1945年3月26日開始の沖縄戦の組織的戦闘が終結した1945年6月23日の71年後の2016年6月23日の沖縄慰霊の日に糸満市摩文仁の平和祈念公園で「平成28年沖縄全戦没者追悼式」が行われ、安倍晋三が日本政府を代表して「挨拶」(首相官邸サイト)を述べた。一部抜粋。
安倍晋三「71年前、ここ沖縄の地は、凄惨な地上戦の場となりました。20万人もの尊い命が失われ、何の罪もない市井の人々、未来ある子供たちが、無残にも犠牲となりました。沖縄の美しい海や自然、豊かな文化が、容赦なく壊されました。平和の礎に刻まれた方々の無念、残された人々の底知れぬ悲しみ、沖縄が負った癒えることのない深い傷を想うとき、ただただ、頭を垂れるほか、なす術がありません」
「Wikipedia」に次のような記述がある。
〈大本営は、1945年(昭和20年)1月に『帝国陸海軍作戦計画大綱』を策定し、「沖縄戦闘は本土戦備のために時間を稼ぐ持久戦である」と戦略を明示した。 沖縄戦における日本軍の作戦は、これをもって「捨て石作戦」と呼ばれている。〉――
巷間広く伝えられている事実となっている。
要するに目的は時間稼ぎであって、負ける戦闘であることを前提としていた。そしてその戦闘に沖縄の住民の多くを巻き込んだ。
その結果の米軍兵士死者12520人に対して日本軍人・軍属死者94136人、この94136人に対して沖縄県民死者が94000人(「沖縄県平和祈念資料館」)という日本軍兵士と匹敵する犠牲数にのぼった。
文藝春秋2007年4月特別号『小倉庫次侍従日記・昭和天皇戦時下の肉声』(半藤一利解説)の中の沖縄戦終了25日前の日付には次のような下りがある。
〈昭和20年6月8日(金)前10時より正午迄、御前会議。重要国策に付、審議せらる。
(半藤一利氏解説)この御前会議で決定された大事なところは次のとおり。「方針=七生尽忠の信念を源力とし、地の利、人の和をもってあくまでも戦争を完遂し、もって国体を護持し、皇土を保護し、征戦の目的の達成を期す・・・」
即ち徹底抗戦、最後の一兵までの決意である。天皇はこれを裁可した。〉
「七生尽忠」(しちしょうじんちゅう)とは「七度(ななたび)生まれ変わって天皇と国家に尽くすこと」を意味するが、最初から米国という超大国の巨大な軍隊相手に戦争で勝つ見込みはなかったにも関わらず、日米開戦の1941年12月8日に遡る約3カ月前の1941年8月27・28日開催、内閣総理大臣直轄の「総力戦研究所」が日米が戦争をした場合の勝敗の行く末を国力や戦力を比較した各種データーに基づいて検証した結果、「日本必敗」の結論を出していたことがこのことを証明しているが、その結論を当時の陸軍大臣東条英機が「意外裡の要素」(=計算外の要素)の重要性を持ち出してそれに期待して無視、現実に戦争してみて米軍を相手に、あるいは米国という超大国を相手にもはや戦争を遂行していくだけの能力を、敗色濃かった沖縄戦の現実を見ても、失っていたことを認識していなければならなかったはずだが、なおも天皇と国家は国民に命の犠牲を求めた。
沖縄戦を時間稼ぎの持久戦と看做して“捨て石”とすることを決めて住民をも戦争に巻き込み、その命を捨て石としたことは、勝てぬ戦争を日本は神国だ、現人神が統治する国だといった精神力を主体としていたに違いない「意外裡の要素(=計算外の要素)」に求めて戦争を起こし、多くの国民を犠牲にしたことと併せて国家の犯罪そのものであろう。
当然、安倍晋三は戦後の国家権力に関与する者として現在の沖縄県民が戦争の記憶を引き継いでいる以上、戦前の沖縄県民に対して犯した国家犯罪に関わる国家の責任に言及、その過ちを謝罪すべき立場にあるが、沖縄戦を歴史のほんの一コマに纏め上げて、その事実を簡略的に述べるだけにとどめている。
国家の立場に立って国家の安全保障を考えるのみで、沖縄県民の立場に立っていないからできる安倍晋三の姿勢に他ならない。
安倍晋三「今般、米軍の関係者による卑劣極まりない凶悪な事件が発生したことに、非常に強い憤りを覚えています。米国に対しては、私から、直接、大統領に、日本国民が強い衝撃を受けていることを伝え、強く抗議するとともに、徹底的な再発防止など、厳正な対応を求めてきました。米国とは、地位協定上の軍属の扱いの見直しを行うことで合意し、現在、米国と詰めの交渉を行っております。国民の命と財産を守る責任を負う、政府として、二度とこうした痛ましい犯罪が起きないよう、対策を早急に講じてまいります」――
今回の事件に関して、「米国とは、地位協定上の軍属の扱いの見直しを行うことで合意し、現在、米国と詰めの交渉を行っております」としている。
「日米地位協定 第17条刑事裁判権」は、日本国の領域内で犯す罪で日本国の法令によつて罰することができるものについて、日本側が裁判権を有するが、罰することができないものについては米側が裁判権を有すると第1次裁判権を規定した上で裁判権を行使する権利が競合する場合については次のように規定している。
〈3 裁判権を行使する権利が競合する場合には、次の規定が適用される。
(a) 合衆国の軍当局は、次の罪については、合衆国軍隊の構成員又は軍属に対して裁判権を行使する第一次の権利を有する。
(i) もつぱら合衆国の財産若しくは安全のみに対する罪又はもつぱら合衆国軍隊の他の構成員若しくは軍属若しくは合衆国軍隊の構成員若しくは軍属の家族の身体若しくは財産のみに対する罪
