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安倍晋三の核廃絶の訴えは誰の目にも見えない核の傘を右手に持ち、頭上に差しかけながらのもの

2016-08-19 08:14:20 | Weblog

 オバマ米大統領は「核兵器のない世界」の実現を訴え、その実現の第一歩として、せめてものなりにだろう、「核兵器先制不使用」を検討しているという。

 核保有国のすべてを核兵器先制不使用政策に巻き込むことができれば、核兵器のない世界を仮想することができる。但し北朝鮮やイスラエルといった国が同調するだろうか。

 例え同調したとしたとしても、それぞれの核保有国が国家存亡の危機と考える極度の軍事的緊張関係に立たされ場合、一度宣言した核兵器先制不使用にじっと耐えることができるのだろうか。

 できなければ、ガラスの至って壊れやすい核兵器先制不使用の世界となる。

 7月15日(2016年)の付の「共同通信47NEWS」記事がオバマ米政権検討の核兵器の「先制不使用」政策を巡り、日本政府が内部で議論を始めたと報じていた。 

 但し「核の傘」弱体化への懸念から反対論が根強く、米側に協議を申し入れていると伝えている。 

 この記事が言っている「日本政府」とは安倍政権のことである。当然、安倍晋三の意向が働いている。

 日本は自国の安全保障の最終場面に於いてはアメリカの核に負うつもりでいる。いわば擬似的な核保有国となっている。つまり直接的には保有はしていないが、間接的に使用できる状態の国となっている。

 今年8月9日、安倍晋三は長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で挨拶している。  

 安倍晋三「本年5月、オバマ大統領が米国大統領として初めて、広島を訪れました。核兵器を使用した唯一の国の大統領が、被爆の実相に触れ、被爆者の方々の前で、

 核兵器のない世界を追求する、

 そして、

 核を保有する国々に対して、

 その勇気を持とう

 と、力強く呼びかけました。G7外相会合の「広島宣言」と共に「核兵器のない世界」を信じてやまない長崎及び広島の人々、そして日本中、世界中の人々に大きな希望を
与えたものと確信しております。

 71年前に広島及び長崎で起こった悲惨な経験を二度と繰り返させてはならない。そのための努力を絶え間なく積み重ねていくことは、今を生きる私たちの責任であります」――

 この発言個所は8月6日に行った広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式での挨拶と同じ文言となっている。

 要するにオバマ大統領と共に核兵器のない世界を目指す努力をするとの宣言となっている。

 但し現実には安倍晋三は誰の目にも見えない核の傘を右手に持ち、頭上に差しかけながら力強く訴えていた。

 安倍晋三は8月6日での挨拶の後、広島市内で被爆者7団体の代表から要望を聞くため面会したという。   

 各代表が被爆国として核兵器禁止条約の早期実現に向けた行動などを求めたのに対してその取組みには触れずに「世界の指導者や若者に被爆の実相に触れてもらうことなどで、核兵器のない世界の実現へ取り組みを進める」と述べるにとどめたと記事は書いている。

 要するに核兵器禁止条約の早期実現という直接の努力ではなく、「世界の指導者や若者に被爆の実相に触れてもらう」という間接のまた間接の、そのまた間接の気の遠くなるような努力を約束した。

 このことは広島の挨拶でも長崎の挨拶でも同じ文言で述べている。

 安倍晋三「71年前に広島及び長崎で起こった悲惨な経験を二度と繰り返させてはならない。そのための努力を絶え間なく積み重ねていくことは、今を生きる私たちの責任であります。

 唯一の戦争被爆国として、非核三原則を堅持しつつ、核兵器不拡散条約(NPT)体制の維持及び強化の重要性を訴えてまいります。核兵器国と非核兵器国の双方に協力を求め、また、世界の指導者や若者に被爆の悲惨な実態に触れてもらうことにより、『核兵器のない世界』に向け、努力を積み重ねてまいります」

 被爆者7団体代表との面会時も誰の目にも見えない核の傘を右手に持ち、頭上に差しかけていたからこその安倍晋三の対応なのだろう。

 この安倍晋三がオバマ政権が検討している核兵器の先制不使用政策についてハリス米太平洋軍司令官に対して「北朝鮮に対する抑止力が弱体化する」等の理由で反対の意向を直接伝達したと、米政府高官の話として米紙ワシントン・ポストが報じていると8月16日付の各マスコミが一斉に伝えた。

 多分、安倍晋三は否定するかもしれない。だが、日本がアメリカの核の傘に入っているからこその報道であろう。その事実に変わりはない。

 安倍晋三は「我が国が核兵器を保有することはありえず、保有を検討することもありえない。唯一の戦争被爆国として、我が国は非核三原則を国是として堅持している。核兵器のない世界に向け、強い決意で努力を積み重ねていく。それこそが今を生きる私たちの責任だ」という姿勢を取っているが、一方で「我が国が自衛のための必要最小限度の実力を保持することは憲法第9条によっても禁止されているわけではなく、例え核兵器であっても、仮にそのような限度にとどまるものがあるとすれば、それを保有することは必ずしも憲法の禁止するところではない」と、核兵器の保有を日本国憲法は否定していないとしている。

 非核三原則にしても核兵器不拡散条約(NPT)にしても、一国の最高法規である憲法の優位性を否定することはできない。

 核兵器不拡散条約(NPT)は第10条第1項で、〈各締約国は、この条約の対象である事項に関連する異常な事態が自国の至高の利益を危うくしていると認める場合には、その主権を行使してこの条約から脱退する権利を有する。〉と規定している。

 安倍晋三が憲法が核兵器の保有を認めているとしている以上、如何なる条約や取り決めに関わらず、安倍晋三が保有を欲したとき、衆参両院で頭数さえ確保していたなら、保有することが可能となる。

 もし安倍晋三が保有を実現させた場合、そのときこそ誰の目にも見えない形で常に右手に持ち、頭上に差しかけていた核の傘を投げ捨てるときである。誰の目にも見える形で核そのものを頭上に差しかけることになる。

 安倍晋三は日本をその経済大国化に劣らない軍事大国化とするためにそのことを望んでいるはずだ。

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Nスペ「村人は満州へ送られた」を見ると、安倍晋三がNHKに報道圧力をかけたい気持が理解できる

2016-08-18 08:28:06 | 政治

 2016年8月14日日曜日午後9時からNHK総合テレビで「村人は満州へ送られた~“国策” 71年目の真実~」を放送していた。
 
 概略を話すと、戦前の日本政府は当時の満州(中国東北部)に満州の支配強化と食料増産のために開拓民を送り込む事業を重要な国策として進めていた。終戦までに送られた開拓民の数は27万人以上等々。

 ところが昭和16年に日米が開戦すると、それまで年間5万人以上の開拓民が満州に渡っていたが、開戦後は男性は戦場への、女性は軍需工場への動員を受けて都市部も農村部も人手不足が生じて3万5000人にまで減少。そこで政府は日本国内の各村に人数の割当をして、割当に応じて満州に移民に出した人数で村に補助金を出すアメとムチの政策を行った。

 番組はこのように前置きして、国策として満州移民に駆り出される舞台を現在は長野県の豊丘村、かつての村名河野村に置いている。

 村民は2900人、急峻な地形で田畑が少なく、慢性的に食料にも困窮する貧しい村であった。

 但し35歳で村長となった胡桃澤盛(くるみさわ・もり)は当初は移民に懐疑的であったが、次第に国策を受け入れていく、その心境の変化を1万ページにも及ぶ自身の日記に書き残していた。

 また移民に応じた場合には(満州現地で)1戸当たり20ヘクタールの広大な土地が手に入ると謳ったという。

 (日記から)「自分の仲間だけでブロックを作って割拠している様で果たして中国人と共に生きて行く様な事が出来るだろうか。為政者たるもの眼前の事象に囚われる事なく大局を掴んで行かねば暗礁に乗り上げぬとも限らぬ」

 昭和17年、517戸の河野村に50戸の割当が課せられた。

 (日記から)「開拓団送出の件、来る所迄来たのだ。此の問題には容易ならぬ困難さがあると思う。一時の熱情ぐらいで完成する問題でない」

 昭和18年10月21日、胡桃澤盛は悩んだ末に窮乏する村を立て直すには補助金を手に入れるしかないとついに決断する。

 (日記から)「十月二十一日 曇 村の事業として送出計画を進むる事に肚を定める。安易のみを願っていては今の時局を乗りきれない。俺も男だ。他の何処の村長にも劣らない。優れた指導者として飛躍しよう」

 胡桃澤は自ら村中をまわり説得にあたった。だが、割当の数には遠く及ばず、27戸95人が開拓民として海を渡ることになった。

 故郷の村を母村として満州国に分村を造るという政策に則って河野村が分村を造ったのは現在の吉林省長春市の郊外。農作業に適した肥沃な土地で、一戸あたり2ヘクタール程度の農地で野菜や大豆などを育てることになったが、現地の中国人から強制的に買収した田畑だという。

 二束三文で買い取ったのか、一定程度のカネを出したのかは番組は説明していないが、日本が降伏した翌日、中国人から襲撃を受け、土地を奪い返されたというから、それが報復として行われたなら、奪い取るに等しい買収だったのだろう。

