安倍晋三の困難直面の被災者を置き去りにした陽の当たる場所のみの大忙しで駆け抜けた5月2日被災地訪問

2017-05-06 11:18:43 | 政治

 安倍晋三が2017年5月2日宮城県下を訪問、南三陸町で仮設から本設に移り新たにスタートした南三陸さんさん商店街と女川町の再開発商業地区を視察、そして石巻市の「がんばろう!石巻」看板前で献花及び黙礼を行い、石巻南浜津波復興祈念公園の整備予定地等を視察、東松島市で高台に整備された野蒜(のびる)北部丘陵地区・宮野森小学校を視察、最後に名取市閖上(ゆりあげ)地区の慰霊碑で献花及び黙礼を行い、土地区画整理事業等を視察と大忙しで被災地を駆け抜けていった。

 前復興相の今村雅弘が2017年4月25日夜、自身所属の自民党二階派の派閥パーティーで講演、「東日本大震災は社会資本などの毀損を考えると、首都圏近くではなく、東北の、あっちの方でよかった」と、あろうことか被災地住民の神経を逆撫でする二度目の失言をやらかし、翌日の4月26日に辞表を提出させることになった自身の任命の失敗を帳消しする意味もあったのではないのか。

 被災地で改めて自身が変わりなく復興を力強く推進していく確約を発信することで今村失言を忘却の淵に早いとこ沈めたい思いがあったはずだ。

 そのためにも新復興相吉野正芳を伴った。

 視察後の対記者団発言を「首相官邸」サイトから見てみる。   

 安倍晋三「東日本大震災からの復興は、安倍政権発足以来の最重要課題であります。いまだに多くの方々が様々な困難に直面している中、一日たりとも停滞は許されません。今回の、私にとって34回目の被災地訪問を吉野復興大臣とともに行いました。現場主義を徹底していく。そして被災地の皆様の心に寄り添っていく。この方針の下に、しっかりと一つ一つ結果を出していくことで信頼を回復していきたいと考えています。

 今日は、南三陸の新しくなったさんさん商店街、そして女川のハマテラス、元気な笑顔に再会することができました。地域の皆様の情熱と努力によって新しい拠点が生まれ、そして新しい人の流れが生まれています。着実に復興が前進していることを実感できてうれしく思っています。

 そしてまた、東松島におきましては、高台に新たに開校した宮野森小学校を訪れました。木材をふんだんに使った大変ぬくもりのある校舎、正に森の学校だなと思いました。すばらしい環境で学ぶ子供たちは被災地の希望であり、未来であろうと思います。

 あの大震災においてあまたの尊い命が失われました。そして、多くの方々が大切な人、愛する人を失いました。今回、改めて石巻で、そしてこの閖上で黙とうを捧げました。そうした方々の思いをしっかりと受け止めながら、住まいの復興、生業の復興、心のケア、被災地の復興に向けて全力で取り組んでいく決意を新たにいたしました。東北の復興なくして日本の再生なし。この考え方の下、安倍政権一丸となって復興に取り組んでまいります」――

 被災地復興と一言で言うが、被災地復興には人口という要素は絶対的に欠かすことはできないはずだ。勿論、人口の回復は雇用の回復と一体でなければならない。

 《明暗が分かれる地方移住の促進-国勢調査からみる5年間の都道府県別人口移動の状況》には次のような記述が載っている。     

 平成27年国勢調査から、〈都道府県別の人口の増減についてみると、北海道および福島県では10万人以上、青森県、岩手県など8県では5万人以上、それぞれ減少〉している。

 〈宮城県や岡山県など人口全体としては減少していても、社会移動による人口の増加が自然増減の影響を緩和している府県もみられている。〉――

 ここでの社会移動とは県内外移動(転入+転出)を言い、被災地である宮城県は転出よりも転入が上回っているが、人口全体としては減少していることになる。

 宮城県のサイトにアクセスして人口を調べてみた。大震災の影響で2010年10月1日から2011年10月1日までの1年間で2万4941人減少したが、2011年10月1日現在の宮城県の推計人口は232万3224人で、2016年年10月1日現在の推計人口は232万9431人となっていた。

