麻生「高齢者蔑視」・細田「国民蔑視」発言

2009-07-26 10:38:07 | Weblog

 イライラ症の自由民主党細田幹事長が24日(09年7月)夕方、きっと支持率が一向に上がらないことにイライラが過ぎてヒステリーを起こしたのだろう、ヒステリックな雰囲気が日常普段から顔に隠しようもなくも現れている細田幹事長である、記者団の質問に次のように答えたと言う。

 「(麻生首相は)なんか字が読めないらしいですねなんて言って、それだけで楽しんじゃってる。ブレたらしいですねなんて、そんな大したことないんだよ、それは。役員人事だろうが、閣僚人事だろうが、そんなことどうでもいいことでしょう。だけど、そのことの方が面白いんだ、みんな。それは日本国の程度を表しています。そりゃしょうがない。そんなことを嘆いてもしょうがない。それは程度かもしれない。国民の程度かもしれないしね」(FNN記事)

 麻生首相の失言がここのところ休火山状態の無事安泰を示していたというのに、代わって党幹事長が失言してどうするんだと思っていたら、その失言に歩調を合わせるようにご本尊の麻生総理大臣が横浜市内で開かれた日本青年会議所(JC)の会合で高齢者参加型の素晴らしい国家像をご披露に及んだ。

 「TBS」動画のアナウンサーの解説によると、「『日本は高齢者:85歳以上の人たちが元気で、介護を必要としない人たちは実に8割を超えている』と指摘した上で」の発言だとしている。

 「TBS」動画の前半部分の欠けたところを「FNN」動画で補って記すと――

 「この日本と言う国はー、高齢者、いわゆる65歳以上の人たちがァー、(顔を前に突き出して得意気な表情で言い切る。)元気。その元気なー、高齢者を、如何に使うか。この人たちはみなさんと違って、働くことしか才能がないと思ってください!(得意気な表情で断言し、そうでしょうといった顔で聴衆の同意を窺う間を置く。)

 80歳を過ぎて、遊びを覚えても遅い!働く才能を使って、その人たちが働けるようにすれば、その人たちは納税者になるんだよ(いいアイデアだとばかりにしたり顔で自分で頷く)」(TBS

 7月25日付「時事ドットコム」記事――《高齢者は「働くしか才能がない」=遊び覚えても遅い-首相発言》によると、「その人たちは納税者になるんだよ」の後が、「明るい高齢化社会、活力ある高齢化社会が、日本の目指す方向だ」となっている。

 要するに今後日本が目指すべき方向として高齢者を働かせることで「明るい高齢化社会、活力ある高齢化社会」とする、そのような高齢者参加型社会を以て新しい国家像としたい考えを述べたということなのだろう。


 7月25日付「データマックス」記事――《「高齢者は働くことしか才能がない」 麻生首相暴言への怒り》から詳しく報じている麻生の発言を拾ってみると――

 「高齢者、いわゆる65歳以上の人たちが元気。全人口の約20%が65歳以上、その65歳以上の人たちは元気に働ける。介護を必要としない人たちは実に8割を超えている」

 「元気な高齢者をいかに使うか、この人たちは皆さん(青年会議所のメンバー)と違って、働くことしか才能がないと思って下さい。働くということに絶対の能力がある。80過ぎて遊びを覚えても遅い。遊びを覚えるなら『青年会議所の間』くらいだ。そのころから訓練しておかないと、60過ぎて80過ぎて手習いなんて遅い。働ける才能を使ってその人たちが働けるようになれば納税者になる。税金を受け取る方ではなく、納税者になる。日本の社会保障は、全く変わったものになる。どうしてそういう発想にならないのか」――

 但し「介護を必要としない人たちは実に8割を超えている」部分に関して、上記記事は「(注:介護を必要としない人が8割を超えているという認識は間違いである。介護を受けたくても受けられない高齢者は数え切れない)」と批判している。記事の冒頭も、「明らかな暴言である。総選挙を前に、麻生首相から、高齢者へのいたわりも、感謝のかけらもない発言が飛び出した」と手厳しい。

 記事は次のように解説している。
 
 〈「高齢者は働くことしか才能がない」という発言は麻生首相の本音だろう。だとすれば、高齢者の尊厳を踏みにじるものでしかない。多くの高齢者は、家庭や会社、地域社会を守るため懸命に働き、戦後の日本を支えてきた。気付いてみれば趣味や遊びとは無縁のうちに年金をもらう年齢になっていたというケースは多い。かつて首相が会頭を務めた日本青年会議所の方々のように、余裕のある人生を送れるのはごく一握りではないのか。
 
 国を支えてきた高齢者に向かって「60の手習いなどムダ!もっと働いて税金を納めろ」という麻生首相の発言は、多くの高齢者だけでなく国民をも冒涜するものだ。高齢者へのいたわりや、社会を支えてもらってきたことへの感謝の念も皆無。

