市丸の雑記帳

創価学会婦人部、市丸の個人ブログです。記事本文、コメント共に、無断転載・引用お断り。誹謗、中傷は即削除します。

師弟一体

2013-05-19 16:47:47 | Weblog
 ネットで、獅子身中の虫の総大将を気取っているO氏は、時々まともな事を言っているようです。
 それが
 「池田先生が~~~!! と大上段に振りかぶっている幹部は、信用ならない」
 と言う事です。

 確かに会合等で、訳も分からず先生が~~! とまくし立てる幹部は、どこかしらける時もあります。皆そんな事は分かっているから、あんた自身の言葉で、もっと冷静に先生を語れよ、と言いたくなるのです。
 誰だって、先生の事は知りたいし、先生の話が出ると、背筋が伸びるのも確かです。
だけど、決して信仰は、師匠の追っかけではないし、大きな会合で、中心を務める幹部だったら、もっと自分の言葉を持っているだろう、と思ってしまうのです。

 こんな変な事を言うのも、昔、O氏が言っている、「先生が~~~!!」のそのままの幹部がいたからです。

 北九州の、ある外部の大きな会場を借りての総会。
 その日は先生が来られる予定になっていました。しかし事前に幹部の人には連絡が入っていたみたいで、私の斜め前の席にいた壮年部の人が、小さな声で言いました。
 「今日、先生は来られないよ。東京を動けない事情ができたらしい」
 それが、先生のお母さまが亡くなったと言う事だったのです。

 その日の最高幹部として登壇したのは、福島九州長(当時)でした。
 福島は、まるで自分の身内が亡くなったかのように、嘆き悲しんで、先生が~~~!! 先生のお母さまが~~!! とぶちあげます。
 もっとも、先生の事を話す時、涙を流さんばかりに「先生、御尊敬申し上げています!!」と言っていたので、それも特別ではなかったのでしようが、その後先生の名代として参加された、まだ当時2~30代だった池田副理事長の冷静な対応と、あまりに際立っていたのが、印象的でした。

 その後、福島は、あきれたスタンドプレーで学会を離脱。先生の敵にまわってしまうのです。
 九州の至る所に痕跡を残し、至る所で先生を叫びながら、先生が最も大切にされていた同志を裏切り、師匠を追い落とすきっかけを作った福島源次郎、
 さらに宗門と結託して、最後まで学会に迷惑をかけた獅子身中の虫を、絶対に許してはならないのだと、何度も何度も確認している次第です。

 そして、あくまでも福島と師弟一体を貫くOさん。どちらを向くにしても、いい加減立場をはっきりしたらいかがですか?

11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (河内平野)
2013-05-19 17:17:19
河内です。

市丸さんには、めずらしく語気の強い文章ですね。

雑記帳の記事は、持ち出し禁止。ということですが
どうしても掲示板に持って行きたい記事でもあります。

この記事にとても感動しています。 河内わぁ !

そこで市丸さんに相談なんですが、この記事の持ち出しの許可をいただけないでしょうか。もっと多くの人に見ていただきたいのです。

どうでしょうか ?
返信する
Unknown (市丸)
2013-05-19 17:59:24
河内平野さん、富士ボーではどうもでした。

記事の持ち出しと言う事ですが、わたしが許可を出したと言う事を明記し、アドレスと一緒に出していただいて結構です。

きざな言い方になりますが、河内さんと私と、見ている方向が同じようなので、許可します、と言う事ですか。
ナンチャッテ。

ますますの河内さんの破邪顕正の闘い、期待しています。
返信する
ありがとうございます。 (河内平野)
2013-05-19 18:55:11
んじゃ~ 使わせてもらいます。
返信する
こんにちは! (杏奈)
2013-05-27 20:51:23
はじめてのコメントです。
こんにちは(*^_^*)

