昨日曜日午前中の各テレビ局の報道番組は「米国の北朝鮮テロ指定解除で拉致もしくは核問題はどうなるのか」をテーマに高村外相と識者の討論が行われていた。拉致問題に関しては北朝鮮のこれまでの「解決済み」の姿勢を変えて示した再調査の「約束」に応じて日本側が提示した一部制裁解除の是非に議論が集中した。
一部制裁解除は時期尚早、あるいは間違いではないかという指摘に対して高村外相は日本政府の立場から、勿論のことこれを正しい判断だと抗弁した。間違っていたと言うはずはない。言ったとしたら、政権がひっくり返ってしまう。
(NHK「日曜討論」)
司会「先日日本と北朝鮮の日朝協議、再調査の実施を北朝鮮がお約束(「お」をつける必要がなぜあるのだろうか。)をしたと。あの日朝協議、そちらの評価の問題ですが、ちょっと話を移してみたいんですけども、これ今回の日朝協議で官房長官も前進があったと、全体として前進があったと、いうような評価をしているわけですが、大臣もその点は揺るぎなく一定の評価ということで北朝鮮の出方を、ま、前向きのものと受け止めているとご理解してよろしいでしょうか」
高村正彦外相「言葉の上では前向きですね。行動を見ていくと。今まで解決済みと言ってたんですね。それを生存者を発見し、そして、それを帰国させるための調査を行うと。こういう約束をしたわけですから、言葉の上では前向きだと、行動を見ていくと、そういうことですね」
渡辺利夫・拓殖大学学長「私はこの今回の日朝協議の合意に、内容に、まあ、日本人の一人として極めて不満だと、いう気分は拭えないでおります。おっしゃったように拉致問題は解決済みだと、という今までの主張に対して再調査すると、まあ、いうふうに言っただけで、この制裁の一部を解除を公言する、というのは如何にも相手を甘く見過ぎているのではないかというのが私の気分ですね。
まあ、私は8人の方々が北朝鮮の中で生存していると信じております。しかし金正日自身がですね、もう死亡だと、まあ証拠は随分杜撰でしたけどもね。死亡しているということをトップ自身が公言しているものを、再調査によって覆すなどということがあり得るだろうかと、残念ながらそう思わざるを得ないですね。ですから、テーブルについただけで、それが前進であるかのように伝えられているというのは、実は残念だと。相手は犯罪国家なんであってですね、国際的なルールゲームに従う国家ではないという基本的な認識に立って、やはり対応を考えていかないと、この問題は解決しないんじゃないかと思いますね」
(テレビ朝日「サンデープロジェクト」)
高村「今、誰一人として亡くなったという日本政府が納得できるような説明はないんです。もし亡くなったと主張されるんであれば、亡くなったということを私たちが納得できるような資料をきっちりと整えてくださいと――」
「死亡したという納得のいく報告がないから、全員が生存していると私たちは確信している。生存者がおるんであれば、生存者全員を帰してくれと言っている」といったことも言っていた。
高村外相が殆どの番組で言っていたことは、「言葉対言葉、行動対行動」であった。北朝鮮は拉致再調査を約束した。まだ言葉の段階である再調査の約束に対して制裁一部解除にしても言葉で約束した段階に過ぎないというなら、「言葉対言葉」だと言えるし、再調査の行動の経緯、あるいは結果に連動させて日本側も制裁解除の行動を前進させていくというなら、「行動対行動」と付け加えることも可能である。
だが、昨29日の時事通信社インターネット記事≪制裁解除、拉致進展が条件=対北朝鮮で中山補佐官≫は29日の午後に埼玉県川口市で講演した中山恭子首相補佐官(拉致問題担当)の言葉を解説と共に次のように伝えている。
<政府が先に決めた北朝鮮に対する経済制裁の一部緩和について「拉致した人を探し出し、帰国させる動きがはっきりするまで解除してはいけない」と述べ、拉致問題の再調査に北朝鮮が誠実に対応し、被害者帰国に向けた動きが具体化しない限り解除すべきでないとの考えを示した。>――――
拉致問題担当の首相補佐官が経済制裁の一部緩和について<「解除してはいけない」>と言っている。と言うことは、日本政府は再調査の行動の具体化を見ないうちに――いわば未だ言葉の約束の段階に過ぎないにも関わらず、それが言葉上の約束であっても、経済制裁の一部解除という行動を伴わせる決定を行ったということで、高村外相の言う「言葉対言葉、行動対行動」はマヤカシとなり、実態は「言葉対行動」となっているということではないだろうか。
多分、北朝鮮は日本側からの何らかの譲歩(=見返り)がなければ再調査の約束はできないと出たのではないのか。それが一部解除となって現れた?
