安倍晋三は2017年5月3日「『21世紀の日本と憲法』有識者懇談会」(民間憲法臨調、櫻井よし. こ代表)が都内で開催した「公開憲法フォーラム」にビデオメッセージを送って、憲法を改正し、東京オリンピック・パラリンピック開催の2020年に施行を目指す意向を示した。結構毛だらけ、猫灰だらけ。
その中で自衛隊について次のように発言している。
安倍晋三「例えば、憲法9条です。今日、災害救助を含め、命懸けで24時間、365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の信頼は9割を超えています。しかし、多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が、今なお存在しています。『自衛隊は違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ』というのは、あまりにも無責任です。
私は少なくとも、私たちの世代のうちに、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、『自衛隊が違憲かもしれない』などの議論が生まれる余地をなくすべきである、と考えます。
もちろん、9条の平和主義の理念については、未来に向けて、しっかりと堅持していかなければなりません。そこで『9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む』という考え方、これは国民的な議論に値するのだろうと思います」(「日経電子版」)
先ず安倍晋三は自衛隊に対する「国民の信頼は9割を超えています」と言っている。その9割の多くは災害救助活動の自衛隊についてであって、戦争する自衛隊に対してではないはずである。
憲法に関わる世論調査を見れば、一目瞭然である。
2017年3月に行った《世論調査 日本人と憲法 2017》(NHK NEWS WEB/2017年4月29日)を見てみる。
全国の18歳以上の4800人を対象に電話ではなく、直接会って聞く個人面接方式で実施し、55.1%に当たる2643人の有効回答。
「憲法改正は必要か」
「必要」43%
「必要ない」34%
「どちらともいえない」17%
「『戦争の放棄』を定めた憲法9条を改正する必要があると思うか」
「改正する必要があると思う」25%
「改正する必要はないと思う」57%
「どちらともいえない」11%
回答者の多くが自衛隊や集団的自衛権とは関係しない個所の憲法改正を望んでいる。
9条に関しての傾向は郵送方式で行い、有効回答2020人となった、「朝日新聞世論調査」(2017年5月2日00時20分)にも現れている。
「憲法第9条を変えるほうがよいと思いますか。変えないほうがよいと思いますか」
変えるほうがよい29%
変えないほうがよい63%
前のところで自衛隊に対する信頼の9割の多くは災害救助活動の自衛隊についてであって、戦争する自衛隊に対してではないはずであると書いたが、朝日新聞世論調査の次の回答がこのことを証明している。
◆自衛隊が海外で活動してよいと思うことに、いくつでもマルをつけてください。
災害にあった国の人を救助する92%
危険な目にあっている日本人を移送する77%
国連の平和維持活動に参加する62%
重要な海上交通路で機雷を除去する39%
国連職員や他国軍の兵士らが武装勢力に襲われた際、武器を使って助ける18%
アメリカ軍に武器や燃料などを補給する15%
アメリカ軍と一緒に前線で戦う4%(以上)
自衛隊の戦争活動への支持は僅か4%に過ぎない。支持は期待と信頼を裏打ちとして成り立つ。
安倍シンパの「産経新聞社とFNN合同世論調査」を見てみる。
「憲法改正について」
「賛成」52・9%
「反対」39・5%
「賛成52・9%のうち、戦争放棄や戦力不保持を明記した憲法9条改正について」
「賛成」56・3%
「反対」38・4%
この記事には調査方式も回答者数も記載されていない。同じ内容の記事を載せている「政治に関するFNN世論調査」で調べてみた。
〈2017年4月15日(土)~4月16日(日)に、全国から無作為抽出された満18歳以上の1,000人を対象に、電話による対話形式で行った。〉と書いてある。但し有効回答者数は記載していない。1000人共が有効回答と見て計算してみる。
憲法改正に賛成は529人。反対は395人。529人の内、9条改正賛成は529✕56・3%≒298人。529人の内、9条改正反対は529人✕38・4%≒203人。
憲法改正反対39・5%(1000人の内395人)は9条改正反対にそのまま右へ倣えするから、9条改正反対は395人+203人=598人となって、賛成298人よりも300人上回ることになる。
このように自衛隊に対する9割の信頼の多くは災害活動に対してであり、戦争への役割に対してではないにも関わらず、安倍晋三は9割の多くを戦争する自衛隊への信頼だと道理を捻じ曲げて憲法9条に自衛隊を明文化しようとしている。
安倍晋三は自衛隊は合憲と位置づけている。その根拠を周知の事実となっているが、安倍晋三は1959年の砂川事件最高裁判決に置いている。
2015年6月26日の「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する衆議院特別委員」での答弁。
