2017年5月8日衆院予算委で共産党議員宮本岳志が森友学園からの講演依頼を一旦は引き受けた件について安倍晋三を問い質した。
ウソつきは自分がついたウソ(=事実ではない話)をウソではない(=事実)と思わせるようとするとき、元々は事実へと変えようがないウソ(=事実ではない話)だから、ウソではない(=事実)と思わせるためについつい余計なことまで言って多くの言葉を費やすことになり、ウソではないと見せかけた事実をつくり上げる。
安倍晋三の宮本岳志に対する以下の答弁はまさにこれに当たる典型的な例であろう。
宮本岳志「2016年9月16日、一番最初に森友学園での講演を予定していたのは安倍昭恵氏ではなく、総理、あなた自身だった。それがあなたの自民党総裁選の立候補によって実現しなかったけれども、一旦はあなたは了承したわけですね。
だからこそ、断る際に自ら電話に出て、言葉を掛けたわけなんです。
事実をお話ししましょう。2012年9月16日に総理自身が森友学園で講演を予定していた。これは事実ですね」
安倍晋三「それは事実でございます。私としてはお断りをしたということでございます」
宮本岳志「総理はですね、この学校の教育内容がメディアなどで取り上げられ、国会でも問題になりますと、『俄にこの学校に於いて行われている教育の詳細については全く承知をしておりません』、こう答弁をされました。
しかし行われている教育の詳細を知らずにですね、講演を引き受けるというのはあまりにも無責任な話でありまして、あなたは森友学園の教育内容を重々承知の上で2012年9月にすね、塚本幼稚園での講演を引き受けたんですよ。
妻が、妻がと、恰も安倍昭恵氏が問題があるかのようにおっしゃいますけれども そんなことはありません。当初から森友学園を支援してきたのではありませんか」
(ここから安倍晋三の名人芸としか言いようのないウソ全開が始まる。)
安倍晋三「(鼻の辺りにフンとした笑みを見せてから)そもそも支援は全くしていません。支援が何を意味しているのか承知をしていないのですが、例えば一旦引き受けたことを支援ということかもしれませんが、それは全く支援ではないわけでありまして、これは我々は講演を様々な方から依頼されます。
で、それは全て承知しているわけでは、あー、今は総理大臣でありますから、相当詳細に調べるわけでございますが、当時は自民党の総裁、えー、になる前の一議員としてですね、様々な方から依頼され、色んな所で講演してまいりました。
誰に頼まれても半分以上はですね、覚えていないわけでわけであります。様々な方から依頼され、今、『えっー』という声が上がりましたが、それは講演の依頼が少なければですね、そういうこともありますよ(自民党席から大笑い)。
あの、相当の数を、当時、依頼をされておりますから、相当な場所に於いてですね、講演をしてきたわけでございました。その方はですね、既に幼稚園の経営をされているということでございましたから(3秒程度言葉が止まる)・・・・、幼稚園を、ヨ、幼稚園を、幼稚園を経営(口許に一瞬、失笑気味の笑みを浮かべる)しておられますから、それは当然ですね、そういうある程度のセンシビリティにはなっていたわけでございまして、これはもう、まさにそのときに、真実を申し上げているわけでございますが、えー、大体、知人の知人や、知人の知人から依頼された場合も講演を引き受けているわけでありますから、いちいち、その、教育内容をすべて知っているということではないということははっきりと申し上げておきたいと思います。
それはもう宮本先生がご承知のとおりだろうと、このように思い――」
「思います」と語尾まではっきりと言って終えるのではなく、途中で切って早々にマイクから離れる。答弁を途中で切り上げたいと思いながら、ウソをついているから、なかなか言葉を止めることができなかったのだろう。
宮本岳志「全ては知っていてですね、中身は分かって承知したのであります。森友の小学校の名誉校長に就任する2015年9月5日の講演で安倍昭恵氏は『これらの教育方針は主人も大変素晴らしいと思っている。主人も時間があれば幼稚園に来たいと言っている』。
こう語りました。大体総理自身、今国会、9月17日の衆議院予算委員会の時点では、『妻から森友学園の先生の教育に対する熱意は素晴らしいという話を聞いている』と答弁しているんです。
あなたがまさにこの学校を支援してきたことは否定しようがない事実だと思います」(以上)
宮本岳志は安倍晋三が森友学園を支援してきたという印象を与えようとしたのみで、国有地売却問題の質問に変える。
先ず宮本岳志は安倍晋三に対して森友学園から2016年9月16日に講演の依頼を受けて一旦は了承したことは事実かと尋ね、安倍晋三は一旦は了承し、その後断ったことは事実だと認めた。
次に宮本岳志は森友学園の教育内容を知らずに講演を引き受けることはないから、それを承知の上で引き受けたはずで、当初から森友学園を支援してきたのではないかとさらに追及した。
