舛添要一政治資金流用疑惑第三者調査の佐々木弁護士は最初から舛添側に立っていた

2016-06-09 13:31:20 | Weblog

 東京都知事舛添要一のかねてからマスコミに取り上げられていた政治資金流用疑惑を舛添本人の依頼で特捜上げリの佐々木善三(63歳)弁護士と同じく検事上がりの森本哲也弁護士(42歳)が調査に当たって、その報告の記者会見を開いたのが6月6日。

 佐々木弁護士の記者会見での調査に関した発言から、改めて佐々木弁護士本人の、果たして厳正中立の立場に立って調査したのか、調査のセンスと調査の妥当性を振り返ってみたいと思う。

 発言は【舛添氏「第三者」調査結果会見】産経ニュース/2016.6.6)に依った。会話を分かりやすく理解できるように適宜段落を変えた。   

 佐々木弁護士の調査のセンスと調査の妥当性を手っ取り早く知ることのできる手がかりが調査報告後の記者との質疑の最初の質問に対する答弁に現れているから、その発言を最初に取り上げてみる。

 記者「弁護士2人は調査に当たり、報酬を受けているのか。また引き受けた理由は何か」

 佐々木弁護士「報酬について、通常お答えしないことになっておりますので、お答えはいたしません。

 また、引き受けた経緯は、親しい人から話がありまして、最初は舛添氏の秘書の方にいろいろと話をききましたところ、報道と事実が違う点が多数あり、そういうふうなところはきちんと理解して貰った方がいいだろうと思いまして、これは自分として引き受けても良い案件だと思い、引き受けました。

 そして、森本弁護士は一緒の事務所で仕事をしております弁護士であり、信頼できる弁護士ですので、森本弁護士に相談して引き受けてもいいということだったので、舛添氏に相談したところ、それでは2人にお願いしたいということだったので引き受けました」――

 「報道と事実が違う点」の「事実」は断らずとも、舛添の秘書が話した(提示した)「事実」と言うことになる。

 秘書の話を聞いて「報道と事実が違う点が多数あった」。そして「そういうふうなところはきちんと理解して貰った方がいいだろうと思った」

 と言うことは、秘書が提示した「事実」が「報道」と違うために、その違いを「きちんと理解して貰った方がいいだろうと思って」引き受けたという経緯を取ったことになる。

 調査が秘書が提示した「事実」に基づいて引受けることにした関わりからして、佐々木弁護士は最初から舛添側に立っていたことになる。

 弁護士が例え依頼人が殺人を犯していたとしても、依頼人の側に立ってその利益を可能な限り最大限追求するようにである。

 舛添本人に聞いて、その話す内容に基づいて「報道と事実が違う点が多数あった」から、そのことを「きちんと理解して貰った方がいいだろうと思って」引き受けたとしたら、舛添側に立っていることが最初からバレバレとなる。

 だが、秘書の話に基づいて引き受けたとしても、大して変わりはない。

 なぜなら断るまでもなく舛添の秘書は舛添側の人間である。舛添と秘書は利害を一致させていると見なければならない。舛添に不都合な事実を喋るだろうか。舛添に都合のいい事実は、時には創作してまでも極力知らしめ、都合の悪い事実は極力隠すか、都合のいい事実に変える関係にある。

 いわば舛添と秘書は一心同体の利害関係にあると見なければならないのだから、秘書の話に基づいてそのことを理解させる必要があるから調査を引き受けたとしたこと自体が中立を著しく疑わせる説明内容でしかない。

 当然、調査自体が舛添側が提示する「報道と事実の違い」に立ったものとなる。

 但し舛添側に立った調査であることがバレバレとならないような手は打つだろう。打ったとしても、舛添本人に決定的に不利益になることはしない。

 事実その通りの調査報告となっている。

 一般的にはこういった第三者による調査の場合は報道が伝える事実と舛添本人が提示する事実の違い食い違いを正して何がより真正に近い事実なのかを世間一般に知らしめたい使命感と報道側に対しても舛添本人に対しても正させるべきは正させる社会的な道義観から引受けるものだが、そういったことには一切触れていない

