男子部の人が、座談会に連れて来た男は、終了後、対話を続ける担当幹部や青年部のメンバーに言いました。
「この中で、何人が御書を全部読んだと言うのですか?」
当時私は二十代半ば、教授補になったぐらいだったと思うのですが、御書全編の拝読の経験は、ありませんでした。壮年部の担当幹部以外、その場にいたメンバーの中で、誰も全編なんて、読んだ事はなかったはずです。
男は勝ち誇ったように言いました。
「私は読みましたよ。創価学会員ではありませんけどね」
尊大な態度を取る男に向かって、担当幹部は言いました。
「全部読んで、では君は一体何が分かったと言うのだ。何も分からないのだったら、読んだ事になぞ、ならん」
男は妙に宗教に詳しく、しかし何を言いたいのか分からない事を、担当幹部相手に喚いていました。その言葉の端々から、その男が、教祖になりたいと思っている事だけは、何となく分かりました。
しかし私が気になっていたのは、その男を連れてきた男子部の、申し訳なさそうな顔の方だったのです。
その後、ある会合で当時の青年部長が言いました。
「先生が引用される御書を、すべて読んだ、と言えるようになってください。そのためには、全編拝読すればいいのです」
自分に力がないのは、分かっていました。それをどう埋めていくものか考えていた時の事です。ああ、全部読めばいいんだ。よし、読もう。青年部長の話を聞いて、その時そう思ったのが、御書全編拝読の始まりでした。
よし、読もう、と決意したからと言って、すぐに読めないのが御書です。
最初の『唱法華題目抄』は、決意した勢いで読めました。
次の『立正安国論』は、教学試験の範囲になった事もあって、興味を持って読み始めたので、クリアーしました。
しかしその次に、御書の中でも難物中の難物が待っていたのです。
『守護国家論』と『災難対治抄』
この二編を読み切る事は、なかなか大変な事でした。
何度か途中で挫折した後、今度こそは絶対最後まで行くぞ、と心に決め、ノートに、拝読の記録を取りながら、毎日就寝前に、たとえ1ページでも、と読み進めていきました。
来る日も来る日も『守護国家論』との格闘でした。
どこまで行っても、たった一編が終わらなかったのです。
3カ月近くもかかったでしょうか、やっと『守護国家論』を読了、その根気で『災難対治抄』も読み切り、あとはただひたすら、毎夜読み続け、二年程かけて、やっと全編拝読をやり遂げたのです。
夜中に、たった一人で、声にならない万歳をしました。
ある時、何という事もない会話の中で、壮年部の幹部が言いました。
「私の母は、毎日勤行の後に、仏壇の前で御書を読んでいるのですが、もう何十年になりますかね。――で、最近言うんですよね、『だんだん大聖人様の境涯に近くなったような気がする』とね。なんというばあさんだ、と思いましたよ」
もう、何回読んでるか分からないほど、繰り返し繰り返し、全編を拝読し続けて、拝読する事が当たり前になってしまっている老婦人の、何気ない一言だったのでしょうが、鳥肌が立つような思いがしました。
御書を拝読するとは、こんな事なんだ、と思いました。
決して、文字を読んで行くのではなく、大聖人様のお心に近づく思いで、七百年前の信徒と同じ思いで御本仏のお言葉に接して行っているのだろう老婦人の、穏やかな笑みまでも感じられるような気がしたのです。
その後も、御書の全編拝読に取り組み続けています。昔は一人で声に出して読んでいたのですが、今は主人と一緒です。私が読むのを聞いていて、その日の拝読個所について、二人で話し合うのが、日課となりました。
御書全編拝読は、最低でも十回、と決めています。まだ一桁です。とても大聖人様の境涯か分かる所までは、たどり着けません。
さらに、これから生きている間、毎日読み進めていって、果たしてあと何回読めるものか、それも分かりません。