 土地を奪われた中国人が番組で証言している。

 「日本人が来た途端に自分たちの土地にすると言ったところはそのまま奪われました。どうしようもないという気持ちでした。相手をやっつけることなどできませんから。皆憎んでいました」

 昭和18年になると、多くの開拓団で45歳までの男性が関東軍に召集され、河野村の分村でも21人の男性が召集された。残されたのは少年一人と、老人や女性、そして子どもばかりとなった。

 昭和20年5月、関東軍はソビエト軍に備え新京より南に防衛ラインを後退させることになったが、開拓民にはその事実は伝えられず、防衛ラインの外側に無防備に取り残されることになった。

 そして終戦直前の1945年8月9日未明にソ連軍が日ソ中立条約を破棄して満州に侵攻、開拓民が次々と砲撃にさらされ命を失っていく中、日本が降伏した翌日になると、ソ連国境から遠隔の河野村の住人はソ連兵によってではなく、土地を奪い返しに来た中国人に襲われることになった。

 当時少年で生き残った久保田諫さん。

 「とにかく大きな声でしゃべって拳銃を空へ向けてぶっ放した途端にうわーっと鬨の声が上がって、日本人の住宅へ飛び込んできて叩き出されてしまったんだ。着のみ着のままで」

 山に逃げ込み、一晩を過ごしたものの翌日再び追われ、捕まった村人は殴る蹴るの暴行を受けた。女性や子供ばかりの村人たちは逃げまどい、自分たちの無力に絶望したのか、夕方、集団自決が始まった。

 一人生き残った当時少年の話。

 「もう日本は戦争に負けてしまって、お父さんのところに会いに行きましょうって、お母さんたちは小さい子供からどんどん首を絞めて殺しはじめた。早く手伝ってくれというおばさんたちの声で。私はこの手で。忘れ去りたくって一生懸命忘れ去ろうと思ったけれど忘れ去りきれなかったね」

 少年も手伝って子どもたちの首を絞めた。

 胡桃澤盛は河野村95人の安否を確かめるため東京に赴き情報収集に奔走したが、情報は得ることができなかった。失意のまま村に戻った胡桃澤は家にこもりがちとなるが、終戦から10カ月が経った頃、隣村の開拓団員から現地の惨状を初めて知らされることとなった。

 そして終戦から約1年後の昭和21年7月27日、窮乏する村を立て直す補助金を手に入れるために国策に乗ったばっかりに村人たちを集団自決に追い込んでしまった責任感からだろう、胡桃澤は自宅で自ら命を絶った。41歳。

 1970年代以降、中国残留孤児が相次いで帰国を果たしていた1979年2月、「満州国農政と農業移民―分村計画を中心として―」と題して農林省の元官僚らがかつての国策を総括していたという。

 元農林更生協会理事の報告文。

 「満州国は広大な土地があり、立派に利用できるのは日本人じゃやないか。それを利用することはある意味いいことだと考えた」

 「Wikipedia」「満蒙開拓移民」の項目には次のように記述されている。

 〈入植の実態

 満蒙開拓移民団の入植地の確保にあたっては、まず「匪情悪化」を理由に既存の地元農民が開墾している農村や土地を「無人地帯」に指定し、地元農民を新たに設定した「集団」へ強制移住させるとともに、満州拓殖公社がこれらの無人地帯を安価で強制的に買い上げ日本人開拓移民を入植させる政策が行われた。およそ2000万ヘクタールの移民用地が収容された(当時の「満州国」国土総面積の14.3%にあたる)。日本政府は、移民用地の買収にあたって国家投資をできるだけ少額ですまそうとした。1934年(昭和9年)3月、関東軍参謀長名で出された「吉林省東北部移民地買収実施要項」では、買収地価の基準を1ヘクタールあたり荒地で2円、熟地で最高20円と決めていた。当時の時価の8%から40%であった。

 このような低価格での強権的な土地買収は、吉林省東北部のみで行われたでのはなく、満州各地で恒常的に行われた。浜北省密山県では全県の私有地の8割が移民用地として取り上げられたが、買収価格は時価の1割から2割であり、浜江省木蘭県徳栄村での移民用地の買収価格は、時価の3割から4割であった。そのうえ土地買収代金はなかなか支払われなかった。このように開拓民が入植した土地の6割は、地元中国人や朝鮮人が耕作していた土地を強制的に買収したものであり、開拓地とは名ばかりのものであった。そのため日本人開拓団は土地侵略の先兵とみなされ、初期には反満抗日ゲリラの襲撃にあった。満州国の治安が確保されると襲撃は沈静化したが、土地の強制買収への反感は根強く残った。〉

 土地を立派に利用できるのが例え日本人であっても、正当とは言えない値段で買い叩いた土地を利用していいはずはない。

 いわば中国人を安く買い叩いてもいい相手と見做している。この手の認識は日本人を中国人に対して優越的な位置に置いていなければ出てこない。

 (テープに残された元農林省経営課長の声)

 「全て失敗ですけれども、日本の農家から見ればですね、いいことだったと思うし、今でもいいことと思っていますねぇ」 

 番組は女性のナレーションで、「彼らの残した言葉には反省の色はなかった」と言わせているが、元農林省経営課長にしても奪ったも同然の土地だという認識がない。

 いわば相手が中国人だから、奪ってもいい土地だとしている。前者と同じく優越意識を覗かせている。

 中国残留孤児に関して番組は女性のナレーションで、「国は戦争の損害はすべての国民が受任しなければならない。国内外どこであっても異なるものではないとその責任には言及していない」と批判しているが、いつ誰の言葉かネットで調べたところ、「中国残留邦人への支援に関する有識者会議」第3回議事録(厚労省/2007/05/30)の中での発言と思われる。 

 当時中国残留邦人集団訴訟が各地で起こされていた。このことに関して会議に出席していた野島厚労省援護企画課長が次のように発言している。文飾は当方

 「これは一番最初に出た平成17年7月6日の大阪地裁の判決でございますが、戦中戦後において、国民のすべてが多かれ少なかれその生命、身体、財産上の犠牲を耐え忍ぶことを余儀なくされていたものであるから、戦争損害は、国民の等しく受忍しなければならないものであり、このことは、被害の発生した場所が国内または国外のいずれであっても異なるものではない。これは地裁でございますが、判決が出ておるところでございます。〉――

 だが、集団訴訟は原告側が相次いで取り下げることになった。改正中国残留邦人支援法で、残留孤児や終戦時に13歳以上だった残留婦人を対象に現在3分の1しか支給していない基礎年金を満額支給(月額6万6000円)し、生活保護に代わる生活支援給付金として月額最高8万円(単身世帯)を支給することなどが盛り込まれ、訴訟費用も国は孤児側に請求しないとしたからだ。

 残留孤児に対する国の責任を認めたなら、国内で国民を米軍の空襲で死亡させた責任、その他の責任まで認めなければならないし、最終的には国の戦争責任まで認めなければならなくなる恐れが出てくるから、元慰安婦に対するように支援という形でカネで解決することにしたのだろう。

 河野村の村長胡桃澤盛が日本から満州国への移民送出の国策に最初は懐疑的であったこと、窮乏する村を立て直す補助金を手に入れるために国策に乗ってしまったこと、分村という形で満州国に送ったものの、1年足らずのうちに45歳以下の男性は関東軍に招集され、高齢者や女性ばかりが取り残されたこと、関東軍が開拓民には事実は伝えずにソビエト軍に備え新京より南に防衛ラインを後退させて、防衛ラインの外側に開拓民を無防備に取り残して邦人保護の責任を放棄したこと、日本が敗戦すると、二束三文同然のカネで土地を奪われた中国人が復讐にやってきて様々な狼藉を受け、逃げ惑い、絶望してだろう、子どもを殺してから老人や女性が集団自決したこと、戦後そのことを知った胡桃澤盛が国策に乗って村民を満州国に移民させたことの責任から首を吊って自殺したこと。

 かくまでも反戦の思いを込めた番組を終戦記念日の特集の形で放送されたのでは、安倍晋三が数の力で決めることができる国会同意人事を力としてNHK会長の任免権を持つNHK経営委員に安倍晋三に思想的に近い人物を送り込んで、同じく安倍晋三に思想的に近い籾井勝人をNHK会長に据えることに成功し、その人事で安倍晋三の歴史認識を逆撫でする番組に圧力をかけたい気持が十分に理解できる。

 あの手この手を使っているのだろうが、今のところ完全には成功していない。

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戦前の日本国家とその戦争を肯定する者のみが戦争による死を「尊い犠牲」と価値づけることができる

2016-08-16 08:35:41 | 政治

 安倍晋三が8月15日、全国戦没者追悼式で式辞を述べている。   

 安倍晋三「あの、苛烈を極めた先の大戦において、祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に斃れられた御霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遥かな異郷に亡くなられた御霊、皆様の尊い犠牲の上に、私たちが享受する平和と繁栄があることを、片時たりとも忘れません。衷心より、哀悼の誠を捧げるとともに、改めて、敬意と感謝の念を申し上げます」――

 一般的には「犠牲」とは、新藤義孝が以前靖国神社を参拝したときに同じようなことを書いたが、犠牲を捧げる側が捧げる対象を特定していて、捧げるに相応しいと対象を高く価値づけていると同時に対象自らが犠牲を捧げる側に対して捧げる行為を高く価値づけている価値観の双方向性を構造としていることによって成り立つ。

