当ブログを、一冊の本としてまとめてさせて頂いた話は、前回書きました。今回はその後日談です。
先日福岡の文化会館から電話があって、先生からの伝言があります、との事でした。本を発送して3日目、まさかの連絡です。
伝言の内容は『ありがとうございます。くれぐれもよろしくお伝えください』との事でした。
実は郵便局から本を送ったのが19日だったのですが、その日に配達された『創価新報』に、昭和54年4月24日の事が載っていたのです。
『忘れまじ4・24』
本の中には「忘れまじ四月二十四日」と言う、丸かぶりのタイトルの記事がありました。しかもその中には、元九州の最高幹部の不用意な発言に依って、先生が勇退に追い込まれた、と言う記述もありました。
八月は先生の入会の月です。そして始めて先生から、支部にメッセージを頂いた時でもあります。(昭和六十一年)
僭越ながら、私たちにとっても記念の月です。
その意義を込め、本の日付は「平成二十五年八月 日」とさせていただきました。
実を言うと、『忘れまじ四月二十四日』の記事を書いたのは、ある内部アンチが、先生の勇退の時のお歌を引用して、自分の飾りに使った事への怒りが引き金だったのです。あまりにも先生を冒涜しながら先生を利用するその内部アンチに対して、その汚い手で、先生の命に触るな! との思いだけでした。
その内部アンチは、昭和五十四年、先生の勇退の時に、あろうことか先生を疑って、生命次元で退転しながら、何故か名前だけは、未だに組織に残している、という筋金入りの獅子身中の虫です。
しかも、頑張っている学会員に対して、「お前は退転者だ、似非創価だ」と逆宣伝をしてはばからない、あまりにも厚顔無恥な輩だったのです。
今回本にする段階で、ブログではイニシャルにしていた名前の部分も、すべて本名に代えさせて頂きました。当然退転幹部の名前も、イニシャルではありません。
弟子のひとりとして、長い信仰歴の中での思いの一部を、確かに師匠に届ける事が出来た、と言う事で今年の八月は、さらに特別なものとなったと思います。
それにしても、やってて良かった仏敵破折。
会員を苦しめた輩の事を、これからも語り続けていく事が、やはり少しだけ早く学会に縁した私の使命なのだ、と改めて決意した次第です。
その思いも込めて、本のタイトルを『人として 語り部として』としたのですから。
先日福岡の文化会館から電話があって、先生からの伝言があります、との事でした。本を発送して3日目、まさかの連絡です。
伝言の内容は『ありがとうございます。くれぐれもよろしくお伝えください』との事でした。
実は郵便局から本を送ったのが19日だったのですが、その日に配達された『創価新報』に、昭和54年4月24日の事が載っていたのです。
『忘れまじ4・24』
本の中には「忘れまじ四月二十四日」と言う、丸かぶりのタイトルの記事がありました。しかもその中には、元九州の最高幹部の不用意な発言に依って、先生が勇退に追い込まれた、と言う記述もありました。
八月は先生の入会の月です。そして始めて先生から、支部にメッセージを頂いた時でもあります。(昭和六十一年)
僭越ながら、私たちにとっても記念の月です。
その意義を込め、本の日付は「平成二十五年八月 日」とさせていただきました。
実を言うと、『忘れまじ四月二十四日』の記事を書いたのは、ある内部アンチが、先生の勇退の時のお歌を引用して、自分の飾りに使った事への怒りが引き金だったのです。あまりにも先生を冒涜しながら先生を利用するその内部アンチに対して、その汚い手で、先生の命に触るな! との思いだけでした。
その内部アンチは、昭和五十四年、先生の勇退の時に、あろうことか先生を疑って、生命次元で退転しながら、何故か名前だけは、未だに組織に残している、という筋金入りの獅子身中の虫です。
しかも、頑張っている学会員に対して、「お前は退転者だ、似非創価だ」と逆宣伝をしてはばからない、あまりにも厚顔無恥な輩だったのです。
今回本にする段階で、ブログではイニシャルにしていた名前の部分も、すべて本名に代えさせて頂きました。当然退転幹部の名前も、イニシャルではありません。
弟子のひとりとして、長い信仰歴の中での思いの一部を、確かに師匠に届ける事が出来た、と言う事で今年の八月は、さらに特別なものとなったと思います。
それにしても、やってて良かった仏敵破折。
会員を苦しめた輩の事を、これからも語り続けていく事が、やはり少しだけ早く学会に縁した私の使命なのだ、と改めて決意した次第です。
その思いも込めて、本のタイトルを『人として 語り部として』としたのですから。