市丸の雑記帳

創価学会婦人部、市丸の個人ブログです。記事本文、コメント共に、無断転載・引用お断り。誹謗、中傷は即削除します。

御書の中の人物――三位房その弐

2011-08-07 07:28:21 | Weblog
 鎌倉時代、日蓮大聖人が佐渡へ流されると、多くの退転者が出ました。

 『御勘気の時千が九百九十九人は堕ちて候。(新尼御前御返事 907頁)』

 まだ信心も浅く、大聖人を本仏だとは思いもよらなかった当時の人々では、それも仕方のない部分もあったのかもしれません。しかし、それでも仏法の因果は厳しいものです。おそらく、無知ゆえに退転して行った人達は、後に多いに退転を悔い、再び大聖人を慕い、信・行に励む事を望んだでしょう。
 知らなかったから、自分はそう思ったから、は仏法の実践とは、全く関係ないと知るべきでしょう。
  
 ここでは大聖人ご在世当時の退転者の一人、三位房について、大聖人がどう仰っているのか、『聖人御難事』の文から見ていきたいと思います。
 
 『三位房が事は大不思議の事ども候いしかどもとのばらのをもいには智慧ある者をそねませ給うかとぐちの人をもいなんとをもいて物も申さで候いしが、はらぐろとなりて大難にもあたりて候ぞ、なかなかさんざんとだにも申せしかばたすかるへんもや候いなん、あまりにふしぎさに申さざりしなり、又かく申せばおこ人どもは死もうの事を仰せ候と申すべし、鏡のために申す又此の事は彼等の人人も内内はおぢおそれ候らむとおぼへ候ぞ。(聖人御難事 1191頁4行目)』

 大聖人の言い方にしては、何とも歯切れの悪い表現ではないでしょうか。
 「三位房の事(大罰)は大変に理解しがたい現象ではあるが、(その事をズバリと指摘したならば)世間の人たちが思うには、三位房と言う智恵のあるお坊様を嫉妬して、日蓮はあんな事を言っていると思うだろうと思って、具体的な事は言わなかったけれども、とうとう腹黒になって(退転して)しまって、大難(大罰)にあってしまった。
 きっちり、はっきり、ずばりと核心を突いてやっていれば、まだ退転せずに済んだかもしれないけれども、あまりに符合しすぎるために、あえて言わないでおきました。
 また、私がその事に触れて物を言えば、仏法に無知の人たちが、死人に鞭打つ、とか何とか言って来るでしょう。
 しかし、あえて未来のために言っておきます。
 そしてこの事は、他の退転した人たちも、内心では密かに恐れている事ではないかと思えるのですが」

 そしてこの文のすぐ前には、退転者の特徴とも言うべき姿が、描かれています。
 
 『此れはこまごまとかき候事はかくとしどし月月日日に申して候へどもなごへの尼せう房のと房三位房なんどのやうに候、をくびやう物をぼへずよくふかくうたがい多き者どもはぬれるうるしに水をかけそらをきりたるやうに候ぞ。(前出同頁2行目)』

 いつの時代でも、退転者は同じ方程式で表れて来るもののようです。
 まず、何度注意しても聞かないばかりか、逆に注意してくれる人を恨んで、自分の正当性ばかり主張して来るようになるもののようです。
 あげく、気が弱く、生命力が弱いうえに、頭が悪く、理性的な考えもできなくて、正しい意見に対してこそ疑問を持って、ああでもないこうでもない、と勝手なことばかり言って来ると大聖人は仰せです。
 おまけに欲深く――自分の利害にだけは目ざとく、信仰の目ではなく、世間体ばかりを気にして、師匠よりも自分の方が優れている、と思ってしまうものなのかもしれません。

 大聖人は、それら退転者に対して、まだ乾いていない漆に水をかけたり、空中を切るようなものである、とその虚しさを強調してあります。

 しかし、退転者の代表として扱われる三位房も、一時は大聖人の弟子でした。今でいえば教学部長待遇であったようです。
 しかし――本当にしかしですが、そうであった時であっても、大聖人からの信頼はどんなものであったのか、はなはだ疑問です。
 それが次の文から伺われます。

 『此の三位房は下劣の者なれども少分も法華経の法門を申す者なれば仏の如く敬いて法門を御尋ねあるべし、依法不依人此れを思ふべし、(松野殿御返事 1383頁 )』

 これは健治二年、大聖人が身延に入られた後のお手紙の中の一文です。
 ここで大聖人は三位房の事を『下劣の者』と言っています。これは「人間的に問題がある」と言う事でしょうか。
 しかしそれでも、少々法華経の法門をかじった者であるから、仏の如く尊敬の念を持って、法門の事をたずねて行きなさい、と言って『法によって人に依らざれ』の文を上げています。
 
 この文に対して穿った見方をすれば、三位房は気位ばかり高くて、いい加減に扱うとうるさいので、とりあえずは尊敬の念を示さない、と面倒で大変でしょうが、とりあえずは丁寧に対応して行くように、と言う意味かもしれません。
 松野殿は、大聖人の思いが分かるほど熱心な信者だったので、この「仏の如く敬って」と言うのが、一種のジョークだ、とすぐに理解したでしょう。
 しかし、松野殿に丁寧に対応された三位房が、「俺って偉~~い」と勘違いした事は、十分考えられます。
 
 そして三位房の訃報を聞かれ、そこは日本人の生死観もしっかり持っている大聖人です。お手紙の中で、その死を悼み、弔って題目を唱えますよ、と書かれています。
 それが次に引用した文面です。

 『日行房死去の事不便に候、是にて法華経の文読み進らせて南無妙法蓮華経と唱へ進らせ願くは日行を釈迦多宝十方の諸仏霊山へ迎へ取らせ給へと申し上げ候いぬ、(四菩薩造立抄 989頁)』

 この御書が弘安二年五月十七日。
 そのわずか五ヶ月後の『聖人御難事』では、上記のように仰せなのです。

 そしていつの世も、信心を貫く勇気の無い人に共通しているのは、三悪道――つまり金に汚く、名誉に貪欲、そして異性にだらしがない、と言う事でしょうか。