――もう一度思い出そう 舛添要一圧倒的勝利当選の2014年東京都知事選、プレイバック、プレイバック――
2009年8月30日投開票の衆院選挙で自民党麻生内閣は民主党に惨敗、政権を引き渡すことになった。
同年9月16日、自由民主党総裁を辞任。同日の臨時閣議にて内閣総辞職を決定。2009年9月28日、谷垣禎一、河野太郎、西村康稔(やすとし)の3人で自民党総裁を争って、谷垣が次点の河野太郎に倍する票を獲得して自民党総裁に就任した。
当時次の首相として国民に圧倒的支持を得ていた舛添要一は総裁選に出馬しなかった。総裁選立候補には20人の推薦人が必要としていたが、舛添は参議院議員で無派閥であった。いくら次の首相として国民的人気を得ていたとしても、当時自民党執行部を言葉激しく批判していた舛添は党内で20人を集める人望は得ることはできなかったからだろう。
総裁選投票日を遡る3週間前の2009年9月1日夜、舛添は東京都内で森元首相と会談している。当時森喜朗は自民党最大派閥町村派の実質オーナとして派閥の実権をしっかりと握っていた。
西村康稔は町村派に所属していたが、派閥推薦ではなく、町村派の一部議員から推された出馬であって、総裁選出馬に際して町村派を退会している。いわば森喜朗実質オーナーの町村派からは自民総総裁選に正式な立候補者は存在しなかった。
そういった状況下での舛添と人事屋森喜朗との会談である。
会談後の両者の反応をマスコミ記事から集めてみる。
舛添要一「総選挙に敗れたことに対する責任は、共同で負わなければならない。安倍、福田、麻生の3内閣で厚労相を務めた。衆院選の敗北は内閣の一員として責任がある」
なかなかカッコいいことを言う。最初から総裁選出馬の意思がなかったなら、では何のために人事屋森喜朗と会談したのか。舛添の人格の一端を窺うことができる。
森喜朗「今自民党総裁になっても総理になれる道は100%ない。来年は参院選もあり、そこも配慮しなければならない」
舛添要一からの総裁選出馬協力要請に対する体のいい断りと見ないと、舛添の以後の自民党に対する著書やその他での数々の批判が理解不能となる。
「改革に抵抗したのが族議員たちだ。行政のトップは大臣であり、与党の族議員が邪魔するようでは話にならない。自民党が国民の信頼を失い、政権を失ったのは当然だ」
「党内の派閥が、政治家の能力や適性を考えずにポストを配分してきたことが『脱官僚・政治主導』の確立の弊害になってきた」
以上は自民党批判であると同時に長い間、派閥のボスとして、その当時も派閥の実質的オーナーとして内閣人事や党人事を握っていた森喜朗に対する批判でもある。
この批判から、森・舛添会談の内容を窺うことができる。いわば自民党総裁選立候補への協力要請を断られると、一転して自民党批判・執行部批判に転じた。
「自民党が国民の信頼を失い、政権を失ったのは当然だ」
「自民党の歴史的使命は終わった」
「古くなって国民から見捨てられた政党を再生しても駄目。新しく作るくらいの気構えがないといけない」
「国民はかつての自民党政権の復活は望んでいない」
「自民党の体制、体質は旧態依然だ」
「自民党は古い体質を抱えたままだ」
「官僚主導体制でやってきた」
「派閥が党を支配した派閥主導政治だ」
「自民党は参議院選で負けたら、なくなる」
言いたいことを言って、2010年7月の参院選挙3カ月後にを控えた2010年4月23日に舛添は自民党を離党。離党に対して自民党は最も重い懲罰である除名処分で応じた。
除名処分を受けたことについて述べている。
舛添要一「参院選に敗れたら自民党はなくなるという危機感を持って戦っており、自民党支持者も支援してくれていると思う。敵は小沢民主党独裁政権で、敵を間違ってはいけない」
舛添要一「我々の敵は小沢一郎幹事長のいる民主党だ。敵を間違ってはいけない。民主党政権を倒すことに成功すれば、自民党支持者にもきちんと評価して頂けると思っている」
敵は民主党、あるいは小沢一郎であって、自分ではないとのご託宣である。散々批判し、自民党に反旗を翻したのだから、自分の信念に従った行動だ、除名処分を受けて立つという気概を見せるのかと思ったら、敵を見間違えないでくれと懇願を秘めた発言をする、