 戦前は奉仕という概念で天皇や日本国家への忠節を求め、命の犠牲まで求めた。 

 いわば天皇・国家に対する最大の奉仕が天皇や国家の求めに応じて命を投げ打つこと、命の犠牲であった。 

 英霊の場合は戦前時代の昭和天皇や戦前の日本国家を対象とした命の犠牲であり、命の犠牲に値する天皇の存在性であり、戦前日本国家だったと価値づけていたと同時に天皇も戦前日本国家も国民や兵士の命の犠牲をそれぞれの存在に相応しいものと価値づけていた価値観の双方向性を構造としていた。

 勿論、戦前は特に天皇・国家を上位とした国民との関係を権威主義の力学が強固に支配していた時代であったから、天皇も戦前日本国家も国民の犠牲を受けるに相応しい存在であると自らを価値づけてもいた。

 その象徴が1941年1月8日に陸軍大臣東條英機が示達した戦陣訓の一節、「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」(死すべき時に死なずして、生き残って捕虜としての恥辱を受けてはならぬ)の天皇・国家に対して兵士は死を以ってしても奉仕に努めよ(=自らを犠牲にせよ)とする要求であろう。

 太平洋戦争に於いて日本軍部隊の全滅を「玉砕」(玉と砕ける)という言葉で表現し、本土決戦を策して「一億玉砕」などと国民全員が主体的に自ら進んで死を代償とする意味を持たせたのも、戦前の日本国家が天皇をも代表して国民に最大の奉仕としての命の犠牲を常に求めていた精神が言わせることになった表現であるはずだ。

 安倍晋三にしても稲田朋美にしてもこのような精神――命の犠牲を求める精神を戦後の日本に於いても生きづかせているからこそ、次のような言葉を口にすることができる。

 稲田朋美(2006年9月4日付の産経新聞インタビュー)

 稲田朋美「真のエリートの条件は2つあって、ひとつは芸術や文学など幅広い教養を身に付けて大局観で物事を判断することができる。もうひとつは、いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があることと言っている。そういう真のエリートを育てる教育をしなければならない」

 安倍晋三「(国を)命を投げ打ってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということです」(自著「国家を守る決意」)

 二人共このようにも、流石に天皇のためにとは言っていないが、国のために命の犠牲を最大の奉仕とする国民を理想の国民像としている、

 安倍晋三はまた全国戦没者追悼式で、「皆様の尊い犠牲の上に、私たちが享受する平和と繁栄があることを、片時たりとも忘れません」と言っているが、誤った愚かしい戦争での戦死が「尊い犠牲」であるはずはない。

 「皆様の尊い犠牲の上に」存在することになった現実は勝てぬ戦争を勝てると妄信して起こして結果として手に入れることとなった国土の破壊と膨大な数の兵士・国民の命の犠牲であって、「私たちが享受する平和と繁栄」は戦後世界に生きた国民の愚かしい戦争への反省の上に存在することになった、前者とは対極の現実であるはずである。

 安倍晋三にしても稲田朋美にしてもその戦争と戦争による犠牲を意味のあるものと価値づけたいがために「尊い」とする形容詞を付けて戦後の平和と繁栄を結びつける必要が生じる。

 そこに反省なる心的作用を介在させていなかったなら(最大の犠牲者たる国民が最も強く反省していたはずだし、生き残りながら、戦争を総括しなかった国家権力層は反省心は不足していたはずだ)、戦後の平和と繁栄を生み出す原動力足り得なかっただろう。

 大体が米政府と米軍が日本の国土を破壊し、多くの日本国民の命を犠牲にしたのではない。日本が起こした戦争が米政府と米軍をして日本の国土を破壊させしめ、多くの兵士と国民の命を奪わしめた。

 悪の根源は天皇を利用して愚かしい勝てぬ戦争を起こした日本政府と軍部である。そしてその戦争が天皇や国家に対しての最大の奉仕は命を投げ打つこと、命の犠牲だと要求した。

 そのような犠牲から「尊い」という答は出しようがない。戦前の日本国家を肯定し、その戦争を肯定する者のみが出すことのできる「尊い」という答えでなければならない。

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71年目の8月15日、どの程度の政治家・軍人・官僚が国を動かし、戦争を起こしたのか改めて振り返る

2016-08-15 10:20:31 | 政治

 日中・太平洋戦争の敗戦から71年目の8月15日がやってきた。如何に愚かしい政治家たちと愚かしい軍人たちの戦争であったか、一般的に広く知られている事実だが、私の中で消しがたい事実として居座り続けている今までブログなどに取り上げてきた中から、あるいはその他から、自分自身も記憶し続けていくために改めて振り返って、大した内容ではないが、僅かでも他の人の記憶に供してみたいと思う。

 先ず開戦当時の日米の国力の差。

 国民総生産は日本100億ドルに対して10倍の米1千億ドル。石油生産や鉄鋼生産、鋼材生産等々の総合的国力は日本1に対してアメリカ20。

 「太平洋戦争開戦時の日本の戦略」(相澤 淳)なる記事に次のような下りがある。文飾は当方。  

 先ず日中戦争時の陸軍は対北方戦(対ソ戦)を重視していたが、1939年9月のヨーロッパでの第2次世界大戦勃発を機に日中戦争解決のために対南方戦(対英戦)を先に考える(南先北後)という戦略に転換しようとしていたということが書いてある。

 〈こうした対南方戦の遂行について、陸軍は石油・船舶量を含めた国力上の検討を内閣企画院に依頼した。そして、その結論が「応急物動計画試案」として(1940年)8 月末にまとめられたが、その内容は「基礎物資の大部分の供給量は50%近くまで下がり、軍需すら相当の削減を受けるというもので、国民生活の維持もへったくれも、これじゃ全く不可能」というものであったという。それでも、結論的には「民需を極端に圧縮すれば短期戦は可能とされ、しかし、石油だけは致命的である」という判断であった。その結果として、石油資源獲得のための蘭印武力進攻の検討が、これ以降、具体化していくのでもあった。〉
 
 要するに満足に戦争をするだけの国力を有していなかった。にも関わらず、石油の保障を求めて南方進出を決めた。

 内閣総理大臣直轄の国家総力戦に関する基本的な調査研究と総力戦体制に向けた教育と訓練の研究を目的とした総力戦研究所が日米の総合的な国力の差に基づいて日米が開戦した場合の勝敗の帰趨をシミュレーションしている。

 研究所が設立されたのは昭和15年(1940年)9月30日。研究メンバーは各官庁・軍・ 民間などから選抜された若手エリートたち。

 シミュレーションが行われたのは昭和16年(1941年)7月~8月。

 東条英機が1941年(昭和16年)10月18日に首相就任する3カ月前で、当時は陸軍大臣の地位にあった。

 8月27・28日両日に首相官邸で開催の『第一回総力戦机上演習総合研究会』で、当時の近衛文麿首相や東條英機陸相以下、政府・統帥部関係者の前でにおいて報告されたシミュレーションの結論は次のとおりとなっている。

 「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に日本の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」

 「戦争は不可能」と言うことは、戦争をした場合は敗北必至を意味する。

 この「戦争は不可能」(=敗北必至)を東条英機はいとも簡単に否定した。

 東条英機「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戰争というものは、君達が考へているやうな物では無いのであります。

 日露戦争で、わが大日本帝國は勝てるとは思はなかった。然し勝ったのであります。あの当時も列強による三國干渉で、止むに止まれず帝国は立ち上がつたのでありまして、勝てる戦争だからと思ってやったのではなかった。

 戦というものは、計画通りにいかない。意外裡な事が勝利に繋がっていく。したがって、諸君の考えている事は机上の空論とまでは言わないとしても、あくまでも、その意外裡の要素というものをば、考慮したものではないのであります。なお、この机上演習の経緯を、諸君は軽はずみに口外してはならぬということであります」

 国力や軍事力、戦術等の彼我の総合力の差を計算に入れた戦略(=長期的・全体的展望に立った目的行為の準備・計画・運用の方法)を武器とするのではなく、それらを無視して、最初から「意外裡」(=計算外の要素)に頼って、それを武器にしてアメリカに戦争を挑もうというのだから、東条英機のその有能さなさすがである。

 東条英機は日米の国力・軍事力の冷静・厳格な比較・分析の緻密性と合理性を持たせた戦略に立った対米開戦ではなく、1904年~1905年(明治37年~38年)の日露戦争の勝利を約40年後の日米戦争の勝利の根拠とし、その理由を「戦というものは、計画通りにいかない。意外裡な事(=計算外の要素)が勝利に繋がっていく」と計画よりも僥倖(「思いがけない幸運」)に頼った非合理的な精神論を支えとした対米開戦に走った。

 そもそもからして当時盛んに言われていた「総力戦」という概念は第1次世界大戦がそうであったことから認識されるようになった概念だそうで、それまでの戦争が軍隊同士のみが戦う形式であったのに対してそれぞれの国家が保有する政治、経済、教育、宗教、文化等の諸力の総和を使って戦う総力戦へと形式を変化させていたことから、総力戦に重点が置かれるようになったという。