 2011年10月1日から2016年年10月1日までに人口は6207人増加しているが、2010年10月1日から2011年10月1日までの1年間で減少した2万4941人の内、6207人分を補っているだけで、この中に自然減が含まれているものの、1万8734人減少していて、震災前の人口を取り戻していないと見ることができる。

 だとしても、宮城県の人口はマシな方で、福島と岩手は相当な人口減に見舞われていて、被災地復興に欠かすことはできない絶対的要素である人口の欠損状態からの回復が急務となるはずである。

 人口と雇用を回復して、生活の復興は可能となる。いくらインフラ整備が進んでも、人口と雇用が回復しなければ、真の生活の復興と言うことはできない。

 人口減の影響での困難の一例を挙げると、一早く店を再開して戻ってくる住人のために備えたところ、インフラ復興の土木作業で一時的な人口増加を担った土木作業員が顧客となって賑わうという恩恵は受けはしたが、復興が進むに連れて増加していた人口が減少に転じ、ついには復興終了と共にその姿は途絶えることになったばかりか、被災者が満足に戻らないために賑わいを取り戻すことができず、廃業せざるを得ないといった困難に直面した例も被災3県から拾い出せば、かなりの数であるに違いない。

 津波で流された住宅の跡地に家を新築したものの、近所の住民が戻らないままであるために近所付き合いを築くことができないばかりか、地域社会をも満足に構築することができないために生活の復興とまではいかない例も聞く。

 店舗を失い、ようやくのことで前の場所に再建したものの、人口減少で被災前と比べて売上が思う程には伸びないために生活が復興できたとは言えないという例も跡を絶たないはずだ。

 生活の困難な例を挙げるとしたら、未だに仮設住宅に取り残されている被災者を挙げないわけにはいかない。東日本大震災から間もなく6年近くの2017年2月27日付「河北新報」は、〈東日本大震災から間もなく6年を迎える中、東北の被災3県では東京電力福島第1原発事故の自主避難者を含めて3万3748世帯、7万1113人がいまだに仮設住宅での生活を余儀なくされている。〉と、強いられている生活の困難を伝えていて、生活の復興が未だ道遠しの状況に置かれている。

 安倍晋三が「いまだに多くの方々が様々な困難に直面している」と言っていることはこうしたことを指しているはずだ。

 と言うことなら、今以って困難に直面している「いまだに多くの」被災者の直面しているその困難そのものを除去する優先的施策は人口の回復と雇用の回復であり、そのような施策を集中的に行って生活再建の機会創出を図るのが安倍晋三が常々口にしている“現場主義の徹底”を言行一致させる方法であり、そうしてこそ「被災地の皆様の心に寄り添っていく」という言葉が生きてくるはずだ。

 だが、安倍晋三は「いまだに多くの方々が様々な困難に直面している」と言いながら、視察先は復興や再建ができている、いわば陽が当たっている場所を好んで選んでいる。

 当然、被災者がどのような困難に直面しているのか、その情報は置き去りにされる。

 その程度の「34回目の被災地訪問」であり、その程度の「被災地の皆様の心に寄り添っていく」でしかない。

 2015年2月15日の当「ブログ」に、〈復興が軌道に乗った陽の当たる場所にだけ出かけていって、自分の成果のように誇り、マスコミに目を向けさせて、復興全体が軌道に乗っているかの如くに国民に印象づけの情報操作をする。〉と書いた  

 被災者が満足に戻らないために賑わいを取り戻すことができない場所に出かけて、閑散とした光景を目に焼き付けるといったことはしない。

 被災地復興施策の優先順位を人口の回復と雇用の回復に置く必要があるなら、ロシア政府が2016年6月から極東地域で開始し、同年10月から北方領土でも適用、2017年1月にロシア全土で申請することができるようになった北方領土を含めた極東地域の土地を最大で1ヘクタール無償提供して、5年間農地などとして使用すれば正式に所有を認める土地無償提供制度を見習い、政府が空き地を買い上げて無償で提供、職種自由の職業での活用を許可、5年後、あるいは10年後には所有を認める制度を特区として被災3県の特に人口減少地域に街の一角を形成できる形で設けるといった思い切った施策を行わなければ人口の回復と雇用の回復を伴った真の復興は望むことができないのではないだろうか。

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