 舛添側に立った調査であることは舛添の自宅に妻代表・舛添取締役「舛添政治経済研究所」の毎月44万2500円の家賃収入の調査に象徴的に現れている。

 この調査報告に関しては途中まで無料で閲覧できる「The PAGE」の方が詳しく記載しいるゆえ、こちらを引用することにする。
   
 佐々木弁護士「次に事務所賃料について申し上げます。6ページをご覧いただきたいんですが、6ページのイのところをご覧いただきますと、各政治団体の賃料を支払い状況が記載してございます。

 これらを見ますと、各政治団体から株式会社舛添政治経済研究所に支払われました賃料の月額は、常に44万2500円であります。で、この賃料額が高過ぎるのではないかというご指摘がなされております。

 それに関する説明が7ページのウのところであります。舛添政治経済研究所は、賃料額の決定に当たりまして、横浜市内の会計事務所に相当な賃料額はいくらかという算出を依頼しまして、その結果が記載してあるのがその次の表であります。

 賃料本体とそのほかのものに分かれておりまして、それらが合計して44万2500円となっておりますが、賃料本体の合計額は29万2000円であります。で、賃料の相場がだいたい30万円程度、もう少し高いかというくらいと言われておりますので、そういう意味ではこの金額は、賃料の相場とされている金額と比較して割高とはいえない金額であります。

 次に賃料の二重支払などがなされていたのではないかという指摘についてでありますけれども、これにつきましてはかなり細かい説明になりますので、報告文をあとでお読みいただければよろしいかと思いますが、二重支払というようなことは結果的にはまったくないということで、確認できております」――

 「賃料本体の合計額は29万2000円」だとしているが、その差額はクーラーや冷蔵庫、その他の備品を妻代表・舛添取締役「舛添政治経済研究所」からのレンタルという形を取っていて、その金額ということなのかもしれない。

 要するに「二重支払」の疑いは存在しなかった。家賃収入に関しては相場からのみ判断して妥当だとしている。

 この「二重支払」という意味が佐々木弁護士の説明からのみでは理解できないが、ネットで調べたところ、「政治を食い物 舛添東京都知事“家賃ビジネス”の実態」ニュースサイトHUNTER/2016年5月11日 09:15)に書いてあったことだが、「新党改革比例区第四支部」が解散以後も、その家賃と同額のカネを資金管理団体「グローバルネットワーク研究会」の家賃に上乗せして支払っていたことを指すらしい。  

 舛添要一は2014年東京都知事選挙に立候補するために2014年(平成26年)1月21日に新党改革を離党した際、「新党改革比例区第四支部」を解散している。

 つまり「新党改革比例区第四支部」が解散しても妻代表・舛添取締役の「舛添政治経済研究所」の家賃収入は毎月44万2500円に変わりはなかった。

 「らしい」と書いたのは、一つの事務所が解散して存在しなくなった事務所の家賃は支払うことはできないのだから、厳密には「二重支払」はあり得ない。

 考え得ることは政治活動以外に自由に使うことのできるカネが毎月44万2500円相当額必要だったから、資金管理団体「グローバルネットワーク研究会」が自身の家賃を含めてその金額を引受けることになったということではないだろうか。つまりそれだけのマネーロンダリングを必要とした。
  
 「新党改革比例区第四支部」と「グローバルネットワーク研究会」が活動原資の多くを政党交付金に頼っていることを前提に、活動と言っても、多分、三つの組織共に実務上の構成員は共通しているはずで、舛添本人と秘書一人か二人、そしているとすれば事務員一人か二人といったところだろうが、家賃収入の妥当性を判断するには家賃の相場だけではなく、それが政治活動に使途を限定されている政党交付金を自由に使うことができるカネへのマネーロンダリングではないか、過去に報道されてきた事務所費に関わるカラクリを材料に何らかのカラクリを探って、その有無を以って調査を尽くしたと言うことができるはずだが、そういったことまでせずに主として家賃の相場からのみ判断しているのはどう見ても舛添側に立った調査としか言いようがない。