 にも関わらず、東条英機は総力戦研究所が勝敗の帰趨に大きな影響力を与える日米の総合的なそれぞれ国力をデータ値としてシミュレーションした「総力戦」の一定の結論には目もくれず、総力戦以前の、いわば旧式に当たる日露戦争の勝利を日米戦争の勝敗を占う参考にし、精神論に過ぎない「意外裡」に頼った。

 その精神論は東条英機一人の才能ではなく、大日本帝国軍隊幹部の多くが才能としていたと言われている。

 旧日本軍を全体的に占めていたそのような優れた才能のお陰で内外に夥しい数の犠牲者を出した。

 その代表格の東条英機が東京裁判によって開戦の罪(A級)および殺人の罪(BC級)で1948年(昭和23年)11月12日に絞首刑を受けたのち、靖国神社に昭和殉難者(戦争犠牲者) として祀られている。

 この歴史のパラドックスは歓喜しないわけにはいかない。

 杉山元は陸軍士官学校を卒業(12期)し、陸軍大学校を卒業(22期)し、陸軍大臣、参謀総長、教育総監の陸軍三長官を全て経験し元帥にまでなった2人のうちの1人である。もう一人は上原勇作。 

 1941年12月8日のハワイ真珠湾奇襲攻撃で始まった太平洋戦争開戦時の陸軍参謀総長であり、太平洋戦争開戦の立案・指導に当ったと紹介されている。

 「小倉庫次侍従日記」(文藝春秋)によると1941年(昭和16年)9月5日、陸軍参謀総長と海軍参謀総長が天皇に拝謁している。

 この拝謁時の天皇と杉山元陸軍参謀総長の遣り取りを歴史家の半藤一利が解説している。世間に広く知られている事実だが、改めてここに記さなければならない。

 天皇「アメリカとの戦闘になったならば、陸軍としては、どのくらいの期限で片づける確信があるのか」 

 杉山「南洋方面だけで3カ月くらいで片づけるつもりであります」

 天皇「杉山は支那事変勃発当時の陸相である。あの時、事変は1カ月くらいにて片づくと申したが、4カ年の長きに亘ってもまだ片づかんではないか」

 杉山「支那は奥地が広いものですから」

 天皇「ナニ、支那の奥地が広いというなら、太平洋はもっと広いではないか。如何なる確信があって3カ月と申すのか」

 杉山元は頭を下げるばかりで何も答えることができなかったという。

 陸軍参謀長という地位にありながら、昭和天皇から「如何なる確信があって南洋方面だけで3カ月くらいで片づけることができるのか」との趣旨で質問を受けながら、長期的・全体的なこれこれの展望に基づいて戦えば、3カ月で片付くはずですと自らの戦略を説明することができなかった。あるいはこれこれこういった緻密・具体的な戦略を用いて戦いに臨む計画を立てていますから3カ月という日数を計算しましたと答えることができなかった。

 「3カ月くらいで片付ける」という戦略を立てていたなら、昭和天皇から「如何なる確信があって3カ月と申すのか」と問われて答えられないはずはない。

 要するに見当で「3カ月」と言ったに過ぎない。

 日中戦争の国力を消耗されられるだけの膠着状態も、日中双方の戦略・戦術を科学的・合理的に分析するのではなく、「奥地が広い」という抽象的な空間の広がりを原因に挙げている。

 その理由は後者に原因を置けば、軍隊に責任が及ばないからだろう。

 この程度の非科学的な軍人が大日本帝国陸軍の世界で陸軍大臣、参謀総長、教育総監の陸軍三長官を全て経験し元帥にまでなった。

 以下の地位の軍人の程度を推して知るべしである。

 戦争遂行に主たる当事者として関わった閣僚、軍人、官僚等の証言を戦後に録音したものの非公開とされてきた肉声を2012年8月15日放送NHKスペシャル「終戦 なぜもっと早く決められなかったの」が番組内で紹介していた。

 1945年(昭和20年)8月に入って戦況は日本にとって衝撃的なまでの激しさで慌ただしく動くことになった。

 昭和20年7月26日 ポツダム宣言発表

 日本に無条件降伏を勧告

 日本は無視。
 
 昭和20年8月6日 広島に原爆投下 死者14万人

 昭和20年8月8日 ソ連対日宣戦布告

 昭和20年8月9日午前零時 ソ連参戦 満州に侵入

  死者        30万人以上
  シベリア抑留者 57万人以上

 昭和20年8月9日 長崎に原爆投下 死者7万人

 昭和20年8月14日午後11時 ポツダム宣言受諾

 昭和20年8月15日 無条件降伏

 内大臣木戸幸一(録音音声)「日本にとっちゃあ、もう最悪の状況がバタバタッと起こったわけですよ。遮二無二これ、終戦に持っていかなきゃいかんと。

 もうむしろ天佑だな」――

 戦争終結に持っていくためには原爆投下やソ連参戦を「むしろ天佑」だと解釈する。

 被爆犠牲者や外地に入植した邦人の避難時の犠牲の悲惨さ、広く言うと、国民の悲惨さ、兵士の悲惨さは眼中にない。最初からアメリカに対して戦争遂行能力を持っていなかった。

 そのことに最後まで気づくことがなかった。早い時期に総力戦研究所が出した結論、日本敗北必至を思い出して終戦に動くべきを、責任逃れからだろう、誰も戦争処理に動かず、勝ち目が何一つないのに本土決戦の拳を振り上げるばかりで、降ろすことができなかった。

 外務省政務局曽祢益(そね えき・録音音声)「ソ連の参戦という一つの悲劇。しかしそこ(終戦)に到達したということは結果的に見れば、不幸中の幸いではなかったか」

 自らが早期戦争終結を果たすことができず、国民の多くの命を奪った外部からの衝撃的出来事が与えた他力本願の戦争終結を以って、「不幸中の幸い」だと広言する責任感は見事と言うしかない。

 国民の命、国民の存在など頭になく、あるのは国家のみだから、国家の存続を持って良しとして、「天佑」だとか、「不幸中の幸い」だと言うことができる。

 外務省政務局長安東義良(あんどう よしろう・録音音声)「言葉の遊戯ではあるけど、降伏という代わりに終戦という字を使ってね(えへへと笑う)、あれは僕が考えた(再度笑う)。

 終戦、終戦で押し通した。降伏と言えば、軍部を偉く刺激してしまうし、日本国民も相当反響があるから、事実誤魔化そうと思ったんだもん。

 言葉の伝える印象をね、和らげようというところから、まあ、そういうふうに考えた」――

 この言葉は最悪であり、醜悪そのものでる。

 戦争の結末の形式に拘り、自分たちが起こした戦争そのものの実質は問題としない。本土決戦に拘って戦争処理そのものが遅れたことの意味・責任には触れない。

 こういった程度の政治家・軍人・官僚が国を動かし、戦争を起こした。

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安倍晋三の対韓国慰安婦支援の10億円拠出は自身の戦前日本国家・軍共々の無誤謬神話証明の一環

2016-08-14 09:34:03 | 政治
 
 日本と韓国の間で長年懸案となっていた従軍慰安婦問題が2015年12月28日の外相岸田と尹(ユン)外交部長官の日韓外相会談で日本側が旧日本軍の関与を認めたことで一応の合意を見た。その合意が花壇語の共同記者会見で明らかにされた。

 「日韓両外相共同記者発表」外務省/2015年・平成27年12月28日)   

1 岸田外務大臣

 日韓間の慰安婦問題については,これまで,両国局長協議等において,集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき,日本政府として,以下を申し述べる。

(1)慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している。

安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する。

(2)日本政府は,これまでも本問題に真摯に取り組んできたところ,その経験に立って,今般,日本政府の予算により,全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒やす措置を講じる。具体的には,韓国政府が,元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し,これに日本政府の予算で資金を一括で拠出し,日韓両政府が協力し,全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復,心の傷の癒やしのための事業を行うこととする。

(3)日本政府は上記を表明するとともに,上記(2)の措置を着実に実施するとの前提で,今回の発表により,この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。
あわせて,日本政府は,韓国政府と共に,今後,国連等国際社会において,本問題について互いに非難・批判することは控える。

 外務省のサイトにはこのあと尹(ユン)外交部長官の発言要旨が載っているが、省略する。

 安倍政権は財団が設立された場合はその資金として10億円の拠出を決めていた。

 これらの合意に応じて韓国政府は今年7月に元慰安婦支援目的の「和解・癒やし財団」を発足させ、発足に対して安倍政権は8月中の拠出を目指しているという。

 但し韓国ソウルの日本大使館前の韓国人慰安婦を模した少女像の撤去に関しては当初は日本政府は10億円拠出の条件として露骨に要求していたが、少女像を設置した市民団体が移転に応じない姿勢を崩していないために10億円の拠出を先にして、その支援を通して撤去に理解を求める柔軟姿勢に転じたということだが、撤去要求は本質的には変化はないことになる。

