戦時国家指導者たちの責任不作為を構造的に引き継ぐ現代日本の統治構造

2012-08-21 12:30:16 | Weblog

 8月15日(2012年)NHK総合テレビ放送、NHKスペシャル『終戦 なぜ早く決められなかったのか』は戦時中の日本の国家指導者たちの自らに課せられた責任を積極的に引き受けない組織全体の姿、責任不作為を抉り出したが、この構造的問題点を今もなお引き継いでいると、同番組内で姜尚中氏が指摘している。

 日本が既に戦争継続能力を失っている状況にありながら、大本営が策定した本土決戦による米一撃後の和平交渉に拘り続けたことと、対ソ和平交渉仲介の交換条件を決めることができず、全てが手遅れになった結果を踏まえて、徹底抗戦から早期戦争終結へと「なぜ方針転換を決断できなかったのか」を歴史学者の加藤陽子、外交評論家の岡本行夫、姜尚中の各氏が論ずる中で出てきた発言である。

 姜尚中(カン・ザンジュン)氏の肩書きは自身のHPプロフィールに、「東京大学大学院情報学環 現代韓国研究センター長」となっている。

 私自身は不勉強ゆえ、彼の主張に関しては知識はない。

 加藤陽子「今回のVTRや調査で明らかになった6月22日、これは天皇がかなりリーダーシップ取っておりますね。

 だから、私も非常に不明だったんですが、8月の二度のいわゆる天皇による聖断ですね。あれでガッと動いたと思ったんですが、その前に(6月)22日の意思がある。一撃しなくても、講和はあり得るでしょうねってことが天皇が確認したことが一件あった。

 なーんで組織内調整、じゃあ6人の会議の中に天皇が参加したときの組織内調整ができないのかっていうのが、どうでしょうか。仲間意識とか、そういうことで言うと、姜さんは」

 姜尚中「6人ともやっぱ官僚ですよね。必ずしも官僚は悪いとは思わないけど、やっぱり矩(矩)を超えずっていうところにね、とどまったんじゃないかと。自分の与えられた権限だけにね、

 だからそこに逃避していれば、火中の栗を拾わなくても済むと。それはやっぱり優秀であるがゆえに逆に。

 で、これは今でも僕は教訓だと思うんです」

 岡本行夫「それにしてもねえ、ヤルタでの対日ソ連参戦の秘密合意についての情報が天皇にまで伝わっていれば、それは歴史変わっていたと思いますね。

 6月22日の御前会議のもっと早い段階で天皇は非常に強い聖断、指示をしていたのではないかと。

 そうするとね、沖縄戦に間に合っていたかどうか分かりませんが、少なくとも広島、長崎、そしてソ連の参戦という部隊は避けられていた可能性はありますねえ」

 加藤陽子「だけど、本当のところで、終戦の意志を示す責任はあるというのは内閣なんだろうってことを、自分が背負っている職務って言うんでしょうか、一人、こんな私が日本を背負っているはずがないというような首相なり、あの、謙遜とか、非常に謙虚な気持で思っているかもしれない。

 でも、そうは言っても外交なんで、内閣が輔弼する、つまり外務大臣と内閣総理大臣、首相なんですよね」

 姜尚中「やっぱ減点主義で、だから、何か積極的な与えられた権限以上のことをやるリスクを誰も負いたくないわけ。

 その代わりとして、兎に角会議を長引かせる。たくさんの会議をやる。(笑いながら)で、会議の名称を一杯つくるわけですよね。

 で、結局、何も決まらない。いたずらに時間が過ぎていくという。会議だけは好きなんですね、みんな」

 加藤陽子「日本人はそうかもしれない」

 姜尚中「たくさん会議をつくる」

 岡本行夫「戦争の総括をまだしていないんですよねえ。日本人自身の手で、誰が戦争の責任を問うべきか、どういう処断をすべきかってことは決めなかった。

 そして日本人は1億総ザンゲ、国民なんて悪くないのに、お前たちも全員で反省しろ。

 で、我々はもうああいうことは二度としませんと。だから、これからは平和国家になります。一切武器にも手をかけません。

 そう言うことでずうっと来ているわけです。本来は守るべき価値、国土、自由っていうのがあるんですねえ。財政状況だって、あれ、村荘まっこと今とおんなじで、財政赤字、国の債務のレベルになると、GDPの、戦争の時200%、今230%ですよね。

