麻生太郎の「更に貯めてどうする」は安倍晋三と同じ国家主義と「いつまで生きているつもりだ」の死のススメ

2016-06-19 09:55:28 | 政治

 共同通信配信の「47NEWS」が北海道小樽市で開かれた自民党支部大会講演での麻生太郎の発言を伝えている。

 麻生太郎国内で1700兆円を超す個人金融資産がある。みんながじーっとしているのが、今最大の問題だ。あったらそのカネは使わなきゃ、何の意味もない。さらに貯めてどうするんです。

 90になって老後が心配とか訳の分からないことを言っている人がテレビに出ていたけど、いつまで生きているつもりだよと思いながら見ていた」(下線箇所は解説文を会話体に直す)

 何に使おうが、何に使わなかろうが、人それぞれ、自由・勝手ではないか。蓄えているカネを吐き出させて、個人消費に回させ、アベノミクスを成功させようと魂胆した自己都合の発言に過ぎない。

 個人消費を伸ばしたいなら、先ずは格差をなくして、中間層以下の収入を増やす政策をすべきだろう。ところが高額所得層の所得をなお増やす格差政策を行っているから、個人消費が伸びない。

 大体が個人金融資産1700兆円の内訳を考えもせずに「訳の分からないことを言っている」

 それでも副総理なのか、財務大臣なのか。

 金融広報中央委員会調査の「家計の金融行動に関する世論調査」によると、2015年の金融資産の保有額の平均値は1,209万円と(前回1,182万円)で、27万円増えているが、中央値は400万円(前回400万円)にとどまっている。 

 高額世帯数よりも、中小所得世帯の方が多いのだから、中央値400万以下の割合が多いと見なければならない。それが証拠に上記調査によると、2015年の金融資産非保有世帯比率は30.9%となっている。

 これは2015年の日本の総世帯数約5200万世帯のうちの約1720万世帯が貯蓄なし、株等の資産もなしの状態にあることを示す。

 この非保有世帯比率30.9%は厚労省2014年調査の「所得金額階級別世帯数の相対度数分布」に於ける300万未満収入世帯34.8%とほぼ合致する。  

 このことはまた一般的には個人金融資産は収入に比例する傾向とも合致する。

 この所得状況の底辺にある3分の1の世帯を主体としてその上に近接する所得世帯を中心に個人金融資産も乏しいか、あるいは非保有であることから、「老後が心配」と言うことであって、高額の個人金融資産保有者がそのように言うことは特殊な例外を除いてほぼあり得ないはずだ。

 要するに麻生太郎は国全体で1700兆円を超す個人金融資産を抱えていることに対して所得別の保有額の違いを計算にも入れず、個人金融資産をしこたま抱えている高額所得者に向かってこそ、「さらに貯めてどうするんです」と言うべきを、あるいは「90になって老後が心配とか訳の分からないことを言っている」と言うべきを、個人金融資産ゼロ、年間収入100万円以下とか200万以下といった所得状況の底辺に置かれている日本の総世帯の3分の1を占める生活者まで含めて、誰も彼も一緒くたにして、「さらに貯めてどうするんです」と言い、「90になって老後が心配とか訳の分からないことを言っている人がテレビに出ていた」と言ったのである。

 この矛盾にさらさら気づいていない。

 大体が貯める貯めない、使う使わないは個人が決めることで、個人に任せることができずに国が口を挟もうとする。これは安倍晋三と同じ国家主義に当たる。

 この国家主義が行き過ぎると、国が何に使うか決めて、それを国民に強制するようになる。極めて危険な国家主義に発展しかねない強制的考えを内包した麻生太郎の国の立場に立ったお節介と見なければならない。

 また人間は一個の生命体として寿命に応じて生かされている部分がある。それを自ら断てば、自殺となる。生かされるについては基本的には自然に任せなければならないが、同じ生かされるとしても、心身共に十分な健康状態で生かそうと努力する。

 それが人間生命に於ける自然の摂理(自然が持っている逆らえない法則)と言うものであろう。

 麻生太郎は「いつまで生きているつもりだよ」と言うことによって人間生命が持つこの自然の摂理を蔑ろにし、ある意味死のススメを説いたのである。カネをさっさと使って、あの世に行ったらどうかと。

 死のススメの強制が過ぎると自殺のススメとなる。

 麻生太郎自身はそれなりに現金や株券、その他たっぷりと金融資産を保有し、月々の収入もたっぷりとあるから、更に貯め増す必要を感じることもなく消費に心置きなく回すことができるだろうし、主治医もしっかりとした病院の医師が付いていて、いくらでも健康維持や治療にカネをかけることができるから、取り立てて老後を心配することなく日々を過ごすことができるだろうが、そういう経済環境にない大勢の国民が存在することまで考える頭を持っていなかった。

 これ程までに人間存在を全般に亘って深く認識することができない政治家が自民党の副総理を務め、内閣で財務大臣の地位を占めている。

 真に国民を理解するには政治的能力に優れているというだけでは足りないはずだ。

 麻生太郎は安倍晋三と同様、国民の存在性よりも国家の存在性を優先させる国家主義者だから、特に所得の低い国民に対する理解能力が不足しているのは当然なのかもしれない。不足していることが国家主義を成り立たせる主要な要素となっているからだ。

 麻生太郎の正体を見間違えてはいけない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舛添要一の辞任で誰の目にも明らかになったに違いない事実を「政治家の信義」をキーワードに読み解く

2016-06-18 12:19:27 | Weblog

 実際には“読み解く”と言う程の大袈裟なことではない。誰の目にも明らかはことだろうから。

 東京都知事舛添要一は2億円超の海外出張費、政治資金私的流用疑惑、公用車の私的使い回し疑惑等の正当性の説明責任を定例記者会見でも、舛添本人依頼の2名弁護士による第三者調査報告の記者会見でも、6月1日から開催の都議会本会議一般質問でも、6月13日からの都議会総務委員会の一問一答形式の集中審議でも、疑惑を深めるばかりで満足に果たすことができず、都議会野党が不信任決議案提出の動きを見せると、与党自民党・公明党も疑惑解明に逃げ腰の批判とそのことの参院選への悪影響を恐れて、自らが不信任案提出の動きに出て、全会派が足並みを揃えて6月15日未明に不信任決議案を提出、舛添は可決必至とみて、その不名誉よりも辞任を選んで、6月15日に21日付け辞任の辞職届を都議会議長に提出した。

 舛添要一が質問者や舛添の答弁を見守る都民・国民が納得する説明を回避していたことも抵抗の部類に入るが、6月15日未明に不信任案が提出させるまでの間もかなりの抵抗を見せている。
 
 6月13日都議会総務委員会の集中審議。最後に舛添要一は発言を求めた。
 
 舛添要一「もし私に対する不信任案が可決された場合には、法律上は私が辞任するか、ないしは議会を解散するかという選択を迫られます。いずれにしても選挙ということになります。その選挙の時期がどうしてもリオ五輪・パラリンピックのときに重なります。私が知事として断腸の思いでありますのは、次期開催都市でこういうリオのときに選挙をやるというのは、この国家的大事業のときにやるというのは、2020年大会にとって極めてマイナスであると。もちろんこれは私の不徳の致すところが発端ではあることは重々承知を致しております。

 そういう思いで、どうか少しの猶予をいただきたい。そういう風に思っております。私が知事の座にしがみつくということではございません。すべての給与をご辞退申し上げて、全身全霊、都民のため都政のため働きたいと思っております。知事として、選挙ということでリオと重なりますので、そういう困難はどうしても公益にそぐわないと、極めて厳しい判断をしているところでございます。

 どうかそういう意味でこの時期を猶予していただいて、そしてその上で、私が都知事としてふさわしくないというご判断を都議会の皆さまがされるときには不信任案をお出しいただければと思います。私の思いはそういうものでございます。本当に最後の貴重なお時間を、委員長に発言する機会をいただきましたこと心から感謝いたします」(産経ニュース)  

 「VOTE for DEMOCRACY」なるツイッターに下の画像が載っていた。よく見ると、実際の映像ではなく、比喩的な意味を持たせた修正画像のようだ。 

 2016年リオデジャネイロオリ・パラ期間はオリンピックが2016年8月5日~8月21日の17日間、パラリンピックが2016年9月7日~18日の12日間となっている。この2016年大会は次期開催都市としてのオリ・パラ参加となる。この参加が「国家的大事業」であり、日本人参加選手の活躍の国内報道が「国家的大事業」に準ずるイベントであったとしても、太平洋の向こうで行われるオリンピック参加競技者の競技自体は舛添が強行した場合の解散を受けた都知事選に煩わされる類いのものではないし、どちらの報道をより好むかは国民の選択にかかっているから、都知事選がリオオリ・パラにさしたる影響を与えるわけではないのだから、単に延命の口実としているに過ぎない。

 「子供のことを思えば、1カ月前も、今でも辞めたいと思っている」と言いながら、あるいは「知事の座に連綿としがみつくということではない」と言いながら、結局は「ここまで耐えてきたのは、リオ五輪で東京を笑いものにしたくないから。どうか東京の名誉を守ってもらいたい」(以上産経ニュース)と言っていることも、「国家的大事業」を持ち出した同根の延命策に他ならない。

 リオデジャネイロオリ・パラ閉会日に次期開催都市の知事としてオリンピック旗を受け継ぐセレモニーがある。百歩譲って舛添の言う「国家的大事業」に正当性を与え、延命に手を貸した場合、疑惑に包まれた都知事がオリンピック旗を受け継ぐこと自体、オリンピック精神を穢(けが)す象徴となりかねない演出の手助けをする意味合いも浮上しかねず、一時的延命は却って始末の悪い結末を迎える可能性を孕む。

 但し次の都知事選には関係してくる。舛添辞任に伴う都知事選挙は7月14日告示、7月31日投票開票と正式に決まった。政治スキャンダルを起こさずに任期を全うした場合の任期終了は2020年7月30日となる。

 2020年東京オリンピック開催予定期間は2020年7月24日~8月9日、パラリンピックは2020年8月25日~9月6日。

 2020年東京オリンピック開催中の任期終了となり、任期終了前の開催中か開催前に選挙を行わなければならない。開催前だとしても、多くのアスリート、あるいは観戦のための訪日外国人が東京入りしているだろうから、正に東京都開催のオリンピック・パラリンピックという「国家的大事業」直近か最中の選挙戦となる。競技場や練習場の近くは音量を下げるという取り決めが行われるだろうが、競技観戦の外国人が行き交う中を選挙カーが行き交い、名前を連呼、競技場や練習場の近く以外はマイクのボリューを挙げて「よろしくお願いします」と声を上げるといった異常事態が発生しかねない。

 だとしても、舛添要一が満足に説明責任を果たさないことによって招くことになる全ての結末である。

 説明責任を果たしていないことの象徴が2013年と2014年いずれも正月に千葉県木更津市のホテルに家族と宿泊していながら、その宿泊代の合計37万円余りを会議費の名目で政治資金から支出していた理由をいずれも部屋で政治的な意味合いの会合を行っていた政治活動の一環だとしていたが、会合の相手の名前を「政治の機微に関わり、政治家としての私の信義という観点から、それは外に出せない」と到頭最後まで名前を明かさなかった事例に如実に現れている。

 舛添要一「政治家としての信義、これから政治家として仕事をやっていく、そういう意味で私の判断として、これ(会合相手の名前)は申し上げられない、そういうことでございますので、ご理解頂ければと思います」

 質問者が変わっても、「政治家としての信義」を持ち出して、名前を明かすことを拒否した。

 だが、不信任案を提出されることも、それを否決できずに可決されることも、可決を避けて自分から辞任せざるを得ない選択を強いられることも、都民に対する、あるいは都議会に対する、さらには国民全体に対する「政治家としての信義」に関わる重大事態である。

 だが、政治スキャンダルを抱えたままの追い込まれた辞任によって失う都民や国民に対する「政治家としての信義」よりも会合の相手の名前を明かさないという「政治家としての信義」を選択した。