安倍晋三「平和安全法制について、憲法との関係では、昭和47年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理は変わっていないわけであります。これは、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものであります。
そこで、砂川判決とは何かということであります。この砂川判決とは、『我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることは国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならない』、つまり、明確に、必要な自衛の措置、自衛権について、これは合憲であるということを認めた、いわば憲法の番人としての最高裁の判断であります。
そして、その中における必要な自衛の措置とは何か。これはまさに、その時々の世界の情勢、安全保障環境を十分に分析しながら、国民を守るために何が必要最小限度の中に入るのか、何が必要なのかということを我々は常に考え続けなければならないわけであります。そして、その中におきまして、昭和47年におきましてはあの政府の解釈があったわけでございます。
今回、集団的自衛権を限定容認はいたしましたが、それはまさに砂川判決の言う自衛の措置に限られるわけであります。国民の命と平和な暮らしを守ることが目的であり、専ら他国の防衛を目的とするものではないわけでありまして、それは新たに決めた新三要件を読めば直ちにわかることであります」
昭和47年(1972年)の政府見解(「安全保障の法的基盤に関する従来の見解について」)は次のように記している。(一部抜粋)
〈外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止(や)むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。〉
要するに昭和47年(1972年)の政府見解は自国防衛の個別的自衛権のみを認めていて、「集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」としている。
だが、安倍晋三は「昭和47年の政府見解」は「砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にする」とこじつけ、「今回、集団的自衛権を限定容認はいたしましたが、それはまさに砂川判決の言う自衛の措置に限られるわけであり」と、恰も砂川最高裁判決が集団的自衛権をも認めているかのようにこじつけの上にこじつけを架し、「憲法の番人としての最高裁の判断」だと、その判断を絶対とする我田引水をやらかしている。
砂川事件は1957年に基地反対派の学生が基地拡張に抗議して米軍立川基地内に突入、日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反で逮捕されたことが発端となって、日本政府が日本への米軍の駐留を認めているのは9条で武力の不行使、戦力の不保持、交戦権の否認を規定している日本国憲法に違反しているのではないか、それとも合憲かを争うことになった裁判だから、あくまでも米軍の日本駐留は合憲か否かを判決の本筋としている。
東京地方裁判所が米軍の日本駐留は日本国憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持に当たり、違憲であるとして全員無罪の判決を下したのに対して最高裁は1959年12月16日、日本駐留を合憲として地裁に差し戻している。
先ずご承知のように日本国憲法「第2章 戦争の放棄」第9条は第1項で「戦争の放棄」を、第2項で「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を規定している。
では、「最高裁判決」を見てみる。但し現在サーバー障害が発生していて、記事内容は把握できない。以前保存しておいた記事から必要個所を抜粋してみる。
先ず判決は9条について、〈いわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。〉と、自衛権を認めている。
ここで問題となるのは日本国憲法第9条と自衛権との整合性である
〈われら日本国民は、憲法9条2項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによって生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによって補ない、もってわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。〉と憲法前文を根拠として、〈憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。〉との文言で、自衛権の他国依存(ここでは米国)に正当性を与え、既にここで日米安保条約を合憲としている。
他国に安全保障を求めた場合、次に問題となるのは自衛隊自身の自国自衛権(=自国安全保障)への関与である。
〈そこで、右のような憲法9条の趣旨に即して同条2項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。
従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。〉