 それは本当にね、我々は勇気を持って、戦争を題材に考えるべきことだと思います」

 姜尚中「岡本さんのとことにもし付け加えるとすると、やっぱり統治構造の問題ですね。

 で、やっぱり原発事故、ある種やっぱり、その戦争のときの所為とその後の、ま、ある種の無責任というか、それはちょっとやや似ている。

 それで、やっぱり現場と官邸中枢との乖離とか、それから情報が一元化されていない。

 で、どことどこの誰が主要な役割を果たしたのかもしっかりと分からない。それから、議事録も殆ど取られていない。

 で、そういうような統治構造の問題ですね、これをやっぱりもう一度考え直さないといけない。で、まあ、そういう点でも、変えるべきものは変えないといけないんじゃないかなあと、気は致しますね」(以上)

 加藤陽子氏が「6月22日、これは天皇がかなりリーダーシップ取っておりますね」と言っていることは、前日のブログに触れたが、番組が伝えていた、中国視察後帰国した陸軍参謀総長梅津美治郎から、「支那派遣軍はようやく一大会戦に耐える兵と装備を残すのみです。以後の戦闘は不可能とご承知願います」という、中国に於ける日本軍が残している戦力の実態の上奏を受けて、異例にも天皇自らが内閣総理大臣鈴木貫太郎、外務大臣東郷茂徳、陸軍大臣阿南惟幾、海軍大臣米内光政、陸軍参謀総長梅津美治郎、海軍軍令部総長及川古志郎の国家指導トップ6人を招集した会議の際の天皇の態度を指している。

 番組が伝えていた会議での発言を改めてここに記載してみる。

 天皇「戦争を継続すべきなのは尤もだが、時局の収拾も考慮すべきではないか。皆の意見を聞かせて欲しい」

 海軍大臣米内光政「速やかにソ連への仲介依頼交渉を進めることを考えております」

 東郷外務大臣がこれに同意を示した。

 天皇「参謀総長はどのように考えるか」

 陸軍参謀総長梅津美治郎「内外に影響が大きいので、対ソ交渉は慎重に行った方がよいと思います。

 仲介依頼は速やかなるものを要します」

 天皇「慎重にし過ぎた結果、機会を失する恐れがあるのではないのか。

 よもや一撃の後でと言うのではあるまいね」

 陸軍参謀総長梅津美治郎「必ずしも一撃の後とは限りません」(以上)
 
 本土決戦対米一撃後の和平交渉(講和)というシナリオは中国大陸配置部隊との連携を重要な想定の一つとした一撃だと番組が紹介していたが、そうである以上、中国に於ける日本軍が一度の戦闘に耐える戦力を最早維持していないということなら、シナリオ自体が破綻していることになり、和平交渉の相手がソ連でろうとアメリカであろうと積極的に実現するのが戦争終結に対する国家指導者の責任であるはずだが、誰ものそのことに向けた積極性を示していないばかりか、陸軍参謀総長の梅津美治郎に至っては、「必ずしも一撃の後とは限りません」と破綻しているシナリオを選択肢として残している。

 いわば一撃という選択肢を外した和平交渉を急がなければならない緊急事態にあったにも関わらず、天皇はトップ6人に対してそれぞれの責任を引き受けさせるべく意見集約するリーダーシップを発揮できず、彼らの責任不作為を許し、見逃した。

 加藤陽子氏はその上、歴史学者を名乗っていながら、「自分が背負っている職務って言うんでしょうか、一人、こんな私が日本を背負っているはずがないというような首相なり、あの、謙遜とか、非常に謙虚な気持で思っているかもしれない」などど、訳の分からないことを言っている。

 6人とも公式的なことしか発言しないのは、自分が言い出しっ屁になって、失敗した場合の批判や責任追及を恐れる自己保身を働かせているからこそであろう。

 いわば自己保身優先の事勿れ主義が招いている責任不作為と言える。

 この会議が開かれた1945年6月22日は沖縄戦終結(1945年6月23日)の前日である。敗北は確定していたはずで、敗北確定的状況下での会議開催であったはずである。自己保身に走ってなどいられない緊急事態下にありながら、自己保身に陥って、積極的な発言を差し控え、実現可能性を失ったはずの本土決戦の一撃後という選択肢をなおも残している。

 姜尚中氏は「6人ともやっぱ官僚ですよね。必ずしも官僚は悪いとは思わないけど」と言っている、要するに悪しき官僚主義に侵された官僚だとの指摘であろう。

 【官僚主義】とは、規則に対する執着、権限の墨守、新規なものに対する抵抗、創意の欠如、傲慢、秘密主義などの傾向を持った官僚や組織の特権階層に特有の気風や態度・行動様式を言うのであって(〈『大辞林』三省堂〉から)、要するに従来の権限や慣習を引き継ぎ、その中に閉じ込もることを自己存在証明とし、結果として柔軟な思考を欠き、変化に対する嫌悪、変化や責任に対する自己保身を相互対応の態度としているということであろう。