 いわば前者の不名誉よりも後者の名誉を選択した。

 言葉を替えて言うと、世界の大都市の一つである東京都の知事の職を失うという不名誉よりもホテルの一室で会合をしていた相手の名前を明かすことによって被る不名誉を拒絶した。

 と言うことは、舛添は天秤にかけた場合、前者の不名誉よりも後者の不名誉の方が遥かに重いと見ていたことになる。

 このことは一般的には考えられない前後逆転現象であろう。

 ここで大きな疑問が湧く。

 相手の名前を明かさないという「政治家としての信義」を選択したのなら、あるいは相手の名前を明かすことによって被る不名誉を厳しく拒絶したのなら、説明責任に明らかに反して都民・国民を裏切る行為となるのだから、その時点で潔く都知事の職を辞すべきを、「子供のことを思えば、1カ月前も、今でも辞めたいと思っている」と言いながら、あるいは「知事の座に連綿としがみつくということではない」と言いながら、リオオリ・パラ終了の8、9月頃までの知事の辞職の猶予をなぜ求めたのかという疑問であり、受け入れられず不信任案の提出を招いて仕方なく辞職するという見苦しい引き際をなぜ見せたのかという疑問である。

 このことは「政治家としての信義」よりも、リオオリ・パラ終了までの知事の座の継続を重視したことを意味していて、説明責任に関わる経緯とは明らかに矛盾する。

 このような矛盾は同時に舛添の言う「政治家としての信義」が口先だけを正体としていることを証明する。口先だけではなく、実体を備えていたなら、既に触れたように名前を明かさなかった時点で辞任しなければならなかったろう。

 舛添要一は元々「政治家としての信義」など持ち合わせていなかった。にも関わらず「政治家としての信義」を掲げて説明責任を拒否したのは、答はただ一つ、会合など存在しなかった、当然、会合相手も家族宿泊中のホテルに居合わせもしなかった作り話だということであり、このことは誰の目にも明らかであるはずだ。

 このように見なければ、口では「政治家としての信義」を言いながら、説明責任を果たさずに辞職の猶予を求めたことや、見苦しい引き際を曝さざるを得なかった謎の説明は不可能となる。

 要するにいくら説明責任に応じたくても、会合は家族旅行のホテル代を政治資金で支出するための口実に過ぎないから、そのことを明かした場合、逆に政治資金規正法に触れて都知事辞任に追い込まれる爆弾を逆に抱えることになって、応じることができなかった。

 「政治家としての信義」など持ち合わせていなかったからこそできた政治資金の私的流用と見なければならない。

 書道のために購入したというシルク製の中国服2着にしても、書道が政治活動に役立っているという口実を設けているが、実際は自身の趣味のために政治資金で購入したのが事実と見なければ、元々持ち合わせていなかった「政治家としての信義」と整合性が取れないことになる。

 インターネットで大量に買い込んだという美術品や骨董品、マンガ本を含めた書籍にしても、家族旅行のホテル代宿泊費の政治資金私的流用と同じ構造を取っているはずである。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三のイチロー大リーグ新記録を「日本人として本当に誇りに思う」の発言に日本民族優越主義を嗅ぎ取る

2016-06-17 06:48:35 | Weblog

 6月15日(日本時間16日)マーリンズのイチロー外野手(42)が日米通算4257本目の安打を放ち、かつての大リーガー、ピート・ローズの大リーグ通算最多安打数の記録を破った。日米の技術の違いから、その評価は様々に違いはあるが、どの選手もできるわけではない偉業であることに変わりはない。

 安倍晋三が首相官邸で記者の質問に答えてイチローの記録を讃えたと「共同通信」配信の記事を各マスコミが伝えている。

 安倍晋三「凄い記録だと思う。日本の選手が再び金字塔を打ち立てた。日本人として本当に誇りに思う」

 安倍晋三は間違いなくイチローの活躍に日本人の血(=日本民族の血)を見ている。イチローという個人の血が成さしめたとは見ていない。

 だから、こういう日本尽くめの発言となった。

 確かにイチローは日本人である。米国に渡って大リーガーとして16年間活躍しているが、国籍は日本のままである。大リーグでのその日本人の活躍を安倍晋三は“日本人として”誇りに思う。 

 この言葉の構造を分解すると、安倍晋三は自らを日本人という民族のレベルに置いて、イチローの活躍をイチローという個人のレベルで見ずに日本人という民族のレベルで把え、称賛していることになる。

 いわば自身が持つ日本人という民族性とイチローにそうありたいと勝手に仮託した日本人という民族性を響き合わせている。それ故に“日本人として”誇りに思うことができる。

 このように見ることは決して大袈裟な解釈でもないし、見当違いな勘繰りでもない。

 安倍晋三は元々国家の存在性を優先させて、国民の存在性を国家の存在性に従わせる思想の持ち主、国家主義者である。そしてその国家の存在性優先は自民族優越主義を隣り合わせている。

 自分の民族が優れていると見ることによって国家の存在性優先の国家主義に走ることができる。自他国民をそれぞれの民族性を意識せずに常に個人のレベル――それぞが一個の個人だという個人性で見ていたなら、国民の存在性を優先させることになって、国家の存在性を優先させる国家主義に走ることはない。

 前々から言っていることだが、安倍晋三の日本民族優越主義は自身の天皇主義に現れている。

 日本人が日本民族優越主義を表すとき、「万世一系の天皇」の血の連綿性、あるいは「男系天皇」の女性なる存在に対する男性の優越性、さらには「神武天皇以来の2600年の歴史」の長期性を持ち出して、その根拠とする。

 安倍晋三にしても同じである。自著『美しい国へ』に、「日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ」と書き、テレビに出演して、「むしろ皇室の存在は日本の伝統と文化、そのものなんですよ。まあ、これは壮大な、ま、つづれ織、タペストリーだとするとですね、真ん中の糸は皇室だと思うんですね」と言っている。

 天皇を日本という国の中心に据え、日本の歴史の主宰者(人々の上に立ち、中心になって物事を行う人)に仕立てている。安倍晋三の天皇主義が最も露骨に現れている言葉である。

 日本人としてそのような天皇という偉大なる存在を頭に戴(いただ)いている。ここから安倍晋三の日本民族優越主義が芽吹いている。

 かくこのように国家主義者・日本民族優越主義者・天皇主義者を自己存在性のバックボーンとしているその精神性から言っても、安倍晋三がイチローの大リーグ新記録という活躍に「日本の選手が再び金字塔を打ち立てた。日本人として本当に誇りに思う」と発言したことを、その活躍に日本人の血(=日本民族の血)を見ていることからの発言だと解釈したとしても、妥当性がないと否定はできない。

 その発言に安倍晋三が自らを日本人という民族のレベルに置いて、イチローの活躍をイチローという個人のレベルで見ずに日本人という民族のレベルで把えた日本民族優越主義を嗅ぎ取っていたとしても、その正当性を決して排除できないはずだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小沢一郎氏がその理由を以って民主党を離党した消費税増税反対に現在与野党が足並みを揃える政治の皮肉

2016-06-16 12:14:53 | Weblog

 マスコミ記事や「Wikipedia」を利用して、民主党野田内閣(2011年9月2日~2012年12月26日)がマニフェストに書いてなかった消費税増税法を含む社会保障・税一体改革関連法案(以下「消費税増税法案」と記載)成立過程と、その際の混乱を振り返ってみることにする。

 2011年12月29日、野田佳彦、民主党税制調査会会合に出席、社会保障と税の一体改革を目指すことを伝え、消費税率を引き上げる具体的な時期や幅を盛り込んだ素案の取り纏めの協力を依頼。

 2012年3月30日、野田内閣、消費税増税法案を閣議決定。

 2012年3月30日、野田内閣、衆議院に消費税増税法案等の法案を提出。質疑開始。

 2012年3月31日、小沢一郎氏、消費税増税法案が閣議決定されたことについて「増税の前にやるべきことがある」と批判。

 2012年6月21日、民主党・自民党・公明党の三党間で修正協議。消費税増税法案等の合意を見る。

 2012年6月26日、衆議院本会議で消費税増税法案等三党の賛成により可決。小沢グループ、採決で反対票を投じる。

 2012年7月2日、小沢氏、同調50人議員と共に民主党に離党届提出。翌3日、民主党は反党行為と見做して小沢氏37人を除籍処分とする方針を決定

 2012年7月9日、小沢氏を含む37人の議員の除籍処分を原案通りに確定。
 
 2012年7月11日、小沢氏、グループ議員と共に新党「国民の生活が第一」を結党、代表に就任。

 2012年8月7日、「国民の生活が第一」が消費税増税に反対する他の野党(日本共産党、社会民主党、みんなの党、新党きづな、新党日本、新党大地・真民主)と共に衆議院に内閣不信任決議案を、参議院に首相問責決議案を提出。

 2012年8月8日、野田・谷垣・山口3党首会談。内閣不信任決議案・問責決議案の否決と参議院での消費税増税法案等の法案の可決・成立の協力を求め、協力の見返りに「(一体改革)関連法案が成立した後、近いうちに国民の信を問う」と解散を約束。

 2012年8月10日、参院本会議で消費税増税等の法案が可決・成立。

 2012年9月26日、自民党総裁選で谷垣の後任として安倍晋三を自民党総裁に選出。

 2012年11月14日、野田・安倍党首討論

 野田佳彦、野田内閣提出の衆議院議員定数削減法案への今国会中の成立を求め、「御決断をいただくならば、私は今週末の16日に解散をしてもいいと思っております。ぜひ国民の前に約束してください」

 安倍晋三が野田佳彦の解散の言質を得て、衆議院議員定数削減法案に今国会中の成立を約束。

 2012年11月16日、野田佳彦は午前の閣議で衆議院の解散を閣議決定、午後の衆議院本会議で解散執行。「近いうち」発言から、ちょうど100日経っていた。

 2012年12月26日、野田民主党は衆議院選挙で単独で絶対安定多数の確保となる294議席を獲得した野党第一党の自民党に大敗して政権の座を奪われる。

 こう見てくると、野田佳彦は最初は消費税増税法案の成立協力の見返りに解散を約束したものの、成立後、きっぱりと約束を果たさず、自公から解散を盛んに迫られると、自身の成果の一つに加えたい欲が働いのか、衆議院議員定数削減法案まで加えた。

 だが、消費税の5%から8%への増税は2014年4月1日にその約束は果たされたが、安倍晋三は8%から10%への約束は今以て果たさず、衆議院議員定数削減法案の成立についも現在もその約束を果たしていない。
 
 野田佳彦が消費税率の引き上げを目指して民主党税制調査会会合に出席した2011年末から年が明けた2112年1月当時の内閣支持率と消費税増是についての賛否、さらに谷垣禎一、山口との3党首会談で「関連法案が成立した後、近いうちに国民の信を問う」と解散を約束した2012年8月当時の内閣支持率と消費税増税についての賛否を見てみる。

 毎日新聞が2012年1月22日、23日に行った世論調査。

 「野田内閣支持する」32%(前回12月比-6ポイント)
 「野田内閣を支持しない」44%(前回12月比+10ポイント)

 野田内閣発足以来、初めての逆転現象だという。

 消費税増税

 「賛成」37%
 「反対」60%

 朝日新聞社が2012年8月4、5日に実施した世論調査。

 内閣支持率

 「野田内閣支持する」22%(前月7月比-3ポイント)
 「野田内閣を支持しない」58%(前回7月比±0ポイント)
 
 「消費税増税」

 「賛成」42%(前月7月比±0)
 「反対」48%(前月7月比-1ポイント)

 野田内閣の人気は急降下しているが、消費税増税に対する国民の姿勢は拒絶反応を弱めている。これは自公も消費税増税の姿勢ていて、民主党と共に増税を図ることにしていたことから、社会保障政策の財源捻出の必要性を認識するようになっていたからではないか。