 当然、佐々木弁護士の調査のセンスも、その範囲内に限定される。

 舛添が書道を趣味としていて、書をするときそれを着用していると筆をスムーズに走らせることができるからと中国服を2着購入した点についての調査にも舛添側に立った調査であることを見て取ることができる。

 佐々木弁護士「次に、その他物品の購入について説明します。平成23年3月12日に中国・上海で購入した物品について、領収書に『服装』と記載されている上、金額が約13万9千円と多額であるということですが、舛添氏に確認したところ、購入したのは『シルクの男性用中国服2着、筆や墨などの書道用品であった』とのこと。なお、同行した秘書によれば、領収書にきちんと書いてもらおうと思ったが東日本大震災の翌日で欠航便が多く、ようやく座席を確保した飛行機の出発時刻が迫っていたために、『服装』とのみ記載されてしまったとのことでした。

 シルクの中国服を2着も購入した理由について、書道の際に着用すると筆をスムーズに滑らせることができるということでした。実際に行為で示していただいたところ、説得力のある説明でした。なお、同じものかは定かではありませんが、舛添氏の所有する中国服には墨汁の汚れがあったことを確認しています。書道については舛添氏の趣味であるものの、政治活動にも役立っているものと認められるから、衣服や書道用品の購入に政治資金を使用したからといって不適切とは言えないし、違法でもありません」

 約13万9千円は「筆や墨などの書道用品」を含めた金額だから、シルクの中国服の値段がいくらかは分からない。

 中国服を着用すると筆をスムーズに滑らせることができるかどうかは本人の感覚だから、他人が兎や角言うことはできないが、墨汁で汚れることを前提としているなら、何もシルクではなくても、化学繊維とか合成繊維とか言われている素材で作ったより安価な中国服でもいいはずだ。

 例え値段の詳細は報告書に記してあるとしても、佐々木弁護士は誰もが購入の妥当性を判断できるようにシルクの中国服が墨汁で汚れてもいい値段であるかどうかそのことを聴取しておいて、記者会見で明らかにしなければならなかった。

 だが、聞いたとも、聞いたが、領収書に明細を書いてなかったから、忘れてしまっていたとも、何の説明もない。

 単に中国服が墨汁で汚れていたという一事で以って書道用の購入だと認めている。しかも上海で購入した中国服と「同じものかは定かではありませんが」と、その判定の努力を欠いたまま、自らの調査結果に妥当性を持たせる矛盾を犯している。

 その汚れが新しいものか古いものか、専門家に鑑定を依頼することもしなかった。政治資金での購入を妥当だとするために書道用だと偽り、その証拠としてわざわざ墨汁で汚したのではないのかと疑うこともしない。

 いくらでもあり得るカラクリであり、検事時代にしても弁護士になってからも経験しているはずのカラクリでありながら、その追及をしないということは舛添側に立っていなければできない。

 また、「書道の際に着用すると筆をスムーズに滑らせることができる」という舛添の説明をそのまま鵜呑みにしている点も、調査のセンスと調査の妥当性を疑わなければならない。

 確かに書道専用としている衣服は墨で汚れるだろう。但し「筆をスムーズに滑らせることができる」という説明に合理性を持たせるためには精神的な理由づけか気分的な理由づけが必要となる。

 なぜなら、物理的には筆だろうとボールペンだろうと、字を書くとき腕を浮かして書くからだ。浮かして書く以上、中国服と結びつけて物理的に「筆をスムーズに滑らせることができる」ということはあり得ない。

 それを物理的に可能とするためには腕を浮かさず、テーブルに肘から手首までつけていて、筆を握った手を動かすとき、中国服の肘から手首までを覆っている袖の部分がテーブルとの相性がよくて物理的に滑りがいいということでなければならない。

