市丸の雑記帳

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通力に騙されるな

2010-04-15 09:30:28 | Weblog
 『唯仏の遺言の如く一向に権教を弘めて実経をつゐに弘めざる人師は権教に宿習ありて実経に入らざらん者は或は魔にたぼらかされて通を現ずるか、但し法門をもて邪正をただすべし利根と通力とにはよるべからず。(唱法華題目抄 16頁)』

 仏の遺言のように、ただ権教を広め、実教を最後まで広めない人師は、権教に命がつながっていて、実教に入る事がない者で、そういう者は、魔に支えられて通力を現ずるのであろうか。
 しかしそうした力ではなく、ただ法門で宗教の正邪をはっきりさせるべきである。決して特殊な能力や、通力などに頼ってはいけない。


 御書十大部の一つ、『唱法華題目抄』の結論部分の一説です。通力の完全否定の文、と言ってもいいと思います。

 一見、通力は、カッコよく見えてしまいます。なぜなら、常人のできない事を、いとも簡単にやってのけるからです。
 しかしそこに、落とし穴があります。冒頭の文にもあるように、それらの特殊能力は、魔にたぽらかされて、あるいは魔の力を借りて、人を間違った方向へ導こうとする現象だからです。

 人は弱いものです。思い通りにならなかったり、不運な事が続いたりしたら、つい、何かに頼って、その原因、あるいは解決法を尋ねたくなったとしても、当然かもしれません。
 しかし、それらの問題は、自身の生命から発したものであり、実は誰に頼るものでも、すがって解決してもらうものでもありません。自分自身で解決するしか道は無いのです。それを、何かにすがる、その段階で、自分の幸・不幸の原因と、向き合おうとしていない、と言う事になってしまうのではないでしょうか。

 『如来秘密神通之力』と言う言葉があります。
 仏法で認めた唯一の通力、と言っていいでしょうか。
 しかしこれは、仏の力、つまり南無妙法蓮華経であって、自身の生命の中に、仏の生命を涌現させ、強い生命力で以って問題を解決していく、と言うものです。決して他力本願ではありません。

 では、現代で言う、代表的な通力とは、何を指しているのでしょうか。
手軽なものとしては、占いや予言の類いも入るのかもしれませんが、やはり真言による祈祷でしょうか。

 ある評判の真言の寺があります。そこへ行けば、一つは叶う、と言われています。だから、多くの人が、悩みの解決を求めて参詣しています。
 しかし、そこへ月参りをし、何かあったら祈祷をしてもらって、身動きできなくなった人がいます。結局はそれが不幸の根本原因だったことを悟り、創価学会へと宗旨替えをしたのですが、宗教の正邪をまざまざと見せつけられた思いがしました。

 通力は、一見カッコよく見える、と書きました。普通の人にはできない事を、いともたやすく行ってしまうからです。しかも通力を誇ります。それを行える自分を、大きく見せ、通力を持たせてくれた宗教を称えます。

 しかし祈祷とは、実は恐ろしいものです。祈る人、祈らせる者、どちらもその身を滅ぼす、と御書にあります。

 日蓮大聖人の仏法に、特別な祈祷はありません。ただ、自分で祈って、自分で解決していくしかないのです。『如来秘密神通之力』とは、ただ、強盛な祈りしかない、と捉えていくべきでしょう。