ロイヤルモータースとその仲間たち

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白滝姫の涙 (山口村誌より)

2007-12-13 14:20:36 | 山本店長のブログ

それは遠い奈良の昔、摂津国丹生山田の郷、(現神戸市北区山田町)に真勝(さねかつ)という若者がいた。 時の帝、淳仁天皇に仕えて、大そう天皇の信任も厚かったが、萩右大臣豊成公の姫君、白滝姫を見染てからは、朝な夕なに恋文を送りつづけ、その恋文は「千束の文、錦木の数につもりける」という有様であった。 これをお知りになった天皇は、真勝の心を哀れに思い、姫を説いて真勝に賜ることにされた。 そこで姫は「雲井から、ついにおつる白滝を、さのみ恋ぞ山田男よ」とうたわれて、真勝のもとにとに嫁がれることになった。 そして夫とともに、故郷の丹生山田にむかうべく、都をあとにこの山中まで来られとき、姫は突然「たとえ勅命とはいえ、父や母に別れてこんな山奥まできた我が身が悲しい」と、その場に泣き伏して、さめざめと涙を流された。 すると不思議やその涙は泉となり、川となって流れ出したということである。 そのため人々はその川に、姫の名をとって白水川と呼ぶようになったといわれている。

「白滝姫とつゆの井戸」の伝説が山田町にあります。
ロイヤルモータースニュース16年春号に掲載してますが、お持ちでない方はロイヤルモータースホームページのロイヤルモータースニュース16年春号の2ページを見て下さい。 
そこには、「都から山陽道を西進し、ようやく平野のあたりから石井川を渡って、一行は一休みした。 このとき、石井の人々はひどい干ばつに悩まされていた。 それを聞いた白滝姫が、手にした杖で地面をつついてみると、清らかな泉が湧き出たという。
一行は夢野を通り、鵯越の山越え道を通って山田の里に到着した。」とあり、石井の里では水を湧かせてもらった里人が、姫を祀る祠をたてた。 この祠のそばの森は栗花落(つゆ)の森と呼ばれ、いまでは津由乃町という町名に受けつがれています。 祠もあります。 どちらが真実かは別として白滝姫の名前から水にまつわる伝説になったと思われます。 
ところでハイキングおじさんのお墓も白水峡にあります。 そのせつはお参りに来てね。 なかなかくたばらんか? 


ロイヤルモータースのホームページ「ようこそロイヤルモータースへ」も覗いてください


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