2010年2月10日出版舛添要一著の「内閣総理大臣 ――その力量と資質の見極め方」(角川書店))には次のような一節があるという。
「時期が来たら私自身がリーダーシップを取ることを拒否はしない。首相に必要な能力を持つよう努力している」
首相に必要な資質。 「国民の琴線に触れる言葉、ビジョンを政策として提示する能力」
安倍晋三、福田康夫、麻生太郎の3首相――
「哲学の素養は欠落していた」
これらの一節からも、2010年2月10日出版に先立つ2009年9月1日の森・舛添会談の内容が総裁選出馬への協力要請であり、体のいい断りであったことを窺うことができる。
首相に必要な資質としての「国民の琴線に触れる言葉、ビジョンを政策として提示する能力」にしても哲学の素養を必要とする。
自身では哲学の素養を十分に備えていると自負していた舛添要一は自民党を離党し、新党改革の代表に就いたのち、その代表を辞任して2014年1月8日、2014年東京都知事選挙に無所属で出馬することを表明した。
以下
「Wikipedia」から見てみる。
2日後の1月10日、自民党東京都連が舛添を支援することを発表。のちに推薦を決定。
1月15日、自民党本部で自民党幹事長の石破茂と会談。「本部としてもしっかり支援していく」と述べる。(以上)
舛添要一が2014年1月14日、東京都庁で記者会見を開き、都知事選立候補を正式に表明したのに対して翌1月15日午前、小泉進次郎が舛添要一の立候補正式表明に一言申し上げている。
小泉進次郎「応援する大義はないと思う。自民党を除名された方を支援することも、除名された方が支援を受けることも、私にはよく分からない。
(小泉 純一郎元首相の細川護熙元首相全面支援に対する党内の批判に関して、批判は)当たらない。(舛添氏は)自民党本部の支援(推薦)ではない」(時事ドットコム)――
その小泉進次郎が2日後の1月17日午後前、党青年局の研修会で舛添要一を応援しないことを再度表明した。
小泉進次郎「(舛添氏は)野党で一番苦しかったときに『自民党の歴史的使命は終わった』と党を出た。ずっと離れずにいた自民党員、有権者がこの姿勢に『自民党の背骨』があると見るかどうかだ」(MSN産経)――
要するに「自民党が一番苦しかった時に後ろ足で砂をかけるようにして自民党を捨てた舛添要一に自民党の背骨を持っている政治家だと見るかどうかだ」と問いかけている。
この言葉を裏返すと、「舛添要一は自民党の背骨を持っていない政治家だ」と見做し、結果、「支援する大義はない」と、最初の一言に戻る。
首相の安倍晋三が2014年1月19日に舛添要一の前妻の自民党参議院議員片山さつきに舛添の応援を依頼している。だが、片山さつきは断っている。
安倍晋三「誰よりも片山さんに(舛添氏の)応援に立ってほしい」
片山さつき「舛添氏は障害を持つ婚外子に対する慰謝料や扶養が不十分だ。解決されていない」
ネット上の噂によると、舛添要一には片山さつきと結婚前から女がいて、二人の間に障害を持った子が生まれているとのこと、その子に対する慰謝料や扶養が満足に行われていないことが片山さつきの言葉から窺うことができる。
安倍晋三は片山さつきに舛添への応援を依頼する2日前の2014年1月17日、都内で開催の日本記者クラブの会合で都知事選に立候補した舛添要一に関して次のように発言している。
安倍晋三「しっかりと手腕を発揮していただける。期待できる。舛添氏は第1次安倍政権と福田、麻生両政権で厚労相を務めた。(社会保障分野に)精通している」
要するに小泉進次郎と片山さつきは舛添要一の人格、あるいは人間性を問題にして、都知事を託すにはふさわしくない政治家だと見ていた。
対して安倍晋三は人格や人間性は見ずに政治的能力のみを見て、都知事を託そうとしていた。
人格、あるいは人間性の点から舛添要一を批評する人間は多くいるだろうが、もう一人、よく知られている代表的な一人を紹介してみる。5月29日放送の
「そこまで言って委員会」で政治資金私的流用疑惑の火中にある舛添要一が取り上げられた。
辛坊治郎「長い付き合いの田嶋さんに是非伺いたいんですが、この人の人格的にはどうなんですか」