会長勇退の経緯を後継の人に伝えていかなければならない、という主旨はとてもよくわかります。時間が経過すれば当時の真意が伝わるとは限りませんし、また歴史は必ず風化するものです。

わたしも両親や先輩の方々にお話を伺う機会がありましたが、市丸さまのような説明をうけたことはございません。皆さん、よく知らないという印象です。その渦中にあり体験した人々のなかで、すでに風化が始まっているのだと思います。

わたしはこのような話題に限らず、学会に対し多くの疑問と物足りなさを感じながらも、第一線で戦っています(確かに人生も学活も「戦い」かもしれませんが、わたしはこの勇ましい言葉があまり好きではありません)

市丸さまにお尋ねしたいことがありコメントしました。
宗門とこのような問題が起きる直前のことかと思いますが、大白蓮華に教学試験の模範解答が掲載され、「主師親の三徳」について、現在の主師親の三徳具備は池田先生であるという解答がありました。このような誇大解釈は明らかに間違いです。
わたしが疑問に思うのは、出版される前に多くの編集者、本部幹部、あるいは池田先生の事前のチェックをうけたであろうと推測しますが、このようなとんでもない解答がなぜまかり通ったか、ということです。明らかに冷静さを欠いていますし、師を尊敬するという意味をはきちがえ、無謬でなければならないとする信仰者が陥りやすい過ちが顕著であると思います。

公平さ、謙虚さ、理性的判断が求められる一つの宗教組織の、このような自分の姿を見失う集団ヒステリー症状というべきものは、度を越した過剰な攻撃性を持ちやすく、宗門と問題を抱えていればこそ、なお慎重さが必要だったと考えますが、学会にも冷静な人物はいなかったということかもしれません。

市丸さまのお考えをお聞きしたいと切に望んでおります。
正しい歴史認識、また歴史からの学びこそ、信仰を保つうえで必要欠くべからざることと考えるからです。

わたしは一度も大御本尊さまにお目通りしたことはございません。青年部のほとんどが同じでしょう。信者が自由に究極の信仰対象に会うことができないという現実は、稀有な信仰冒涜と考えております。そのような状況を作った者は、恐ろしい魔であると断じますが、互いに正義を主張しながら、もっと大きな正義を犠牲にしたのではないかと恐れるのです。これによる罰は(わたしは罰という言葉も嫌いです)、つまり望まない必然的な結果は、すでに双方に出ているかもしれませんし、これから未来に罪障消滅が必要になるやもしれません。

言い忘れましたが、女子部の部長をやっております。学会関係のあらゆる面で苦慮し、苦闘しております。ミドル、中心幹部とはうまくいっておりません。問題意識の低さにうんざりです。

よろしくお願いします。
市丸さまのご健康とご活躍をお祈り申し上げます。
返信する
杏奈さん (市丸)
2013-05-28 23:53:18
いくつか質問、よろしいですか。

①あなたは20代ですか、30代ですか?
②あなたの両親は50代ですか、60代ですか?
③あなたは日本のどの方面に住んでいますか?
④あなたにとって、大御本尊とはなんですか?

以上、簡単で結構ですのでお答えいただけませんか。
それからお話しできれば、お話しましょうか。
返信する
<1> (杏奈)
2013-05-29 22:32:03
ありがとうございます。
難しいことを書いて、市丸さまを悩ましているようで気が引けます。

1.20代。学会三世。
2.祖母80代、両親60代。姉は結婚し近くに住んでいますが、女子部時代から正義感が強く、唱題第一の強信で、わたしの模範です。姉妹が両親の影響を受けたことはなにより喜ばしいことです。
3.東京在住。家庭事情で、最近は頻繁に新潟に帰っています。

4.わたしのふるさとでは毎年冬になると、近くの川に鮭が上ってきます。三年の間、大海を回遊し、数千キロの彼方から生まれ故郷をめざして帰ってくるのですから、その能力は神秘的な自然の力としか言いようがありません。ルーツは深くインプットされていて、自分が誕生した源を死に場所に選ぶのは、生物に本来備わった宗教的輪廻のせいなのかと考えさせられます。