 だとしても、国民の野田内閣を見る目は厳しさを増して、ブレーキがかからない状態となっている。

 また、社会保障政策の財源捻出の必要性から消費税増税に止むを得ないとしていたとしても、表向きの容認であって、内心は違っている世論調査がある。

 東京の人材派遣会社がインターネットを通じて仕事を探している主婦350人から聞いた調査で、2012年8月7日付の「NHK NEWS WEB記事が伝えていた。

 消費税を増税した場合の生活への影響。

 「生活に影響がある」96%

 影響があるとした主婦に対するその具体的対策(複数回答)。

 「出費を減らすことになりそう」79%
 「収入を増やさないといけない」65%
 「生活設計を見直すことになりそう」32%

 世論調査からも窺うことができる政権運営の厳しい環境にも関わらず、野田佳彦は2012年8月8日の谷垣・山口との3党首会談で、参議院での消費税増税法案等の法案の可決・成立の協力を求めて、協力の見返りに「(一体改革)関連法案が成立した後、近いうちに国民の信を問う」と解散を約束した。

 だが、世論の動向から解散しても勝算がないことは気づいていたのだろう。「近いうちに」の約束を果たすことができずにずるずると時間稼ぎをし、「近いうちとはいつのことだ」と散々せっつかれた果てに衆議院議員定数削減法案今国会成立の約束と自身は死んで、相手は生き残るような無理心中をする形で2012年11月16日に解散に追い込まれた。

 国民が何よりも腹を立てていたのは2009年総選挙の際の民主党マニフェストには消費税増税は選挙に勝利して政権を担当しても4年間は増税しないと約束してあったのだから、解散するか、衆議院の任期満了を待って次の総選挙で消費税増税を問うべきを、そうはせずに衆議院の任期内に法案だけは通しておこうとしたした、一種の詐欺紛いのことをしたからであろう。

 一騒動も二騒動もあった野田消費税増税法案の成立だったが、安倍晋三は2014年4月に5%から8%への約束を果たしたものの、8%から10%への増税は約束を2度破り、2016年6月の時点で8%凍結のままで7月の参院選に臨もうとしている。

 そしてマニフェストに書いてなかったにも関わらず消費税5%から8%増税成立に向けて突っ走って様々な騒動を引き起こした張本人たる民主党を始め、他の野党もこぞって消費税増税反対もしくは延期の声を一斉に上げていて、与野党共に現時点では増税反対、延期の姿勢で足並みを揃えている。

 そして国民の多くもこの姿勢を支持している。

 与野党の多くの国民を交えたこの延期あるいは反対に向けた現在の足並みの揃えは2012年7月当時、民主党の小沢一郎氏が増税反対の姿勢を強行に貫き、孤立することになった状況からすると、政治の皮肉を見ないわけにはいかない。 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国民・都民がやっと気づいた舛添要一のニセモノ性 安倍晋三のニセモノ性に気づくのはいつのことだろうか

2016-06-15 08:31:34 | 政治
 

 ――もう一度思い出そう 舛添要一圧倒的勝利当選の2014年東京都知事選、プレイバック、プレイバック――

 2009年8月30日投開票の衆院選挙で自民党麻生内閣は民主党に惨敗、政権を引き渡すことになった。

 同年9月16日、自由民主党総裁を辞任。同日の臨時閣議にて内閣総辞職を決定。2009年9月28日、谷垣禎一、河野太郎、西村康稔(やすとし)の3人で自民党総裁を争って、谷垣が次点の河野太郎に倍する票を獲得して自民党総裁に就任した。

 当時次の首相として国民に圧倒的支持を得ていた舛添要一は総裁選に出馬しなかった。総裁選立候補には20人の推薦人が必要としていたが、舛添は参議院議員で無派閥であった。いくら次の首相として国民的人気を得ていたとしても、当時自民党執行部を言葉激しく批判していた舛添は党内で20人を集める人望は得ることはできなかったからだろう。

 総裁選投票日を遡る3週間前の2009年9月1日夜、舛添は東京都内で森元首相と会談している。当時森喜朗は自民党最大派閥町村派の実質オーナとして派閥の実権をしっかりと握っていた。

 西村康稔は町村派に所属していたが、派閥推薦ではなく、町村派の一部議員から推された出馬であって、総裁選出馬に際して町村派を退会している。いわば森喜朗実質オーナーの町村派からは自民総総裁選に正式な立候補者は存在しなかった。

 そういった状況下での舛添と人事屋森喜朗との会談である。

 会談後の両者の反応をマスコミ記事から集めてみる。
   
 舛添要一「総選挙に敗れたことに対する責任は、共同で負わなければならない。安倍、福田、麻生の3内閣で厚労相を務めた。衆院選の敗北は内閣の一員として責任がある」

 なかなかカッコいいことを言う。最初から総裁選出馬の意思がなかったなら、では何のために人事屋森喜朗と会談したのか。舛添の人格の一端を窺うことができる。

 森喜朗「今自民党総裁になっても総理になれる道は100%ない。来年は参院選もあり、そこも配慮しなければならない」

 舛添要一からの総裁選出馬協力要請に対する体のいい断りと見ないと、舛添の以後の自民党に対する著書やその他での数々の批判が理解不能となる。

 「改革に抵抗したのが族議員たちだ。行政のトップは大臣であり、与党の族議員が邪魔するようでは話にならない。自民党が国民の信頼を失い、政権を失ったのは当然だ」

 「党内の派閥が、政治家の能力や適性を考えずにポストを配分してきたことが『脱官僚・政治主導』の確立の弊害になってきた」

 以上は自民党批判であると同時に長い間、派閥のボスとして、その当時も派閥の実質的オーナーとして内閣人事や党人事を握っていた森喜朗に対する批判でもある。

 この批判から、森・舛添会談の内容を窺うことができる。いわば自民党総裁選立候補への協力要請を断られると、一転して自民党批判・執行部批判に転じた。

 「自民党が国民の信頼を失い、政権を失ったのは当然だ」

 「自民党の歴史的使命は終わった」

 「古くなって国民から見捨てられた政党を再生しても駄目。新しく作るくらいの気構えがないといけない」

 「国民はかつての自民党政権の復活は望んでいない」

 「自民党の体制、体質は旧態依然だ」

 「自民党は古い体質を抱えたままだ」

 「官僚主導体制でやってきた」

 「派閥が党を支配した派閥主導政治だ」

 「自民党は参議院選で負けたら、なくなる」

 言いたいことを言って、2010年7月の参院選挙3カ月後にを控えた2010年4月23日に舛添は自民党を離党。離党に対して自民党は最も重い懲罰である除名処分で応じた。

 除名処分を受けたことについて述べている。

 舛添要一「参院選に敗れたら自民党はなくなるという危機感を持って戦っており、自民党支持者も支援してくれていると思う。敵は小沢民主党独裁政権で、敵を間違ってはいけない」

 舛添要一「我々の敵は小沢一郎幹事長のいる民主党だ。敵を間違ってはいけない。民主党政権を倒すことに成功すれば、自民党支持者にもきちんと評価して頂けると思っている」

 敵は民主党、あるいは小沢一郎であって、自分ではないとのご託宣である。散々批判し、自民党に反旗を翻したのだから、自分の信念に従った行動だ、除名処分を受けて立つという気概を見せるのかと思ったら、敵を見間違えないでくれと懇願を秘めた発言をする、

 2010年2月10日出版舛添要一著の「内閣総理大臣 ――その力量と資質の見極め方」(角川書店))には次のような一節があるという。

 「時期が来たら私自身がリーダーシップを取ることを拒否はしない。首相に必要な能力を持つよう努力している」

 首相に必要な資質。 「国民の琴線に触れる言葉、ビジョンを政策として提示する能力」

 安倍晋三、福田康夫、麻生太郎の3首相――

 「哲学の素養は欠落していた」

 これらの一節からも、2010年2月10日出版に先立つ2009年9月1日の森・舛添会談の内容が総裁選出馬への協力要請であり、体のいい断りであったことを窺うことができる。

 首相に必要な資質としての「国民の琴線に触れる言葉、ビジョンを政策として提示する能力」にしても哲学の素養を必要とする。

 自身では哲学の素養を十分に備えていると自負していた舛添要一は自民党を離党し、新党改革の代表に就いたのち、その代表を辞任して2014年1月8日、2014年東京都知事選挙に無所属で出馬することを表明した。

 以下「Wikipedia」から見てみる。

 2日後の1月10日、自民党東京都連が舛添を支援することを発表。のちに推薦を決定。

 1月15日、自民党本部で自民党幹事長の石破茂と会談。「本部としてもしっかり支援していく」と述べる。(以上)

 舛添要一が2014年1月14日、東京都庁で記者会見を開き、都知事選立候補を正式に表明したのに対して翌1月15日午前、小泉進次郎が舛添要一の立候補正式表明に一言申し上げている。

 小泉進次郎「応援する大義はないと思う。自民党を除名された方を支援することも、除名された方が支援を受けることも、私にはよく分からない。

 (小泉 純一郎元首相の細川護熙元首相全面支援に対する党内の批判に関して、批判は)当たらない。(舛添氏は)自民党本部の支援(推薦)ではない」(時事ドットコム)――
 
 その小泉進次郎が2日後の1月17日午後前、党青年局の研修会で舛添要一を応援しないことを再度表明した。

 小泉進次郎「(舛添氏は)野党で一番苦しかったときに『自民党の歴史的使命は終わった』と党を出た。ずっと離れずにいた自民党員、有権者がこの姿勢に『自民党の背骨』があると見るかどうかだ」(MSN産経)――

 要するに「自民党が一番苦しかった時に後ろ足で砂をかけるようにして自民党を捨てた舛添要一に自民党の背骨を持っている政治家だと見るかどうかだ」と問いかけている。

 この言葉を裏返すと、「舛添要一は自民党の背骨を持っていない政治家だ」と見做し、結果、「支援する大義はない」と、最初の一言に戻る。

 首相の安倍晋三が2014年1月19日に舛添要一の前妻の自民党参議院議員片山さつきに舛添の応援を依頼している。だが、片山さつきは断っている。

 安倍晋三「誰よりも片山さんに(舛添氏の)応援に立ってほしい」

 片山さつき「舛添氏は障害を持つ婚外子に対する慰謝料や扶養が不十分だ。解決されていない」

 ネット上の噂によると、舛添要一には片山さつきと結婚前から女がいて、二人の間に障害を持った子が生まれているとのこと、その子に対する慰謝料や扶養が満足に行われていないことが片山さつきの言葉から窺うことができる。

 安倍晋三は片山さつきに舛添への応援を依頼する2日前の2014年1月17日、都内で開催の日本記者クラブの会合で都知事選に立候補した舛添要一に関して次のように発言している。

 安倍晋三「しっかりと手腕を発揮していただける。期待できる。舛添氏は第1次安倍政権と福田、麻生両政権で厚労相を務めた。(社会保障分野に)精通している」

 要するに小泉進次郎と片山さつきは舛添要一の人格、あるいは人間性を問題にして、都知事を託すにはふさわしくない政治家だと見ていた。

 対して安倍晋三は人格や人間性は見ずに政治的能力のみを見て、都知事を託そうとしていた。

 人格、あるいは人間性の点から舛添要一を批評する人間は多くいるだろうが、もう一人、よく知られている代表的な一人を紹介してみる。5月29日放送の「そこまで言って委員会」で政治資金私的流用疑惑の火中にある舛添要一が取り上げられた。

 辛坊治郎「長い付き合いの田嶋さんに是非伺いたいんですが、この人の人格的にはどうなんですか」

 田嶋陽子「私は長いこと、10年くらい一緒にテレビに出たことあるんですけど、私は、自分がテレビに出る人と普通、飲み食いは絶対しないの。気が弱いから、意見が言えなくなるから。

 だから、舛添さんの個人的なことは何も知らないの。知らないけど私と議論していて負けたらね、『ブスっ』って言ったの。

 (両手で頭上に大きく円を描いて)ここに(舛添という人間の人格の)全てが現れているの。私はいつも、『ハゲっ』って言ってやっってるよ。一番最後っ屁で、『ブスは化粧すれば直るけど、ハゲは治らない』と。

 この人は非常に古い。何が国際政治学者?非常にタイプの古い人です。大変立派な考え方を展開しますけど、オリジナリティのある人ではないです。だから、国際政治学者の『国際』が泣く。