田嶋陽子「私は長いこと、10年くらい一緒にテレビに出たことあるんですけど、私は、自分がテレビに出る人と普通、飲み食いは絶対しないの。気が弱いから、意見が言えなくなるから。
だから、舛添さんの個人的なことは何も知らないの。知らないけど私と議論していて負けたらね、『ブスっ』って言ったの。
(両手で頭上に大きく円を描いて)ここに(舛添という人間の人格の)全てが現れているの。私はいつも、『ハゲっ』って言ってやっってるよ。一番最後っ屁で、『ブスは化粧すれば直るけど、ハゲは治らない』と。
この人は非常に古い。何が国際政治学者?非常にタイプの古い人です。大変立派な考え方を展開しますけど、オリジナリティのある人ではないです。だから、国際政治学者の『国際』が泣く。
それから人権問題に関して非常に劣っています。あの人は私に対して意見が違っただけで、そう言うことを(「ブスっ」と)言うように実際によく分かっていないんです。女性の人権とかそういうことは。(議論する間柄にあったときは)ずっと分からないままに終わりました」
結婚していながら、何人か愛人がいたこと、障害を持った婚外子に対する扱い等々を見るだけで、その人格・人間性を見て取ることができる。そして東大を出て、東大の助教授まで務め、国際政治学者を名乗りながら、それらの矜持を忘れて、相手の議論に対して自身の言葉が詰まると、相手を打ち負かすために相手の容貌上の弱点を突いて「ブスっ」と言う。
自身が卑怯な手を使ったことに気づかない。その程度の人格・人間性だった。
こういったことはお構いなしに自民党が応援すれば、鬼に金棒である。自民党の力が舛添を東京都知事に押し上げたと言っても過言ではない。
選挙結果は次のとおりである。
舛添要一 無所属 新 得票数 2,112,979 得票率 43.40%
宇都宮健児 無所属 新 得票数 982,594 得票率 20.18%
細川護煕 無所属 新 得票数 956,063 得票率 19.64%
田母神俊雄 無所属 新 得票数 610,865 得票率 12.55%
都民から次点に2倍以上の投票を得た。
流石にかつて国民から次の首相としたい人物として人気を博しただけのことはあるし、その人気を自民党がバックアップした成果であるはずだ。
だが、今回の公用車問題、豪華海外視察問題、そして政治資金での大量の美術品購入や漫画を含めた書籍購入、家族ホテル宿泊代金支払い、飲食代支払い等々の政治資金私的流用疑惑と疑惑に対する説明責任回避を受けた結果、国民・都民の舛添要一に対するかつての評価は急速に萎むことになった。
5月28日、29日の舛添の進退についての
「毎日新聞「世論調査」。
「辞任すべきだ」77%
「辞任する必要はない」13%
舛添支援の自民支持層
「辞任すべきだ」81%
舛添支援の公明支持層
「辞任すべきだ」60%超
東京都内での調査
「辞任すべきだ」81%
5月28日、29日の同趣旨の
「産経新聞世論調査」。
「辞任すべきだ」79%
「辞める必要はない」16・4%
「説明に納得できない」97%
「説明に納得する」1・6%
5月15日未明、自民党は舛添要一に対する不信任決議案を議会運営委員会理事会に提出した。共産党やその他の野党が提出の構えを見せ、同じ与党の公明党が提出を表明していた手前、疑惑解明に後ろ向きと国民に見られた場合の参院選への影響を考えた措置だといったことをマスコミは伝えているが、2014年都知事選での支援とは打って変わってその手のひらを返したことになる。
他の党は自民党案に一本化し、6月15日の本会議に上程、審議される運びとなった。舛添要一が自ら辞職しない限りは同日午後に可決される見通しだという。
可決された場合、舛添要一が10日以内に議会を解散しなければ、失職することになるが、舛添氏が議会を解散しても、都議選で新たに選ばれた議会が再び不信任案を可決すれば、舛添は失職する決まりだそうだ。
やっと国民・都民も舛添のニセモノ性に気づいたといったところか。政治家の多くも気づいて、都知事から追い落とさざるを得なくなった。
都知事に担ぎ上げた責任は不問に付されるに違いない。
舛添要一のニセモノ性にやっと気づいたが、国民が安倍晋三のニセモノ性に気づくのはいつのことだろうか。