子どもは必ず親から生まれるように、そして子どもは遺伝子次元では親のコピーであるように、わたしたちの宗教的日常は、源泉である大御本尊さまを拠り所としています。元が価値あるものであるからこそ、そこから生まれたわたしが大切にする御本尊さまも価値あるものですし、人生の規範となる源泉なのだと確信しております。

大聖人と本尊、また九界の衆生の命に差別はなく、血脈も正しい信仰者の命のなかに流れることは疑いがないことです。自明のことを議論するつもりはありませんが、大聖人の生き方が信じる者のお手本となるように、妙法の因行果徳の法則も御本尊さまを機縁として顕現するのでしょう。大御本尊さまも、個々の御本尊さまも、内包する法が同じものであれば、何も疑うことはなく、ためらうこともないのです。大御本尊さまは山の頂きであり、その頂きからすべての道は下っている。先生も「法性の大地」とご指導されております。卑近な譬えですが、発電所の電気と各家庭の電気には何も違いはないということです。
法はつまり信仰のあり方を説いたものであり、また信仰は頂きをめざすものであり、無上の道も正しいコンパスがあればこそです。そのコンパスを血脈と言うことを、真面目な会員であれば十分に知っていることです。

しかし、誰でも懐かしくふるさとを思いだすように、遠く離れていればときには母親に会いたいと思うように、大御本尊さまを慕うのは、信仰者として自然の心情です。
たぶんわたしの言い方は矛盾を免れません。理性と感情はときには相対立するものです。

→next
返信する
<2> (杏奈)
2013-05-29 22:40:45

正義は論理的裏づけがあってこそ主張できると思います。破門が正義でないことは明白ですが、仏教史は言ってみれば、仏弟子、仏道修行者の正統をめぐる争いの歴史でもあったのではないでしょうか。法は厳格に堅持しなければならないと考える一方で、時代に即応した柔軟性があってしかるべきと考える信者と出家者の対立は、今に始まったことではありません。僧は格式張った権威の虜となり、法という絶対規範を振りかざして主従の関係を築こうとします。宗教的権威なるものは実は空虚な空箱同様のものであることを、わたしたちははからずも経験しました。

創価ルネサンスは悠久の歴史から見れば始まったばかりですが、仏教本来の人間尊厳に焦点を当てた原点回帰運動と理解できます。また多岐にわたる教理の、一つの真理の解釈史という側面もあります。出家者が「人間主義」という言葉や定義が仏教史にないからといって否定するのは愚かというしかありません。
正義には世俗的なものと普遍的なものがあるでしょう。お金で売買するような卑猥のものと、等価物を持たない高等なものがあるでしょう。万人に受け入れやすい方が正しいとはかぎりませんし、たった一人の正義が正しい場合も十分にありえることです。

信徒の大御本尊さまへの面会拒否が、大聖人の御心に叶わないことはあらためて言うまでもありません。慈悲深い大聖人がそんな仕打ちをするはずもなければ、求道者を遠ざけようと望むはずもありません。その原因を作った者は、日顕宗の悪侶たちだけだったのでしょうか?
一部の慢心の創価の幹部だけだったのでしょうか?
慢心と言えば、「主師親の三徳」をねじ曲げて間違いを正当化しようと試み、大聖人と妙法を安易な考えで傷つけようとした人たちも含まれるのではないでしょうか?