 それから人権問題に関して非常に劣っています。あの人は私に対して意見が違っただけで、そう言うことを(「ブスっ」と)言うように実際によく分かっていないんです。女性の人権とかそういうことは。(議論する間柄にあったときは)ずっと分からないままに終わりました」

 結婚していながら、何人か愛人がいたこと、障害を持った婚外子に対する扱い等々を見るだけで、その人格・人間性を見て取ることができる。そして東大を出て、東大の助教授まで務め、国際政治学者を名乗りながら、それらの矜持を忘れて、相手の議論に対して自身の言葉が詰まると、相手を打ち負かすために相手の容貌上の弱点を突いて「ブスっ」と言う。

 自身が卑怯な手を使ったことに気づかない。その程度の人格・人間性だった。

 こういったことはお構いなしに自民党が応援すれば、鬼に金棒である。自民党の力が舛添を東京都知事に押し上げたと言っても過言ではない。

 選挙結果は次のとおりである。

 舛添要一 無所属 新  得票数 2,112,979 得票率 43.40%
 宇都宮健児 無所属 新 得票数 982,594 得票率 20.18%
 細川護煕 無所属 新   得票数  956,063 得票率 19.64%
 田母神俊雄 無所属 新 得票数  610,865 得票率 12.55%

 都民から次点に2倍以上の投票を得た。

 流石にかつて国民から次の首相としたい人物として人気を博しただけのことはあるし、その人気を自民党がバックアップした成果であるはずだ。

 だが、今回の公用車問題、豪華海外視察問題、そして政治資金での大量の美術品購入や漫画を含めた書籍購入、家族ホテル宿泊代金支払い、飲食代支払い等々の政治資金私的流用疑惑と疑惑に対する説明責任回避を受けた結果、国民・都民の舛添要一に対するかつての評価は急速に萎むことになった。

 5月28日、29日の舛添の進退についての「毎日新聞「世論調査」。 

 「辞任すべきだ」77%
 「辞任する必要はない」13%

 舛添支援の自民支持層

 「辞任すべきだ」81%

 舛添支援の公明支持層

 「辞任すべきだ」60%超

 東京都内での調査

 「辞任すべきだ」81%

 5月28日、29日の同趣旨の「産経新聞世論調査」。 

 「辞任すべきだ」79%
 「辞める必要はない」16・4%
 
 「説明に納得できない」97%
 「説明に納得する」1・6%

 5月15日未明、自民党は舛添要一に対する不信任決議案を議会運営委員会理事会に提出した。共産党やその他の野党が提出の構えを見せ、同じ与党の公明党が提出を表明していた手前、疑惑解明に後ろ向きと国民に見られた場合の参院選への影響を考えた措置だといったことをマスコミは伝えているが、2014年都知事選での支援とは打って変わってその手のひらを返したことになる。

 他の党は自民党案に一本化し、6月15日の本会議に上程、審議される運びとなった。舛添要一が自ら辞職しない限りは同日午後に可決される見通しだという。

 可決された場合、舛添要一が10日以内に議会を解散しなければ、失職することになるが、舛添氏が議会を解散しても、都議選で新たに選ばれた議会が再び不信任案を可決すれば、舛添は失職する決まりだそうだ。

 やっと国民・都民も舛添のニセモノ性に気づいたといったところか。政治家の多くも気づいて、都知事から追い落とさざるを得なくなった。

 都知事に担ぎ上げた責任は不問に付されるに違いない。

 舛添要一のニセモノ性にやっと気づいたが、国民が安倍晋三のニセモノ性に気づくのはいつのことだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舛添要一:政治資金流用疑惑都議会集中審議、自民鈴木都議の追及の甘さに腹の中でせせ笑っていたに違いない

2016-06-14 16:16:14 | Weblog
  
 舛添要一が自らの政治資金私的流用疑惑で6月13日午後2時半から都議会総務委員会で集中審議を受けた。質問通告のない一問一答形式で、大方が舛添要一は追いつめられるのではないと予想していたと思うが、案に相違して言葉に詰まることも、慌てて言い替えるといったこともなく、淡々と答弁を繰返していった。

 要は追及側の問題なのだろう。

 舛添本人の依頼で疑惑を調査した検事上がりの2名の弁護士の第三者調査の報告発表当日の記者会見でマスコミの記者たちの質問に対する舛添の答弁とほぼ同じ答弁を繰返させたに過ぎなかった。

 但し自らに掛けられた疑惑を晴らすことができたわけではない。疑惑には何も答えずにそれを残したまま単に言葉巧みに言い抜けたに過ぎない。

 腹の中では追及の甘さにせせら笑っていたのではないだろうか。 

 最初の質問者は自民党の鈴木隆道都議(65歳)。なかなか恰幅も顔立ちも顔艶もいい、毎日贅沢な食事をしているような立派な服装の男だったが、質問はそのような見栄えを見事裏切った。

 鈴木都議は最初に2013年と2014年いずれも正月に千葉県木更津市のホテルに家族と宿泊していながら、その宿泊代の合計37万円余りを会議費の名目で政治資金から支出していた疑惑から持ち出して、舛添がその正当性を宿泊したホテルで政治活動の一環として政治的な意味合いの会合を行っていたからだとしている点について会合の出席者名を証言させる形で疑惑解明の突破口とした。

問い質した。

 この質疑についてのみ、今回はブログで取り上げたいと思う。

 政治資金から支出した理由はいずれの宿泊でも政治活動の一環としての政治的な意味合いの会合を行っていたからだとしている。 




 問い質すについては前以て考え得る疑惑の筋書きを組み立てておかなければならない。

 一つは純粋な家族旅行の宿泊でありながら、自分の懐を傷めたくなかったから、政治資金から支払った体裁を取り、政治資金規正法収支報告書にそのように報告して、政治資金から自身の懐に補填したという筋書き。

 ところが週刊誌等によって政治資金の私的流用の疑惑をスクープされたために政治資金での支払いを正当化するために政治的会合を行っていた政治活動の宿泊だという虚構を作り上げたという追加の筋書き。

 当然、会合の相手が問題となるから、最初は事務所関係者だとする筋書きとした。

 第三者調査報告では相手が元新聞記者の出版会社社長に変わっている。この変更に第三者調査報告の記者会見では記者たちは重要視しなかったのか、舛添に問い質していない。

 あるいは報告に先立った定例記者会見等で舛添の方から、訂正があったのかもしれない。

 あるいは事務所関係者とするよりもより具体的な人物像とすることによって虚構に真実味を持たせる意図があったのかもしれない。

 どちらであったとしても、ホテルの部屋で接触していたという人物そのものは存在しない筋書きとなる。

 二つ目はホテル宿泊代を政治資金から支払うについて、その正当性の確立と万が一の露見に備えて証拠を残しておくその両方の必要性から家族旅行のホテルに実際に関係者を呼び入れて、数時間の会合を持ったという筋書き。

 会合は単なる雑談だったかもしれないし、政治的な話も交えていたのかもしれない。

 純粋に政治的な意味合いの会合を行うためにホテルを借りて、そのホテルに家族を呼び寄せて宿泊させたという三っつ目は考えられない。前二者とは逆の便乗だが、よりせこくなるし、第三者調査報告がこの構造を否定している。

 舛添は他のホテルで家族と宿泊したときも、その代金を政治資金から支払っていて、そのような場合も部屋に自身の政治活動に関係する友人を招いて会合を開いていたとする同じ行動パターンを明らかにしていることから、わざわざ友人をホテルに招いて宿泊を政治活動の一環と見せかける小細工を常套手段としているのではないかといった趣旨のことを1週間程の前のブログに書いたが、テレビ番組で13日の集中審議を視聴していて、誰も招いていない、政治的な意味合いの会合もなかった、全て疑惑報道後に作り上げた虚構もあり得ることに気づいた。

 一つ目として示した疑惑の筋書きである。

 前者・後者、いずれの筋書きも可能性としては考えられることなのだから、両方の筋立てに添って追及するのが最善の質問に思える。

 但し前者の筋書きで、実際は会合など行われていなかったのではないのか、疑惑報道が持ち上がったことから、政治資金で宿泊代を支出した事実を隠すために会合をデッチ上げ、会合への参加者が必要となったために最初は事務所関係者としていたが、より確認のしようのない死人に口なしの既に死亡した人物を参加者に仕立てたフィクションではないか、だから名前を言えないのではないのかと追及したとしても、舛添は会合も参加者も事実ですと答えるだろうが、では会合参加者の名前を明かすことがそれらを事実とすることのできる唯一の証明となるのだから、名前を明かせと迫ることができる。
 鈴木隆道都議がどのような筋立てを組み立ていたのかはその質問の内容によって判断されることになる。

 発言は6月13日日テレ放送の「情報ライブ ミヤネ屋」の集中審議実況中継から文字に起こした。
 
 鈴木都議「知事、これまで代表質問、一般質問、さらには記者会見を含めると一体どれだけの時間を費やされているかご存じですか。実に延べ13時間ですよ。これだけ時間を費やしているのに、都民の皆さんも、私と誰一人として知事の言葉に納得していませんよ。説明責任が果たされているとは誰も思っていません。むしろ知事のリーダーシップ、政治家としての資質を疑う声が日増しに大きくなっておるんです。都庁に来る苦情の電話も、私達都議に来る抗議のメールも増えることはあっても減ることはありません。知事、みんな怒っているんですよ。そのことを十分分かっておられますか。
 今このような状況で中で知事と共に都政に責任を持つ都議会自民党が求めているのは二つであります。一つは知事自身がご自分の言葉で説明責任をきっちりと果たすこと、もう一つは説明責任を果たした上で自らの身の処し方、けじめをつけて頂くことであります。

 議会の質疑に於いて弁護士の調査結果を利用して自分の言葉で説明する責任から逃れることは許されません。今日の総務委員会の場が知事自身が説明できる最後の機会になるかもしれません。

 知事にとって貴重な場になるはずです。それでは伺います。通り一遍の原稿読みも形だけの謝罪ももう沢山であります。この委員会での質疑は都民のみなさんにとって納得のいくものになるように真摯に明確にお答え頂けくことををお約束頂けますか。お答え願います」

 舛添要一「しっかりと私の言葉でお答えをしたいと思います」

 鈴木都議「先ずは千葉市のホテルの面談の相手であります。具体的な話を聞きますが、多くの疑惑の中でも、我々だけではなく、都民や多くの国民が一番疑問だと考えているのが千葉県木更津市のホテルで行われたという会議であります。

 そこで先ず問題となっているこのホテルの調査についてはどのような調査を受けたのか、知事に明確に説明を頂きたいと思います」

 舛添要一「元検事の弁護士の先生方から2日間に亘って約10時間のヒアリングを受けました。そして面談、ないし会談の中身、そして相手の名前について問い質されました」

 鈴木都議「第三者の報告では、付き合いが長く、かねてより相談相手としていた出版会社社長を客室に招き、相談を行ったとされています。では、その出版会社社長とは一体何者なのか。

 この点に注目が集まっています。昨日のとある報道では競馬雑誌の社長の可能性がある、その方は既に亡くなっていると報じられました。疑念は深まる一方であります。

 今こそその疑念を晴らすことが多くの疑惑解明の出発点であろうと考えます。知事は先の我が党の代表質問に於いて、『先方の立場もあることから、お答えできない』、その旨の答弁をしました。しかも我が党が行った異例の再質問にも答えておりません。

 疚しいことがないのであれば、誰と会ったのかをその事実をここで明らかにしたらどうですか。答弁を求めます」

 舛添要一「私は政治家として、そしてまた国会議員として、閣僚として、色んな政治の場で仕事をしてまいりました。そして当然、公式な会合もありますけれども、様々な政界関係者、財界関係者、マスコミの方々、そういう方々と非公式の会合も重ねて参りました。

 そしてそういう非公式の会合につきましてやはり政治の機微に関わって外には出せない。そして政治家としての私の信義という観点から、それは外に出せない、そういうことはたくさんあります。

