安倍晋三が「『21 世紀の日本と憲法』有識者懇談会」(民間憲法臨調、櫻井よし. こ代表)2017年5月3日都内開催の「公開憲法フォーラム」にビデオメッセージを送ったと同日付マスコミが一斉に報じた。
「日経電子版」からその全文を読んでみた。
安倍晋三「ご来場のみなさま、こんにちは。自由民主党総裁の安倍晋三です。憲法施行70年の節目の年に、「第19回 公開憲法フォーラム」が盛大に開催されましたことに、まずもってお喜び申し上げます。憲法改正の早期実現に向けて、それぞれのお立場で精力的に活動されているみなさまに心から敬意を表します。 憲法改正は、自由民主党の立党以来の党是です。自民党結党者の悲願であり、歴代の総裁が受け継いでまいりました。私が首相・総裁であった10年前、施行60年の年に国民投票法が成立し、改正に向けての一歩を踏み出すことができましたが、憲法はたった1字も変わることなく、施行70年の節目を迎えるに至りました。 憲法を改正するか否かは、最終的には国民投票によって、国民が決めるものですが、その発議は国会にしかできません。私たち国会議員は、その大きな責任をかみしめるべきであると思います。 次なる70年に向かって、日本がどういう国を目指すのか。今を生きる私たちは、少子高齢化、人口減少、経済再生、安全保障環境の悪化など、我が国が直面する困難な課題に対し、真正面から立ち向かい、未来への責任を果たさなければなりません。 憲法は、国の未来、理想の姿を語るものです。私たち国会議員は、この国の未来像について、憲法改正の発議案を国民に提示するための『具体的な議論』を始めなければならない、その時期にきていると思います。 わが党、自由民主党は未来に、国民に責任を持つ政党として、憲法審査会における『具体的な議論』をリードし、その歴史的使命を果たしてまいりたいと思います。 例えば、憲法9条です。今日、災害救助を含め、命懸けで24時間、365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の信頼は9割を超えています。しかし、多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が、今なお存在しています。『自衛隊は違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ』というのは、あまりにも無責任です。 私は少なくとも、私たちの世代のうちに、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、『自衛隊が違憲かもしれない』などの議論が生まれる余地をなくすべきである、と考えます。 もちろん、9条の平和主義の理念については、未来に向けて、しっかりと堅持していかなければなりません。そこで『9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む』」という考え方、これは国民的な議論に値するのだろうと思います。 教育の問題。子どもたちこそ我が国の未来であり、憲法において国の未来の姿を議論する際、教育は極めて重要なテーマだと思います。誰もが生きがいを持って、その能力を存分に発揮できる一億総活躍社会を実現するうえで、教育が果たすべき役割は極めて大きい。 世代を超えた貧困の連鎖を断ち切り、経済状況にかかわらず、子どもたちがそれぞれの夢に向かって頑張ることができる、そうした日本でありたいと思っています。70年前、現行憲法の下で制度化された小中学校9年間の義務教育制度、普通教育の無償化は、まさに、戦後の発展の大きな原動力となりました。 70年の時を経て、社会も経済も大きく変化した現在、子どもたちがそれぞれの夢を追いかけるためには、高等教育についても、全ての国民に真に開かれたものとしなければならないと思います。これは個人の問題にとどまりません。人材を育てることは、社会・経済の発展に確実につながっていくものであります。 これらの議論の他にも、この国の未来を見据えて議論していくべき課題は多々あるでしょう。 私はかねがね、半世紀ぶりに夏期の五輪・パラリンピックが開催される2020年を、未来を見据えながら日本が新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上げてきました、かつて、1964年の東京五輪を目指して、日本は大きく生まれ変わりました、その際に得た自信が、その後、先進国へと急成長を遂げる原動力となりました。 2020年もまた、日本人共通の大きな目標となっています。新しく生まれ変わった日本が、しっかりと動き出す年、2020年を新しい憲法が施行される年にしたいと強く願っています。私は、こうした形で国の未来を切りひらいていきたいと考えています。 本日は、自由民主党総裁として、憲法改正に向けた基本的な考え方を述べました。これを契機に、国民的な議論が深まっていくことを切に願います。自由民主党としても、その歴史的使命をしっかりと果たしていく決意であることを改めて申し上げます。 最後になりましたが、国民的な議論と理解を深めていくためには、みなさまがた『民間憲法臨調』、『美しい日本の憲法をつくる国民の会』のこうした取り組みが不可欠であり、大変心強く感じております。憲法改正に向けて、ともにがんばりましょう。 |
先ず憲法とは、〈国家における組織の形態や国民の義務と権利、統治者や為政者が権限を行使する根拠、統治の根本規範(法)となる基本的な原理原則に関して定めた法規範をいう(法的意味の憲法)。なお、法規範ではなく国家の政治的統一体の構造や組織そのものを指す場合もある(事実的意味の憲法)〉(Wikipedia)と解説されている。
また、〈立憲主義とは、政府の統治を憲法に基づき行う原理で、政府の権威や合法性が憲法の制限下に置かれていることに依拠するという考え方。〉(Wikipedia)とある。
要するに国家権力の国家統治の制度を憲法のもとに置き、その恣意的な濫用を防ぐ役目を憲法は担っている。
