安倍晋三の国家主義に立ったゴマカシとご都合主義満載の「70年談話」とその歴史観

2015-08-15 14:05:15 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《8月15日 、「戦後70年を迎えて(談話)」》    
    
      こんばんは、生活の党と山本太郎となかまたちです。
      小沢一郎代表は8月15日、戦後70年を迎えて談話を発表しました。
      党ホームページに掲載してあります。
      是非ご一読ください。

 安倍晋三が昨日、8月14日、「戦後70年談話」を発表した。首相官邸HPに、「談話」も、「記者会見」も載っている。     

 一見、急に歴史に目覚めたように見える。常々「歴史認識は歴史家に任せるべきだ」と言っていたにも関わらず、歴史家に頼ることなく、歴史を語り始めたからである。

 例えば2013年6月1日、日本テレビ「ウェークアップ」で司会の辛坊治郎のインタビューを首相官邸で受けたときも言っている。

 安倍晋三「歴史認識については、ファクトを含めてですね、歴史家に任せるべきだというのは第1次政権から実は私はずっと言ってきて、言ってきてるんですね。

 あのー、これは神の如くですね、権力を持っている、あるいは政治の立場にいる人間が、えー、その発言をすべきではない、もっと謙虚であるべきだと。

 また、そういう議論をすることそのものが政治問題化・外交問題化するんですね。それはやはり避けるべきだというのが私の考えです」――

 「ずっと言ってきた」・・・・・

 そう、国会答弁でも歴史家に任せよを繰返してきた。

 ところが、「歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならない」(談話)と言い、「過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」(談話)と言い、「政治は歴史から未来への知恵を学ばなければなりません」(記者会見)とさらに言い、「政治は歴史に謙虚でなければなりません」(記者会見)とさらにさらに言い、「歴史の声に耳を傾けながら未来への知恵を学んでいく」(記者会見)等々、「歴史」なる言葉を急に口にし出した。

 かくこのように安倍晋三が謙虚な思いで向き合っている、あるいは向き合おうとしている「歴史」が安倍晋三の頭の中でどういった認識を形成しているのか見てみないわけにはいかない。

 日本の戦争を語る個所である。

 「100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第1次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、1千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたり得なかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして70年前。日本は、敗戦しました」――

 要するに日本の戦争を20世紀という時代が生んだ産物だと時代的な一般性、時代性を纏わせた巧妙な相対化を施している。これが安倍晋三の頭の中にある戦争の「歴史」である。

 一般的に「相対化」とは「他の同類と比べて位置づけること」を言うが、安倍晋三の場合は他の同類と並べてその中に置き、紛れ込ませて見えにくくする、あるいは等し並みに見せる言葉の作用を用いている。

 決して日本の戦争は戦争として、個別・具体的にその歴史に謙虚に向き合う姿勢は取っていない。

 後の方で述べている、「私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます」にしても、「私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます」にしても、一般性、時代性を纏わせる巧妙な相対化のテクニックを用いたゴマカシの歴史認識に過ぎない。

 そうであることの証拠は続けて述べている言葉にすぐさま現れることになる。

 「戦後70年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
 先の大戦では、300余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません」――

 「戦後70年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます」と言っているものの、日本が起こしたアジアでの植民地主義に基づいた戦略戦争でありながら、安倍晋三はそういった歴史認識を取っていないから、日本の戦争の犠牲者として戦争を起こした側の日本人を、「300余の同胞の命が失われました」と最初に挙げ、「戦火を交えた国々」の若者やその他の犠牲者を後に挙げる非礼を平気で犯しているが、この非礼からは歴史に謙虚に向き合う姿勢は決して見えてこない。

 大きな火災を起こして客と従業員の中から多くの犠牲者を出した百貨店が謝罪会見で「従業員が何名犠牲となりました。お客様は何名です」と客の死者数を後回しにするだろうか。

 このように謙虚さも誠実さも欠いていたのでは、「深く頭を垂れ」た「痛惜の念」も、「永劫の、哀悼の誠」も、口先だけと見ないわけにはいかない。

 しかも犠牲者全てを戦争の被害者として扱い、日本が戦争の加害者であった視点を一切欠いた犠牲の様子を「飢えや病に苦しみ、亡くなられた」とか、「無残にも犠牲となりました」と尤もらしげに述べる不遜さも見せている。

 当然、続けての、「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません」と初めて加害者の視点を持たせた言葉は先の発言と矛盾していて、突然見せた戦争加害者意識は到底信用できない。

 この信用できなさは同じく続けての言葉が証拠立ててくれる。

 「これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります」――

 日本が戦争を起こして内外の多くの命を失わせた。あるいは奪った。それを「尊い犠牲」と言う。

 これ程の歴史のゴマカシはあるまい。勝つ見込みもない無謀な戦争に駆り出されて犠牲となった戦死者、あるは巻き添えとなった民間人を「尊い犠牲」と言うだろうか。

 東日本大震災で命を落とした被災者を「尊い犠牲」と言うだろうか。

 「犠牲」の言葉の意味は、「災難などで、死んだり負傷したりすること」と、「目的のために身命を投げ打って尽くすこと」を言う。前者は受動的な犠牲で、後者は自発的犠牲を指す。

 「尊い」という肯定する形容詞をつけることができるのは後者の場合であって、その自発的犠牲によって褒賞の対象とし得る。

 天皇陛下のため・お国のために戦って戦死した兵士は自発的行為として「尊い犠牲」と形容し、褒賞の対象とすることができるかもしれないが、「終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々」等の受動的犠牲を果たして「尊い犠牲」と言うことができるだろうか。痛ましさを伝えなければならない対象とすることはできても、褒章の対象とすることはできない。