 それが「自分の与えられた権限だけ」を守る「矩(のり)を超えず」という態度として説明されている。

 これは権限のハキ違えに過ぎないのだが、戦時の国家指導者層に取り憑いて、統治構造そのものを染め上げていたこのようなハキ違えた権限墨守・責任不作為の悪しき官僚主義が現在の国家指導者にも受け継がれて、統治構造の骨格となっていると姜尚中氏は警告している。

 但し統治構造の骨格をつくり出すのは政治家であり、官僚である。政治家や官僚の行動様式の総体的反映として生じることになる統治構造であるはずだ。

 姜尚中氏が戦争のときの所為と原発事故対応の所為と似ていると言っていることは菅前首相のことを頭に置いていたはずで、当然、菅前首相の福島原発事故対応に象徴的に現れていた権限墨守・責任不作為の悪しき官僚主義が統治構造そのものを支配していたと見なければならない。

 官僚も関わっているだろうが、国家指導者としてトップに立つ政治家という名の人間の資質が問題となっていると言うことである。

 姜尚中氏は最後に、「で、そういうような統治構造の問題ですね、これをやっぱりもう一度考え直さないといけない。で、まあ、そういう点でも、変えるべきものは変えないといけないんじゃないかなあと、気は致しますね」と言っているが、何が原因で責任不作為の体制(責任回避の体制と言うこともできる)が構造化しているのかは指摘していないし、どう変えるのかの方法論にも言及していない。

 拙い観察眼で推察するに、原因は律令の封建時代以来、上が下を従わせ、下が上に従う権威主義的行動様式を伝統としていたことから、判断に関わる自発性も責任に関わる自発性も他者との上下関係の中で把える慣習が体質化して、そのような自発性自体が既に抑制する力を内包しているからではないだろうか。

 結果として姜尚中氏が言うように、「積極的な与えられた権限以上のことをやるリスクを誰も負いたくない」ということになる。

 もし戦時に於いて、例え権力の二重性を装置させていたとしても、天皇という上の存在がなければ、国家指導者たちは自分たちのみで構成している上下関係の中で責任のなすりつけ合いや責任回避、責任不作為、あるいは自己保身を働かすことはあっても、否応もなしに自分たちで国の運命を決める最終判断・最終責任を負わなければならなかったはずだ。

 だが、国家権力者たちは天皇と自分たちを上下関係で把え、国家の命運を決めるといった重大な決定となればなる程、実現可能性もない本土決戦の対米一撃後の和平交渉という案を決めた手前もあって、責任と判断を上に預けて自己の責任は回避する自己保身を働かせたということではないだろうか。

 少なくとも精神面に於いては職業上の地位の上下を離れて相互に自律(自立)した対等な存在として他者との関係を築いていたなら、他者との関係の中での判断や責任の提示ではなく、一個の独立した人間としての判断や責任を提示し得たはずだ。

 現在のように政治的に天皇を上の存在として戴かなくても、自己存在を他者との上下関係で把える権威主義に侵されていた場合、いわば真に自律(自立)した存在となり得ていない場合、既に触れたように判断に関わる自発性も責任に関わる自発性も他者との関係で決めることとなって、真の自発性とは似ても似つかないものとなり、そこに自ずと自身による判断回避や責任回避が生じることになる。

 福島原発事故を受けて住民避難を決めるとき、官邸に派遣されていた武黒東電フェローが8月6日公開の東電テレビ会議システムの映像で次のように発言している。

 武黒東電フェロー「昨日も、退避・避難の区域を決めたときに、最初は菅さん(菅首相)とかに呼ばれて『どうすんだ』『どうすりゃいいんだ』って言うわけですね。私と班目さん(班目春樹原子力安全委員長)が説明すると、『どういう根拠なんだ!』『それで何かあっても大丈夫だといえるのか!』とさんざんギャーギャー言うわけです」(MSN産経

 決定の最終責任は自身が負わなければならない一番上の立場にいる以上、最終判断にしても自身が負わなければならないにも関わらず、判断に間違いが生じたときの責任追及を恐れて、下の者の判断に大騒ぎし、責任を追及されない絶対安心の判断を求めている。

 いわば野党や国民との関係の中で自身の判断や責任を把えているから、責任追及を恐れることになる。

 その程度の自発性しか発揮できないということである。

 結果、責任回避を基準とした行動となる。

 ここには一個の政治権力者としての自律(自立)した姿は見えない。

 こういったことが伝統的に日本の統治構造となっているということであろう。

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