「生活の党と山本太郎となかまたち」
《10月24日(土)小沢一郎代表のテレビ出演のご案内》
◆番組名:TOKYO MXテレビ『淳と隆の週刊リテラシー』
◆日 時:平成27年10月24日(土)午後5:00~5:55
◆番組詳細
第3次安倍改造内閣で文科相として初入閣した元プロレスラーの馳浩が高校教師時代体罰教師であったことが話題となっている。ネット上でも色々と取り上げられている。
最初に断っておくが、体罰とは一言で言うと、言葉による威嚇・身体的な若しくは物理的な威嚇を用いた自身の考え・価値観の一方的な強制である。
元体罰教師であったとしても、心改めていたなら、それが事実であるなら、何も問題ではなくなる。大阪市長の橋下徹も過去に体罰容認発言を行っていたが、それを改め、体罰はいけないことだと宣言することで、過去の発言に免罪符を与えることに成功している。
殺人を犯したとしても、刑務所で刑期を務めたなら、出所後の生き方が全てとなる。
2015年10月9日付の「LITERA」記事が、保守論壇誌「正論」(産経新聞社)2008年6月号所収の馳浩とヤンキー先生こと義家弘介参議院議員とのそれぞれの教師時代を振返ってそれぞれが関わった体罰を述べた対談記事を紹介している。
義家弘介「生徒指導で大切なこと。これは一旦引いた線は絶対死守することに尽きる。
いじめの指導で放課後4時間教室から(生徒を)出さなかった時は他の教職員がハラハラしながら私の教室の外で見守っていて後で散々言われました。(中略)口で『いじめはダメですよ』と説くのは誰でもできる。でもこれはそんな次元で済ましてはダメで態度で示す以外ない。教室の用具はボコボコになり、最後は加害生徒が泣いて詫びながら二度といじめないことを誓ったので終わりにしましたけど、これは仲間内の教職員から散々に言われました」
「教室の用具はボコボコになり」と言っているから、生徒が泣いて詫びたのは言葉を使った説得ではなく、自身の身体を使った説得――態度で示したということなのだろうか。いわば直接殴ったのではなくても、取調べの刑事が容疑者が座っている椅子を蹴飛ばしたり、二人の間の机を叩いたり、便所へも生かせず、眠らせもせず長時間取調べて自白を強要するように生徒が座っている椅子や机を蹴飛ばしたり叩いたりして、つまり教室の用具がボコボコになるまでして、ついに相手を泣かせて謝らせたということなのだろうか。
これは明らかに言葉を使って相手を納得させるのではない、身体的・物理的な威嚇を用いて相手を恐怖させる強制そのものであって、教育という言葉で片付けることはできない。
馳浩「私は朝7時前には必ず学校に行き、職員会議が始まるまでの時間を校門に立って口うるさくやりました。爪、スカートの丈、髪型など。私の場合は終始怒鳴らなくても済んだんですね。というのは私が教員になってすぐに五輪の代表に選ばれましたし、私の身体を見れば生徒は『馳は怒らせると怖い』と分かるのです。生徒は逆らったら怖いとビビっているから、むしろ『怒らせると怖いけれども、そうでなければ普通に話せる』と思わせるよう、授業の始まりにいろいろな話をして気をつかっていましたね。
では殴ったことがなかったかと言えば、必ずしもそういうわけでもない。私は高校のレスリング部の監督を務め、石川県で強化委員会をやってましたけど、私の高校はそう強いチームではなかったのです。ですから一週間に一本ぐらいは竹刀が折れていましたよ。
理由はハッキリしている。短期間でチームをまとめ、強くするには基礎体力をつける以外にない」
朝7時前に出勤して、毎日校門に立ち、登校してくる生徒を出迎え、そして口うるさく指導した。但し終始怒鳴らなくても済んだのはがっしりした身体をよりいかつく見せ、その身体で問題生徒には強面を見せる、いわば暗黙の威嚇を用いた強制が功を奏していたと言うことなのだろう。
教育と威嚇は決して両立しない価値観である。前者は言葉を武器とし、後者は言葉を無力としている、もしくは必要としていないことによって成り立つ、双方共に成り立たない相反する価値観として存在する。