 私は今日は列席の先生方も政治家の皆さん方でありますから、そこのところはご理解して頂けるものと思いますので、そういう観点から、私はその方のお名前を明らかにすることはご容赦願えれば思います」

 鈴木都議「知事、もういい加減にしましょうよ。ご託を並べても都民・国民が納得するわけないじゃないですか。ましてや、知事、今のあなたの政治家の信義という言葉がふさわしくない政治家はいないですよ。

 相手方に聞いてみて、迷惑がかからないということであれば、氏名を明らかにしたっていいじゃないですか。多くの都民・国民が注目しています。あなたの誠意ある答弁を求めます。以上お答えください」

 舛添要一「私は自ら今、政治家としての信義ということを申し上げました。私がその判断したわけであります」

 鈴木都議「それでは他にも公用車の使用で問題となっているN響や東京ドームに於ける政務の相手方についても言えないということですか。知事、如何でしょうか」

 舛添要一「私は先程申し上げましたような理由によりまして政治家としての信義、これから政治家として仕事をやっていく、そういう意味で私の判断として、これは申し上げられない、そういうことでございますので、ご理解頂ければと思います」

 鈴木都議「知事、元検事の調査に対して名前を述べたが、しかし都議会では明らかにできない。これは政治家としての信義の問題だと言われる。それならば都議会に対する信義はどうやって果たすんですか。

 仮に都議会に対する信義を果たしたいと政治家としての僅かな矜持を持つのであるなら、少なくとも千葉県のホテルの領収書の明細ぐらいは出したら如何ですか。

 領収書には明細分と領収書の部分が1枚の紙であるのに、なぜ領収書の部分しか出さなかったんですか。公私混同が分かってしまうから、切り離したんだという声もありますが、知事どうですか。答えてください」

 舛添要一「あの、私自身がその明細が付いていたかどうかは記憶にございません。しかし領収書を添付することが政治資金の報告書に義務付けられておりますから、それはそこに添付しました。

 但しそこには但し書きの欄がございませんでした。そういうところはしっかりと今後是正していかなければいけないと思っております。そして明細書につきましては今ご指摘がございましたんで、もし再発行して頂けるなら、ホテルで、早速その要求をするように指示したいと思います」.

 鈴木都議「確認しますが、ホテルに確認して再発行すると、いうことを、指示を出すと、いうことで今発言をしたと理解してよろしいですか」

 舛添要一「この時間、この議論の休憩時間にも、できるだけ早い時間に指示を出したいと思っております」

 鈴木都議は喫茶店で1人600円・30人分で1万8000円の政治活動費からの支出についての追及に移る。

 鈴木都議の疑惑についての筋立ては私が二つ挙げた後者であって、その筋立てに添って、あくまでも家族が宿泊したホテルで政治的な意味合いの会合が開かれていて、参加者の名前を明らかにさせることに重点を置いた追及となっていた。

 対して舛添の方は第三者調査の報告が政治資金で宿泊代を支払ったいずれのホテルの宿泊も、「全体として主たる目的は家族旅行」と見做し、いわば「全体として」だから、そこで政治的な意味合いを持つ会合が行われていた事実を既に認定しているから、「不適切と指摘を受けた点は改めて参りたい」と単なる不適切行為に位置づけて、今まで記者会見やらで使ってきた発言を再度使って、「政治の機微に関わるだ」、「政治家としての信義の問題だ」と言って、名前を明かすことはしなかった。

 明らかに主たる目的は家族旅行であり、ホテル宿泊代は私的な支払いでなければならないのにそれを政治資金で支払った疑惑が疑われていながら、この件に関しての鈴木都議の追及は今までどおりの発言で片付けさせる中途半端な歯がゆい仕上がりで、そのために舛添を無傷としてしまった。

 もし政治資金で支払った家族旅行のホテル宿泊代の全てが純粋に家族旅行でありながら、私的流用の疑惑を報道されて、政治資金からの支出を正当化するためにデッチ上げたホテルの一室での政治的意味合いの会合ではないのか、参加者など存在しなかったのではないのかと追及したら、どうなったろう。

 既に触れたように舛添は勿論否定する。

 だとしても、そのように追及することによって舛添を益々疑惑の政治家に追いつめることはできる。

 どうも鈴木都議の追及の甘さに舛添が腹の中でせせら笑っていたように思えて仕方がない。

 鈴木都議とは比べものにならない程にも強(したた)か、あるいは曲者だということなのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三のアベノミクスが格差拡大ミクスであることを証明する統計がまた出てきた

2016-06-13 08:46:31 | 政治

 大手シンクタンクの試算だそうだ。どの記事も大手シンクタンクと紹介するだけで、実名が出ていない。共同通信配信の「47NEWS」(2016/6/11 19:46)から見てみる。

 安倍政権の経済政策アベノミクスが始まった2013年から大手企業と中小企業の業績格差が急拡大し、経常利益の合計額の差が2012年の10兆円の差から2015年19兆円の差に拡大、過去最大になったという。 

 1.9倍。2年間で約2倍に近い格差が生じていた。

 安倍晋三「世界経済がリスクに直面する今、ロケットが大気圏から脱出する時のように、アベノミクスのエンジンを最大限に吹かさなければなりません。デフレからの『脱出速度』を更に上げていかなければなりません」――

 6月1日に首相官邸で行った消費税増税の再延期を伝える記者会見での発言だ。

 要するに安倍晋三は格差拡大に向けてアベノミクスのエンジンを吹かし続け、そのエンジンを今後最大限に吹かすつもりでいる。

 そのエンジンの噴出力の恩恵を受けてのことだろう、売上高合計も大手が12年より増加したのに対して中小は減少し、勢いの違い――格差が鮮明に現れているという。

 原因は大規模な金融緩和による円安で輸出中心の大手は収益が伸ばしたが、中小は原材料の輸入コスト増が重荷となったことと安倍政権が進めた法人税の実効税率引き下げや投資減税が大手により多くの恩恵をもたらしたことだそうだ。

 安倍晋三は国家の存在性を優先させて、国民の存在性を国家の存在性の次とする国家主義者である。安倍晋三のこの理念はアベノミクスの全てに亘って体現されることになる。 

 日本の大企業が世界で活躍してこそ、国家のより強い、より優れた存在性を証明する切り札と見ていて、その利益を最大限に尊重し、その利益の実現に努力することになる。その結果の安倍政権下での一般国民を置き去りにした格差拡大であって、当然の帰結と見なければならない。

 例えば2016年春闘の大手企業業種別妥結結果の最終集計は2015年6月末に発表となっていたから、今年も6月末だと思うが、2016年4月4日付「SankeiBiz」が春闘の中間集計を伝えている。

 全体の賃上げ獲得額は1249円

 組合規模別

 組合員1千人以上大手組合――1122円
 300~999人――1128円
 299人以下の中小組合――1281円

 規模が小さくなる程、獲得額が増えている。大手と中小の差額は159円。

 これを以て格差が縮小していると見ることができるかである。

 この調査対象者はあくまでも組合員である。組合に所属していない非正規従業員が多く存在すると見なければならない。彼らには少しばかりのお裾分けで僅かながらの賃上げが認められるだろうが、組合員程とは言えまい。

 「平成27年賃金構造基本統計調査 結果の概況」(厚労省)から「平成27年雇用形態別の賃金」を見てみる。  

 正社員・正職員     321.1千円(年齢41.5歳、勤続12.9年)
 非正規社員・パート等 205.1千円(年齢46.8歳、勤続7.9年)

 正規社員の年収321万1千円に対して非正規社員の年収が205万1千円。その格差116万円。

 あくまでも平均であるから、平均以上と平均以下では格差はより大きくなる。

 春闘の中間集計で中小組合の賃金獲得額が大手組合のそれと159円上回っていたとしても、格差是正にどれ程に役立つというのだろうか。

 安倍晋三はアベノミクスが格差ミクスであることを否定して、保育士や介護士の賃金改善や同一労働・同一賃金を掲げているが、掲げること自体が格差の反映でしかないのだが、企業は国際競争力獲得のための人件費圧縮の必要性から安価なコストの非正規社員を増やしてきたのであって、当然、非正規の給与を正規の給与に近づける同一労働・同一賃金は企業利益を削ることになり、大企業の世界での活躍を得て国家の存在性を誇示しようとする安倍晋三の国家主義者(安倍晋三は「世界で一番企業が活躍しやすい国の実現。それが安倍内閣の基本方針です』と言っていた)を自己否定することになるのだから、その矛盾が露呈したとき、果たして安倍晋三は国家の存在性を優先させて、国民の存在性を国家の存在性の次とする国家主義と決別し、国民の存在性を優先させて、国家の存在性を国民の存在性の次に置く国民主義の道を選択できるだろうか。

 いわば自らの国家主義に反して日本の大企業が国際競争力を失っていくのをただ眺めていることが果たしてできるのか。国際競争力の突出を望まず、それを少しぐらい失っても、程々のところで世界に存在感を示すことができる経済の持続性を備えた成熟した国家の形を求めるべきだが、日本国家の偉大性を常に求めて止まない安倍晋三の国家主義はそういった国家の形にノーを突きつけるに違いない。

 経済に於ける国民主義は野党が主張しているトリクルダウン形式ではないボトムアップ形式の景気回復の追求がそれに当たる。国家の豊かさよりも国民の豊かさを重視する経済構造を指す。

 大手企業と中小企業の業績格差は、それが統計が示している事実である以上、客観的事実であって、安倍晋三が認めたくない事実としていくら格差を否定しようとも、単なる主観的事実に堕す。

 だが、7月の参院選挙に致命的な悪材料となるアベノミクスを自己否定するような事実に目をつぶり、主観的事実を跳梁跋扈させている。

 6月12日のNHK「日曜討論」

 茂木敏充「大企業と中小企業が何か対立しているようなお話をされているが、例えば先週愛知県に行ってきたが、過度な円高によって日本の企業は苦しんできた。これは随分改善された。

 モノづくり産業、自動車始め車というのは一社では作れない。何千社の関連の企業が一緒になってつくる。それは大企業も良くなれば、中小企業も良くなるわけですから、その関連の中小企業の収益も過去最高になっている。

 賃金の方の水準も2%の賃金水準で引き上げられている」

 安倍晋三の主観的事実に添った茂木敏充の主観的事実に過ぎない。

 確かに中小企業の経営が良くなっていたとしても、あるいは中小企業従業員の給与が上がっていたとしても、その両方が共に格差を拡大させながらの1%の大手企業を頂点に置き、99%の中小企業を下に置いたピラミッド型の利益構造であることに変わりはない。

 いわばそのピラミッド型の構造にアベノミクスは格差拡大ミクスを益々注入させているというのが冒頭の大手シンクタンクの試算であるはずだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三の参院選公約:政策実現に「可能な限り」は努力目標の提示であり、公約(=国民との契約)でなし

2016-06-12 08:57:22 | 政治

 ――充実した社会保障政策を最も必要とする階層は中低所得層であろう。最初にこのことを断っておかなければならない――

 安倍自民党が2016年7月参議院選挙の政策集「自由民主党政策パンフレット2016」を発表した。

 マスコミには6月3日に公表していた。今日は載っているかもしれないと自民党のサイトをほぼ毎日覗いていたと思うのだが、6月6日にPDF記事をダウンロードすることができた。マスコミにいち早く伝えて、マスコミを通して国民に知らせたい気持は分かるが、マスコミ報道を介さずにその情報に直接接することができるなら、そうしたいと思っている国民もいるはずだ。

 マスコミ先行、国民後回しというのも自民党の姿勢が現れているように思えたが、勘繰り過ぎだろうか。その欲求に応える必要はないというなら、首相の記者会見も国会中継も後から流してもいいということになるし、すべての情報はマスコミ報道任せでいいということになる。

 国民に不親切なのはこのことばかりではない。「パンフレット2016」はコピー&ペーストができない。政策を吟味し、評価を加える手間、あるいは負担を余分に掛けさせている。