国家権力の恣意的な濫用は権力や富の独占を専らとすることになって、その反動として表現の自由や信教の自由等の基本的人権を含めた広い意味での人間が人間らしく生きる生存権の抑圧を誘発する。
いわば国民の生存権の抑圧があって国家権力の恣意的な濫用――権力や富の独占が成り立つ。
安倍晋三のメッセージから主な内容を拾ってみる。
「次なる70年に向かって、日本がどういう国を目指すのか」
「憲法は、国の未来、理想の姿を語るもの」
「9条の平和主義の理念については、未来に向けて、しっかりと堅持していかなければなりません」
その上で、「9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」
「戦後の発展の大きな原動力となった」「70年前、現行憲法の下で制度化された、小中学校9年間の義務教育制度、普通教育の無償化」を「子どもたちがそれぞれの夢を追いかけるためには、高等教育についても、全ての国民に真に開かれたものとしなければならない」
東京「五輪・パラリンピックが開催される2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」
安倍晋三は2006年10月23日の参議院本会議で次のように答弁している。
安倍晋三「現行憲法が持っている主権在民、自由と民主主義、そして基本的な人権、平和主義といった原則は普遍的な価値であり、当時の日本国民が希求していたものであるというのも事実であると思います。
他方で、占領軍の影響下において憲法が制定されたことも事実であり、いかに中身がすばらしいものであっても、憲法が基本法である以上、その制定過程にはこだわらざるを得ないと考えています。こうした観点から、私は、やはり私たち自身の手で新しい憲法を作っていくことが必要であると考えております」――
安倍晋三の改憲意志には日本国憲法が占領軍の影響下で制定されたから、日本人自身の手で新しい憲法を作るという意図が込められていることになる。
但し、「現行憲法が持っている主権在民、自由と民主主義、そして基本的な人権、平和主義といった原則は普遍的な価値であり」と、いわば「人類共通の価値だ」と答弁していることに関しては今回のビデオメッセージでは一言も触れていなが、「主権在民、自由と民主主義、そして基本的な人権、平和主義」が「普遍的な価値」(=人類共通の価値)であることに変わりはないから、この基本的構造は堅持しなければならない。
安倍晋三は「憲法を戦後、新しい時代を切り開くために自分たちでつくったというのは幻想だ。昭和21年に連合国軍総司令部(GHQ)の憲法も国際法も全く素人の人たちが、たった8日間でつくり上げた代物だ」とか、「本来であれば、この日(主権回復の日)を以って、日本は独立を回復した国でありますから、占領時代に占領軍によって行われたこと、日本がどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、それをきっちりと区切りをつけて、日本は新しスタートを切るべきでした」と日本国憲法を占領軍憲法だと忌避し、占領軍の政策が日本を改造し、日本人の精神に悪影響を及ぼしたと嫌悪していながら、「70年前、現行憲法の下で制度化された小中学校9年間の義務教育制度、普通教育の無償化は、まさに、戦後の発展の大きな原動力となりました」と憲法の貢献を言うのは相変わらずのご都合主義ここに極まれりである。
悪い方向にという意味で“日本は改造された”と言っていることは“改造”の原型を戦前日本国家に置いた言葉に他ならない。いわば戦前日本国家を理想の国家像としているからこそ、“日本は改造された”という趣旨の言葉が口をついて出ることになる。
同時にそうであるからこそ、安倍晋三は復古主義・戦前回帰主義に走ることになる。
戦前の大日本帝国は国家主義(国家を最高の価値あるもの、人間社会の最高の組織と見なし、個人よりも国家に絶対の優位を認める考え方――「goo辞書」)の考えに立ち、国家を統治していた。
戦前の日本国家が国民に対して天皇と国家への奉仕を求めたのはこの国家優先の国家主義による。
また国家優先・国民非優先の関係構造を取る国家主義の前にあっては、戦前の日本国家がそうであったように「主権在民、自由と民主主義、そして基本的な人権、平和主義」等の「普遍的な価値」(=人類共通の価値)は無力化される危険性を常に付き纏わせることになることを忘れてはならない。
安倍晋三にしても大日本帝国を理想の国家像としている以上、国家主義を自らの思想・信条としている。国家主義が国民個人の在り様よりも国家の在り様を優先する考え方によって成り立っているためにアベノミクスは必然的に格差ミクスの構造を取ることになる。
当然、「次なる70年に向かって、日本がどういう国を目指すのか」、いわゆる新しい憲法に書き込む国の姿、「憲法は、国の未来、理想の姿を語るもの」と言っている、“国の理想の未来像”は安倍晋三が理想の国家像としている戦前の大日本帝国をモデルとした国家統治を頭に描いた憲法ということになる。
「9条の平和主義の理念については、未来に向けて、しっかりと堅持していかなければなりません」と言いつつ、「9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」憲法改正意志にしても、明文化の背後に安倍晋三の復古主義・戦前回帰主義・国家主義が忍び込むことになる。
忍び込まなければ、安倍晋三ではなくなるし、安倍晋三が憲法を改正する意味を失う。
と言うことは、安倍晋三が憲法改正を主導した場合、その憲法は安倍晋三自身の主義・主張を忍び込ませた国家権力の行使を密かに規定しない保証はないと用心しなければならない。
この用心は国民が愉しみな目標としている東京オリンピック・パラリンピックに便乗させて、その「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」 という言葉に下手に乗ってはいけない配慮をも含むことになる。