9条2項が〈保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力〉――自衛隊を指し、〈結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。〉との言い回しで、「わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力」、いわば「わが国自体の戦力」=自衛隊は9条2項が「戦力の不保持」を禁止している違憲の存在だと、“憲法の番人”である最高裁は9条2項に対する憲法判断を下した上で、自衛隊が違憲の存在である以上、自国自衛権(=自国安全保障)への関与が認めることができない代わりに「わが国が主権国として持つ固有の自衛権」は「外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても」、9条2項が「いう戦力には該当しないと解すべき」であって、「他国に安全保障を求めることを」日本国憲法は「何ら禁ずるものではない」と“憲法の番人”はかくこのように9条を解釈したのである。
そして米軍日本駐留合憲を次のように明確に述べている。
〈アメリカ合衆国軍隊の駐留は、憲法9条、98条2項および前文の趣旨に適合こそすれ、これらの条章に反して違憲無効であることが一見極めて明白であるとは、到底認められない。そしてこのことは、憲法9条2項が、自衛のための戦力の保持をも許さない趣旨のものであると否とにかかわらないのである。〉――
どこをどう見ても、自衛隊は合憲だとは書いてない。裁判が争うことになった米軍の日本駐留は合憲か否かにあくまでも添った判決の体裁を取っている。
集団的自衛権に関しては次のように述べている。
日米安全保障条約に関して、〈右安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障条約を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。〉
日本が「わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み」、アメリカと安全保障条約を締結する権利を有することは認めているが、ここで言っている「集団的自衛」はアメリカ側から見た「集団的自衛」である。違憲である自衛隊は個別的自衛も集団的自衛も担うことはできない。
砂川事件最高裁で裁判長を務めた田中耕太郎が補足意見を述べている中でも集団的自衛に触れている。
〈およそ国家がその存立のために自衛権をもっていることは、一般に承認されているところである。自衛は国家の最も本源的な任務と 機能の一つである。〉
〈一国の自衛は国際社会における道義的義務でもある。今や諸国民の間の相互連帯の関係は、一国民の危急存亡が必然的に他の諸国民のそれに直接に影響を及ぼす程度に拡大深化されている。従って一国の自衛も個別的にすなわちその国のみの立場から考察すべ きでない。
一国が侵略に対して自国を守ることは、同時に他国を守ることになり、他国の防衛に協力することは自国を守る所以でもある。換言すれば、今日はもはや厳格な意味での自衛の観念は存在せず、自衛はすなわち「他衛」、他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。従って自国の防衛にしろ、他国の防衛への協力にしろ、各国はこれについて義務を負担しているものと認められるのである。〉
以上の文言はあくまでも補足意見であって、米軍の日本駐留は合憲であるとした判決理由の根拠に挙げた自衛隊は9条2項が禁ずる戦力に該当する違憲の存在だとした判断に影響は与えない。
補足意見で言っている自衛の考え方への賛否は国民それぞれが決める。
“憲法の番人”である最高裁が自衛隊は日本国憲法に違反しているとしている以上、安倍晋三が張りっきっているように「9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」といった芸当はどう逆立ちしても不可能となる。
安倍晋三の当初の本音は9条2項の戦力の不保持を改めて戦力の保持に持っていくことであったが、その本音を封印して、9条1項、2項をそのままに3項を付け加えて、自衛隊の合憲を明文化することだと2017年5月4日付け「asahi.com」記事が伝えている。
この目的を果たせば、9条2項を改変し、それが成功したら、次は9条1項へと進むことは間違いない。
その次は現在は必要最小限と限った安倍晋三の集団的自衛権にしても、その必要最小限という限界を取り外すことになるはずだ。
こういったプロセスを踏むことになるだけではなく、昨日のブログに書いたように安倍晋三が理想だとする改正憲法は自身が思想・信条としている復古主義・戦前回帰主義・国家主義を条文の背後に巧妙に隠したものになるだろう。
小沢一郎自由党共同代表曰く。
「そもそも総理は、信じがたいことであるが、『憲法で国家権力を縛るというのは絶対王政時の旧い考え方』と国会で答弁するなど、現行憲法と立憲主義を全く理解しておらず、この総理が提唱する憲法改正など、考えただけでも恐ろしいことである」(産経ニュース/2017.5.3 05:01)
例え国民の合意を取り付けて自衛隊を合憲と位置づけるにしても、武力行使を必要最小限に限った集団的自衛権を必要だと認めるにしても、安倍晋三みたいに口先だけの積極的平和主義外交ではなく、真に平和主義に立った国のリーダーの元、行うべき憲法改正でなければならない。