 情報社会でありながら、自在であるべきその伝達・利用の自在性を逆に損なって、我が党の参院選挙の公約ですよと胸を張っている。もしページ制作会社が単独で行ったことなら、前以て誰もが利用しやすいページにするようにと一言声をかけるのが気配りというものであろう。

 不親切は他にもある。ページを順次覗いていくためにはスクロールバーを上下に動かさなければならないのは当然だが、成果を強調したいためか大きな写真を何枚も載せているからなのだろう、文章だけのページになると、段組が6列もあって、ページの最後の段組の文章を読むためにスクロールバーを右端に寄せて読み終え、次のページに移る場合、上下のスクロールバーを下にスライドした上で左右移動のスクロールバーを再び左に寄せなければ次のページの文章に出会うことはできない。

 面倒な上、読みづらいものとなっている。簡潔にすべきところを盛り込み過ぎて却って始末の悪い結果をもたらすということがよくあるが、この政策満載の自民党の政策集、同じことの象徴に見えないことはない。

 「財政の健全化」の項目で、〈消費税については全額、社会保障の財源とし、国民に還元ます。経済再生と財政健全化を両立するため、2019年10月に消費税率を10%へ引き上げます。その間、赤字国債に頼ることなく安定財源を確保して可能な限り社会保障の充実を行います。〉と自らの政策実行を謳っている。

 消費税の約束した期限通りの増税という選択肢と赤字国債に頼るという選択肢を捨てたことから社会保障財源の確保が難しくなった。そのために「可能な限り社会保障の充実を行います」と、「可能な限り」という表現の約束となった。

 「可能な限り」という言葉はあくまでも努力を伝える言葉である。努力しますという約束――努力目標の提示であって、できませんでしたと言えば、それまでで、決して公約(=国民との契約)とは言えない、無責任な部類に入る政策提示でしかない。

 そのくせ、同じ消費税増税延期を掲げ、その間の財源を赤字国債で賄うとしている民進党の政策を、安倍晋三は「民進党のように、赤字国債を発行してその給付を全て賄う、社会保障費を全て賄うということは、私は無責任だと思います。赤字国債を財源に社会保障の充実を行うような無責任なことは、私たちは行いません。自民党と公明党の連立与党はそういうことは絶対にしない、ということをまず明確に申し上げておきたいと思います」と消費税増税再延期を伝える6月1日の記者会見で批判している。

 赤字国債を900兆円規模に拡大させたのは自民党政治である。その他借入金55兆円規模、政府短期証券116兆規模、合計の国の借金1000兆円を超える規模となっていて、その殆どを自民党政治が積み上げた。

 自民党のその責任を棚に置いて、民進党が単に赤字国債を財源するというだけで批判する。優先順位をどこに置いているかの違いを理解できていない。「可能な限り社会保障の充実を行います」は単に努力目標の提示であるのに対して民進党が財源を赤字国債で確保するということは赤字国債が増えることよりも社会保障政策の実行を努力目標とするのではなく、少なくとも公約(=国民との契約)としていることになる。

 最初に充実した社会保障政策を最も必要とする階層は中低所得層だろうと書いたが、いわば安倍自民党が中低所得層が最も必要とする社会保障政策よりも財政健全化に優先順位を置いているのに対して、その結果の社会保障政策に関しての努力目標の提示のみで、公約(=国民との契約)としていないことになるのだが、民進党は中低所得層が最も必要とする社会保障政策に優先順位を置いて、一時的に財政健全化を延期する政策を提示したことになるはずだ。

 このことを言い換えると、参院選公約に関しては安倍晋三は中低所得層よりも一時的にではあっても財政健全化に目を向け、民進党は一定期間内の財政健全化は後回しにして中低所得層により目を向けようとしている、その姿勢の違いの現れだと言うことができる。

 どこに目を向けているのか、この姿勢の違いは「政策パンフレット」で、「中小企業の倒産は政権交代前から3割減少した」だ、「求人倍率が1を超えた」だ、「今世紀最高水準の賃上げが一昨年、昨年に続き、今年の春も3年連続で実現した」だ、「パートの皆さんの賃金も過去最高だ」と並べ立ててアベノミクスの成果を誇っているが、個人消費の低迷が証明している中低所得層の生活実態が成果とは異なることに気づいてない、目の向け方にも現れている。

 国民は7月の参院選で1票を投じる規準を安倍晋三の目の向け方、その姿勢に置くか、民進党の目の向け方、その姿勢に置くか、問われていることにもなる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月5日「ビートたけしのTVタックル」司会者阿川佐和子の日本国憲法はアメリががつくったとしている理解

2016-06-11 09:21:08 | 政治

 2016年6月5日放送のテレビ朝日「ビートたけしのTVタックル」で作家・エッセイスト・タレントである司会の阿川佐和子(62歳)が日本国憲法はアメリカが作ったと理解していることが分かった。

 阿川佐和子は父が作家の阿川弘之、自身も講談社エッセイ賞や坪田譲治文学賞、島清恋愛文学賞等を受賞しているとネットで紹介されている多才の持ち主である。きっと頭のいい女性なのだろう。

 番組で安倍晋三が狙っている憲法改正について賛成か反対かを問うコーナーがあった。

 阿川佐和子「田嶋さんは憲法改正に反対ですか」

 田嶋陽子「そりゃそうよ。私はこの憲法に誇りを持っているもん。日本国憲法に関しては1、2周先に行っている。他のことは1、2周遅れているけどさ。憲法だけは世界の1、2周先に行っている」(要旨)

 阿川佐和子「アメリカが作った憲法・・・・・・」

 田嶋陽子「何を言うの。そういうバカを言う。(右隣の席の弁護士の本村健太郎に顔を向けて)違うよね」

 テレビカメラが目をまん丸にし、「あー」と言うように口を大きく開けた阿川佐和子の顔をクローズアップした。

 本村健太郎「アメリカが作ったと言われているいわゆるマッカサー草案というのは確かに8時間で作られたんですけど、それは元々松本試案というのが――」

 田嶋陽子「そう、そうなのよ」

 本村健太郎「あまりにも明治憲法と同じだというので・・・・」

 ビートたけし「2周、2周遅れていた――」

 ビートたけしがチャチャを入れて、この議論は尻切れトンボで終わる。

 歳のせいで最近横着になり、これだけの発言を録画してある番組から文字を起こすのが面倒になって、ネットで紹介していなか探してみると、「Yahoo! 知恵袋」で次のような質問と回答に出会った。 

 質問者〈阿川佐和子さんが、TVタックルで憲法改正の話題の時に、「憲法はアメリカが作った」と言って、本村健太郎さんと萩谷順さんに訂正されてたけしさんの顔を見て「失敗した」みたいに舌を出していました。
 阿川さんは、政治家を含め色々な方にインタビューをしたり多才で憲法も詳しそうですが、今の憲法はアメリカが作ったと思っていたのでしょうか? 〉

 回答者1〈日本の憲法は、GHQが作った草案を日本が一部アレンジしたものです。

 阿川佐和子さんのアメリカが作ったと言うのが正しく、本村健太郎氏と萩谷順氏が間違っています。特に萩谷順氏は元朝日新聞の記者で、歪んだ思想をお持ちです。

 萩谷順:「日本は中国の植民地になること(要約)も検討すべき」という驚きの発言
 http://nettaro-note.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-9730.html

 日本国憲法が出来た経緯は、以下のとおりです。

 1945年10月にGHQから憲法の自由主義化を要求され、日本政府による明治憲法の調査研究が開始されました。2月1日に日本側の最初の憲法草案が新聞にスクープされ、それを見たマッカーサーは保守的な現状維持だと判断し、2月3日にGHQ民政局長であったコートニー・ホイットニーにGHQ草案の起草作業を指示します。

 2月13日に日本側の草案がマッカーサーに手渡されると、マッカーサーはその場でその草案を拒否し、ホイットニーらが作成したGHQ草案の検討を日本側に指示します。

 日本側はGHQ草案に原則として沿う形で案を練り直して3月2日に再提出し、これが最終案になります。

 第25条の生存権など意外は、ほぼGHQ案に沿ったものになりました。

 一部は日本が修正したとは言え、日本国憲法のほぼ全体はアメリカが作ったものです。〉

 回答者2〈阿川さんは右翼政治家が支援する新しい歴史教科書をつくる会にも名を連ねる右寄りの家系ですよ。〉

 回答者3〈形式的に日本が作ったことになっているかもしれませんが、アメリカが作りました。〉 

 これらの回答者の内容を見ると、阿川佐和子の理解が正しいとする意見が多数派を占めている。そしてこれらの情報が多くの人々の頭を占めて広がっていき、選挙のとき、憲法問題を規準に投票する場合はアメリカがつくった憲法だと訴える政党、あるいは政治家に1票を投じることになる。

 安倍晋三には有利に働く有り難い主張に違いない。

 私はアメリカがつくった憲法だと理解していないから、ついでに「Yahoo! 知恵袋」に回答を寄せた。

 〈マッカーサー憲法と言われていますが、「根本原則」(統治権)の一つに、「日本国ノ統治権ハ日本国民ヨリ発ス」と国民主権を規定し、「国民権利義務」の一つに、「国民ハ法律ノ前ニ平等ニシテ出生又ハ身分ニ基ク一切ノ差別ハ之ヲ廃止ス」と平等主義を打ち出し、さらに「国民ノ言論学術芸術宗教ノ自由ニ妨ケル如何ナル法令ヲモ発布スルヲ得ス」と思想・言論・表現の自由を謳った1945年12月26日発表の日本人学者たちの憲法研究会の「憲法草案要項」が下敷きとなっています。〉

 まあ、阿川佐和子がどう理解していようと自由である。但し確実に言うことができる問題点が一つある。それは当時の日本政府の人間に民主的な憲法を作成するだけの能力を誰一人持っていなかったということである。

 政府の人間が憲法研究会のメンバーと同等の民主的思想を持っていたなら、マッカーサーにしても自らの手を煩わすことなかったろう。話しにならないと思ったから、手を煩わさざるを得なかったといったところが実態だったはずだ。 

 実はこのことを証明できる、「Yahoo! 知恵袋」に寄せた回答と同様の趣旨を持たせたブログを第1次安倍内閣時代末期の2007年8月5日付で書いている。安倍晋三も占領軍がつくった憲法という理由で憲法改正の意志を内心露わにしている。その妥当性への問いかけにもなると思うから、アクセスできなくなったサイトの紹介等の個所の訂正、あるいは読みやすいように改行を行って、改めて紹介してみたいと思う。

 《安倍憲法改正「日本人自身の手で」のマヤカシ-『ニッポン情報解読』by手代木恕之》(2007年8月5日)  

 憲法改正は政治的立場・政治信条が問題となる

 現在の日本国憲法がマッカーサー以下のGHQの手で全面的に制定されたわけではなく、日本人の手が加えられて制定されたことは周知の事実となっている。にも関わらず、安倍首相は次のように憲法改正の意志を表明している。

 「占領下にあって、占領軍の手で作られたというのは紛れもない事実です。中身がよければいいではないかという意見もありますが、制作過程というものに拘らざるを得ません。日本人自身の手で憲法をつくるべきだと思います」

 すべてに亘って「日本人自身の手で」なければならない、外国人の手を煩わしてはならない、それが「自主憲法制定」ということだと言いたいのだろう。

 例えそうであっても、「日本人自身の手で憲法をつくるべきだ」はマヤカシの主張であることに変わりはない。

 なぜなら、同じ日本人であっても、常に政治的信条が同じだとは限らないからだ。政治的立場を異にすれば、当然憲法の中身・精神も異なってくる。それを「日本人自身の手で」を絶対条件、もしくは優先条件としたとき、国民の選択に関わる意識はそこに向かい、憲法の中身・精神は二の次に置かれる危険を孕むことになる。

 いわば「日本人自身の手で」つくられたとしても、逆に「日本人自身の手で」つくられなかったとしても、問題は常に憲法の中身・精神に置かなければならない。

 終戦の翌年の1946年1月、幣原内閣の国務相松本烝治を委員長とする憲法問題調査委員会が憲法草案を起草し「日本人自身の手で憲法をつくる」機会を持ったが、GHQによって拒絶されている。それは「日本人自身の手」によるものだからではなく、草案が旧大日本帝国憲法の字句をいじっただけで、旧態依然の非民主的な憲法の中身・精神を引きずっていたからであろう。

