と言うところまで説明は進んでまいりました。しかも、新宗教の立ち上げだ、と数人に言われ、「ではどういう名称なのだ」と言ってきましたから、その方の数字にちなんで「チンジャラ経」と名付けてあげました。ついでに権実対等の題目として「南無タイシホーレンダブツ」などはいかがなものか、と提案をしております。
『爾前の経経実ならば法華経は大妄語法華経実ならば爾前の諸経は大虚誑罪なり。(法華経題目抄945頁)』
『日蓮大聖人御書全集』には、『法華経』という文字が、一ページから1599ページまでの間に、実に1789回も使われています。(満月城岡山ネット御書語句検索による)御書全集は1600ページですから、ほとんどのページに「法華経」と言う文字があることになります。
なぜ大聖人は、ここまで「法華経」にこだわられたのでしょうか。
それは当時の日本国内の仏教事情によるものといえましょう。
鎌倉時代、巷には念仏、真言、禅、律と言った宗教がはびこっていました。釈迦四十二年間に説かれた、いわゆる権経が元になった宗教です。大聖人はこんな時代、苦悩にあえぐ一切衆生を救わんと、『南無妙法蓮華経』と唱えられたのです。
しかし、深く権経に染まった衆生に、簡単に受け入れられるはずもなく、種々の法難にあわれたのです。
民衆に誹謗させて、地獄に落とすのが仏の目的ではありません。大聖人は、深く権経にとらわれた衆生の生命を、まずそこから引き離し、正しい方向に向かわせる必要があって、法華経、という言葉を使われたのではないでしょうか。
釈迦が、四十二年間にも亘って、衆生の機根を整えたと同じ方法をとって、末法の衆生の機根を整えられていったのだと思います。
しかし、大聖人は、決して釈迦の法華経を宣揚するのが目的ではありませんでした。
『又日蓮が弟子等の中になかなか法門しりたりげに候人人はあしく候げに候、南無妙法蓮華経と申すは法華経の中の肝心人の中の神のごとし、此れにものをならぶればきさきのならべて二王をおとことし、乃至きさきの大臣已下になひなひとつぐがごとし、わざはひのみなもとなり、正法像法には此の法門をひろめず余経を失わじがためなり、今末法に入りぬりば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし、かう申し出だして候もわたくしの計にはあらず、釈迦多宝十方の諸仏地涌千界の御計なり、此の南無妙法蓮華経に余事をまじへばゆゆしきひが事なり。(上野殿御返事 1546頁)』
今、末法も進んで、いちいち法華経、という言葉を使わなくとも、南無妙法蓮華経で通じるようになりました。
出家に教えを乞わなくても、誰でも教義を学べる時代になりました。
数字の人の言う事は、己義ではあるのでしょうが、やはり出家を特別に扱うところから出たひずみが、根本にあるのかもしれません。
数字の人、自らが打ち立てた教義の正当性を主張する姿勢を、取り消すことはないでしょうが、いい笑い者になっている事にも、案外気が付いているのではないでしょうか。