麻生の「私の口から党役員人事をやるという話はただの一度も一言も聞いた人はいない」のウソ

2009-07-02 07:23:06 | Weblog

 森元首相もサジを投げた麻生内閣 自民党役員人事見送り騒動

 衆議院の任期が二ヵ月半後に迫る時間が僅かにしか残されていないこの次期に、なぜ党役員人事の刷新なのか。

 なぜ党内はこのことに反対だったのか。
 
 麻生首相が閣僚兼務状態を解消する内閣人事のみならず、党役員人事の刷新に拘ったのは支持率低下に歯止めがかからない手詰まり状態にあって、もはや打つ手は人事をいじるしかないところにまで追い詰められていたからなのではないのか。

 最後に残された、それしかない“人事の操作”で目新しさとやる気を出し、支持率低下を少しでも補いつつ解散・選挙に打って出る目論見を抱いていたはずだ。

 だが、「福田康夫首相の無味乾燥な話より、麻生さんのような面白い話が受けるに決まっている。・・・・我が党も麻生人気を大いに活用しないといけない。『次は麻生さんに』の気持ちは多いと思う。私も、勿論そう思っている」と麻生内閣誕生の演出に力を発揮し、「後見人的存在」(asahi.com)となったフィクサー森元首相と麻生が7月1日夜に東京都内のホテルで会談、その反対に遭って、断念せざるを得なかった。

 麻生は森と会談した前日の6月30日のぶら下がり記者会見で次のように言っている。既に内閣と党役員人事の何らかの異動がマスコミに取り沙汰されていた。

 麻生「人事については、私が決めさせていただきます」

 ――役員人事と内閣改造は一体で行うと考えているのでしょうか。

 麻生「あのー、然るべきときに然るべき方をと、前から考えておりました」(《首相 人事実施の意向を示す》NHK/09年6月30日 19時30分動画から)

 「役員人事は触れません、内閣改造のみです」とは言ってない。「一体で行うのか」と問われて、その文脈で、「然るべきときに然るべき方を」と答えているのである。言葉では言わなくても、暗黙裡に役員人事を行うと言ったことになる。
 
 だが、麻生は党役員人事を行わなかったことについて、次のように言っている。

 麻生「私の口から、党役員人事をやる、という話はただの一度も、一言も聞いた人は、いないと思いますが、違いますか?」(《麻生首相、党役員人事を見送り》TBS/09年7月01日23:03)

 党役員人事の入れ替えは予定にはなかったとしている。からかうように薄笑いさえ浮かべていた。

 こう言うべきだったろう。

 「私自身は党人事を行いたい意向だったが、党の総意として今必要ではないということで、それに従うことにしました」

 確かにマスコミ関係者の中で麻生の「口から、党役員人事をやる、という話はただの一度も、一言も聞いた人は、いない」かもしれないが、麻生と党幹部との間で役員人事について話し合った“事実”を直接・間接に聞き、把握することによって紛れもない“事実”となっている役員人事問題である上に、「役員人事と内閣改造は一体で行う」のかとの質問に、「一体で行う」とする文脈で「然るべきときに然るべき方を」と答えているのことを無視して、「私の口から、党役員人事をやる、という話はただの一度も、一言も聞いた人は、いないと思いますが、違いますか?」を以って、その入れ替えを予定していなかったとするのは人を欺くウソ、詭弁の駆使以外の何ものでもあるまい。

 この狡猾さは如何ともし難いではないか。こういった狡猾な人間が日本の総理大臣を務めている。

 上記「TBS」記事は森「日本は神の国」元首相が麻生と役員人事について会談を持ち、話し合った内容の報告を「30日夜、行われた麻生総理と森元総理との会談の様子が、最大派閥・町村派の幹部が集まった席で明らかにされました。森氏は、役員を刷新することに一貫して反対の姿勢を崩さなかったということです」とのみ伝えているが、この報告を中山成彬元国土交通相がマスコミに間接情報として伝えている。麻生の詭弁を無にする一種の情報漏洩となったことは否めない。

 中山成彬「森さんの話の内容からすればですね、そうかなあと、党人事はないんだなあと。・・・・一生懸命やってきたそういうメンバーなんですから、もし選挙やるなら、そのメンバーで以てね、まー、国民に訴えるべきだと、そのことだけはぶれていなかったじゃないかと、まぁ、そういうふうなことで、えー、麻生さんが、森さんが説得したと。・・・・」(TBS記事動画から)


 麻生太郎は麻生内閣発足以来、同じ党役員人事メンバーでやってきた。「そのことだけはぶれていなかったじゃないか」と森「日本は神の国」元首相が太鼓判を押した。と言うことは、森「日本は神の国」元首相は麻生がそれ以外はぶれにぶれまくっていたと太鼓判を押したことにもなる。

 だが、この事実は7月1日の「NHK」記事――《役員人事 行わぬよう求めた》が中山による歪曲だと教えてくれる。


 〈「森元総理大臣は、町村派会長の町村前官房長官、中山前国土交通大臣と会談し、30日夜の麻生総理大臣との会談内容を伝え、今後の対応などをめぐって意見を交わしました。