教師時代の義家も馳浩もそのことに気づいていなかった。教師でありながら気ついていないという逆説は教師としての失格を告げる証明以外の何ものでもない。
だから、馳浩は自身が部活顧問をしていたレスリング部を強くするために短期間で部員の基礎体力をつけるために竹刀で叩く体罰を必要とすることになった。
例えそのことをチームを強くするためだ何だと、どう正当化しようと、暗黙のであろうと、言葉や身体表現を取ったものであろうと、威嚇を使った強制としての体罰はそこに上の者が下の者を従わせ、下の者が上の者に従うだけの権威主義の力学が作用して、部員は部活顧問の指示を一旦自身の思考を濾過させた上で自身の考えでどう動くか、どう戦うかの技術を身につけていく自律的行動からではなく、それらの考えは全て馳浩に任せて、部員たちは何も考えずに馳浩の考え通りに動き、戦う他律的行動に終止することになる。
つまり学校教育者でありながら、生徒自身の思考を奪う行為をしていた。
だから、日本のアスリートはプロの世界に入ってからも、「考えるプレーをしろ、考えるプレーをしろ」と喧しく言われることになる。あるいはチームに対して「考える」をテーマに据えることになる。
このような現象は生徒自身の思考を奪い、他者の思考に従属させる、いわば自分では考えないで済ませることができる権威主義的行動に慣らし、育てたことの裏返しであるはずである。
要するに馳浩も義家弘介も教育者の資格もなく教師をしていた。
馳浩が文科相に就任した10月13日の文科省での記者会見で高校教師時代の体罰について質問を受けているということだから、何日か前に文科省のサイトにアクセスしてみた。記者会見の映像は掲載されているが、テキスト版は「後日、アップロードします」と書いてあるのみで、そのうち掲載されるだろうと待っていたが、今日現在(10月24日)今以て掲載されていない。
10月9日の義家弘介以下の副大臣の共同記者会見も、2週間も経過していながら、「後日、アップロードします」のままとなっている。体罰のことを広めたくないから、テキスト版を怠っているのではないかと疑いたくなる。
仕方がないから、文字起こししてみた。なかなか調子のいい出だしをしている。
馳浩(にこにこして)「ハイ、おはようございます。座る椅子、決まってるの?いつもそこにいるじゃない。(記者の返事は聞き取れない。)ハイ、分かりました。ではよろしくお願い致します(深く頭を下げる。)
昨日は10月11日(12日の間違い)、みなさんもスポーツに励んで頂きましたでしょうか。(ニコニコして)まあ、象徴的な1日でありますけれども、私もナショナルトレーニングセンターでスポーツ祭りに参加せせて頂きました。
準備体操も参加させて頂きまして、バランスが悪くなったなあと、実感を致しました。国民、1億総活躍社会の中に於いてもね、健康とスポーツ、まさしく重要だなあということを実感したことでありまして。
体育の日だけスポーツをすればいいってというわけではありませんで、特にこの記者クラブに於いてですね、ダンベルまで持ち込むわけにはいきませんが(記者たちが笑い声を上げる)、みなさんも少しはストレッチをしたりですね、ストレッチをしたり、深呼吸したりしながら、気持を新たにしながらですね、大臣に対する厳しい質問を考えたりして頂きたいと思いますが、冒頭はこんなところにしたいと思います。
じゃあ、よろしくおねがいします」
丁寧に頭を下げる。
過去の体罰について一体どこの新聞社が聞くのかと思っていたら、大手ではなく「インディペンデント・ウェブ・ジャーナル(略称:IWJ」と言う名のインターネット報道メディアの佐伯という記者であった。
名乗りまではどうにか聞き取れたが、質問内容までは聞き取れなかった。
馳浩「体罰は絶対反対です。その『正論』ですか、多分それは全体を読めばお分かり頂けると思いますが、自戒・反省・謝罪を込めてですね、そのような発言をしたと思っています。
昨日、教員時代、特に部活動、あるいは朝の登校、カバン見たら、カバンの中に何も入っていない高校生のカバンを取り上げてですね、『なんだこれは』、なかったとはいいません。それはもうやられた高校生はよく覚えていると思います。
