鳩山法相、『朝日』素粒子を「政治家の言い訳」と言うなら同罪

2008-06-26 12:39:36 | Weblog

 鳩山邦夫法相が1993年3月に一時中断していた死刑執行を3年4か月ぶりに再開して以降、最多となる13人の死刑執行を「2ヶ月間隔」で命令、歴代法相に比較したその多さを『朝日』夕刊コラム「素粒子」が羽生善治王将の第66期名人戦七番勝負を制して十九世名人の資格を得、史上初の「永世6冠」を与えられることとなった一般人には得がたい名誉ある「永世」の称号を鳩山法相にも冠してその死刑執行数の多さを祝福した。
 
  対する鳩山邦夫は有難くない「祝福」と受け止め怒り心頭に発し、記者会見で抗議、『朝日・素粒子』は鳩山法相の抗議には直接答えず、社の方に寄せられた抗議への回答の形を取って釈明。その釈明を鳩山邦夫は「政治家の言い訳」だと追い討ちの批判を浴びせ、「全国犯罪被害者の会」(あすの会)も昨日25日に「犯罪被害者や遺族をも侮辱する内容」だと朝日新聞社に「抗議および質問」と題する文書を送付した。

 あすの会「確定死刑囚の1日も早い死刑執行を待ち望んできた犯罪被害者遺族は、法相と同様に死に神ということになり、死刑を望むことすら悪いことだというメッセージを国民に与えかねない」(MSN産経)

 あすの会「感情を逆なでされる苦痛を受けた。犯罪被害者遺族が死刑を望むことすら悪いというメッセージを国民に与えかねない」「法相の死刑執行数がなぜ問題になるのか」と抗議と回答の要求(毎日jp)

 私自身は死刑制度賛成論者だが、死刑制度反対論は死刑制度賛成の立場を否定することでもあるのだから、「死刑を望むことすら悪いことだ」と主張したとしてもある意味当然のことであり、双方の主義・主張上の利害の衝突は予定事項と受け止めなければならない。例えば死刑制度絶対反対論者からしたら、「死刑執行にサインした奴は死神だ」という非難も成り立つわけである。何となく問題を大袈裟にしているように思える。ならばと、当方も話を大きくすることにした。

 事の発端の6月19日『朝日』夕刊<素粒子>を見てみると、

 <永世名人 羽生新名人。勝利目前、極限までの緊張と集中力からか、駒を持つ手が震え出す凄み。またの名、将棋の神様。
   ×        ×
 永世死刑執行人 鳩山法相。「自信と責任」に胸を張り、2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神。
   ×        ×
 永世官製談合人 品川局長。官僚の、税金による、天下りのためのを繰り返して出世栄達。またの名、国民軽侮の疫病神。>・・・・・

 「自信と責任」なる文言の由来は宮崎勤死刑執行を発表した6月17日(08年)の午前の記者会見で鳩山法相が「妙な言い方だが、自信と責任を持って、執行できるという人を選んだ」(08.6.18/『朝日』記事)と述べことからで、宮崎勤は鳩山法相に特別指名を受けたとも言える。世間を震撼させた事件の残虐性を特別に考慮したかの質問に、「検討の外にあるとは思わない」と言い切る程のたっぷりの自信だったらしい。

 鳩山法相の6月20日の閣議後の記者会見での抗議。

 「死刑囚にだって人権も人格もある。(表現は)執行された方々に対するぼうとく、侮辱でもある」(読売記事)

 「(死刑囚は)犯した犯罪、法の規定によって執行された。死に神に連れていかれたというのは違うと思う。(記事は)執行された方に対する侮辱だと思う」
 「私を死に神と表現することがどれだけ悪影響を与えるか。そういう軽率な文章を平気で載せる態度自身が世の中を悪くしていると思う」(MSN産経)

 「宮崎さんは恐ろしい事件を起こした人。でも、彼は死に神に連れて行かれたんですか? 違うでしょ」(テーブルを拳でドンと叩く)
 「そりゃ心境は穏やかでないですよ。人の命を絶つ極刑を実施するんだから。でも、どんなにつらくても社会正義のためにやむを得ないと思ってきた」
 「(死刑囚にも)人権も人格もある。司法の慎重な判断、法律の規定があり、苦しんだ揚げ句に執行した」
 「私に対する侮辱は一向に構わないが、執行された人への侮辱でもあると思う。軽率な文章が世の中を悪くしていると思う」(スポーツ報知)

 「マスコミは(執行数を)野球の打率のように論評するが、私は粛々と正義の実現のために法相の責任を果たしている」(毎日jp)

 鳩山邦夫の抗議に一つだけ問題があるとしたら、果して「正義」を口にする資格のある政治家なのかという点である。

 6月21日(08年)夕刊の『朝日・素粒子』の釈明記事。

 <鳩山法相の件で千件超の抗議をいただく。「法相は職務を全うしているだけ」「死神とはふざけすぎ」との内容でした。
   ×        ×
 法相のご苦労や被害者家族の感情は十分認識しています。それでも、死刑執行の数の多さをチクリと刺したつもりです。
   ×        ×
 風刺コラムはつくづく難しいと思う。法相らを中傷する意図は全くありません。表現の方法や技量をもっと磨かねば。>・・・・・

 これでは「死刑執行の数の多さ」を「死刑執行人」あるいは「死に神」の基準とすることになる。死刑に関わるどのような主義・主張に立って「永世死刑執行人」、あるいは「死に神」と断じたのか、堂々と論ずるべきだったろう。また「被害者家族」のことに思いを馳せた場合はその「感情は十分認識」できたとしても、「法相のご苦労」は例え皮肉であっても「永世死刑執行人」あるいは「死に神」の名称を与えたのである、「認識してい」たならできないことで、弁解を超えてゴマカシの類に入る言葉いじりに過ぎず、鳩山邦夫から「政治家の言い訳」と批判されても仕方がない。
 