(ii) 公務執行中の作為又は不作為から生ずる罪
(b) その他の罪については、日本国の当局が、裁判権を行使する第一次の権利を有する。
(c) 第一次の権利を有する国は、裁判権を行使しないことに決定したときは、できる限りすみやかに他方の国の当局にその旨を通告しなければならない。第一次の権利を有する国の当局は、他方の国がその権利の放棄を特に重要であると認めた場合において、その他方の国の当局から要請があつたときは、その要請に好意的考慮を払わなければならない。
・・・・・・・
5
(c) 日本国が裁判権を行使すべき合衆国軍隊の構成員又は軍属たる被疑者の拘禁は、その者の身柄が合衆国の手中にあるときは、日本国により公訴が提起されるまでの間、合衆国が引き続き行なうものとする。〉――
肝心なことは、〈公務執行中の作為又は不作為から生ずる罪〉の第1次裁判権は米軍当局にあるとされていることである。公務中とすれば、すべて米軍当局が第1次裁判権を持つことになる。
さらに日本当局が裁判権を有していたとしても、米軍当局がその身柄を拘束している場合は日本の裁判所が公訴するまでは米軍当局が引き続き身柄を拘束できるとしていることである。
日本の警察は取調べができないことになる。
但し1995年に沖縄県で発生した少女集団暴行事件を受けて、運用面で改善が施された。
「日米地位協定第17条5(c)及び、刑事裁判手続に係る日米合同委員会合意」(外務省)
「日米地位協定第17条5(c)」が、〈日本国が裁判権を行使すべき合衆国軍隊の構成員又は軍属たる被疑者の拘禁は、その者の身柄が合衆国の手中にあるときは、日本国により公訴が提起されるまでの間、合衆国が引き続き行うものとする。〉と規定していることに対して――
〈1.合衆国は、殺人又は強姦という凶悪な犯罪の特定の場合に日本国が行うことがある被疑者の起訴前の拘禁の移転についてのいかなる要請に対しても好意的な考慮を払う。合衆国は、日本国が考慮されるべきと信ずるその他の特定の場合について同国が合同委員会において提示することがある特別の見解を十分に考慮する。
2.日本国は、同国が1.にいう特定の場合に重大な関心を有するときは、拘禁の移転についての要請を合同委員会において提起する。〉――
要するに「殺人又は強姦という凶悪な犯罪」であったとしても、「日本国が行うことがある被疑者の起訴前の拘禁の移転」(起訴前に行う警察及び検察の取調べのための拘禁の移転)の要請に対して米軍当局は日米合同委員会で日本側から提起された場合は「好意的な考慮を払う」と取り決めている。
今回の沖縄女性に対する米軍属の強姦・殺人事件は公務外であったために米軍当局は日本の警察の取調べと裁判権に何も異議を唱えなかった。基地反対闘争に悪影響を及ぼすことを恐れたに違いない。
翁長沖縄県知事はこの日米地位協定の抜本的改定を求めている。6月23日沖縄慰霊の日の翁長知事の挨拶を見てみる。
翁長沖縄県知事「日米安全保障体制と日米地位協定の狭間で生活せざるを得ない沖縄県民に、日本国憲法が国民に保障する自由、平等、人権、そして民主主義が等しく保障されているのでしょうか」(沖縄タイムス/2016年6月23日)
いわば日本人の「自由、平等、人権、そして民主主義」を保障する内容の日米地位協定の改定を求めている。
対して安倍晋三は同じ沖縄慰霊の日の挨拶で上記紹介したように次の発言をしている。
安倍晋三「米国とは、地位協定上の軍属の扱いの見直しを行うことで合意し、現在、米国と詰めの交渉を行っております」
日米地位協定にしても、地位協定の運用に関わる「日米合同委員会合意」にしても、犯罪構成主体を「合衆国軍隊の構成員又は軍属」としている。だが、安倍晋三は犯罪構成者を「地位協定上の軍属の扱いの見直しを行うことで合意した」と軍属に限っている。
沖縄に於ける米軍関係者が起こした事件を全部知っているわけではないが、上記1995年の沖縄の少女暴行・殺人事件は12歳の女子小学生を3人共に米軍兵士であった者が拉致し、集団暴行したもので、軍属は含まれていない。2014年の強姦事件も米兵であって、軍属ではないし、その他の強姦事件や殺人事件にしても、その殆んどが米軍兵士となっている。
今回の事件で軍属がクローズアップされたが、少なくとも安倍晋三が口にした「非常に強い憤り」は今回の事件に限った激しい感情ではなく、なくならずに継続される米軍兵士による凶悪犯罪をも含めた感情の発露でなければならない。
であるなら、「沖縄慰霊の日」に立ち会っている間は、あるいは日米地位協定に関わる問題に直面している間は今後共米軍兵士の犯罪発生が否定しきれない可能性を常に頭に置いていなければならない。その可能性が否定しきれないからこその「扱いの見直し」であろう。
だとしたら、実際には米軍将兵と軍属を含めた地位協定の「扱いの見直し」であったとしても、安倍晋三は挨拶の中で犯罪構成主体に兵士を外すことはできなかったはずだが、含めるのは忘れた、あるいは勘違いしていたでは済むはずはなく、今回の強姦・殺人事件を米軍兵士そのものが犯した犯罪ではない、軍隊に直接関係する者の犯罪ではないとする矮小化の意識が働いた見直し対象者からの兵士の除外ということでなければ、除外したことの整合性を得ることはできない。
今回の事件以外にも過去に軍属が犯罪を犯していたとしても、兵士が圧倒的に多いことからも、除外したことの整合性は軍属の犯罪だとする矮小化以外にを見つけることはできない。