 露骨に要求していた頃の岸田と稲田朋美の発言を振り返ってみる。

 2016年1月4日午前の閣議後会見。

 岸田文雄「(少女像は)適切に移設されるものと私は認識している」(asahi.com

 2016年1月6日の自民党外交部会等の合同会議。

 稲田朋美「慰安婦問題は日韓の最大の懸案事項であると言って過言ではないが、今回の合意で最終的かつ不可逆的に解決をするということは、大変意義があることだ。

 謂れなき非難に対しては断固反論するのが、我が党の立場であり、大使館前の慰安婦像の撤去はこの問題の解決の大前提だ」(NHK NEWS WEB
 
 こういった論調の発言を最近はトンと聞かない。

 2015年12月28日の日韓外相会談で、〈慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している。〉と表明したことが、旧日本軍が売春業者の手を借りて募集して集めたケースもあったが、直接韓国人女性を暴力的に拉致・連行して慰安所に閉じ込め、強制売春のセックススレーブとしたケースを歴史の事実とし、その責任を認めた、いわば証言に当たるものであるなら、少女像はその証言通りの歴史を目に見える形で証明する建造物の意味を持つことになる。

 だが、安倍政権が安倍晋三を筆頭にその撤去を求めているということは旧日本軍の直接的な関与による暴力的な拉致・連行もセックススレーブ化した事実も実際には認めていないことになる。

 そのような歴史的事実は存在していないとしている撤去要求でなければ論理的な整合性を失う

 このことは日韓外相会談合意約20日後の1月18日(2016年)参院予算委員会での中山恭子の日韓外相会談で旧日本軍の関与を認めたことは著しく日本の名誉を傷つけ国益に反するのではないかとの質問に答えた安倍晋三の発言が全て証明する。

 安倍晋三「先ほど外務大臣からも答弁をさせていただきましたように、海外のプレスを含め正しくない事実による誹謗中傷があるのは事実でございます。性奴隷 あるいは20万人といった事実ではないこの批判を浴びせているのは事実でありまして、それに対しましては政府としては、それは事実ではないということはしっかりと示していきたいと思いますが、政府としてはこれまでに政府が発見した資料の中には、軍や官憲による所謂強制連行を直接示すような記述は見当たらなかったという立場を辻本清美議員の質問主意書に対する答弁書として平成19年、これは第一次安倍内閣の時でありましたが、閣議決定をしておりまして、その立場には全く変わりがないということでございまして、改めて申し上げておきたいと思います。

 また 当時の軍の関与の下にというのは、慰安所は当時の軍当局の要請により設営されたものであること、慰安婦所の設置、管理及び慰安婦の移送について旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与したこと、慰安婦の募集については軍の要請を受けた業者が主にこれにあたったこと、であると従来から述べてきている通りであります。

 いずれにいたしましても重要なことは今回の合意が、今までの慰安婦問題についての取り組みと決定的に異なっておりまして、史上初めて日韓両政府が一緒になって慰安婦問題が最終的且つ不可逆的に解決されたことを確認した点にあるわけでありまして、私は私たちの子や孫そしてその先の世代の子供たちに謝罪し続ける宿命を背負わせるわけにはいかないと考えておりまして、今回の合意はその決意を実行に移すために決断したものであります」――

 旧日本軍が直接的に関与した事柄は慰安所の設置と慰安婦の管理、慰安婦の移送であって、韓国人女性の暴力的な拉致・連行も慰安所に閉じ込めてセックススレーブ化した事実もないとしている。

 だから、その証明としている少女像は撤去されるべきだということなのだろう。

 いわば歴史の事実の否定と少女像撤去要求は一対を成している。

 安倍晋三とその一派は兼々戦前の大日本帝国を理想の国家像としている。現在の日本という国を戦前の大日本帝国のように政治的にも経済的にも軍事的にも世界の強国の地位を占めたいと願っている。

 戦前の偉大な大日本帝国の再来への願望である。

 安倍晋三のその願望は執着と言ってもいいはずだ。

 それ故にこそ、大日本帝国は偉大なだけの過ちのない国家としなければならない。国家・軍共に無誤謬だとする神話を確立しなければ、再来への願望は否定されることになる。

 国家・軍共々の無誤謬神話は戦前の戦争を侵略戦争と認めずに自存自衛の戦争としているところに象徴的に現れているが、侵略戦争を起こした戦前の日本国家の戦後世界への再来の願望は滑稽な逆説そのものとなる。

 慰安婦の強制連行、セックススレーブかは何も韓国だけにとどまらず、戦前日本軍が占領していたインドネシア、台湾、フィリッピン、昭南島(シンガポール)、ビルマでも元慰安婦の証言によってその事実が明らかにされているゆえに、インドネシアでは収容所に収容した民間オランダ人のうち、未成年の女性と若い成年女性を彼女たちの意に反して日本軍のトラックで連行して慰安婦としているが、韓国の事実を否定できたとしても全ての事実を否定できるわけではないもの関わらず、安倍晋三たちは韓国の事実の否定に10億円まで出して多大なエネルギーを注いでいる。

 このような企みも戦前日本国家・軍共々の無誤謬神話証明の一環としているからに他ならない。安倍晋三にとって戦前の大日本帝国は世界から些かの批判も受けてはならない完璧な国家でなければならないのだろう。でなければ、理想の国家像とすることはできないし、その再来を現在の日本に求めることもできなくなる。

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安倍晋三の今村雅弘を復興大臣に充てた人事に見る被災地復興の熱意と今村の靖国参拝の意味

2016-08-13 09:58:56 | Weblog

 2016年8月、第3次安倍内閣第2次改造内閣で復興大臣兼福島原発事故再生総括担当として初入閣した今村雅弘が8月15日終戦の日を前に8月11日午前、東京九段の靖国神社に参拝した。

 1996年に衆議院議員選挙で初当選、現在69歳。約20年目の初入閣だから、大臣の椅子順番待ちの入閣待望組だったのだろう。

 やっと順番が回ってきて、初入閣を果たすことができたといったところか。

 東京大学法学部卒だということだが、大臣の椅子を順番で充てがうしかない程度の人材に過ぎないということなのだろう。

 このことは充てがった大臣の椅子が復興相であることが証明している。

 2012年12月26日発足の第2次安倍内閣から2014年9月3日まで根本匠。たったの1年8カ月の任期に過ぎない。次が竹下亘の2014年9月3日から2015年10月7日の1年1カ月。

 その次がパンティ泥疑惑の高木毅の2015年10月7日から2016年8月3日までの正味10カ月といったところ。

 そして待ちに待った今村雅弘の復興大臣登場。

 第2次安倍内閣2012年12月26日発足から4年も満たないうちに復興大臣が3人変わり、4人目となっている。復興大臣が入閣待望組を消化する人事体系となっているようだ。

 安倍晋三は常々「東北の復興なくして日本の再生なし」とご託宣している。

 また、〈震災復興に当たっては単なる原状復帰にとどめるのではな<、これを契機として、人口減少、高齢化、産業の空洞化といった日本全国の地域社会が抱える課題を解決し、我が国や世界のモデルとなる「創造と可能性の地」としての「新しい東北」の創造に向けた取組みの推進。〉を掲げている。

 さらに復興庁に置かれている復興推進会議は安倍晋三を議長とし、復興大臣が副議長を務める、すべての国務大臣がメンバーとして参加する復興に関わる重要政策会議である。

 以上からすると、復興大臣に期待され、その期待を満たすために必要な資質は関係閣僚や有識者と共に従来型の諸政策に新しいデザインを取り入れて国の形そのものを創り変え、発展させていく意欲的な創造性であり、そのような創造性の持ち主であるか、少なくともそのような創造性の良き理解者でなければならないことになる。

 だが、復興推進会議の副議長たる復興大臣が新しい国造りの創造性の持ち主であることを見込まれてか、あるいはそのような創造性の良き理解者であることを見込まれたかして白羽の矢を立てられた人事ではなく、少なくともこれまでは短期間交代の入閣待望組消化の便宜的人事となっていた。

 但し今村雅弘にしても同じ経緯を踏んだ初入閣なのは目に見えている。東大法学部卒で新しい国造りの創造性か、そのような創造性の良き理解者であることを自らの才能としていたなら、とっくの昔に重要閣僚の地位に就いていたはずだからだ。

 「東北の復興なくして日本の再生なし」の実現に率先垂範して当たらなければならない重要なメンバーの一人である復興庁の長に入閣待望組を短期間シフトで充てる。

 安倍晋三が「東北の復興なくして日本の再生なし」と言う程には復興に熱意を感じることはできない。

 創造と可能性の地として新しく再生させるとしている「新しい東北」の創造にしても、国の力を以てしても他の地域社会で成し遂げることができていないことを被災地で成し遂げることができるかのようにスローガンを高々と掲げている点からすると、単なる打ち上げ花火で終わるに違いない。

 インフラは新しい立派なものに造り変えられるだろう。だが、我が国や世界のモデルとなる創造と可能性に満ちた新しい生活空間の創出となると、復興大臣の人事程度の見栄えを創り出すことが精々と言ったところだろう。

 今村雅弘は本殿の手前の拝殿で賽銭を投げ入れて深く頭を下げ、一般の参拝者と変わらない方法で参拝したと「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。

 賽銭はポケットマネー、記帳はせず、本殿にも上がらなかった。

 今村雅弘(NHKの取材に)「大臣になったので、ご報告も兼ねて改めて参拝した。我が国の安寧と繁栄を祈念してきた」

 8月15日の終戦の日の参拝は行わない意向を示したいう。

 要するに本来なら8月15日に大臣になったことを報告するために参拝するところを、中国等への影響を怖れて15日を避けて8月11日にした上に記帳も行わなかったと言うことなのだろう。