安倍晋三はこう答弁している。
「そもそも支援は全くしていません。支援が何を意味しているのか承知をしていないのですが、例えば一旦引き受けたことを支援ということかもしれませんが、それは全く支援ではないわけでありまして」
要するに講演を引き受けたことは支援に当たらないと言っているが、講演とは集まった多人数の聴衆に向かってあるテーマについて話すことであって、聴衆がその話に満足した場合、その満足は主催者に対しても一定の満足(=精神的あるいは金銭的利益)を与えて、主催者の意に適うだけではなく、講演を依頼された側も満足させる意図のもとに講演を引き受けるのだから、要請されて講演に応じることは少なくとも講演を通した支援と言うことになる。
あるいは有名人が講演者である場合は、ある種の聴衆はその顔を見るために集まり、その顔を見たというだけで満足する場合が多々あって、そういったことも講演の主催者に対する満足(=精神的あるいは金銭的利益)となって跳ね返るのだから、上記述べた同じ性格の支援ということになる。
安倍晋三は「それは全て承知しているわけでは、あー、今は総理大臣でありますから、相当詳細に調べるわけでございますが、当時は自民党の総裁、えー、になる前の一議員としてですね、様々な方から依頼され、色んな所で講演してまいりました」との表現で、総理大臣のときは相当に詳細に調べるが、一議員のときはそうではないとの趣旨で、講演の依頼主について全てを承知しているわけではないから、森友学園の教育内容について知らなかったと空とぼけている。
一般的には不特定の聴衆を募集して行う講演であろうと、特定の聴衆を集めて行う講演であろうと、講演の主催者が講演を依頼するとき、その依頼が初めての相手であった場合は引き受ける側の職種や地位、関心事、思想等を承知していて依頼するのに対して相手側が主催者の職種や地位、関心事、思想等に関わる知識を有していないと見た場合にはその知識を相手に伝えてから講演を依頼するものである。
なぜなら、主催者の職種、関心事、思想等が講演の依頼を受ける側の職種、関心事、思想等と関係し合って講演のテーマが選択されることになるからである。
いわば講演を引き受ける側が講演の主催者の職種、関心事、思想等を知らずに講演を引き受けることはないし、引き受けることはできない。テーマは自由でいいですよと言われたとしても、聴衆自体が主催者の職種、関心事、思想等に呼応して集まることになるから、講演を引き受ける側も自身と主催者の職種や地位、関心事、思想等との兼ね合いの範囲内でテーマを決めなければならない自由度を与えられるに過ぎない。
要するに講演を初めて依頼されて引き受ける側は講演の主催者の職種や地位、関心事、思想等の知識を得た上で、その知識と自身の職種や地位、関心事、思想等を照らし合わせながら、自分一人でか、主催者と相談し合ってか講演のテーマを決め、日時を決めて、初めてそれを一般に告知することになる。
こういった経緯を取るのが一般的である以上、「Wikipedia」で調べてみると、森友学園は安倍晋三に講演を依頼した2012年9月16日当時は塚本幼稚園と肇國舎高等森友学園保育園を経営していたから、安倍晋三が森友学園から依頼されて一旦は講演を引き受けたということなら、講演のテーマを決めるところまでいかなくても、森友学園側は自分たちが経営している幼稚園と保育園がどういった教育方針で運営しているか知らせずに講演を依頼するはずはないし、安倍晋三にしても森友学園の教育内容を知らずに引き受けることはないし、引き受けることはできなかったはずで、知らないが事実だとしたら、宮本岳志が言うように「教育の詳細を知らずにですね、講演を引き受けるというのはあまりにも無責任」ということになる。
安倍晋三は森友学園との関わりを避けるために名人芸のウソをついたに過ぎない。
総理大臣のときは相当に詳細に調べるが、一議員のときはそうではないとの発言自体がウソ全開の言葉となっている。国会議員は閣僚ではなかったら、講演依頼者の身元や思想などを詳しく調べずに引受けてもいいという合理的根拠はどこにもない。
また、「誰に頼まれても半分以上はですね、覚えていないわけでわけであります」と言っているが、頼まれて引き受けた講演、あるいは頼まれても断った講演の半分以上を現時点では忘れていたとしても、その当座は引き受けるにしても断るにしても、通常はそこにまで至る上記述べた経緯を取ることに変わりはないはずだから、講演を依頼した相手である森友学園のことは承知していなければならなかった。
それを「誰に頼まれても半分以上はですね、覚えていないわけでわけであります」と言うこと自体がウソ全開のゴマカシに過ぎない。