でも、これからも、全編拝読を続けて、先の老婦人の境涯に、少しでも近づけたら、そう思っています。
「この中で、何人が御書を全部読んだと言うのですか?」
当時私は二十代半ば、教授補になったぐらいだったと思うのですが、御書全編の拝読の経験は、ありませんでした。壮年部の担当幹部以外、その場にいたメンバーの中で、誰も全編なんて、読んだ事はなかったはずです。
男は勝ち誇ったように言いました。
「私は読みましたよ。創価学会員ではありませんけどね」
尊大な態度を取る男に向かって、担当幹部は言いました。
「全部読んで、では君は一体何が分かったと言うのだ。何も分からないのだったら、読んだ事になぞ、ならん」
男は妙に宗教に詳しく、しかし何を言いたいのか分からない事を、担当幹部相手に喚いていました。その言葉の端々から、その男が、教祖になりたいと思っている事だけは、何となく分かりました。
しかし私が気になっていたのは、その男を連れてきた男子部の、申し訳なさそうな顔の方だったのです。
その後、ある会合で当時の青年部長が言いました。
「先生が引用される御書を、すべて読んだ、と言えるようになってください。そのためには、全編拝読すればいいのです」
自分に力がないのは、分かっていました。それをどう埋めていくものか考えていた時の事です。ああ、全部読めばいいんだ。よし、読もう。青年部長の話を聞いて、その時そう思ったのが、御書全編拝読の始まりでした。
よし、読もう、と決意したからと言って、すぐに読めないのが御書です。
最初の『唱法華題目抄』は、決意した勢いで読めました。
次の『立正安国論』は、教学試験の範囲になった事もあって、興味を持って読み始めたので、クリアーしました。
しかしその次に、御書の中でも難物中の難物が待っていたのです。
『守護国家論』と『災難対治抄』
この二編を読み切る事は、なかなか大変な事でした。
何度か途中で挫折した後、今度こそは絶対最後まで行くぞ、と心に決め、ノートに、拝読の記録を取りながら、毎日就寝前に、たとえ1ページでも、と読み進めていきました。
来る日も来る日も『守護国家論』との格闘でした。
どこまで行っても、たった一編が終わらなかったのです。
3カ月近くもかかったでしょうか、やっと『守護国家論』を読了、その根気で『災難対治抄』も読み切り、あとはただひたすら、毎夜読み続け、二年程かけて、やっと全編拝読をやり遂げたのです。
夜中に、たった一人で、声にならない万歳をしました。
ある時、何という事もない会話の中で、壮年部の幹部が言いました。
「私の母は、毎日勤行の後に、仏壇の前で御書を読んでいるのですが、もう何十年になりますかね。――で、最近言うんですよね、『だんだん大聖人様の境涯に近くなったような気がする』とね。なんというばあさんだ、と思いましたよ」
もう、何回読んでるか分からないほど、繰り返し繰り返し、全編を拝読し続けて、拝読する事が当たり前になってしまっている老婦人の、何気ない一言だったのでしょうが、鳥肌が立つような思いがしました。
御書を拝読するとは、こんな事なんだ、と思いました。
決して、文字を読んで行くのではなく、大聖人様のお心に近づく思いで、七百年前の信徒と同じ思いで御本仏のお言葉に接して行っているのだろう老婦人の、穏やかな笑みまでも感じられるような気がしたのです。
その後も、御書の全編拝読に取り組み続けています。昔は一人で声に出して読んでいたのですが、今は主人と一緒です。私が読むのを聞いていて、その日の拝読個所について、二人で話し合うのが、日課となりました。
御書全編拝読は、最低でも十回、と決めています。まだ一桁です。とても大聖人様の境涯か分かる所までは、たどり着けません。
さらに、これから生きている間、毎日読み進めていって、果たしてあと何回読めるものか、それも分かりません。
でも、これからも、全編拝読を続けて、先の老婦人の境涯に、少しでも近づけたら、そう思っています。