 選挙を前に金持ちボンボンの本性があらわになったということだろうが、絶対に許される発言ではない。総選挙に臨む自民党の総裁が発した全国民への暴言に、怒りの声があがるのは必至である。(秋月)〉――

 日本青年会議所の年齢資格は20~40歳だそうだ。「遊びを覚え」るのはこの年齢の間に限ると言うことになる。麻生の頭の中ではどのような「遊び」を置いているのだろうか、ちょっと覗いてみたい。

 先ず立派な細田失言から見てみる。

 「(麻生首相は)なんか字が読めないらしいですねなんて言って、それだけで楽しんじゃってる。ブレたらしいですねなんて、そんな大したことないんだよ、それは。役員人事だろうが、閣僚人事だろうが、そんなことどうでもいいことでしょう。だけど、そのことの方が面白いんだ、みんな。それは日本国の程度を表しています。そりゃしょうがない。そんなことを嘆いてもしょうがない。それは程度かもしれない。国民の程度かもしれないしね」――

 「字が読めないことも、ブレることも、役員人事だろうが、閣僚人事だろうが、そんなこと大したことではない、どうでもいいことなのに、国民は面白がっている。日本国の程度・国民の程度の表れだ」と言っている。

 日本国民の政治意識の低さをイライラと嘆いたということなのだろう。細田がおっしゃるように日本国民の政治意識の低さが事実とするなら、一国の政治の質・内容は国民の政治意識を反映して成り立つと言われていることからすると、麻生政治も「日本国の程度・国民の程度」に合わせた政治と言うことになって、お互い様となるが、細田は賢くも、こういった事情には疎かったらしい。

 細田がおっしゃるように日本国民の政治意識の低さが事実とするなら、2005年9月の小泉郵政選挙では自民党が郵政民営化賛成派と反対派が分裂して選挙前の予想は自民党敗北を伝えていたが、小泉演出・マスコミ大協賛の「小泉刺客劇場」の実話に基づかないフィクションに国民は「そのことの方が面白いんだ」と感動・感激雨霰(あめあられ)で自民党は歴史的大勝利の296議席を招き寄せ、公明党の31議席を合わせて衆議院定数480人のうち、絶対安定多数の320議席を超える327議席に達した選挙結果は「日本国の程度・国民の程度」のお陰を蒙った国民からのプレゼントだったということになり、そのことを言わずに麻生の支持率の低空飛行・国民不人気に関してのみ「日本国の程度・国民の程度」を言うのは図々しいばかりの片手落ちではないのか。

 参議院が与野党逆転状況にあっても麻生政権がどうにか持っているのは郵政選挙で獲得した「日本国の程度・国民の程度」のお陰を蒙った衆議院与党絶対安定多数の恩恵があるからで、細田も麻生も逆に「日本国の程度・国民の程度」に感謝しなければならないだろう。

 自己に有利となる「日本国の程度・国民の程度」は黙っていて、不利となる「日本国の程度・国民の程度」はケチをつける。こういうのをご都合主義と言う。“薄汚い”ご都合主義だと、“薄汚い”という形容詞をつけるべきだろう。

 「日本国の程度・国民の程度」が事実なら、麻生も細田もそのような「日本国の程度・国民の程度」を受けて国会議員・選良に選出されたのである。となると、麻生も細田も国民と同じ穴のムジナ、同列生き物であって、そのことを弁えずに「日本国の程度・国民の程度」だと国民だけのことを言う。国民だけを批判する。これ程の薄汚い「国民蔑視」はないだろう。

 「日本国の程度・国民の程度」よりも遥かに低い細田の「程度」ではないだろうか。

 幹事長が幹事長なら、首相も首相と言わざるを得ない。

 「この日本と言う国はー、高齢者、いわゆる65歳以上の人たちがァー、元気。その元気なー、高齢者を、如何に使うか。この人たちはみなさんと違って、働くことしか才能がないと思ってください!

 80歳を過ぎて、遊びを覚えても遅い!働く才能を使って、その人たちが働けるようにすれば、その人たちは納税者になるんだよ(いいアイデアだとばかりに自分で頷く)」(TBS

 「この人たちは皆さんと違って、働くことしか才能がない」とは何という差別観だろうか。働くこと以外は才能がない――無能だと言っているのだから。

 なお悪いことに高齢者は「働くことしか才能がない」と自身の意見を客観的に述べただけではない。「働くことしか才能がないと思ってください」と不特定多数の他者に同調を求めた時点で、自身の考えに従わせるべく比較絶対的に正しい意見だとの押し付けを生じさせている。