 大臣になったことの報告と言うことなら、「復興大臣 今村雅弘」と記帳しなければ、なったことの報告としての意味を失う。

 自宅で前以て靖国神社の記帳と同じ型の紙か帳簿に「復興大臣 今村雅弘」と書いて、神棚に張るか置くかして靖国神社での記帳に代え、その神棚に向かって復興大臣になったことを報告し、靖国神社で改めて正式の報告を行ったということも考えられる。

 「我が国の安寧と繁栄を祈念してきた」と言っているが、そのことを戦没者の魂に祈願したのか、靖国神社が右翼国家主義者たちにとって戦前日本国家――大日本帝国と対面する空間となっていることから、理想の国家としている大日本帝国に祈願したのかは分からないが、もし今村雅弘が新しい国造りの創造性を自らの才能としていたなら、「我が国の安寧と繁栄」は過去の世界に祈念することに意味を置くよりも、例え及ばずとも現実の世界で自らの才能に恃むところに意味を置かなければならないはずだ。

 だが、それ程の人物ではないようだし、その程度の参拝の意味しかなかったようだ。

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自民文部科学部会長の公表しない情報の一部を警察当局へ提供することの計り知れない危険性

2016-08-12 09:08:17 | 政治
 

 自民党が7月に党公式ホームページで教育現場での「政治的中立を逸脱するような不適切な事例」を募るネットアンケート「学校教育における政治的中立性についての実態調査」を始めたところ、ネット上で「密告社会の到来だ」等々の書き込みが起こり、一旦は削除したが、文言を変えて再び募集した問題について7月11日(2016年)の「当ブログ」に 、〈要するに国家権力側に立つ自民党が政治的中立性を逸脱した教師を炙り出す姿勢を打ち出すことで教師側に監視の目や密告の目を意識させて、自主沈黙(=言論の自己統制)に持っていこうという魂胆なのは目に見えている。

 勿論、この手の魂胆は意識していようがいまいが言論統制の意図を内部に芽吹かせている。〉と書き、〈〈教育現場から国家のイデオロギーに反する「特定のイデオロギー」を排除したいという欲求は国家のイデオロギーへの全面従属を暗黙的な欲求とし〉、〈戦前の多くの子どもや大人を国家権力が発信した特定のイデオロギーで支配することに成功した、その体験を今以て生きづかせていて、再現させたいと欲求していることを示す。〉と書いた。  

 このような欲求を疼かせていたに違いない調査が無事(?)終了、問題はここからである。

 自民党文部科学部会長の木原稔(46歳)が8月1日、投稿の内容は公表しないことと、投稿された情報のうち明らかに法令違反と思われるものなど一部を警察当局に提供する考えを示したと、「asahi.com」記事が伝えていた。 

 木原稔「SOSを発していたり、明らかな法令違反だったりして、無視できないものがある。例えばいじめや体罰で、しかるべきところに報告する」

 実態調査のプロジェクトチームは政治的中立性を確保するための最終提言を出す予定だという。

 投稿の内容は公表しないということは投稿された情報を秘密に付したままにするということである。

 秘密に付した投稿情報の一部を警察当局に提供する。

 提供する情報たるや、自分たちの政治的イデオロギーで濾過し、取捨選択した情報であることと、そのような経緯を経ているゆえに正当性ある情報であるという前提のもと提供される情報ということになる。 

 一方の国民はどういった情報が警察当局に提供されたのか、皆目見当がつかないし、知らされることのない状態に置かれることになる。

 当然、どういったイデオロギーが込められた提供情報なのかの批判も評価もできない。正しい・正しくないの判断もできない。

 但し情報を提供する側は全て正しい判断に基づいて選択した正当性ある情報であり、そのような情報の提供だと確信しているとすることができる。

 正当性を確信していなければ、警察当局に情報を提供することなどできない。

 逆説するなら、提供する情報を非公開とすることによって一般的なマイナスの評価や批判を回避することができ、間違えた方向付けも欠陥も何もない正しい情報だと簡単に位置づけることができるというメリットを生み出すことができる。

 このことを意図した情報非公開であり、自分たちのイデオロギーに従って取捨選択を経た一部の情報の警察当局への提供であろう。

 このような意図がなければ、自ずと積極的に情報を公開する。

 国家権力を握る側の一部勢力が警察当局と結びついて公開しない情報を、それゆえに正しい内容とされて共有する。

 情報を集め、その情報を警察当局に提供する側がいくら正しい判断に基づいて選択した正当性ある情報だと評価していたとしても、その情報を公開せずに秘密に付したままであるなら、あくまでも自分たちが正しいとする自己評価の域を出ないことになって、第三者の評価を経ないことによる自己絶対性を紛れ込ませていないかどうかも第三者は判断できないことになる。

 自己絶対性は往々にして独善性や恣意性を内部構造とする。

 その危険性は計り知れないが、自民党文部科学部会は政治的中立性に関わる教員の実態調査やその一部情報の警察当局への提供を正しい活動だと国民に思わせるために集めた情報の非公開を決めた側面もあるに違いない。

 公開したら、それが崩れるからである。

 崩れなければ、公開する。公開して、鬼の首でも獲ったかのように誇るに違いない。

 実態調査が例え意図通りの結果に終わったとしても、意図しない結果を招いたとしても公開するのが民主主義の原則に恥じない態度と言える。非公開そのものを恥ずべき行為としなければならない。

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閉鎖的社会、このニッポン 同性愛を巡る内外二つの記事

2016-08-11 10:18:08 | 社会

 当時一橋大ロースクール3年生の男子学生が同じクラスで毎日のように一緒に食事する仲の男子学生に恋愛感情を抱くようになり、2015年4月に告白。相手の男子学生は応じることはできないが、友人関係は継続すると伝えたという、8月5日付「弁護士ドットコムニュース」に出会った。  

 ところが、相手の男子学生はその2カ月後、ロースクールの同級生でつくるLINEのグループで男子学生が同性愛者であることをアウティング、男子学生も当然ライングループの仲間だったのだろう、「おれもうおまえがゲイであることを隠しておくのムリだ。ごめん」と謝罪の言葉が書いてあったという。

 同性愛者のこの男子学生はそのメッセージに対して「たとえそうだとして何かある?笑」、さらに「これ憲法同性愛者の人権くるんじゃね笑」と返信したという。

 暴露された男子学生は心身に不調を来たし、心療内科に通院するようになり、暴露した男性と顔を合わせると緊張や怒り、悲しみで吐き気やパニック発作が起こるなどの症状が出るようになったため学内のハラスメント相談室や教授らに自身の体調問題を含め、複数回相談。大学側ともクラス替えや留年など、被告男性と距離を取れないか話し合っていたという。

 だが、2015年8月24日、必修の「模擬裁判」に出席するため登校した男子学生は建物の6階のベランダを乗り越え、転落。搬送先の病院で死亡が確認された。

 男子学生の両親が暴露した同級生と一橋大を相手に計300万円の損害賠償を求めて裁判を起こした。担当弁護士の一人は生前の男子学生からメールで相談を受けていた。

 メールには暴露され、「人生が足元で崩れ落ちたような気がする」と書いてあったという。

 「アウティング」の意味は、「ゲイやレズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダー(LGBT)などに対して、本人の了解を得ずに公にしていない性的指向や性自認等の秘密を暴露する行動のこと」と「Wikipedia」に出ている。

 同性愛者の男子学生は自身が同性愛者であることを余程秘密にしておきたかったのだろう。だが、いつも一緒に食事する男子学生に恋愛感情を抱いてしまい、我慢できずに告白した。

 断られたが、友人関係は続けると言ってくれた。男性が女性に、あるいは女性が男性に恋をし、断られても、心は苦しいが、傍にいることができるだけでも幸せだ、あるいは顔を見ることができるだけで幸せだといった矛盾した感情に陥ることがある。

 このような感情に見舞われたのかもしれない。だが、何の心の準備のないままに複数の友人にラインで一気にアウティング(暴露)されてしまった。

 そのショックは相当なものがあったに違いない。頭を何かでガーンと殴られ、顔から火が噴き出す程の恥ずかしさに襲われ、手足が震えた可能性すら考えられる。

 なぜ友人は男子学生に自身の口からカミングアウトすることを勧め、同性愛者としての市民権をグループ内で獲得させて、誰とでもという訳にはいかないかもしれないが、より多くの友人たちと隔てのない関係が築けるように努めなかったのだろうか。

 グループ内での市民権の確立がグループ内外の誰かの口コミ等によってその市民権は徐々にグループ外に広がり、大学の中ばかりか、大学の外のいずれかの世界に広がっていく可能性も否定できない。 
 
 だが、友人は男子学生の当事者であるがゆえに同性愛者であることを秘密にしておきたい強い気持に加担し、秘密として抱えたものの、自身が当事者ではないことから、当事者としてのその気持の強さを思い遣ることもできず、加担が長続きせずに本人に何の断りもなくアウティング(暴露)してしまった。

 「おれもうおまえがゲイであることを隠しておくのムリだ。ごめん」

 自分が秘密の肩の荷を降ろすことだけを考えたのかもしれない。

 「たとえそうだとして何かある?笑」

 推測するに、「断りもなくアウティング(暴露)して、お前には何があるというのだ」と、友人自身の人間性を笑ったということではないだろうか。

 「これ憲法同性愛者の人権くるんじゃね笑」

 「同性愛者も一個の個人・国民なのだから、日本国憲法 第3章 国民の権利及び義務 第14条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されないにくるんじゃね(関係してくるんだね)」と、ロースクールの学生らしく日本国憲法を持ち出して、第14条に抵触していることに気づかない友人を諭し、笑ったということではないだろうか。

