市丸の雑記帳

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切り文

2013-01-24 10:08:58 | Weblog
 某掲示板で、あたかも「すべての爾前・権教は法華経に通ず」と、大聖人の御文にあるかのような書き込みがありました。御書全集377ページの冒頭から九行までの、長い引用です。
 これだけ長く引用すれば、得意の切り文とは言われまい、という魂胆が見え見えの書き込みですが、実はこれがものすごい、誤解をさせたい切り文の典型なのです。

 某掲示板では、あえて切り捨てた、次下の文を引用し、書き込み主さんが、如何に衆生を惑わそうとしていたかの証明にしたいと思います。

  
 『今云う此の義は、与えて云う時はさも有る可きかと覚れども、奪つて云う時は随分堕地獄の義にて有るなり。
 其の故は、縦ひ一人、此くの如く意得、何れをも持ち唱るとても、万人、此の心根を得ざる時は、只例の偏見偏情にて、持ち唱えれば、一人成仏するとも、万人は皆地獄に堕す可き邪見の悪義なり。
 爾前に立てる所の法門の名言と、其の法門の内に談ずる所の道理の所詮とは、皆是偏見偏情によりて、入邪見稠林(ちゅうりん)若有若無等の権教なり。
 然れば此等の名言を以て持ち唱へ、此等の所詮の理を観ずれば、偏に心得たるも心得ざるも、皆大地獄に堕つべし。心得たりとて唱へ持ちたらん者は、牛蹄に大海を納めたる者の如し。是僻見の者なり。何ぞ三悪道を免がれん。
 又心得ざる者の唱へ持たんは、本迷惑の者なれば、邪見・権教の執心によつて無間大城に入らん事疑い無き者なり。
 開会の後も麤教(そきょう)とて嫌い捨てし悪法をば、名言をも其の所詮の極理をも唱へ持つて交ゆべからずと見えて候。
 弘決に云く「相待絶待倶に須く悪を離るべし。円に著する尚悪なり況や復余をや」云云、(諸宗問答抄 377頁)(読みやすいように、句読点、改行を加えました)』

 
 通解の必要もないでしょう。
 それをかの書き込み主さんは、この破折の文をごっそり抜いて、あたかも爾前・権教も法華経に等し、の文証にしようとしたのです。
 昔懐かし映画評論家の言葉を借りれば、
 「恐ろしいですねぇ、こわいですねぇ、卑怯ですねぇ、姑息ですねぇ。
 ハイ、こんな我見に騙されないようにしたいですね」
 とでもなりますか。

 鎌倉時代、確かに「真言や念仏等をやったとしても、仏教を修行すると言う心は一つだから、法華経を修行するのと一緒ではないか」という思想があったような記述もありますが、それも大聖人はきっぱりと否定、破折されています。

 上記の、某掲示板の書き込み主さんは、必死になって大聖人を否定したいのだと思いますが、図らずも御書に暗いと言う事を自ら告白されただけのようです。

 ああそうそう、昔、友人が折伏していた人物に、御書を一生懸命勉強して「宗教家になりたい」と言っているのがいました。「教祖になりたいんだ」との事でしたが、御書を我見で読んでしまうと、やはり行きつく先は、そうなってしまうのでしょうか。