 「政治家がよくやる言い訳に似ている。新聞社も政治的な言い訳を学んだのか。見苦しい言い訳をしない政治生活を送りたい」≪鳩山法相、朝日の釈明は「政治家の言い訳」≫サンスポ/2008.6.25 05:01)
鳩山邦夫如き政治家からから「政治家がよくやる言い訳に似ている。新聞社も政治的な言い訳を学んだのか」と言われたら、おしまいである。もし「政治家の言い訳」でないなら、『朝日』はそうでないことを論ずるべきであろう。

 いずれにしても鳩山邦夫は『朝日・素粒子』の釈明記事を「政治家の言い訳」と見た。だとしたら、政治家と『朝日・素粒子』は同罪と言うことになる。

 但し「政治家の言い訳」と批判するからには自分自身が「政治家の言い訳」からは無縁でなければ、批判する資格を失う。本人は「見苦しい言い訳をしない政治生活を送りたい」と言っているが、「これまでと同様に」といった断りが何もないのだから、これは将来的課題であって、今まで「見苦しい言い訳」をしてこなかったことの証明ではなく、そうである以上、「政治家の言い訳」と批判する資格を持っているかどうかの証明ともなり得ない。

 鳩山邦夫法相は昨07年10月の日本外国特派員協会での講演で「私の友人の友人が(国際テロ組織の)アルカイダ」だと前置きして当時を基準に5年前にインドネシア・バリ島で起きた爆弾テロ事件に言及、「彼は事件に絡んでおり、私は『バリ島の中心部は爆破するから近づかないように』とアドバイスを受けていた」(サンスポ/2007年10月30日 更新≪鳩山法相、また問題発言「私の友人の友人がアルカイダ」≫)とさも事前に爆破計画を知っていたかのように発言し、知っていたなら法務大臣の立場としてなぜ報告しなかったという話になって、「予告を聞いたのは友人で、私がその友人から話を聞いたのは事件の3、4カ月後だった」と前言を全面訂正、「舌足らずだったと反省している」と陳謝した(同「サンスポ」)が、これなどは政治家という、それも法務大臣という公人中の公人でありながら、一旦口にした自分の言葉に何ら責任を果たしていないという点で「政治家の言い訳」に入らないだろうか。

 その「責任」とは例え「3、4カ月後」の見聞だったとしても、日本政府が「テロとの戦い」を掲げている以上、政府の主要な一員たる法務大臣なのだから、直ちに報告し暗々裏に調査を開始するよう持っていく責任であり、それが解決を見ないうちは決して軽々しく口にしない責任であろう。

 その責任を果たさずに単なる釈明で幕降しを図ったのである。「政治家の言い訳」でないとしたら、何と形容したらいいのか。

 「サンスポ」の記事題名の「また問題発言」の「また」とは、同じ07年の9月に死刑執行について<「法務大臣が絡まなくても自動的に行われる方法を考えたらどうか」などと発言し、物議を醸したばかり。>と同記事が解説している。

 法務大臣がサインの手続きを経ずに最高裁が死刑を確定したなら自動的に死刑を執行させるといった考えこそが「死神」に魂を売る独裁思想だと批判されても仕方があるまい。鳩山邦夫らしい発想だとしたら、元々「死神」の気(け)を放つ政治家と言える。

 鳩山邦夫は07年の自民党総裁選では麻生候補の選対部長を務めている。麻生太郎と言えば、「政治家の言い訳」の名人である。麻生は政調会長時代に「創氏改名は朝鮮の人たちが『名字をくれ』と言ったのがそもそもの始まりだ」と発言して、発言自体は撤回せず、「『言葉が足りず、真意が伝わらなかったことは誠に残念だ。遺憾な発言であり、韓国国民に対して率直におわびを申し上げる』と謝罪」(2003.06.02朝日新聞)している。

 発言自体は撤回しなかったということなら、「言葉が足りず、真意が伝わらなかった」は「創氏改名は朝鮮の人たちが『名字をくれ』と言ったのがそもそもの始まりだ」の主張自体に間違いはないとする釈明となるのだから、「言葉が足り」ない分を補い、「創氏改名は朝鮮の人たちが『名字をくれ』と言ったのがそもそもの始まりだ」とする麻生の「真意」が韓国人や多くの日本人を納得させるよう努めるのが公人としての責任のはずだが、謝罪の言葉で済ませたのは口先だけの「政治家の言い訳」を弄んだということなのだろう。

 つまり鳩山邦夫は自分自身が「政治家の言い訳」を使いまわす政治家であり、当然のこととして「見苦しい言い訳をしない政治生活を送りたい」などといったことは将来的課題としても掲げる資格はないいけ図々しい奇麗事の自己美化に過ぎず、総裁選の選対部長まで引き受ける同志とも言える仲間とも類は友を呼ぶ関係からか、「政治家の言い訳」を得意とするムジナ関係まで結んでいる。

 「政治家の言い訳」という点で『朝日・素粒子』と同罪どころか、それ以上の重罪ではないか。

 と言うことなら、そのような「政治家の言い訳」人間を閣僚の一人に加えている福田首相の任命責任まで言及しなければならなくなる。いや、「政治家の言い訳」の問題ではすべての政治家の特許と言ってもいい状況にあるのだから、政治家自身から「政治家の言い訳」を持ち出さない方がいいのではないのか、邦夫クン。

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