 男子学生の自身の秘密が知られることを恐れる閉鎖性は社会の閉鎖性に対応した閉鎖性であり、友人の長続きしなかったものの秘密にすることに加担したことも社会の閉鎖性に対応した閉鎖性であろう。

 なぜ日本にはこういった閉鎖性が存在するのだろうか。一度男はこうあるべきだ、あるいは女はこうあるべきだと役割分担を決めてしまうと、その役割を権威とし、それ以外を社会から排除しようとする閉鎖的な権威主義社会が長く続き、今以て権威主義社会を引きずっている。

 個人の意義・価値を強調し、個人の自由・独立を尊重する生き方を言う外国の個人主義のようには自由になれない、権威主義の閉鎖性に21世紀の今日に於いても囚われている。

 確かテレビ東京配信のフジテレビ放送「Youは何しに日本へ?」だったと思うが、日本に外国旅行に来たアメリカ人の4人だか5人のうちの2人が同性愛のパートナーだそうで、何の抵抗感も見せずにインタビューした記者に自らを紹介し、その二人が健常者の中に仲間として溶け込んでいて、お互いに分け隔てなく冗談を言い合い、笑い合い、日本の旅行を愉しむシーンがあった。

 食事のときは自分が注文した食べ物の中から一部を相手にお裾分けし、相手も自分の食べ物の中から一部をおすそ分けする、仲の良いところを見せ合っていた。
 
 同性愛者が同性愛者の世界に閉じ込もるのではなく、健常者と何のてらいもなく仲間を組むこと、グループを作ることを当たり前の光景とすることができる。

 日本でも最近になって同性愛者が市民権を一応得ることができるようになったが、社会的な権威主義性を欧米やタイ程には個人主義へと解き放つことができないでいる。

 そのいい例が一橋大ロースクール3年生の男子学生と友人の閉鎖性であり、欧米に見る逆の例、個人主義を当たり前に演じることができる「CNN」記事が紹介している例であろう。 

 8月8日、リオ五輪で初めて正式種目に採用された女子7人制ラグビーの決勝戦がオーストラリアとニュージーランドの間で行われてオーストラリアの優勝が決まったあと、9位で終わったブラジル代表チームのイサドーラ・セルロ選手(25)に2年前から交際を続けていた相手の女性マルジョリエ・エニヤさん(28)がピッチに立ち、決勝が終わって多くの観客は既に立ち去った後だったが、マイクを握ってプロポーズし、受け入れられて、記事は、〈チームメートの歓声に包まれた涙とキスの場面は試合に負けないほどの感動を呼んだ。〉と紹介している。

 マルジョリエ・エニヤ(英BBCテレビのインタビューを受けて)「五輪は終点に見えるかもしれないが、私にとっては誰かと新たな人生を始める出発点。愛の勝利を人々の前で示したかった」

 権威主義性の一かけらもない個人主義満開の世界が見えるのみである。

 もしこのような世界が日本に存在していたなら、カミングアウトといったことは深刻な問題ではなく、アウティングといったことも殆んど意味もないことになって、一橋大ロースクール3年生の男子学生が友人を好きになって告白し断られたとしても、友人は「いつの日かきっと受け入れてくれる君にとってのタイプの男性が現れるよ」と言うことができ、男子学生も、「君を忘れるまで辛い時間を過ごさなければならないが、いつかは見つけなければならない」と、拘りを残さない会話の遣り取りはできたはずだ。

 だが、日本の社会には権威主義からくる閉鎖性が未だ色濃く残り、その閉鎖性の犠牲となって6階のベランダを乗り越え飛び降りさせて、生きて在るべき一個の命を失わさせてしまった。

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安倍晋三には尖閣諸島は日本の領土と中国側に認めさせることが毅然とした態度と言うことではないらしい

2016-08-09 06:11:26 | 政治
 
 
 中国海警局の船1隻が8月5日午後0時15分頃、尖閣諸島魚釣島沖合で中国の国旗を掲げた漁船6隻と共に一時日本の領海に侵入したのに始まって翌8月6日には中国海警局の船7隻と中国漁船約300隻が沖縄県の尖閣諸島周辺の接続水域に大挙押しかけてきて航行、さらに翌8月7日、中国当局の船13隻が、と言うべきか、13隻もと言うべきか、尖閣諸島沖合の日本の領海に侵入。

 外務省の再三の抗議にも関わらず日本の領海内の自由航行を改める気配はない。

 と言うよりも、日本の外務省の抗議など蚊に刺された程にも受け止めていないのだろう。

 ここに来ていきなり漁船まで引き連れて大挙押しかけてきた理由をマスコミはフィリピン政府の国連海洋法条約に基づいた中国相手の2013年1月の訴えに対してオランダ・ハーグの仲裁裁判所が7月12日、南シナ海に対する境界線「九段線」に基づいた、と言うよりも中国が地図上に勝手に線を引いた中国の領有権主張や人工島の建設等を国際法に違反するとした判断を日本が中国に対して履行することを求めていることに対する反発だとか、中国の強引な海洋進出に批判を強める日本に対する牽制だとか報じているが、要は日本が「尖閣諸島は歴史的にも国際法上の日本の固有の領土で、尖閣諸島に関しては領土問題は存在しない」としているのに対して中国はそれを無視、「釣魚島(尖閣諸島の中国名)は中国固有の領土」と主張し、自身の領海として航行しているのだから、決着がつくはずはない。

 領海侵入した中国公船に対して日本の海上保安庁の巡視船が、「ここは日本の領海だから、直ちに領海外に立ち去るように」とマイクで警告を発すると、「ここは中国の領海であって、巡視船は直ちに領海外に立ち去るように」と応じる堂々巡りである。
 
 確かに日中関係の緊迫度に応じて中国公船の接続水域航行や領海侵入の頻度・隻数に違いが生じることもあるだろうが、中国が尖閣諸島を自国領土としている以上、例え日中関係がどれ程に良好な関係にあろうとも、中国領土であることを知らしめるデモンストレーションのために接続水域航行と領海侵入はなくなることはあるまい。

 つまり、日本が「尖閣諸島は歴史的にも国際法上の日本の固有の領土で、尖閣諸島に関しては領土問題は存在しない」の主張をいくら繰返しても中国公船の接続水域航行も領海侵入もなくならない。現在の状況を引きずることになる。

 それを止めるためには尖閣諸島は日本の領土なのだと中国側に認めさせる以外に手はない。アメリカ政府にしても尖閣諸島に対する日本の施政権は認め、日米安全保障条約第5条は日本の施政下にある領域に適用されるとの見解を示しているものの、尖閣諸島の領有権について最終的に判断する立場にないとしている。

 つまり日本のものとも中国のものとも判断していない。

 アメリカのこのような態度も、中国の領有権主張を結果的に後押ししている側面もあるに違いない。

 日本側がいずれに領有権はあるのか決着をつける気もなく、領土問題は存在しないという態度を取り続けるなら、日本側の抗議と、中国側の抗議を無視した、自国の接続水域内の航行であり、自国領海内の航行だとする、日本側にとっての領海侵入の始末の悪い繰返しがこれからも続いていくことを尖閣周辺に於ける光景としなければならない。

 実際にも2012年9月の尖閣諸島国有化以降、この手のことを光景としてきている。

 ここに来ての尖閣周辺に於ける中国公船や中国漁船の大挙押し寄せの事態に安倍晋三が〈8月8日までに関係省庁に対し、連携して国際法及び国内法令に則り、冷静かつ毅然とした対応することやアメリカを始めとする関係諸国と緊密に連携すること、さらに、国民や国際社会に的確な情報提供を行うよう指示した。〉と「NHK NEWS WEB」が伝えていた。

 領海侵入した中国公船を逮捕するか、尖閣諸島は日本の領土なのだと中国側に認めさせる外交を推し進めることこそが日本の毅然とした態度だと思うのだが、そのようなことはしない安倍晋三の「冷静かつ毅然とした対応」とはどのような日本の態度を言うのだろうか。

 日本の巡視船が領海侵入した中国公船から「ここは中国の領海だから直ちに領海外に出るように」という返事が返ってくるのを承知で「日本の領海だから、直ちに領海外に立ち去るように」とマイクで警告を発することが「冷静かつ毅然とした対応」だと言うなら、あるいは無視されることが常態化したそれ故に一種の儀式めくことになる在日中国大使館の大使に抗議をしたり、それとも同様の抗議を直接中国外務省に入れることが「冷静かつ毅然とした対応」だと言うなら、堂々巡りを続けていればいい。

 安倍晋三は第2次安倍政権となってからの2013年3月7日の衆議院予算委員会でも中国の尖閣周辺の行動に関して前民主党政権とは異なって毅然とした態度で対応すると答弁していた。文飾は当方

 萩生田光一「私は、新聞ですとか週刊誌の記事をもとに質疑をすることは本意ではないんですが、また、今さら民主党政権下の非をあげつらうつもりは全くございませんけれども、事安全保障の問題ですので、あえて触れておきたいと思います。