ウソ全開の圧巻は次の発言である。「その方はですね、既に幼稚園の経営をされているということでございましたから(3秒程度言葉が止まる)・・・・、幼稚園を、ヨ、幼稚園を、幼稚園を経営(口許に一瞬、失笑気味の笑みを浮かべる)しておられますから、それは当然ですね、そういうある程度のセンシビリティにはなっていたわけでございまして、これはもう、まさにそのときに、真実を申し上げているわけでございますが、えー、大体、知人の知人や、知人の知人から依頼された場合も講演を引き受けているわけでありますから、いちいち、その、教育内容をすべて知っているということではないということははっきりと申し上げておきたいと思います」
講演の依頼が多くて依頼主の地位や立場を「全て承知しているわけでは」ないという表現で森友学園の教育内容については知らないとする趣旨のことを言いながら、「その方はですね、既に幼稚園の経営をされているということでございましたから」と、知っていたことをつい口にしてしまうが、ウソが名人芸となっているから、流石に表情には見せなかったものの、内心の狼狽えが言葉に現れることになった。
「ございましたから」と言った後に3秒程度次の言葉を口にすることができないでいた。予期せずに口を突いて出てしまった言葉を「しまった」と思いながら、頭の中を振返っていたのだろう。
3秒程度言葉を続けることができないでいた後、「幼稚園を、ヨ、幼稚園を、幼稚園を」とまごつくことになった。
そのあと、「それは当然ですね、そういうある程度のセンシビリティ(?)にはなっていたわけでございまして」と言っているが、「センシビリティ」という英単語は「感受性」を意味する。
よく聞き取れなかったから、異なる言葉を発したのかもしれないが、ネットで調べてみると、「センシティビティ分析」(私の頭では理解できないが、「分析対象の要素をパラメータ化し、ある変数の変動に対して他の変数がどのように変化するかを調べる分析手法」)という言葉があるから、「分析」という意味で使ったのかも知れないが、内心慌てていて、「センシビリティ」という発音になってしまったのかもしれない。
問題はこのことよりも、「これはもう、まさにそのときに、真実を申し上げているわけでございますが、えー、大体、知人の知人や、知人の知人から依頼された場合も講演を引き受けているわけでありますから、いちいち、その、教育内容をすべて知っているということではないということははっきりと申し上げておきたいと思います」と言っていることである。
同じウソをつくにしても、宮本岳志が、安倍晋三が「俄にこの学校に於いて行われている教育の詳細については全く承知をしておりません」と答弁したことに対して森友学園の「教育の詳細を知らずに講演を引き受けるというのはあまりにも無責任な話だ」と質問し、「当初から森友学園を支援してきたのではありませんか」と追及したことに講演の依頼はたくさんあって、「半分以上は覚えていない」と答え、「そもそも支援は全くしていません」と答弁すれば済むことである。
だが、全てはウソだから、宮本岳志が「ウソをついているのではないか」と追及したわけでもないのに「真実を申し上げているわけでございますが」と自分からウソではない、全部本当のことだと言わなければならならなかった。
これはウソつきが、言っていること自体がウソだから、「俺の言っていることはウソではない、本当のことだ」と何度も本当の話だと思わせなければならないのと同じ手順を踏んでいる。
さらに、講演の依頼はたくさんあるから、依頼主の状況について全て聞くことはありませんと言うことで、森友学園の教育内容については知らないこととすれば済むことを、実際は知っていたが事実で、知らないはウソだから、「大体、知人の知人や、知人の知人から依頼された場合も講演を引き受けているわけでありますから、いちいち、その、教育内容をすべて知っているということではないということははっきりと申し上げておきたいと思います」と、言葉をムダに費やさなければならないことになる。
安倍晋三が最後に「それはもう宮本先生がご承知のとおりだろうと、このように思い――」と答弁しているが、「ます」という語尾まではっきりと言うことができなかったのは、ウソつきがウソを事実と思わせるためにムダな言葉を長々と費やす罠にはまり込んでしまって、そこから早いとこ抜け出したい内心の思いが語尾まではっきりと言う余裕を与えずに切り上げさせてしまったに違いない。
冒頭挙げた言葉を再度挙げてみる。
ウソつきは自分がついたウソ(=事実ではない話)をウソではない(=事実)と思わせるようとするとき、元々は事実へと変えようがないウソ(=事実ではない話)だから、ウソではない(=事実)と思わせるためについつい余計なことまで言って多くの言葉を費やすことになり、ウソではないと見せかけた事実をつくり上げる。
安倍晋三の宮本岳志の質問に対する答弁は数学の公式を当てはめて正確な答を導き出す経緯さながらにまさにウソつきがウソを事実に変える経緯を踏んだウソ全開の発言と言うことができる。