 だが、そういった姿勢を取ったとき、実際には満足に筆を走らせることはできない。

 例えば中国に来賓として招かれて中国服を着せられ、そこで書道を趣味としていたことから自身の書を披露する機会に恵まれた。書の本家で民族服である中国服を着て書を披露する。気分が高揚していつもよりも達筆に書けた。それ以来、縁起担ぎで中国服を着て書を嗜むようになったというなら、合理的な説明となり得る。

 中国服が墨汁で汚してもいい妥当な金額なのか、明らかにすべきを明らかにせず、なぜ書道に中国服なのかの合理的な説明も求めない。

 いわば追及すべきことを追及していない。この深掘りしない姿勢も舛添側に立った調査だからこそであろう。

 もしそこに不正が存在したなら、徹底的に明らかにして今後の範とするという使命感と社会的な道義観を有していたなら、「同じものかは定かではありませんが」などと曖昧なまま調査を片付けるということはしないはずだ。

 最後に佐々木弁護士が舛添側に立った調査だと断言できる取っておきの一例を挙げる。

 記者「飲食費や宿泊費について、是正の必要があるということは、虚偽記載にあたると認定することはできないのか」

 佐々木弁護士「虚偽記載ではないかとの指摘ですが、きちんと不適切なものも(政治資金収支報告書に)書いたからこそ、皆さんが今、適切かどうかの判断ができているわけです。そういう意味では虚偽記載ではないと思います」

 非常に乱暴な論理となっている。虚偽記載を適切・不適切(ふさわしいか・ふさわしくないか)を判断基準として表現すること自体が調査の姿勢の甘さを証明している。

 この表現を百歩譲って認めるとしても、舛添の政治資金報告書には適切ではない(実際にはウソ偽りの)入支出の目的が記載されていた。「適切かどうかの判断ができてい」さえすれば(虚偽かどうかの判断ができていさえすれば)、「虚偽記載ではない」と断定できるとは限らない。

 断言できるなら、この世にウソが通用するということは存在することはないし、如何なる調査も絶対とすることになる。
 
 言うべきは、「調査には手を尽くしました。虚偽記載はないと信じています」であろう。

 この場合の「信じています」は見逃しや間違い、あるいは解釈違いもあり得るという意味を含んでいる。いわば絶対ではないかもしれないが、調査の範囲では虚偽記載はないと思うとする推定しか提示できない。

 だから、政治的立場や社会的立場を異にすると、調査内容が異なることになる。

 先ずは調査の妥当性を問わなければならない。

 弁護士側は調査を担当する以上、調査の妥当性が問われる立場にあることを自覚していなければならない。自覚していたなら、調査の妥当性を保持するために調査依頼人の舛添要一から徹頭徹尾中立であろうと心がけるはずだ。

 だが、そのような心がけは以上取り上げてきた調査を引き受けた理由からも、政治団体の家賃問題の調査からも、書道用だとしているシルクの中国服の調査からも、記者の虚偽記載の認定はできないのかという質問に対する発言からも窺うことはできない。

 逆に調査の手緩さ・追及の手緩さから、中立性を著しく欠いていて、それゆえに調査の妥当性はどこにも見当たらないということは舛添側に立った調査だからこそであろう。

 以上取り上げた以外に調査の手緩さ・追及の手緩さの一例として舛添要一が家族と飲食した飲食店から白紙の領収書を受け取っていた問題について調査報告は何も触れていないことを挙げることができる。

 私的な支出を公的な支出として政治資金で賄う。そうすることで私的な支出を抑える分、塵も積もれば山となる政治資金を使った蓄財となる。よく使われる手なのだから、こういった疑惑をこそ厳しく追及していいはずだが、何の説明もない。

 舛添側に立った調査ではなく、中立的な調査だとしたら、矛盾だけが浮き立ってくることになる。

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