 この中で、森元総理大臣は、30日夜の会談で麻生総理大臣が党役員人事を行いたいという意向を示したのに対し「『政局より景気』と言って、ぶれずにやってきたのだから、景気対策の実績を掲げて選挙を戦うのであれば、今の党役員で臨むべきだ」と述べ、党役員人事は行わないよう求めたことを報告しました。

 そのうえで、森氏は「麻生総理大臣は、よく理解してくれたようだ」と述べ、党役員人事を行わないのではないかという見方を示しました。会談のあと、中山氏は、記者団が「麻生総理大臣が党役員人事を断行したらどうするか」と質問したのに対し「麻生総理大臣は、どうなるかくらいわかるだろう。私たちは、町村派が支えているから麻生内閣があるという自負を持っている」と述べ、けん制しました。〉――

 中山は党役員人事メンバーで「ぶれていない」とし、情報発信元の森は「『政局より景気』と言って、ぶれずにやってきた」としている。ぶれの対象事実が大きく違っている。中山は誤った情報を発信した。TBSのニュースのみを見るか、インターネット記事を読むかしただけで、NHKのニュース、あるいは記事を読まなかった者は誤った情報を自らの情報としたまま放置することになる。この一事を以ってするだけでも恐ろしいことだが、森と麻生の会談内容の報告に森と町村と中山の3人が会談を持ったと言うことは、中山は町村派の幹部を意味する。大体からして「日本は随分内向きな単一民族」だの、そのほか問題発言の多い中山如き低レベルの国会議員が自民党最大派閥の町村派の幹部だとは、これも恐ろしいことで、町村派も最大派閥は言え、単に頭数だけ集めたたいした派閥ではないことが分かる。

 麻生が考えていた党人事入れ替えは「総選挙に向けて発信力が弱いと指摘される最大派閥・町村派の細田博之幹事長の交代が焦点」だと、7月1日の「asahi.com」記事――《自民「党人事は困難」が大勢 首相なお実現探る》が伝えているが、記事は同時に「同派では会長の町村信孝前官房長官ら大勢が強く反発している」としている。

 別の同日付「asahi.com」記事――《首相、人事実行の意向表明 党内に根強い反対論》は細田幹事長の後任に、いわば麻生から見たら「総選挙に向けて発信力」が強い存在ということなのだろう、あるいは自民党最大派閥の親分を人質に取るつもりがあったのかもしれない、「最大の焦点は幹事長ポストで、細田氏の後任に、同じ町村派の町村氏を起用する案も取りざたされている」としている。

 だが、政権交代が現実味を以って囁かれるようになっている今の時点で、自民党内最大派閥の領袖・親分が麻生と共に沈むのを潔しとするのだろうか。経歴に傷がつくだけのことになりかねない。その可能性大である。自民党幹事長は党総裁に次ぐ党内ナンバー2の要職とされ、自民党総裁候補者の登竜門的ポストとも位置付けられている。

 いわば幹事長に選ばれる側からしたら、経歴に箔をつける絶好のチャンスとなる。町村にしても次の総裁を狙うとしたら、最も有利な位置に自分をつけることになるが、それがまさに沈みかけている船ということなら、逆に経歴に泥を塗るチャンスとなる可能性の方が大きくなる。麻生共々責任を取って、幹事長辞職なる光景は容易に目に浮かべることができるシーンとなっていることは容易に想像できる。沈没船の一緒に命を失うことになる人質に取られたくないという思いもあったかもしれない。

 町村以外を望んだとしても、それなりの経歴を経て党に地盤を築いている政策や言葉の発信力を持った人物となると、やはりこれまで折角築いてきた経歴に泥を塗る危険性の方が高いこの時期での幹事長就任は二の足、三の足を踏むだろう。

 多分、そういった理由からの町村派だけではない、町村派幹部が代弁することになった党の大勢意思としての「党役員人事はあり得ない。この時期にできるはずがない」(asahi.com)と言うことではないだろうか。

 その終着駅が「福田康夫首相の無味乾燥な話より、麻生さんのような面白い話が受けるに決まっている。・・・・我が党も麻生人気を大いに活用しないといけない。『次は麻生さんに』の気持ちは多いと思う。私も、勿論そう思っている」と言って、福田の次に麻生内閣を実現させた森「日本は神の国」元首相フィクサーさえ、麻生内閣にサジを投げた自民党役員人事見送り騒動と言ったところではないだろうか。

 「私の口から、党役員人事をやる、という話はただの一度も、一言も聞いた人は、いないと思いますが、違いますか?」と麻生がいくら詭弁を弄して誤魔化そうとも、党役員人事の入れ替えに動いた事実は消しようがなく、総理・総裁の意の侭に入れ替えの図面を描くことができなかった次なる“事実”は麻生の総理大臣としてのリーダーシップ、党内求心力がもはやすっかり力を失っていることをこれ以上なく物語っている。

 そして麻生の詭弁はこの騒動の最終章・汚点としていつまでも残ることになるに違いない。詭弁に過ぎる自己正当化だからである。

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