しかしそれはダメだ、そういうことを教職員してはいけない。特に身体の大きい声のこのようなデカイ私がですね、教員として、そのことをしたことの謝罪と反省を踏まえて、そのときに申し上げた意味に記憶していると。
まあ、兎に角私も国語の教員でありましたので、国語の古典と漢文の授業を担当しておりましたので、文学作品、古典作品を読み解く授業をする。肝というのはエッセンスでありますから、そんなとき、先生が怖かったり、先生の大きな声にビビっていたりしたら、授業にならないんですね。
そう言うことについては本当に配慮しながらですね、また部活動に於いても、本当はそういった態度というのは絶対してはいけないのですが、私が未熟であったばっかりに高校生の諸君に迷惑をかけたことに本当に反省をしているという意味で、あのー、そのときに、あのー、多分発言をしたと記憶しております。
改めてですね、あのとき、私に竹刀で殴られた高校生たちに謝罪をしたいと思います。で、体罰はあってはならないし、してはいけませんし、そのどのような形に変えてでもね、例えばこうしますね、心の準備をしてくださいね(左手の平でテーブルを叩く。大して大きな音はしない)。
教壇で教員が(再び叩きながら)こう叩く。(今度は背後の『文部科学省』とロゴを入れた壁一面のパネルを振返って叩く。記者たち笑い声を上げる。)パーンと感情に任せてやるだけで、高校生、特に小・中・高生はやっぱり萎縮して、本来の自らの気持を、先生に伝えようとする、その気持すら、なくなってしまうんですね。
そのことについては改めて私も、反省と共に、謝罪と共にですね、そういうことは絶対してはいけない、そういう授業、あるいは生徒との日常の関わりでは、やはり子どもたちが教職員の魅力に、それを引いてね(「惹かれて」という意味か)、先生と話をしたくなる。授業で分からなかったことを質問したくなる。
そういう教職員にならなくてはいけないと、改めて今ご質問を頂いて、そう思っておりますし、星陵高校の教員時代の授業に於いてはそのように常に気をつけていたつもりでありますが、部活動でそういったことがあったのは事実でありますが、改めて申し上げました」
記者会見が終了する。
暗黙の威嚇であったとしても、生徒が「萎縮して、本来の自らの気持を、先生に伝えようとする、その気持すら、なくなってしまう」、それは間違っていると言ってはいるが、体罰が教師と生徒の間に権威主義的な上下関係を構築していることによって可能とする言葉による威嚇・身体的な若しくは物理的な威嚇を用いて上の考え・上の価値観を下の者に押し付ける強制であり、その強制が下の者の思考・自律性を結果として奪って、他者の思考に従わせ、他律性を当り前とさせることを原理としていることに元学校教育者として気づいていなければ、生徒の萎縮は表面的な理解にとどまり、当然、日本の教育行政を引き受ける文科相を役目とする資格を失う。
気づいていないことは、「星陵高校の教員時代の授業に於いてはそのように常に気をつけていたつもりでありますが、部活動でそういったことがあったのは事実でありますが、改めて申し上げました」と言っている言葉に現れている。
授業で気づいていて気をつけていたなら、部活動でも気づいていることを実行しなければならないからだ。逆に部活動で自己の価値観を絶対として、その価値観を問答無用に押しつけるために竹刀で叩く体罰を行い、生徒自身の思考を奪っていたなら、授業でも怒鳴ったり、教壇を叩いたり、生徒の席に近づき、座っている椅子の脚を蹴飛ばしたりの威嚇を行って生徒たちの思考を奪っていた可能性を疑うことができる。
しかし過去は過去である。但し文科相となっていながら、自身が体罰を行ったことのある元学校教師として体罰の何たるか、その本質的な意味を理解するまでになっていなければ、理解していないことは長々とした回りくどい弁明にも現れているが、教育者として成長していないことになって、文科相として致命的である。