 例え兵士であっても、外地で戦死した兵士の6割が餓死だと言われているが、初期的には自発的行為として戦場に赴いたかもしれないが、中には赤紙一枚で無理やり戦場に駆り出された受動的行為としての兵士も多くいるだろうが、餓死という受動性からの無残な死を「尊い犠牲」に入れることができるのだろうか。
 
 安倍晋三が「尊い犠牲」と言うことができるのは常に国家の立場に立ち、自発的行為として国家のために命を投げ打って尽くすことを国民に求める国家主義者だからである。

 にも関わらず、止むを得ず苦悩の内に死を選択せざるを得なかった受動的犠牲者まで「尊い犠牲」だと自発的犠牲の仲間に入れる。これ程の歴史のゴマカシ・ご都合主義、――歴史修正・歴史改竄はあるまい。

 安倍晋三の「歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ぶ」にしても、「過去の歴史に真正面から向き合う」にしても、「政治は歴史に謙虚でなければならない」にしても、この程度のゴマカシとご都合主義で成り立たせた歴史観に過ぎない。

 安倍晋三が談話で「侵略」という言葉を用いるか、「反省」と言う文言を入れるのか、マスコミは話題にしたが、確かに「侵略」に触れ、「反省」よりも強い意味を持つ「悔悟」という言葉を用いている。

 「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります」――

 だが、ここで使っている「侵略」は日本の戦争を個別・具体的にそうだと名指ししたわけではない。自身の歴史認識として、そのように位置づけたわけではない。今後の「国際紛争を解決する手段」の中に入れないことの宣言に過ぎない。

 日本の侵略戦争に対してこのような歴史観の安倍晋三が「先の大戦への深い悔悟の念」をどう述べ、どう使おうと、言葉のテクニックが目立つだけで、心に響いでこない。

 安倍晋三が談話で「侵略」の文言を用いたのは、これ一回である。記者会見では記者に問われて、何回か用いている。

 杉田共同通信社記者「過去の村山談話や小泉談話と違う形で、お詫びの気持ちや侵略の文言を入れた理由をお聞かせください」

 安倍晋三「侵略という言葉についてでありますが、今回の談話は21世紀構想懇談会において有識者の方々が共有した認識、その報告書の上に立って作成したものであります。その報告書の中にもあるとおり、中には侵略と評価される行為もあったと思います。だからこそ、談話においては事変、侵略、戦争といった言葉を挙げながら、いかなる武力の威嚇や行使も国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならないことを先の大戦への深い悔悟の念と共に誓ったと表現しました。

 先の大戦における日本の行いが侵略という言葉の定義に当てはまれば駄目だが、当てはまらなければ許されるというものではありません。かつて日本は世界の大勢を見失い、外交的・経済的な行き詰まりを力の行使によって打開し、あるいはその勢力を拡大しようとしました。その事実を率直に反省し、これからも法の支配を尊重し、不戦の誓いを堅持していくということが今回の談話の最も重要なメッセージであると考えています。その上で、具体的にどのような行為が侵略に当たるか否かについては歴史家の議論に委ねるべきであると考えています。

 重要な点は、いかなる武力の威嚇や行使も国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならないということであります。これが私たちが過去から学び、教訓とし、反省すべきことであると考えます」――

 言っていることは自身が日本の戦争を「侵略」と歴史認識したわけではないということである。あくまでも21世紀構想懇談会の報告書の中に、「中には侵略と評価される行為」が記されていたから、談話で述べたように今後の「国際紛争を解決する手段」の中に入れないという文脈で「侵略」を把えているに過ぎない。

 安倍晋三はの「先の大戦における日本の行いが侵略という言葉の定義に当てはまれば駄目だが、当てはまらなければ許されるというものではありません」の発言は一見すると謙虚に聞こえるが、自身は日本の戦争を侵略だと歴史認識していないことの言い替えに過ぎない。つまりどちらとも言えない状態に置いている。

 そして最終的には「具体的にどのような行為が侵略に当たるか否かについては歴史家の議論に委ねるべきであると考えています」と侵略に関わる歴史認識を歴史家に丸投げするゴマカシとご都合主義を働かせている。

 「談話」で散々「政治は歴史に謙虚でなければならない」だ、「政治は歴史から未来への知恵を学ばなければない」だと言いながらである。

 尤も安倍晋三に言わせると、日本の戦争の歴史に謙虚に向き合うと、侵略戦争とはならないということなのだろう

 最初に安倍晋三は一見、急に歴史に目覚めたように見えると書いたが、あくまでも“一見”であって、実際は旧来から何ら変わらない歴史認識に立って、歴史に謙虚に向き合っているかのようなポーズを見せた談話を延々と述べたに過ぎない。

 だが、安倍晋三式の正直な歴史認識を正々堂々と披露したなら、中韓関係ばかりか、アメリカとの関係も損なう。表面的には歴史に謙虚に向き合っている姿を内外に広く見せなければならない。

 そういったポーズを取るためには、NHK NEWS WEB記事が村山談話と小泉談話が約1300字程度に対して安倍談話は3000字を越える分量だと書いていたが、ウソつきが自分のウソを事実と思わせるために多弁になるように、多くの言葉を費やさなければならなくなり、費やす中で多くのご都合主義的な歴史改竄、ゴマカシを巧妙に混ぜ込ざるを得なくなったということなのだろう。


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