市丸の雑記帳

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霊山一会儼然未散

2010-07-31 22:46:07 | Weblog
 先日、隣県にある、創価学会の墓地公園へ行ってきました。
 管理棟で故人の名前を言うと、すぐにその場所が分かるようになっていて、車で傍まで行け、駐車場も、手洗いの水場も完備しています。

 夏の曇天の下に、整然と並んだ白御影の墓石は落ち着いた色で、緑の芝生ともよく調和がとれていました。
 かなりな標高があるので、吹く風はさわやかです。

 教えてもらった区画に行ってみると、早くに購入した人たちの所は、地域ごとに集められています、との言葉通り、ずらりと並んだ墓碑銘は、知った人の名前ばかりでした。草創期を戦った人たちの、その後継者が願主となって建立したものでしょう。
 主人の父と、私の両親と、すぐそばに並んだ墓石に、心ばかりのお供物を備え、題目を三唱しました。

 私の両親は、草創期の入会で、四十代から晩年まで、創価の庭で戦う事が出来ましたが、主人の父は入会も遅く、早くに他界しましたので、力はあると分かっていながら、形としては何も残す事ができませんでした。もっと言えば、生前、題目を唱えられただけでも良かった、と言えるほどの信心しかできなかったのです。
 でも、この広い墓地の中で、きっと同じ地域の同志と共に、楽しく、積極的に、彼らしく広布を語り、先頭切って駆けているのだ、と実感できました。
 これは、私たち夫婦にとっても、頼もしい限りでした。

 『御義口伝巻下』の『寿量品廿七箇の大事・第十四 時我及衆僧倶出霊鷲山の事』に『霊山一会儼然未散』の文があります。墓地公園に眠る人たちは、今ここに生の生命としての存在は見えなくとも、霊山に再結集をし、共に広布を語り、戦っているのでしょう。その姿を、間違いなく見た、と私たちは思ったのです。

 生きている時、多くの苦しみや悩みがあるのは当然でしょう。それらを、『いまだこりず候』と強盛の信力を出して、祈り、転換して行くのが、信心です。苦しみがあれば、まだ生きていけるのだ。なぜなら宿命をさらに転換できるのだから、と言う捉え方も確かにできるのではないでしょうか。
 何も悩みがなくなって、功徳ばかりの暮らしになったら、それは人生も最晩年、などと言う事を考えてしまったのです。

 今暮らし向きが苦しい、だから祈る。
 祈って、必ず解決するでしょう。
 しかしそれで悩みが終わるはずはないのだ、と思うのです。
 今度は、新たな悩みが、必ず生まれてくるはずです。
 それは、広布の陣列を作っていく事なるはずだ、と私たちは捉えています。
 そして、この悩みは、生涯、今世の命が尽きる時まで、終わる事はないでしょう。
 そして、その悩みが尽きない事こそ、最大の功徳だ、と捉えられるようになりたい、そう主人と誓い合っています。

 私たちは、霊山において、確かに御本仏と約束をして来ているのです。
 末法に東の果ての国に生を受け、さまざまな業を兼ね、それを転換する事によって、仏法の偉大さを伝え、広宣流布をいたします、と。

 今までも様々な功徳を受けさせていただきました。これからも、もっと多くの功徳を受けて行くでしょう。
 しかしそれはすべて、末法に日蓮大聖人としてご出現なされ、仏法流布の姿をお示しくださった御本仏の大慈大悲によるものなのです。

 その万分の一でもお返ししたい、素直にそう思います。