 一昨日、産経新聞の一面に驚くべき記事が載りました。
 
 昨年9月の尖閣諸島の国有化後、挑発を繰り返す中国海軍の艦船に、一つ目、海自は15海里、約28キロの距離を置いて近づかないようにというふうに求められた。

 二つ目、他国軍の艦船の領海侵犯に備えるためには先回りして領海内で待ち構えるのが常套手段なんですが、それも自制をせよ、こう言われた。

 そして三つ目、海洋監視船はヘリを搭載可能で、ヘリが飛び立てば即領空侵犯になるので空自のスクランブルの必要性がある、こういう議論をしていたんだけれども、当時の岡田副総理は、軽微な領海侵犯だから中国を刺激するな、海上保安庁に任せればいいと準備を認めなかったという記述であります。

 先日、レーダー照射の事案で、民主党の委員は、政府の対応を遅いと断じ、中国海軍の解説までしていただき、問題意識をもっと高く持つようにと促しておりましたけれども、もしこの記事が事実とすれば、民主党政権時代の間違ったメッセージがもたらした当然の結果と言えます。

 政府は、本件について事実を確認しているのでしょうか。また、安倍内閣にかわり、これらの対応は具体的にどのように変わったのか。お尋ねいたします」

 安倍晋三「尖閣諸島周辺海域において中国公船による領海侵入が繰り返されている等、我が国を取り巻く情勢は厳しさを増しています。

 このため、海上保安庁において、大型巡視船の新規建造や海上保安官の大幅な増員などにより専従の警備体制を確立し、その体制を強化するとともに、自衛隊の艦艇、航空機等を用いた警戒監視と適切に連携するなどして、その警戒警備に、現在、万全を期しているところであります。

 そして、今委員が御指摘になられたこの警戒警備の状況については、前政権のこととはいえ、我が方の手のうちにかかわることでございますので、詳細について申し上げることは差し控えさせていただきたいと思いますが、あえて一言申し上げさせていただければ、前政権下においては、過度に軋轢を恐れる余り、我が国の領土、領海、領空を侵す行為に対し当然行うべき警戒警備についても、その手法に極度の縛りがかけられていたというふうに私は承知をしております。

 このことは、相手方に対して誤ったメッセージを送ることにもなり、かえって不測の事態を招く結果になることすらある、私はそう判断をしたわけでございまして、安倍内閣を発足させた直後から、この危機的な状況を突破するために、前政権の方針を根本から見直しを行いました。そして、冷静かつ毅然とした対応を行う方針を示したところでございます。


 今後とも、我が国の領土、領海、領空を断固として守り抜くという決意のもとに、引き続きしっかりと警備、警戒を行っていく考えであります」――

 安倍晋三が民主党政権のように「極度の縛りがかけられていた」のとは異なる「冷静かつ毅然とした対応を行う方針を示した」その成果が尖閣周辺における中国の今日の状況ということなのだろう。

 どうも一般人の「冷静かつ毅然とした対応」と安倍晋三の「冷静かつ毅然とした対応」とは産地も種類も味も違うらしい。

 一つ分かっていることは、日中関係の緊迫度に応じたその時々で中国公船の接続水域航行や領海侵入の頻度・隻数に違いが生じることはあっても、原風景となった尖閣周辺に於ける中国の行動は安倍晋三の「冷静かつ毅然とした対応」の成果として延々と続くだろうということである。

 中国に対する尖閣問題ばかりか、ロシアに対する北方領土問題、北朝鮮に対する拉致問題、難しい外交問題は何一つ前へ進んでいない。

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天皇生前退位: “新たな立場で国民を見守りたい” 神の如き立場に自身を置かないよう留意する必要性

2016-08-08 10:25:05 | 政治

 82歳となっている現天皇が8月8日、生前退位の意向をビデオメッセージで表すという。そのことを伝えている8月7日付「NHK NEWS WEB」記事は、〈天皇陛下は、皇太子さまと雅子さまをサポートしながら新たな立場で国民を見守っていきたいという考えを、宮内庁の関係者に示されていたことがわかりました。〉と天皇の意向を紹介している。

 「新たな立場で国民を見守る」とはどういうことなのだろうか。

 「見守る」という言葉には幾つかの意味がある。一つは無事であるよう様々に努めることを言う。例えば親が子の成長を見守ると言う場合、親が単に眺めていれば子が勝手に無事に成長していくわけではなく、無事に成長していくための手助けを成長の段階に応じて様々に働きかけることを言う。

 勿論、それが全て成功するわけではない。その手助けが子どもとの衝突の原因ともなる。見守るという行為にはそういった試行錯誤も含まれる。

 天皇は親が子に対するように国民に対してそういった必要とされる現実的な行為を働きかけることができるのだろうか。

 日本国憲法第1章天皇第4条「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」とある。

 例えば東日本大震災によって被災地及びそこに居住する国民が大きな被害を受けたとき、政治はその救済や復興に曲がりなりにも手を尽くすことができるが、「国政に関する権能を有しない」天皇は現実が必要とする原状回復のための具体的な行為は一切できない。

 東日本大震災で天皇や皇后ができたことは被災地の海岸沿いやその他の場所に立ち、海に向かうか何かするかして震災で命を落とした被災者の魂を鎮める祈りを行うか、仮設住宅に立ち寄ってそこでの暮らしを余儀なくされている被災者に声をかけて彼らの心を安らかにするといったことであった。

 いわば天皇は精神的に祈ったり、見守ったりすることしかできない。

 但しこのような精神的な祈り、あるいは見守りがある種の力を被災者に与えることができたとしても、起きた現実に対する精神的な手助けのための働きかけに過ぎない。

 このような精神的な祈りや見守りが未だ起きていない好ましくない現実を起きない現実とする力を有しているわけではない。

 あるいは起きていない好ましい現実を起こして現実を好ましくする力を有しているわけではない。

 このプロセスはそれが好ましいと好ましくないとに関わらず、起きた現実を受け入れて行う天皇の精神的行為という構造を取っていることである。

 いわば当たり前のことだが、天皇の祈りや見守りは好ましい現実を起こす力も、好ましくない現実を起きないようにする力もない。

 だが、被災地でのそのような行為に特別な意味を見い出す国民が、政治家を含めて多く存在した。

 天皇が太平洋戦争のかつての激戦地を訪れて戦死者の魂安らかなれと祈りを捧げることも、起きた現実を受け入れていることを前提としている。

 例え戦死者の魂への祈りを捧げると同時に再び戦争が起きないように願ったとしても、起こす起こさないの現実をつくり出すのは政治や国民の役目であって(戦前、国民は戦争を起こすのに大きな力を果たしていた)、戦後に於いては天皇はそのような権限は何一つ持っていない。

 ただひたすら祈り、見守る精神的働きかけを役目とする以外の力を有してはいない。

 勿論、天皇の戦争が再び起きないようにとの祈りに心動かされてそのことを目指す国民もいるだろうが、それで簡単に戦争が起きない現実をつくり出すことができる程に世界の現実は生易しくできていない。祈りよりも利害が動かす現実となっている。

 もし戦後の天皇に国民が万が一にも現実を動かす力があるかのようにその祈りや見守りの力を認めるようなことがあった場合、国民は天皇を国民統合の単なる象徴から現人神として君臨した戦前の天皇の存在性に近づけることになる。

 天皇自身が自らの祈りや見守りに現実を動かす力を有すると過信した場合、現人神であった戦前の天皇の存在性に自身を擬えることになる。

 前者は天皇を神の如きに崇めることになり、後者は神の如き立場に自身を置くことになる。

 こうなった場合の危険性は計り知れない。

 決して杞憂として存在する危険性ではない。

 2013年4月28日、天皇・皇后出席のもと開催された政府主催の「主権回復の日」式典で天皇・皇后の退席時、誰かが壇上の天皇に向かって「天皇陛下バンザイ」と唱えると、壇上の安倍晋三その他も加わって、2回目の「バンザイ」から合わせて両手を上げ下ろしして三唱を行った事実は天皇を象徴として扱ったバンザイ三唱ではなく、戦前の天皇の存在に近づけ、崇める対象に見立てたバンザイ三唱であったはずだ。

 バンザイ三唱時、その血を熱くしただろうことは容易に想像できる。きっと目玉役を作ることができる程の熱量を一気に噴出させたに違いない。

 被災地での天皇の行為に特別な意味を与えることも、天皇を国民統合の象徴以上の存在に奉ろうとする欲求を見ないわけにはいかない。

 安倍晋三のような戦前回帰を願う復古主義者は天皇を戦前の天皇の存在にいつ近づけようと謀らないとも限らない。そのためには天皇がその祈りを力として国民を見守るという新しい立場は好都合でさえあるはずだ。 

 天皇にそのような力がさもあるかのように見せかけることが成功した場合、近づけることが可能となる。

 そうさせないためには天皇自身が自らの祈りや見守りが現実を動かす力を有しないこと、単なる精神的な力添えに過ぎないことをそれとなく言葉で示して、特別な意味を付与させないように気をつけなければならない。

 そうしなければ、特別な意味を与えようとする政治家や国民の手に乗って、意図せずに自身を神の如き立場に押し上げてしまうことにならない保証はない。

 是非そうしたい国民が政治家を含めてゴマンと存在するのである。

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