市丸の雑記帳

創価学会婦人部、市丸の個人ブログです。記事本文、コメント共に、無断転載・引用お断り。誹謗、中傷は即削除します。

やってて良かった仏敵破折

2013-08-29 09:12:56 | Weblog
 当ブログを、一冊の本としてまとめてさせて頂いた話は、前回書きました。今回はその後日談です。

 先日福岡の文化会館から電話があって、先生からの伝言があります、との事でした。本を発送して3日目、まさかの連絡です。
 伝言の内容は『ありがとうございます。くれぐれもよろしくお伝えください』との事でした。

 実は郵便局から本を送ったのが19日だったのですが、その日に配達された『創価新報』に、昭和54年4月24日の事が載っていたのです。
 『忘れまじ4・24』
 本の中には「忘れまじ四月二十四日」と言う、丸かぶりのタイトルの記事がありました。しかもその中には、元九州の最高幹部の不用意な発言に依って、先生が勇退に追い込まれた、と言う記述もありました。
  
 八月は先生の入会の月です。そして始めて先生から、支部にメッセージを頂いた時でもあります。(昭和六十一年)
 僭越ながら、私たちにとっても記念の月です。
 その意義を込め、本の日付は「平成二十五年八月 日」とさせていただきました。

 実を言うと、『忘れまじ四月二十四日』の記事を書いたのは、ある内部アンチが、先生の勇退の時のお歌を引用して、自分の飾りに使った事への怒りが引き金だったのです。あまりにも先生を冒涜しながら先生を利用するその内部アンチに対して、その汚い手で、先生の命に触るな! との思いだけでした。
 その内部アンチは、昭和五十四年、先生の勇退の時に、あろうことか先生を疑って、生命次元で退転しながら、何故か名前だけは、未だに組織に残している、という筋金入りの獅子身中の虫です。
 しかも、頑張っている学会員に対して、「お前は退転者だ、似非創価だ」と逆宣伝をしてはばからない、あまりにも厚顔無恥な輩だったのです。

 今回本にする段階で、ブログではイニシャルにしていた名前の部分も、すべて本名に代えさせて頂きました。当然退転幹部の名前も、イニシャルではありません。
 弟子のひとりとして、長い信仰歴の中での思いの一部を、確かに師匠に届ける事が出来た、と言う事で今年の八月は、さらに特別なものとなったと思います。

 それにしても、やってて良かった仏敵破折。
 会員を苦しめた輩の事を、これからも語り続けていく事が、やはり少しだけ早く学会に縁した私の使命なのだ、と改めて決意した次第です。
 その思いも込めて、本のタイトルを『人として 語り部として』としたのですから。 

夢叶う

2013-08-07 13:28:20 | Weblog
 『大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず。(祈祷抄 1351頁)』

 中学二年で受けた任用試験の時の御書です。
 あの時、あんなに必死で暗記したのに、今見てみると、たったこれだけの範囲だったのだな、と何か不思議な気がします。
 どんな願いも叶うのが、この信心なんだ、どんな願いを持っても良いんだ、それが広宣流布に直結するものであれば、とその時教わりました。

 あれからどれだけの時を重ねたでしょう。今、ほとんど不可能だ、と思っていた夢が、一つ叶いました。

 私は子供の時、今は状況緘黙児と呼ばれる、心の病を持っていました。家では普通にしているのに、一歩外に出ると何もできない、と言うより、全く心が動かなくなってしまう病気です。当然普通に喋ることなど出来ませんでした。それが大きな戦いが連続する中で、奇跡的に全快。今では私がうつだった、と言っても、誰にも分かりません。
 
 うつ病だったからと言って、私は表現者でありたかったのかもしれません。必死で自分の思いを伝える手段を求めていました。その手段の一つが文章だったのです。
 若い頃は、新聞投稿を中心に、いくつか掲載されました。
 その頃から、いつか一冊ぐらいは本を出したい、と思っていました。しかし自費出版をするほどの財力は有りません。ネットを始めてブログを持つ事でも、自分の表現を満足させるには、ある意味十分な所がありました。

 ところが、最近になって、ブログを本にしてみないか、という話があったのです。ブログの中からこれと思うものを選び、編集し、三百ページ以内にまとめられるなら、本にしてあげる、と言ってくださった方が現れたのです。
 ありがたい話でしたので、すぐにお受けしたものの、そしてすでに記事は有るものの、出来上がりを考えると、さてどうしたものか、とブログを眺め、考える日が続きました。ようやく目次を拾い出し、編集作業に入って、それから推敲して、相手方に原稿の形にして送れたのが、七月の半ばでした。

 その後、幾人もの人が、校正に携わってくださり、一冊の本として完成を見ました。
 二五一頁、紺表紙の本です。

 この本の後半は、第一次宗門問題と、仏敵破折が中心となっています。それが、本のタイトルとして使った「語り部」と言う言葉の意味でもあるのです。
 第一次宗門問題の発火点となったのは、九州の寺でした。その九州に住み、第一次宗門問題を、女子部の副部長として経験した者として、語り継いでいく義務がある、との発想から、一番力を入れたジャンルでもありました。

 ただ、今回の話を頂けた事も、私たち夫婦の宿命転換があってのことだったのか、とも思っています。とにかくここ数年、必死の祈りの連続でした。そして、大きく生命が変わった、と実感できた後に、まず生活に変化があり、この話をいただいたのです。
 ああ、宿命転換、境涯革命とは、こんな事を言うのか、と主人とも話していた中で、もう五十年にもなる「本を出せたら良いな」との願いも叶ったのです。

 功徳とは、冥益とは、こんな風にして訪れる物なのか、と今静かにその実感をかみしめています。まず自身が変わって、依正共に変わって、その変革できた功徳に、現実の形として表れて来る功徳、これが冥益なのだと。

 そして、具体的な形になるために、多くの方が尽力してくださいました。心から感謝いたします。

 それにしても、仏敵破折、続けてきて良かった、と心から思います。

 本当に、皆様、ありがとうございました。