わたしが知りたいのは、創価の正しい歴史です。都合の悪いことは隠して、歴史を修正するような創価であってほしくないということです。優れた問いから優れた答えが導かれるように、創価の未来は正しい歴史認識から導かれると考えるからです。

市丸さまへの答になっているのか、自信がありません。
長いコメントになり、申し訳ございません☆彡
返信する
杏奈さん (市丸)
2013-05-30 10:16:10
もっと短く文章の要点をまとめられたらいいですね。
これでは、あなたが何を聞きたいのか、要点がつかめません。

それに、私は未役職の一婦人部です。
私が何を言った所で、創価学会を代表する意見ではありません。

きっとあなたの周辺に、あなたの疑問に答えてくれる幹部の方がいらっしゃいますよ。
そちらをお尋ねになって、満足いくまで対話をなさったらいかがでしょうか。

ただ、その時に心すべき事は、最初からあなた自身の答えを用意しておかない、と言う事です。
まっさらな心で、純粋な求道心を以って対話に臨む、と言う事です。

そっけない答えかもしれませんが、あなたの疑問に、ネット、それも個人ブログで答える、と言うのは無理ではないかと思いますので、現場での、納得いくまでの対話を提案いたします。
返信する
市丸さん,お久しぶりです (匿名希望)
2013-05-30 20:48:43
失礼ですが,上記の貴女の書き込みは,初めて感動出来るものです。

昨日来,某掲示板に新来者が現れました。

そして,今迄同様の組織にしっかり付いていない,
未活者の様です。

>最初からあなた自身の答えを用意しておかない

往々にして,NETで疑問を解決しようと試みる人達には
此の傾向が強いように思えます。
つまり,何となく自分の信心に疑問を持っていながらも
リアルで認めるのが怖いのではないでしょうか?
返信する
横レス失礼します。 (河内平野)
2013-05-30 21:38:33
杏奈さん 、はじめまして。 河内平野と申します。
一つ提案があるのですが、その前によければ下記のことをお聞きしたいのですが、

>宗門とこのような問題が起きる直前のことかと思いますが、大白蓮華に教学試験の模範解答が掲載され、「主師親の三徳」について、現在の主師親の三徳具備は池田先生であるという解答がありました。このような誇大解釈は明らかに間違いです。

大白蓮華に教学試験の模範解答が掲載され、とありますが、何年何月の大白蓮華でしょうか。
こういうことを聞くのも、そんなことを書いていた大白蓮華の記憶がないからです。
あなたは20代との事。

これは誰かに聞いてそう思ったのですか。
それとも実際にその大白蓮華を読まれての、貴方の意見でしょうか。

>正しい歴史認識、また歴史からの学びこそ、信仰を保つうえで必要欠くべからざることと考えるからです。

その通りだと思います。
そこで聞きたいのですが、貴方は「正しい歴史認識」を何から学ぶことが一番正しいと思いますか。

>正義は論理的裏づけがあってこそ主張できると思います。

それはちがうと思います。
正義を主張するには、文証・理証・現証によって、多角的に検証し、主張していくものだと考えます。

また、仏法に対する正義の主張は、その三証に加え「宗教の五義」「五重相対」にも当てはめて検証し考察しなければならないのです。
これが日蓮大聖人が採用された「宗教の正邪」に対する態度であり主張です。

>わたしが知りたいのは、創価の正しい歴史です。

これは、先生の小説・人間革命を学ぶのが一番近道だと思います。

>都合の悪いことは隠して、歴史を修正するような創価であってほしくないということです。

具体的に書いていただければ、ありがたいです。
学会は、誰に対して都合が悪く、どの部分の歴史を修正したのでしょうか。

学会といえども、人の心を持っている普通の庶民が集まる団体です。
たとえそれが事実であっても、会員が自身の信心の足かせや、イヤな思いをするようなことは組織を通して大々的に発表する必要性がない案件もあるかも知れません。

だからその内容と質の問題と、状況によって判断しているものと私は考えます。
だから、このような質問をする時は、より具体的に問題提起するほうがいいんではないでしょうか。

それとこのような議論は、個人ブログでは不向きなように思います。
そこで市丸さんが出入りしている掲示板で、スレッドを立てるなりして意見をいったらいかがでしょう。

もっとも市丸さんが、その議論を話す気があれば、ですが。笑
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。