『涅槃経に云く「菩薩悪象等に於ては心に恐怖すること無かれ悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ悪象の為に殺されては三趣に至らず悪友の為に殺されては必ず三趣に至る」[已上] 立正安国論 21頁』
人の意見に振り回されて、正しい教えから外れていく者がいる。実は信心をしていく上で、これが最も恐れなければならないものなのだ。例えば、交通事故とか、通り魔的な殺人とか、自然災害などで命を落す事があったとしても、またそれがどんなに悲惨な状況であったとしても、何も恐れる事はないが、たった一つ、絶対に寄せ付けないようにしなければならないのが、間違った教えを、さも、正しいように説く者である。
不意の事故で命を失ったとしても、それはその人の善根や福運を消す事は出来ないが、間違った教えに引きずられては、善根も、福運も、すべて破戒してしまい、再び三悪道、無間地獄へ堕ちてしまうのである。それを大聖人は、悪友の為に殺されては必ず三趣に至る、と仰せである。
無間地獄という言葉を使うと、大仰に感じる人もいるかもしれないが、実はこれは日常にありふれていることである。例えば、借金まみれになっている人が、借金を返す為に借金を重ねていくのも、無間連鎖の苦悩だし、病気が一つ治ったと思ったら、新しい病気が出てきて、その事で苦しみ続けるのも、苦しみの無間連鎖である。
この苦しみの無間連鎖を、どうしたら断ち切ることができるのか。そこに境涯革命、宿命転換がかかってくるのだ。
境涯革命は、自身の生命がどのような状態を基底にしているか、つまり十の生命のカテゴリーの内のどこに、今自分がいるかを把握して、それを変革していく事である。しかし、これは努力と信念の及ばない所にある、と言う事も事実である。
ここに信心が絡んでくるのだが、この境涯革命に本気で取り組んだ時、悪知識は待ってましたとばかりに襲い掛かってくる。
当然だろう、この世界は仏と第六天の魔王のせめぎあいだとの御書もある。人一人が幸せになろうとすると、一番困るのは眷族を持って行かれる第六天の魔王だからだ。全力挙げて、幸せになるのを阻止すべく、それなりの事情や状況、対人関係の中での混乱を掻き集めて、信心の妨害に出るのだ。
経験された方も多いだろう、今日頑張って題目一万遍あげようとすると、必ず問題が起きて、上げられなくなってしまったと言う様な事が。
そんな信心の妨げになる物一切を振り切って、ただ信じた道を真っ直ぐに進む事が、自分に勝つ事になり、自分の宿業に勝つ事になり、自分の境涯を広げていく事になるのだ。
そして、それは生きている限り終わる事はない。
人の意見に振り回されて、正しい教えから外れていく者がいる。実は信心をしていく上で、これが最も恐れなければならないものなのだ。例えば、交通事故とか、通り魔的な殺人とか、自然災害などで命を落す事があったとしても、またそれがどんなに悲惨な状況であったとしても、何も恐れる事はないが、たった一つ、絶対に寄せ付けないようにしなければならないのが、間違った教えを、さも、正しいように説く者である。
不意の事故で命を失ったとしても、それはその人の善根や福運を消す事は出来ないが、間違った教えに引きずられては、善根も、福運も、すべて破戒してしまい、再び三悪道、無間地獄へ堕ちてしまうのである。それを大聖人は、悪友の為に殺されては必ず三趣に至る、と仰せである。
無間地獄という言葉を使うと、大仰に感じる人もいるかもしれないが、実はこれは日常にありふれていることである。例えば、借金まみれになっている人が、借金を返す為に借金を重ねていくのも、無間連鎖の苦悩だし、病気が一つ治ったと思ったら、新しい病気が出てきて、その事で苦しみ続けるのも、苦しみの無間連鎖である。
この苦しみの無間連鎖を、どうしたら断ち切ることができるのか。そこに境涯革命、宿命転換がかかってくるのだ。
境涯革命は、自身の生命がどのような状態を基底にしているか、つまり十の生命のカテゴリーの内のどこに、今自分がいるかを把握して、それを変革していく事である。しかし、これは努力と信念の及ばない所にある、と言う事も事実である。
ここに信心が絡んでくるのだが、この境涯革命に本気で取り組んだ時、悪知識は待ってましたとばかりに襲い掛かってくる。
当然だろう、この世界は仏と第六天の魔王のせめぎあいだとの御書もある。人一人が幸せになろうとすると、一番困るのは眷族を持って行かれる第六天の魔王だからだ。全力挙げて、幸せになるのを阻止すべく、それなりの事情や状況、対人関係の中での混乱を掻き集めて、信心の妨害に出るのだ。
経験された方も多いだろう、今日頑張って題目一万遍あげようとすると、必ず問題が起きて、上げられなくなってしまったと言う様な事が。
そんな信心の妨げになる物一切を振り切って、ただ信じた道を真っ直ぐに進む事が、自分に勝つ事になり、自分の宿業に勝つ事になり、自分の境涯を広げていく事になるのだ。
そして、それは生きている限り終わる事はない。