 いわゆる松本草案なるものをHPから拾って主だったところを見てみる。(既にアクセスできなくなっている。)

≪Ⅲ.憲法問題調査委員会の改憲調査

憲法改正要綱(甲案・松本草案=1946・2・8-GHQに提出)

第1章 天皇

1.第3条ニ「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」トアルヲ「天皇ハ至尊ニシテ侵スヘカラス」ト改ムルコト

第2章 臣民権利義務

8.第20条中ニ「兵役ノ義務」トアルヲ「公益ノ為必要ナル役務ニ服スル義務」ト改ムルコト
9.第28条ノ規定ヲ改メ日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有スルモノトスルコト
10.日本臣民ハ本章各条ニ掲ケタル場合ノ外凡テ法律ニ依ルニ非スシテ其ノ自由及権利ヲ侵サルルコトナキ旨ノ規定ヲ設クルコト≫――

 単に字句を変えただけのことで、天皇絶対主義は変わらない。国体維持の意志に変化はない。自分たちが規定した天皇の絶対性を好き勝手に「侵シ」て恣意放恣な国家運営で国を破滅に導いておきながら、国民には相変わらず「侵スヘカラス」と求める天皇の地位を利用した国民支配の欲求・精神も何ら変わらずに持ち続けている。

 結果として旧憲法同様に天皇の「臣民」という大きな枠をはめられた中で国民は存在することが義務付けられることとなっている。そこから出発して「公益ノ為必要ナル役務ニ服スル義務」とする「兵役ノ義務」に代わる国家権力による国民動員へと進む。

 「信教ノ自由ヲ有スル」は天皇の「臣民」と規定された中での制限付の人権でしかない。国民の生存権を天皇の「臣民」という範囲内のものとしているから、法律で制限する場合もあり得るという逆説を踏んだ「法律ニ依ルニ非スシテ(法律に基づかなければ)其ノ自由及権利ヲ侵サルルコトナキ旨ノ規定ヲ設クルコト」ということになる。個人的権利の保障にまで至っていない後進性に包まれている。

 (注:この箇所は、〈「信教ノ自由ヲ有スル」は天皇の「臣民」と規定された中での制限付の人権でしかない。国民の生存権を天皇の「臣民」という範囲内のものとしているから、「法律ニ依ルニ非スシテ」と法律に制限していない「自由及権利」の行使は「侵サルルコトナキ旨ノ規定ヲ設クルコト」と二重に厳しく制限することを要求することとなっている。いわば「自由及権利」は常に制限付であって、保障にまで至っていない後進性に包まれていた。〉となっていたものを書き換えた。更に注を加えると、「二重に厳しく制限する」とは法律によって制限もあり得ることとしていることと、天皇の「臣民」の範囲内という制限を受けていることの二重性を指している。)

 憲法制定が「日本人自身の手」によるものであるとすることを絶対条件、あるいは優先条件とするなら、そのような条件に合致する戦後内閣の「日本人自身の手」によるこの草案に対するGHQの拒絶は「日本人」からしたら不当な差別、もしくは弾圧となる。だが、憲法の中身・精神を制定の優先条件とするなら、欧米流の民主主義と人権の価値観に反する天皇主義・国家主義は十分に拒絶する理由となって、差別にも弾圧にも相当しない。

 次に同HPから、<(この説明書は,松本国務大臣により起草され,昭和21年2月8日,前出の「憲法改正要綱」とともに連合国最高司令部に提出された))>とする≪政府起草ノ憲法改正ニ対スル一般的説明≫を、既にご存知の向きをあるかもしれないが、参考までに引用してみる。

 <政府ノ起草セル憲法改正案ノ大要ニ付キ大体的ノ説明ヲ試ムルコト左ノ如シ

〔1〕
 ポツダム宣言第10項ハ「日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スルー切ノ障擬(しょうげ=障害)ヲ除去スヘシ言論,宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ヲ確立スヘシ」ト規定セリ政府ハ比ノ趣旨ニ遵応シ1889年2月11日発布セラレ爾後一度モ変更セラルルコトナクシテ今日ニ及ヒタル日本国憲法ノ改正ヲ起案セントス即チ今回ノ憲法改正案ノ根本精神ハ憲法ヲヨリ民主的トシ完全ニ上述セル「ポツダム」宣言第10項ノ目的ヲ達シ得ルモノトセントスルニ在リ

〔2〕
 上述ノ根本精神ニ基キ憲法ノ改正ヲ起案スルニ当リ第1ニ起ル問題ハ所謂天皇制ノ存廃問題ナリ之ニ付テハ日本国カ(が)天皇ニ依リテ統治セラレタル事実ハ日本国歴史ノ始マリタル以来不断ニ継続セルモノニシテ此制度ヲ維持セントスルハ我国民大多数ノ動スヘカラサル確信ナリト認ム乃(かくし)テ改正案ハ日本国ヲ共和国トシ大統領ヲ元首トスルカ如キ制度所謂大統領的共和主義ハ之ヲ採ラス天皇カ統治権ヲ総覧(そうらん=政治、人心などを掌握して治めること)行使セラルルノ制度ヲ保持スルコトトセリ>――

 ポツダム宣言が無条件に「日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スルー切ノ障擬(しょうげ=障害)ヲ除去スヘシ言論,宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ヲ確立スヘシ」と求めていながら、「天皇カ統治権ヲ総覧行使セラルルノ制度ヲ保持スルコトトセリ」と、旧憲法第1章天皇の第4条「天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ」を持ってくる倒錯的な民主主義の感覚は恐れ入る。

 「天皇カ統治権ヲ総覧行使セラルルノ制度ヲ保持スルコトトセリ」とは、「統治」が「主権者が国土・人民を支配し、治める」(『大辞林』三省堂)意味である以上、天皇を元首と位置づけて、旧憲法第1章天皇第1条の「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」の条項を暗黙裡に含むものであろう。

 安倍国家主義者が策す改正憲法が時代事情から基本的人権を否定することができないとしても、愛国心を要求することで基本的人権に制約を加える国家主義意識を紛れ込ませることは可能となる。決して「日本人自身の手で憲法をつくる」ことが絶対条件でも優先条件でもないことを肝に命ずるべきだろう。

 最初に現在の日本国憲法がマッカーサー以下のGHQの手で全面的に制定されたわけではなく、日本人の手が加えられて制定されたことは周知の事実となっていると書いたが、国会図書館が自ら所蔵する書籍・記録等を案内する《「ラウエル「私的グループによる憲法改正草案(憲法研究会案)に対する所見」》(国会図書館「日本国憲法の誕生」/1946年1月11日 )には次のような説明がある。 
 
 <「GHQは、民政局のラウエルを中心として、日本国内で発表される憲法改正諸案に強い関心を寄せていた。なかでもとりわけ注目したのは憲法研究会案であり、ラウエルがこれに綿密な検討を加え、その所見をまとめたものがこの文書である。彼は、憲法研究会案の諸条項は「民主主義的で、賛成できる」とし、かつ国民主権主義や国民投票制度などの規定については「いちじるしく自由主義的」と評価している。憲法研究会案とGHQ草案との近似性は早くから指摘されていたが、1959(昭和34)年にこの文書の存在が明らかになったことで、憲法研究会案がGHQ草案作成に大きな影響を与えていたことが確認された。>

 では、1945(昭和20)12月27日に幣原首相とGHQに提出した「憲法研究会案」を《憲法研究会「憲法草案要綱」》を見てみる。     

憲法草案要綱(憲法研究会案)

高野岩三郎、馬場恒吾、杉森孝次郎、森戸辰男、岩淵辰雄、室伏高信、鈴木安蔵

根本原則(統治権)

一、日本国ノ統治権ハ日本国民ヨリ発ス
一、天皇ハ国政ヲ親ラセス国政ノ一切ノ最高責任者ハ内閣トス
一、天皇ハ国民ノ委任ニヨリ専ラ国家的儀礼ヲ司ル
一、天皇ノ即位ハ議会ノ承認ヲ経ルモノトス
一、摂政ヲ置クハ議会ノ議決ニヨル

 「国民の権利・義務」に関しては10カ条ほど列記されているが、主なところを拾ってみる。

国民権利義務

一、国民ハ法律ノ前ニ平等ニシテ出生又ハ身分ニ基ク一切ノ差別ハ之ヲ廃止ス
一、国民ノ言論学術芸術宗教ノ自由ニ妨ケル如何ナル法令ヲモ発布スルヲ得ス

 これは「憲法改正要綱(甲案・松本草案)」の第2章臣民権利義務10の「日本臣民ハ本章各条ニ掲ケタル場合ノ外凡テ法律ニ依ルニ非スシテ其ノ自由及権利ヲ侵サルルコトナキ旨ノ規定ヲ設クルコト」の制限付と違って、思想・信教・言論・学問の自由を全面的に保障する条項であろう。その他に、

一、国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス
一、男女ハ公的並私的ニ完全ニ平等ノ権利ヲ享有ス
一、民族人種ニヨル差別ヲ禁ス――等となっている。

 同じ「日本人自身の手で」憲法草案が起草されながら、憲法の中身・精神として込められた「憲法問題調査委員会」の「憲法改正要綱(甲案・松本草案)」に於ける天皇絶対主義・国家主義と、それと正反対の「憲法研究会」に於ける「憲法草案要綱」の統治権を国民に置き、国民に諸権利を保障する民主主義は明らかに「日本人自身の手で」を憲法制定の絶対条件、もしくは優先条件とすることのマヤカシを証明して余りある。

 もしもGHQという「占領軍」の関与がなければ、幣原内閣の「憲法改正要綱(甲案・松本草案)」が無条件に通り、日本国民はそれを日本の戦後憲法として頭に戴いていた可能性が高い。戦争は戦前と戦後を画して新時代を開く契機とはなり得ず、戦前と戦後が殆どそのままにつながることとなって、当然のこととして安倍晋三にとって「戦後レジームからの脱却」は必要としなくなる。天皇及び首相の靖国神社参拝は戦前の慣わしどおりに行われ、「天皇ハ至尊ニシテ侵スヘカラス」存在として学校のすべての教室に天皇と皇后の御真影を掲げることと、授業に於ける教育勅語の朗読が義務づけられ、様々な奉仕活動が国家に対する奉仕の代理行為として当然の義務とされていたことだろう。

 学校が火事となった場合、校長や教師は戦前と同様に例え焼け死ぬことになると分っていても、御真影を救い出すべく炎燃え盛る教室の中に飛び込むだけのことはしなければならなくなるだろう。

 「憲法草案要綱」を作成した憲法研究会のメンバーの主たるメンバーである高野岩三郎氏は「憲法研究会案」をGHQに提出した1945(昭和20)12月27日の翌日に「日本国共和国憲法私案要綱」を発表している。

 その主たる柱は「根本原則」として「天皇制二代ヘテ大統領ヲ元首トスル共和制ノ採用」と「日本国ノ主権ハ日本国民ニ属スル」とする主権在民の明確な位置づけである。

 「憲法改正要綱(甲案・松本草案)」の「改正案ハ日本国ヲ共和国トシ大統領ヲ元首トスルカ如キ制度所謂大統領的共和主義ハ之ヲ採ラス」は「日本国共和国憲法私案要綱」に向けた敵対趣旨として表現されたものに違いない。

 だが、この共和制憲法は日の目を見ず、天皇制は現在の日本国憲法に規定されている内容のものとなった。これは「占領下にあって、占領軍の手で作られた」ことも影響した象徴天皇制だろう。戦前の国体を戦後に於いてもその維持を画策した天皇主義・国家主義の一派にしたら、それが象徴天皇制であったとしても、とにかくも天皇なる存在に対して「天皇制ニ代ヘテ大統領ヲ元首トスル」類の歴史からの抹消を逃れることができたことは「占領下にあって、占領軍の手で作られた」ことのすべてを否定できない事実としてあるものではないだろうか。