 自分だけが差別するのではなく、他者に対して差別の同調、差別の強要を行ったのである。

 いわば「この人たちはみなさんとは違って」とすることで、麻生の中では高齢者を下に置いていたのは明らかである。上に置いた「皆さん」は働く以外にも才能を持っている上に、同じ働くでも、頭を使う上等な人種ということでなければ「皆さんと違って」が生じないことになる。

 悪く言うと、高齢者をバカ扱いしているということではないだろうか。「80歳過ぎて遊びを覚えても遅い」――いわば「80歳」まで働かせて、それから「遊びを覚えても遅い」から、生涯働き蜂で全うせよと言っている。

 麻生の政治思想が正しいとするなら、「働くことしか才能がない」にも関わらず、リタイヤして年金や貯えを原資に自分なりの趣味の世界に生きている人間は間違った人生・間違った老後を送っているということになる。

 使途が道路建設限定の道路特定財源が道路建設推進キャンペーンのミュージカルに使われていたことが昨年問題となったことがある。上演回数が95回で総額5億7000万円の支出だったそうだが、上演する劇団とはすべて随意契約で一回の上演が600万円にも上ると「asahi.com」が伝えていた。

 記事によるとミュージカルの題名は「みちぶしん」、 縄文期から現代へと時をめぐりながら、人と道のかかわりの物語をオムニバス風につづった内容だという。

 「みちぶしん」(道普請)のミュージカルだから、作業着姿でツルハシをふるい、晴れ晴れとした表情で高らかに合唱するそうだ。

 但し「道普請」の「道」は「未知」という文字を当て、日本の未知を創り出す道路建設だと、誰が考えたか、道路建設=正義を表現させている。

「道路を造れ。道路を造れ。おれたちみんなの生きる道だ。車の走れる道路を造れ。日本の明日をつくる道だ」

「トンネルが通らなかったら、山に囲まれた地域は発展できない。日本中の山里は過疎で人がいなくなってしまう」

 「山川を越え、暮らしをつなぐ。道は大地のパーツ」

 「道路走って世界を開く。道路は新しい時代をつくる」とフィナーレへと持っていく。

 この例を高齢者は「働くことしか才能がない」からと高齢者を働かすべく高齢者労働従事のキャンペーンを行うとしたら、次のような歌になるのではないだろうか。

 「高齢者は働け、高齢者は働け。おれたち日本人みんなが生きる道だ。高齢者が80歳まで働く社会をつくれ、日本の明日を築く道だ」

 「高齢者が働かなかったら、日本は発展できない。高齢者まで働かせて、納税者に仕立て、国の税金を増やさなければ、国の発展はない。その間に麻生太郎は帝国ホテルの高級バーで高級ブランデーを嗜んでいる。日本が発展する道だ」・・・・

 日本人は権威主義を行動様式・思考様式としている。麻生の考えが正しいとして国民の大勢意見となった場合、政府の音頭取りに従わずに自分の趣味に従って老後を過ごそうとする高齢者は労働者にあるまじき考えだと戦前で言えば、非国民、国賊扱いを受け、高齢者としては肩身の狭い思いに囚われて大勢順応の世間に合わせて無理やり働くといった風潮が生じかねない。
 
 大体が、どう生きようと、働こうが働くまいが、個人の選択事項であって、コストの面、技術の観点から高齢者の採用を考えるかどうかは各企業に任せる、それに応じるかどうかも高齢者個人に任せるべきことであろう。

 また年金暮らしであっても、大事な消費者である。消費することで個人消費に貢献する役割まで失っているわけではない。政府の愚かしい社会保障政策のために、それぞれが財布の紐を締めてGDPの6割を占める個人消費に貢献度が少なくなっているだけのことで、このような社会情勢をこそ、麻生は考えるべきだろう。

 高齢者の医療費の伸びが莫大な額となると言うなら、過労死や自殺者の数から見たら、働くことが健康につながる保証はない日本社会となっていることを考慮して、別途考えるべきだろう。

 麻生は25日夜の仙台市の講演で、「一部だけ切り取られて伝えられているが、わたしが言いたいのは、元気な高齢者の働く場を作ることが、活力ある明るい高齢化社会だということであり、誤解を与えた」などと釈明したことを「NHK」テレビが伝えていたが、動画で確かに言っていた「この人たちはみなさんと違って、働くことしか才能がないと思ってください」や「「80歳を過ぎて、遊びを覚えても遅い!」、「遊びを覚えるなら『青年会議所の間』くらいだ」といった肝心要の高齢者を小馬鹿にした差別発言を隠して、「元気な高齢者の働く場を作ることが、活力ある明るい高齢化社会だ」との趣旨で発言したことだと奇麗事にする薄汚いゴマカシを働かせている。

 このようなゴマカシに頭を使う首相を国民は必要としているだろうか。退場を願いたいと思っている国民の方が多いのは既に世論調査が示している。

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