3月3日の衆院予算委員会。今夏発表の戦後70年談話の対外的発信に関連した安倍晋三の発言を「産経ニュース」が伝えている。
安倍晋三「私は歴史修正主義者では全くない。『戦後レジームからの脱却』という言葉が海外である種の誤解を生んでいる。
戦後たくさんの仕組みができ、この仕組みを変えていくことが私たちの課せられた使命だ。(『戦後レジームからの脱却』は)内政について言っており、戦後体制に挑戦する類いのものではない」――
大ウソつきめ!
安倍晋三は札付きの歴史修正主義者であり、札付きの復古主義者であり、札付きの軍国主義者である。
このことは2012年4月28日の自民党主催「主権回復の日」に寄せた安倍晋三のビデオメッセージが何よりの証拠となる。
安倍晋三「皆さんこんにちは。安倍晋三です。主権回復の日とは何か。これは50年前の今日、7年に亘る長い占領期間を終えて、日本が主権を回復した日です。
しかし当時の日本はこの日を独立の日として国民と共にお祝いすることはしませんでした。本来であれば、この日を以って日本は独立を回復した日でありますから、占領時代に占領軍によって行われたこと、日本はどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、そしてきっちりと区切りをつけて、日本は新しいスタートを切るべきでした。
それをやっていなかったことは今日、おーきな禍根を残しています。戦後体制の脱却、戦後レジームからの脱却とは、占領期間に作られた、占領軍によって作られた憲法やあるいは教育基本法、様々な仕組みをもう一度見直しをしてその上に培われてきた精神を見直して、そして真の独立を、真の独立の精神を(右手を拳を握りしめて、胸のところで一振りする)取り戻すことであります。
教育基本法は改正しました。教育の目標に道徳心を培い、伝統と文化を尊重し、郷土愛、愛国心を書き込むことができました。
まさにそれは憲法に、憲法とは私たち日本人が日本をこういう国にしていきたい、その思いを、その理想を込めたものです。自由民主党は憲法改正草案を作りました。いわば国民の皆さん、これから憲法論議に参加をして貰いたいと思います。
特に若い皆さん、一緒に仲良くしながら日本をこのような国にしていきたい、日本をしていきましょう。
先ずは憲法の96条を私は変えていくべきだと思います。これは改正条項です。国会議員の3分の2ファ賛成しなければ国民投票できない。これは国民から憲法を引き離している、とおざけている厚い大きな壁です。これを皆さんと共に打ち破っていきたい、こう思います。
共に一緒に前進していこうじゃありませんか。宜しくお願いします。ありがとうございました」――
占領時代に占領軍によって「日本はどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか」と言っていることは占領時代に占領軍が日本の姿と日本人の精神を否定的方向へと改造したと指摘していることを意味する。
当然、占領時代に占領軍がつくった日本国憲法や教育基本方、その他の様々な仕組みの「上に培われてきた精神を見直して」と言っていることは、占領時代に占領軍が否定的方向へと改造した日本の姿と日本人の精神の「見直し」を意図した言葉であって、「真の独立を、真の独立の精神を取り戻す」とは、否定的方向から肯定的方向への“取り戻し”を示唆した言葉以外の何ものでもない。
一度失った日本の姿、日本人の精神を再び本来の姿、本来の精神に「取り戻す」ことを以って、そのような姿・精神を「真の独立」、「真の独立の精神」と表現したのである。
安倍晋三が「日本はどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか」と言っている「改造」と「影響」が否定的意味を持たせた言葉である以上、いつの時代を肯定的とし、それを基準とした否定なのかが問題となる。
いつの時代の日本の姿と日本人の精神を肯定的基準とした占領時代の占領軍による否定的な変化なのかということである。
このことは「真の独立を、真の独立の精神を取り戻す」と言っていることについても言うことができる。
如何なる時代の日本の姿、日本人の精神を基準として本来の独立の姿、本来の独立の精神と価値づけて、戦後のそれらを否定的としているのか。
日本を「改造」し、「日本人の精神」に否定的影響を及ぼしたとして占領軍による日本占領と占領政策を否定している以上、それ以前の時代、戦前日本の姿と戦前日本人の精神を「取り戻す」べき対象としていることになる。
と言うことは、安倍晋三は戦前日本の姿を理想の国家像とし、戦前日本人の精神を理想の日本人像としていることになる。
いわば戦前日本の姿と戦前日本人の精神に「真の独立」、「真の独立の精神」を見ているということである。
当然、安倍晋三の中では1945年8月15日の敗戦が肯定的姿から否定的姿への転換点となった。
安倍晋三が戦前日本に理想の国家像を置き、戦前日本人の精神に理想の日本人像を置いていることと、「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係に於いてどちら側から見るかで違う」と言っていることは無関係ではない。
また、「村山談話」の「植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と戦争の結果については引き継ぐと公言しているが、この文言の前段をなしている原因には一度も引き継ぐとは触れていないことと無関係ではない。
前段は、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって」と原因に言及、続いて安倍晋三が引き継ぐと言っている結果となる「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」の後段をなしているのだが、前段となる原因を省いている。
戦前日本の姿としてあった「国策の誤り」、「植民地支配と侵略」、それらに邁進した戦前日本人の精神といった暗黒の歴史は、理想の国家像として、あるいは理想の日本人像として「取り戻す」べき対象とした戦前日本の姿と戦前日本人の精神を戦後日本の世界に再来させるという壮大な歴史的試み――安倍晋三の言葉を借りると、自身は否定しているが、「戦後体制への挑戦」に矛盾を来たすことになって、その矛盾をなくすための暗黒の歴史の否定――歴史修正ということであるはずである。
暗黒の歴史の否定という歴史修正によって戦前の理想を主権回復後の日本に「取り戻す」ことが可能となる。取り戻して初めて安倍晋三は精神の浄化を手に入れることになるのだろう。
何しろ、それを以て自らの政治的大業としているのだから。
「安倍晋三戦後70年談話」もこの一環としているはずだ。
現在の日本の平和は戦争への反省の上に日本国憲法の平和主義・基本的人権・国民主権を伴奏者として築き上げられた。いわば現在の平和国家日本は日本国憲法を頭に戴き、戦争への反省を礎としているにも関わらず日本国憲法を占領軍が「たった8日間でつくった」占領軍憲法だと否定し、戦前日本の「国策の誤り」と「植民地支配と侵略」を戦前日本の歴史から抹消する歴史修正に立った歴史認識から見ても、安倍晋三の言う「戦後体制の脱却」、あるいは「戦後レジームからの脱却」とは、戦前の日本の姿と戦前日本人の精神を理想の国家像及び理想の日本人像として戦後の日本と戦後の日本人に取り戻そうとするドンキホーテーの如くの壮大な試みであって、「戦後体制への挑戦」と言う他ない。
当然、この試み――「戦後体制への挑戦」の過程で歴史修正を通過儀礼としている以上、安倍晋三を歴修正主義者と呼ばざるを得ないし、戦前の日本の姿と戦前の日本人の精神を「取り戻す」としている以上、復古主義者としないわけにはいかないし、軍国主義という名の国家主義が吹き荒れた戦前日本を理想としている以上、国家主義者の範疇に入れざるを得ない。
そうでありながら、「私は歴史修正主義者では全くない」と否定し、「戦後レジームからの脱却」は「内政について言っており、戦後体制に挑戦する類いのものではない」と誤魔化す。
時と場合に応じて発言を変える。ご都合主義者でもある。
安倍晋三は「札付きの」という枕詞をつけなければ収まらない、札付きの歴史修正主義者であり、札付きの復古主義者であり、札付きの軍国主義者である。さらに加えて、ご都合主義者の尊称を奉らなければならない。