 この点についても、安倍首相の憲法の自主制定論には筋が通らない部分がある。それとも安倍晋三は天皇が戦後の憲法によって歴史から抹消されていたなら、それを「日本人自身の手で憲法をつくるべきだ」とする主張のもと、天皇制を復活させる予定表を組むようなことをしただろうか。

 このような仮定の方が「戦後レジームからの脱却」はより一層理解を得やすいのではないか。

 日本の憲法だから、「日本人自身の手で」つくったものでなければならないとする条件性は一種の国粋主義への拘りだが、百歩譲って、それでよしてしても、安倍国家主義の手にその改正を委ねた場合、基本的人権の保障や自由と民主主義の価値観の共有を彼特有の美しい言葉で飾り立たとしても、その国家主義は憲法の精神に否応もなしに投影されて、それが教育の場で愛国心教育や奉仕活動への動員といった形で表現されていくことになるに違いない。

 既に愛国心教育に拘り、昨年の自民党総裁選時には「大学9月入学」の教育制度改革を唱え、高校卒業の4月から9月までの5カ月間を社会奉仕活動への義務化に持っていこうとしているのである。

 そこには愛国心教育や奉仕活動を通して国家に従うとする国家への従属精神を植えつける意図を隠している。だから、国家を成り立たせる力は国家への従属精神では発展不可能である経済の能力であり、技術を生み出し、運営する能力であり、政治の能力であり、社会の治安を守る能力等でなければならないのだが、「命を投げうってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません」と国家に向けた物理的な生命の投げ打ち・生命の従属を短絡的に求める思考回路を持つに至っているのだろう。

 「日本人自身の手で」憲法を制定するにしても、安倍国家主義者の「手」に決して委ねてはならない。中身がカラッポの人間ほど国とか民族といった権威を振りかざす。国民を権威とする以外のどのような権威も、そののさばりを許してはならない。「主権在民」とはそういうことであろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三の口程にもない中国公船領海侵犯野放しの結末が今回の中国海軍艦艇尖閣沖接続水域航行

2016-06-10 09:18:17 | 政治

 6月8日午後9時50分頃、ロシア海軍の駆逐艦等3隻が尖閣諸島周辺の日本領海外側の接続水域を航行、2時間15分程航行を続けて6月9日午前3時5分頃、接続水域から出たという。

 ところが6月9日午前0時50分頃、中国海軍のフリゲート艦が同じ接続水域の別の場所に入り、2時間20分に亘って航行、午前3時10分頃、接続水域外に出たという。

 中国海警局の船が尖閣諸島周辺海域の日本の領海に侵入もしくは接続水域を航行することは過去何度もあるが、中国海軍の艦艇が接続水域に入ったことが確認されたのは、これが初めてだという。

 ロシア軍艦が接続水域を航行するのは初めてではないが、中国海軍艦艇の接続水域航行と一時的に時間が重なった重複行動は偶然なのだろうか、示し合わせた行動なのだろうか。

 ロシアの中国が主張する尖閣諸島領有権への支持の見返りに対する中国のロシアの北方四島領有権への支持という相互要請が合意に達したことの一つの具体的デモンストレーションということもあり得る。

 安倍晋三はプーチンとの首脳会談を第1次安倍内閣から数えて13回、第2次安倍内閣だけで10回も繰返し行い、プーチンとの信頼関係を誇示しているが、プーチンの方は何とも思っていないようだ。

 口先だけが取り柄の安倍晋三といったところだが。

 斎木外務省事務次官が9日午前2時頃、中国の程永華駐日大使を外務省に呼び、「尖閣諸島は日本固有の領土であり、海軍の艦艇が接続水域に入ったことは極めて遺憾だ」として抗議するとともに、速やかに接続水域の外に出るよう求めたのに対して程大使は尖閣諸島は中国の領土で抗議は受け入れられないという考えを伝えたうえで、「中国としても、緊張が高まることは避けるべきだと考えており、抗議があったことは本国に伝える」と述べたと「NHK NEWS WEB」が伝えている。

 中国が南シナ海の南沙(スプラトリー)諸島に造成した人工島問題を巡って日本とアメリカは航行の自由と力による現状変更反対の姿勢を掲げて中国を牽制、中国との間に緊張が高まっている。

 そういった状況下での中露艦船の接続水域への堂々の入場行進である。接続水域が、〈領海の基線からその外側24海里(約44km)の線までの海域(領海を除く)で、沿岸国が領土・領海の通関上、財政上、出入国管理上(密輸入や密入国)、衛生上(伝染病等)の法令違反の防止及び違反処罰のために必要な規制をすることが認められた(公海上の)水域〉(海上保安庁)であったとしても、放っておくわけにはいかなったのだろう。
 
 公海の一部だからロシアには抗議しなかったマスコミは伝えているが、安倍晋三は6月9日夜、中国艦船の接続水域航行に関しては国家安全保障会議(NSC)の関係閣僚会合を開いて、中国への対応を協議したほか、東シナ海で米国と連携して対応する方針を確認。首相は「警戒監視に万全を期してほしい」と指示した(「日経電子版」)という。

 だが、公海の一部でありながら、中国海軍艦船の航行を重大視したのは次の事態を想定したからなのは誰の目にも明らかである。

 次の事態とは断るまでもなく中国海軍艦船の尖閣沖周辺の日本領海への侵犯である。

 上記「日経電子版」は国家安全保障会議席上での自衛隊制服組トップの発言を伝えている。

 河野克俊統合幕僚長(中国艦船が今後、領海に入った場合の対応について)「そういう事態にならないようにしたい。万が一そうなった場合は、それ相応の対応はする」

 次の事態として中国海軍艦船の日本領海への侵犯を想定しているからこその発言である。

 だが、中国海軍艦船の接続水域航行を次の事態として日本領海への侵犯を想定しなければならないということは、侵犯を過去の事例としていなければならない。

 中国海軍艦船の尖閣沖周辺の日本領海の侵犯の例は存在しないが、中国海警局(海上保安機関)の船が頻繁に日本の領海侵犯を繰返している。5月30日も中国海警局の船が今年14日目となる領海侵犯を侵したと思ったなら、9日後に続いて今年15日目となる領海侵犯を6月8日に侵している。

 回数を日数で数えるのは、同じ船が領海を出たり入ったりするからで、述べ回数で言うともっと多くなる。

 尖閣諸島が民主党政権によって国有化された2012年9月11日以降、それまで述べ回数で数回だった領海侵犯が一挙に跳ね上がって、多い月で30回近くにも上ったが、最近は述べ回数10回以下に落ち着いてた。

 だが、中国の人工島問題を巡って最近緊張が高まっているせいか、5月だけで述べ回数11回も領海侵犯を受け、国有化以降、述べ回数総合計で500回以上を記録している。

 これ程までにも領海侵犯を自由に野放しにする主権国家は世界に存在するだろうか。

 野放しにしてきた結果、公海の一部で自由に航行できる接続水域を中国海軍艦船が航行しただけで、エスカレートしていく事態――日本領海への侵犯を想定しなければならない。

 野放しにせず、主権国家にふさわしい厳しい対応のもと、領海侵犯をゼロにしていたなら、領海侵犯を想定せずとも済んだはずだ。

 その責任が安倍晋三にはあったはずだ。

 2013年3月7日の衆議院予算委員会。文飾は当方

 萩生田光一「私は、新聞ですとか週刊誌の記事をもとに質疑をすることは本意ではないんですが、また、今さら民主党政権下の非をあげつらうつもりは全くございませんけれども、事安全保障の問題ですので、あえて触れておきたいと思います。

 一昨日、産経新聞の一面に驚くべき記事が載りました。
 
 昨年9月の尖閣諸島の国有化後、挑発を繰り返す中国海軍の艦船に、一つ目、海自は15海里、約28キロの距離を置いて近づかないようにというふうに求められた。

 二つ目、他国軍の艦船の領海侵犯に備えるためには先回りして領海内で待ち構えるのが常套手段なんですが、それも自制をせよ、こう言われた。

 そして三つ目、海洋監視船はヘリを搭載可能で、ヘリが飛び立てば即領空侵犯になるので空自のスクランブルの必要性がある、こういう議論をしていたんだけれども、当時の岡田副総理は、軽微な領海侵犯だから中国を刺激するな、海上保安庁に任せればいいと準備を認めなかったという記述であります。

 先日、レーダー照射の事案で、民主党の委員は、政府の対応を遅いと断じ、中国海軍の解説までしていただき、問題意識をもっと高く持つようにと促しておりましたけれども、もしこの記事が事実とすれば、民主党政権時代の間違ったメッセージがもたらした当然の結果と言えます。

 政府は、本件について事実を確認しているのでしょうか。また、安倍内閣にかわり、これらの対応は具体的にどのように変わったのか。お尋ねいたします」

 安倍晋三「尖閣諸島周辺海域において中国公船による領海侵入が繰り返されている等、我が国を取り巻く情勢は厳しさを増しています。

 このため、海上保安庁において、大型巡視船の新規建造や海上保安官の大幅な増員などにより専従の警備体制を確立し、その体制を強化するとともに、自衛隊の艦艇、航空機等を用いた警戒監視と適切に連携するなどして、その警戒警備に、現在、万全を期しているところであります。

 そして、今委員が御指摘になられたこの警戒警備の状況については、前政権のこととはいえ、我が方の手のうちにかかわることでございますので、詳細について申し上げることは差し控えさせていただきたいと思いますが、あえて一言申し上げさせていただければ、前政権下においては、過度に軋轢を恐れる余り、我が国の領土、領海、領空を侵す行為に対し当然行うべき警戒警備についても、その手法に極度の縛りがかけられていたというふうに私は承知をしております。

 このことは、相手方に対して誤ったメッセージを送ることにもなり、かえって不測の事態を招く結果になることすらある、私はそう判断をしたわけでございまして、安倍内閣を発足させた直後から、この危機的な状況を突破するために、前政権の方針を根本から見直しを行いました。そして、冷静かつ毅然とした対応を行う方針を示したところでございます。


 今後とも、我が国の領土、領海、領空を断固として守り抜くという決意のもとに、引き続きしっかりと警備、警戒を行っていく考えであります」――

 萩生田光一は安倍晋三の腰巾着だから、民主党政権を批判するために示し合わせて質問と答弁を前以て用意し、田舎芝居を打った一幕といったところなのだろう。

 だが、安倍晋三は一国のリーダーとして「相手方に対して誤ったメッセージを送ることに」なる民主党政権の「極度の縛りがかけられていた」尖閣諸島周辺海域の対中国対応を「根本から見直し」「冷静かつ毅然とした対応を行う方針を示した」と力強く宣言した。

 このように4年前に民主党政権の対応を貶(けな)して、民主党政権の二の舞いは演じないと反面教師とすることを約束した。

 だが、一向に領海侵犯はなくならない。この継続性は侵犯に対して野放し状態にしていることと無縁ではないはずだ。

 その結果、中国海軍の艦船が公海の一部である接続水域を一度航行しただけで、次の事態として日本領海への侵犯にエスカレートしていくことを想定しなければならなくなり、国家安全保障会議まで開くことになった。

 だとすると、遠因は安倍晋三が2013年3月7日の衆議院予算委員会で約束した「冷静かつ毅然とした対応」を行ってこなかったことにあることになる。

 もっとも野放しにすることが安倍晋三にとっては「冷静かつ毅然とした対応」だと言うなら、その続きとして中国海軍の艦船が万が一にも領海侵犯を侵したとしても、野放しにして、それを以て「冷静かつ毅然とした対応」をしたとすればいい。

 中国海軍艦船の接続水域航行がどのような結果からだろうと、この先どのような結果が待ち構えていようと、安倍晋三としては国民や野党の手前、あるいは世界各国に対して国家安全保障会議を開かねければ体裁は取れないから、開いたという側面もあるはずだ。

 中国海軍の艦船の領海侵犯が生じたとしても、中国海警の船の領海侵犯に対するのと同様に何もできないだろうからである。

 何かできるとしたら、既に何かしていたはずだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする