「死刑制度反対論」に反対する

2008-06-20 12:55:34 | Weblog

 20年前に4人の連続幼女誘拐殺人事件を起こした宮崎勤(45)が17日(08年6月)に他の2人と共に死刑執行された。

 他の2人は95年に双子の兄(無期懲役確定)らと共謀、勤務先の風俗店経営者=当時(32)=ら2人を殺害、約20万円を奪うなどした陸田死刑囚(37)と共犯者と共に85年に宮城県の主婦=当時(49)、90年に香川県の食品販売業の男性=当時(48)=をそれぞれ殺害。最初の事件では、支払われた保険金から約700万円の報酬を得た山崎死刑囚(73)。(≪宮崎勤死刑囚の刑執行 東京・埼玉 4幼女連続誘拐殺人 確定から2年4ヵ月 他に2人、鳩山法相13人目≫西日本新聞ワードBOX/2008年6月17日から)

 西日本新聞の見出しにあるように鳩山邦夫法相になり、4回目計13人の死刑執行で、93年3月の執行再開以降の法相では最も多い執行数だそうだ。こういったことぐらいでしか名の残すこをはない政治家だと思う。

 早速というか、立場上の履行行為なのだから早速なのは当然のことだが、<超党派の「死刑廃止を推進する議員連盟」のメンバーが同日、東京都内で記者会見し、会長の亀井静香
衆院議員(国民新)は「死刑によって、国民の幸せにつながるものが生まれるのか。ベルトコンベヤーのように自動的に処刑していくのは異常事態だ」と強く抗議した。>(≪「自動的処刑は異常」 亀井氏ら死刑廃止議連≫47NEWS/2008/06/17 18:14【共同通信】)

 同記事は亀井氏の次の言葉も伝えている。

 「秋葉原でも悲惨な事件があったが、国家が人の命を大切にしないのでは、凶悪犯罪は防げない。死刑による犯罪抑止論は現実離れしている」

 「法務省は死刑囚が(拘置所で)どういう生活していたかも開示すべきだ。こんな凶悪犯罪をやったとだけ詳細に発表し、国民の共感を得ようとするのはおかしい」――――

 では死刑廃止によって「国民の幸せにつながるものが生まれるのか」という反論も成り立ち、その反論に対する答――死刑を廃止したらかくかように「国民の幸せにつながります」との主張をも併せて公にし、自らが掲げる「死刑廃止論」を国民に納得させる手段とすべきだろう。

 だが、そうしていない。

 被害者家族にとっては死刑によってつけることのできる一つの区切りは死刑が執行されないまま区切りがつかない状態と比較した場合、安堵感を手に入れることができるかどうかの点である意味「幸せ」をもたらす出来事と言えないだろうか。

 また「人の命を大切」にすることは国家に求める要求事項ではあるが、同時に個々人にも求めなければならない要求事項であって、個人がそのことを免罪されているわけではない。「国」にだけ要求するのは片手落ちと言うものである。個人に「人の命を大切」にすることを要求してこそ、「凶悪犯罪」の抑止につながるのではないのか。個々人が「人の命を大切」にすれば凶悪犯罪は出番を失い、国家の死刑制度は意味を失う。そうなれば当然のこととして、如何なる死刑廃止運動もその存立理由を失う。

 だが「人間は犯罪を犯す生きものである」。すべての個人が「人の命を大切」にすることは永遠に実現しないだろうし、凶悪犯罪は時間を置いて起こることになるだろう。

 亀井静香は「死刑による犯罪抑止論は現実離れしている」と言っているが、賛成・反対に関係なく、死刑を犯罪抑止の観点から把えることが理解できない。どのような刑罰も犯罪抑止につながらないことは如何なる時代の如何なる人間社会も自らの刑罰を以って犯罪をなくすことができないできた人類の歴史が証明している。

 イスラム社会が伝統としている石石打ちの刑や泥棒を働いた者を二度と泥棒が働けないようにと右腕を切り落とす刑、中国の重大犯罪を犯した者に対する公開銃殺刑が犯罪抑止につながったのだろうか。

 世界のそれぞれの宗教はその発生当時から殺人や盗み、姦淫等の犯罪を戒めてきたが、現在の人間世界の犯罪状況は宗教の教えにしても犯罪抑止につながらなかったことを証明している。

 NTTや新日鉄などの大手企業100社が年会費として1998年だけでも総額7千万円を支払っていた暴力団とのつながりのある右翼団体の理事に名を連ねていたこと(≪右翼トップの財団に資金 大手100社・・・・≫00年5月22日『朝日』朝刊)や帝京大学から千代田区の高級マンションの一室を10年間も無償で提供を受けていたことなど、政治活動上の悪臭紛々たる過去の疑惑から考えると、亀井静香の死刑廃止論はそのような疑惑を隠す目的の世間向けの奇麗事の装いに見えて仕方がない。

 ではなぜ犯罪はなくならないのか。それは何よりも人間が利害の生きものであり、自らのみの利害に拘って社会のルールを無視してまで無理に押し通そうとするからであろう。

 また刑罰は犯罪を犯した者には痛みとなるが、犯罪を犯さない者にとって痛みでも何でもなく、抑止としての意味を成さないからだ。犯罪を犯して刑罰を受けるのはバカらしぞと「威嚇効果」とされる要素を頭では理解していても、実際に受けた痛みではないから、往々にして利害が「威嚇効果」を相殺・抹殺して無化してしまう。犯罪がなくならない所以である。

 さらに犯罪を犯すことになって刑罰の痛みを受けたとしても死刑の判決を受けた者は例外として社会復帰時は二度と犯罪を犯すまいと刑罰の痛みからの「抑止効果」・「威嚇効果」を共々に自らの身に引き受けているだろうが、その痛みは時間の経過と共に薄れ、社会に出て生きていかなければならない利害が遠い過去のものとなって薄れた痛みより優先事項となり再び犯罪を犯す再犯者がよく辿る道は刑罰が「抑止効果」も「威嚇効果」も一時期は効き目はあったとしても最終的には効き目がないことを証明して余りある。

 裁判には冤罪が生じることからの死刑廃止を訴える主張があるが、人間のやることだから、冤罪にしても犯罪と同様になくなることはないだろう。冤罪がなくならないことを前提とすること自体、そのことを裏返すと不完全な生きものである人間に完璧さを求めていることにもなり、土台無理な話となる。

 理由はどうであれ、冤罪がなくならない以上、死刑に相当する罪を犯した者に対する死刑は廃止すべきとした場合、殺人等の凶悪犯罪にある意味免罪符を与えることになる。その免罪符を水戸黄門の葵の印籠に変えて凶悪犯罪を正当化する者も出現するに違いない。

 刑を受けた者が無実を主張し、冤罪だとするなら、再審請求の道を開きやすくすべきだろう。2008年2月13日日付≪日弁連 - 「足利事件」再審請求棄却決定に関する会長声明≫なるHPによると、1990年に栃木県足利市で発生した幼女誘拐殺人事件(足利事件)で一審の宇都宮地裁は無期懲役、二審の東京高裁は控訴棄却、2000年7月に最高裁の上告棄却決定により被告の無期懲役が確定したのに対して、同年12月に刑確定者は再審請求を申し立てた。

 再審請求理由を幼女の衣類に付着していた精子のDNA型が一致するとした科警研のDNA鑑定はDNA型判定のものさしとなるマーカーに狂いがあったことが判明して現在は使用中止となっている初期の方式による不正確な精度だったとする主張に置いている。

 その再審請求を1990年2月13日、宇都宮地方裁判所が棄却している。裁判所が刑を確定し、裁判所が再審請求を審査し、受理もしくは棄却を決定する。判断に固定観念が作用しない保証はどこにもない。情実による身内庇いも同じであろう。

 ≪狭山事件 主張&声明≫(2002年9月)というHPに冤罪に関して「イギリスでは、1996年に再審請求を審査する独立した委員会を設置し、この委員会に検察官などへ証拠開示命令できる強い権限を認め、弁護側が新証拠を収集できるよう保障している。」と書いている。これは日本はそうなっていないと言うことなのだろう。

 冤罪はなくならない。不完全な人間のやることだからだ。再審請求に対しては裁判所が審査するのではなく、独立した第三者機関を設けて、そこで行うことと同時に警察の取調べの視覚化を早急に実現することを以って、再審請求への道を開きやすくし、少しでも冤罪を防止する方策とすべきではないか。

 ≪宮崎死刑囚 猟奇殺人、20年前震撼 45歳、遺族に謝罪ないまま≫(6月17日15時48分配信 産経新聞)に吉岡忍のコメントを載せている。

 「時代が生み出した異常な精神状態を背景に犯行を繰り返した最初の人物だったのではないか。にもかかわらず、裁判所の判決は通り一辺の凶悪事件として片付け、世間から隔離し、死刑という厳罰で終わらせたといえる。このため、その後に続いた事件も社会の病理を検証することなく、個人の問題として、死刑で終わらせてしまう風潮を作り出してしまった。(宮崎勤死刑囚を)司法がもっと掘り下げて検証しておけば、その後の事件の手がかりをつかめたかもしれない。司法が複雑なものを複雑に考えなければ教訓にはならない」――――

 「社会の病理を検証」できたとしても、犯罪抑止には無力で、再び起きた犯罪の再度の検証に役立つに過ぎないだろう。なぜなら、「社会の病理」は何らかの形で存続し、なくなることはないからだ。それを消滅させる程の力を人類は持たない。利害の葛藤・鬩ぎ合いが様々な場面で歪んだ形を取り、それが一般化したとき、社会は歪み、社会の病理と化す。

 私の死刑容認は応分の責任履行の観点からのものである。人を一人殺したら、自分の命で償う。だから、自動車事故で人間を一人殺した場合でも死刑に処すべきだと思っている。車で人一人を轢き殺したなら、死刑を方法として自らの命で償う。その覚悟で車を運転しなさい。人一人を殺したなら、死刑を方法として自分の命で償う。その覚悟で人間関係を持ちなさい。その覚悟で自らの利害を優先させなさい。人を一人殺したなら、死刑を方法として自らの命で償う覚悟を社会の一員して引き受けるべき社会のルールとしなさい。ただそれだけである。
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 「自動的処刑は異常」 亀井氏ら死刑廃止議連(47NEWS/2008/06/17 18:14 【共同通信】)

幼女連続誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚(45)ら3人に対する17日の刑執行に対して、超党派の「死刑廃止を推進する議員連盟」のメンバーが同日、東京都内で記者会見し、会長の亀井静香衆院議員(国民新)は「死刑によって、国民の幸せにつながるものが生まれるのか。ベルトコンベヤーのように自動的に処刑していくのは異常事態だ」と強く抗議した。

 事務局長の保坂展人衆院議員(社民)らは法務省を訪問し、鳩山邦夫法相に面会を申し入れたが断られ、刑事局長に執行を抗議したという。

亀井氏は「秋葉原でも悲惨な事件があったが、国家が人の命を大切にしないのでは、凶悪犯罪は防げない。死刑による犯罪抑止論は現実離れしている」と批判。「法務省は死刑囚が(拘置所で)どういう生活していたかも開示すべきだ。こんな凶悪犯罪をやったとだけ詳細に発表し、国民の共感を得ようとするのはおかしい」とも述べた。

保坂氏は「国連でも日本の死刑執行に懸念が表明されているのに、増えていくのは国際社会で異常だ。(7月の)サミットでも話題にならないはずはない」と語った。
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 ≪宮崎死刑囚 猟奇殺人、20年前震撼 45歳、遺族に謝罪ないまま≫(6月17日15時48分配信 産経新聞)

 連続幼女誘拐殺人事件を引き起こした宮崎勤死刑囚(45)。約20年前、幼女4人の命を次々と奪い、猟奇的な手口で日本中を震撼(しんかん)させた。公判では不可解な言動を繰り返したが、本心だったのか、精神障害を装うためだったのかは不明のままだ。結局、17日の刑執行まで謝罪や反省の言葉が拘置所の外に聞こえてくることはなかった。

 宮崎死刑囚が犯行当時住んでいた自宅は、東京都五日市町(現・あきる野市)にあった。自室は母屋の横にあった「離れ」。その中には、6000本ものアニメや特撮もののビデオテープがあった。この自室で当時26歳だった宮崎死刑囚が東京都江東区の幼女の遺体をのこぎりで切断し、自宅裏庭で埼玉県入間市の幼女の遺体を焼いた。

 平成2年3月の初公判では「覚めない夢の中でやったような感じだ」。色白の宮崎死刑囚は殺意を否認。「女の子が泣きだすとネズミ人間が出てきた…」などと意味不明な言動が続いた。弁護士との接見では「何人かの人が自分をいじめる相談をしているのが聞こえる。『針で(死刑囚の)目を刺すのは自分がやる』と話し合っている」と訴えたり、独房で「起きろ」と突然、大声を上げたりすることもあったという。

 宮崎死刑囚の父は印刷工場を持ち、月4回発行の地元紙を発行する裕福な家庭だったが、その父も宮崎死刑囚の公判中の6年1月に「疲れた」と遺書を残し投身自殺。しかし、宮崎死刑囚は法廷で「死んでくれてスッとした」と述べただけだった。

 一方で自身の「無罪」だけは強く主張していた。月刊誌の編集者や心理学者などと手紙のやり取りを続け、「自分は無罪」と記し、死刑判決確定後に面会した臨床心理士に「何かの間違いです。そのうち無罪になります」と語った。この約1カ月後に出版した2冊目の著書では、最高裁判決を「『あほか』と思います」と批判。判決が大きく報道されたことに触れ「やっぱり私は人気者だ」と感想を語り、「良いことができてよかったです」と事件を振り返った。

 事件から公判中まで終始、奇妙で、つじつまの合わない言動を繰り返した宮崎死刑囚。最後まで彼の「心象風景」は判然としないまま、45年の生涯を閉じた。
     ◇
 土本武司・白鳳大法科大学院教授(刑法)の話「確定した死刑判決については、特別な事情がない限り執行に問題はない。当然のことで支持されるべきだ。日本の場合、死刑の執行について極力秘密にしようという傾向があった。鳩山邦夫法相になってから死刑囚の名前、執行場所、犯罪の概要を公表するようになった。今後導入される裁判員制度の対象となる事件は法定刑が死刑や無期刑を含んでおり、一般市民も死刑に立ち向かわなければならない。国民も実態を知った上で、死刑制度への賛否を決める必要がある。その点で鳩山氏が従前より死刑執行に関する情報を公開していることは歓迎すべきことだ」
     ◇
 宮崎勤死刑囚を描いた「M 世界の、憂鬱(ゆううつ)な先端」の著書がある作家、吉岡忍さんの話「時代が生み出した異常な精神状態を背景に犯行を繰り返した最初の人物だったのではないか。にもかかわらず、裁判所の判決は通り一辺の凶悪事件として片付け、世間から隔離し、死刑という厳罰で終わらせたといえる。このため、その後に続いた事件も社会の病理を検証することなく、個人の問題として、死刑で終わらせてしまう風潮を作り出してしまった。(宮崎勤死刑囚を)司法がもっと掘り下げて検証しておけば、その後の事件の手がかりをつかめたかもしれない。司法が複雑なものを複雑に考えなければ教訓にはならない」

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