尤も「言葉対行動」の措置であることは高村外相自身が6月20日の時点で既に述べている。
<高村正彦外相は20日午前の記者会見で、日本が独自に科している対北朝鮮制裁の一部解除について、「拉致問題の再調査に着手して、真摯(しんし)な調査と判断した場合、一部制裁解除を行う」と語り、再調査開始で解除がありえるとの認識を示した。
また、ライス米国務長官が北朝鮮が核計画を申告した場合、テロ支援国家指定を解除すると明言したことについては「北朝鮮に早期の核計画申告を呼びかけたものだ。米国の立場が変わったということではない」と述べた。【古本陽荘】>(毎日jp/2008年6月20日≪北朝鮮制裁:一部解除は拉致調査着手で--高村外相≫)
日朝協議が開催されたのは6月11日、12日の両日で、8日後の20日の高村外相の言葉である。「真摯な」は結果に対する形容詞ではなく、態度や姿勢に対する形容詞であって、態度や姿勢が予定した結果に結びつく保証はない。人間、いくらでも「真摯」に見せかけることができるからである。
「再調査を行います」という「言葉」に対して、それを「真摯な」態度で着手した時点で、予想通りの結果に結びつく保証がないにも関わらず、行動を伴わせなければならない制裁一部解除を約束したということなのだろう。
そして結果が高村村外相の言葉を借りて言うなら、「納得のいく」ものでなければ、一部解除した制裁を元に戻すということなのだろう。
但しそういった経緯を踏んだ場合、日本政府の見通しの甘さを批判されることになる。金正日相手では日本側が望む結果を得ることができるかどうかは危険なカケに近い。カケにも色々あって、意図的に仕掛けたイカサマ勝負ということもある。
例えば金正日のこれまでの態度からすると、再調査の約束といっても、全員死亡したと納得させることのできる捏造した報告書を既に用意している可能性も否定できない。あるいは制裁一部解除の取引が成立した早々に全員死亡の報告書の捏造の着手にかからせたということも考え得る。
あるいは一種のアメとして、金正日独裁体制維持に差し障りのない1人~2人を生存していたとする報告書をつくり、その者だけを帰国させて拉致問題をクリアさせ、国交正常化に漕ぎ付ける可能性も疑える。
その場合、例え1人~2人の生存者づくりであっても、なぜもっと早くに調査し、帰国させる手を打たなかったと、金正日・北朝鮮の不誠実さが日本国にとどまらず国際的に非難を受ける危険性を生じせしめることもあり得る。その非難を受ける覚悟で敢えて生存者づくりに走るだろうかの可能性も考えなければならない。
また、1人~2人でも生存者がいたとする報告書を提出できるなら、とっくに提出していただろうから、現実問題として提出できない理由――例えば金正日自身が命令した拉致といった事情から最後まで提出できない状況に縛られて、提出しない可能性。
2006年6月と日付は2年前になるが、<韓国の情報機関・国家情報院が、北朝鮮による韓国人拉致被害者を489人と認定し、うち103人の生存を確認している>と「読売」インターネット記事≪韓国人拉致被害者489人、生存確認は103人≫が伝えていることから考えても、国家の指導者の関与なくして不可能な拉致数であろう。
あるいは北朝鮮による拉致の疑いが否定できない「日本人特定失踪者」は250人以上いるというから、日本の世論が1人~2人帰国させただけで満足せず、再調査が延々と繰返される危険性を避けるための全員死亡とする可能性。
最も高い可能性は全員死亡したとの報告書づくりが生存者がいたとすることで受けることになるかもしれない金正日・北朝鮮の不誠実さに対する非難を避ける有効な手段となる可能性どころか、「アリの穴」の譬で拉致被害者を国外に自由に放つことで金正日拉致主導がどこからともなく洩れて独裁体制そのものに綻びが生じかねない危険性を避ける最善の方法となり得る可能性であろう。
核問題にしても核施設の冷却塔爆破を行い、6カ国協議参加国メディアに現地取材を許可して撮影させたが、北朝鮮が26日に提出した核申告書には核兵器の記述はなかったというし、北朝鮮が6者協議に提出した核計画の申告書には06年10月に行った核実験でのプルトニウム使用量を2キロとしていることに対して、<「たった2キロで起爆できるのか」と疑う見方や、「予想以上に核兵器の小型化技術が進んでいるのかも」との憶測が出ている。>と6月28日の「asahi.com」記事≪北朝鮮、核実験プルトニウム「2キロ」申告 予想下回る≫ が伝えているが、「予想以上に核兵器の小型化技術が進んでいる」と疑心暗鬼を駆り立て、その疑心暗鬼を交渉を有利に運ぶカードとする目的の過少申告ということもあり得る。
間違いなく言えることは核兵器を含めた核問題の打開も拉致問題再調査が誠実に履行されて生存者が判明し、帰国という段階への進展も、そのカギを握っているのは独裁者金正日の態度如何ということだろう。そのことはそのまますべての問題を支配しているのはブッシュでも福田でもなく、金正日という独裁者そのものであることを示していて、金正日という独裁者の存在自体が世界に対する脅威だと言える。
だが、テレビも新聞も問題の措置の妥当性、交渉の先行きの如何を論ずるばかりで、独裁者の存在自体が世界の脅威の源であるという視点を欠いたものとなっている。
このことを逆説すると、金正日という独裁者が北朝鮮という国を支配する間は自身の地位を保持するためにも先軍政治を変えるはずはなく、国民支配の都合から国民に対しては今までのように自身を偉大な指導者だと印象付けるために最強の軍隊という体裁を欲し、独裁体制維持の都合から国際社会に対しては軍事的に侮りがたい指導者だと思わせるために核兵器所有への衝動を止み難くするだろうから、世界は常に疑心暗鬼に駆られて、例え実際に核放棄を行っていたとしても北朝鮮の核問題は終わらないことになる。サダム・フセインは大量破壊兵器を持っているように思わせ、そのことが自らの墓穴を掘ることとなった。
世界の安全に脅威となる核兵器等の大量破壊兵器状況はあくまで「子」に当たる存在であって、生みの親は独裁者であることを忘れてはならない。いわば独裁者を支配の場から除かない問題解決は真の解決足り得ないと言うことである。その存在自体が世界の脅威であり続ける。