警察・学校・生徒・地域(自治体・各家庭及び自治会)はどう情報を共有し、どう活用したのか、その検証を行うべき
5月3日午前5時半頃愛知県豊田市生駒町切戸の高速道脇の田んぼの中で首にビニールテープを巻きつけた15歳女子高生の殺害死体が発見された。前日2日の下校途中の7時前後の間の犯行だという。
3日前の4月29日に8歳の姉が川に落ちた7歳の弟を助けようとして、弟は中学生に助けられたが自分は溺れて死亡する事故が鹿児島県内で起きている。死という痛ましさに変わりはないはずだが、事件の犯人未逮捕による関心の継続性が生じせしめているのだろう、前者と後者では報道の扱い方、その関心の度合いに格段の違いがあり、何とはなしの不公平を感じた。
子供の数が27年連続して減少していると2日前に報道されたばかりである。貴重な子供の命のはずだが、貴重であることに反して子供が事故で命を失うケースも跡を絶たない。
子供の水死事故に関して、その防止策として大人が子どもに水の恐ろしさを教える必要性を挙げる向きもあるらしいが、口で教えて実感できるものでもなく、危険だから水に近づくなの教えを結果とするのがオチとはならないだろうか。但し水死事故が起きた場合、水の危険性を教えたのに子供は守らなかったと大人の責任は逃れることはできる。
幼い子供に水泳を教える場合、まだ大人が自らの権威主義を固く維持することができていた時代はいきなり子供を水に突き落として人為的に溺れる状態をつくり出し、子ども自身の力でそこから這い上がらせて自然と泳げるようにする強制的訓練を施す大人もいたが、そのことが成功した子供はいいが、水に対する恐怖心に取り憑かれて、一生その恐怖心から逃れることができず泳げるようにならなかったとテレビで告白していた大人もいたから、必ずしも成功する訓練ではなかったようだ。
個人の権利が発達した今の時代はそういった乱暴な強制的訓練は通用しない。スイミングボードを使ったり、腕に取付ける空気の入ったビニールの小型の浮き輪(アームリングと言うらしいが、確か足首に取付ける浮き輪もあったと思う)を使ったりして、最初から身体を浮かせた安全地帯での状態で教えるが、それでは危険に自力で応用する危機管理能力の訓練に役立つのだろうか。安全地帯では少しぐらい泳げても、川や池に落ちた場合は慌てるのが先で何もできず水を飲み込むばかりで溺れてしまうといったこともあるだろう。
例えば子供の足がつかないプールに大人が抱きかかえて入れて、最初は子供が水を飲み込まない短い時間手を離して子供に手足をばたつかせてから抱きかかえてやり、少しずつ時間を延ばして同じ場面を何回か繰返し、少し慣れたところで水を少しぐらい飲ませるくらいの時間手足をばたつかせて兎に角も自力で身体を浮かせる訓練とし、そこから泳げるように仕向ける方法の方が万が一の危険に対応できる能力が身につくのではないだろうか。
テレビのニュースや報道番組は豊田市の女子高生殺害が類似の未遂事件が何件か起きていた中での今回の事件であることを伝えていた。当然誰もの関心がどのような対策を採っていたのか、防ぎ得なかった事件だったのかに向いたのは自然なことで、そのことを重点に報道していたワイドショー番組もあった。
素人考えながら、三つのインターネット記事を参考に「情報の共有」と「共有情報の活用」という点から事件を振返ってみた。
≪高1女子殺害事件 1週間前にも近くで女子高生襲われる≫ (asahi.com/2008年05月04日08時06分)
女子高校生が殺害された愛知県豊田市の現場付近では、1週間余り前にも、別の女子高校生が襲われる事件があり、県警は今回の強盗殺人事件との関連がないかどうか調べを進める。
愛知県の西三河北部地域の高校などでつくる組織から周辺の学校にあった連絡では、4月25日午後7時半ごろ、豊田市若林東町赤池の農道で、自転車に乗った高校2年の女子生徒に、バイクに乗った男が「豊田高校はどこですか」と尋ねながら近づいてきた。生徒が知らないと答えると、男は生徒を道の端に追い込み、手首をつかんで髪を引っ張り、押し倒したという。
生徒が抵抗したため、男はひるんでバイクで逃げた。黒のヘルメットをかぶっており、バイクのナンバープレートは外されていたという。
今回の被害者の遺体が見つかった現場からは約3キロ東で、この被害者が卒業した中学校の隣の校区だった。
同じ若林東町内では4月29日午後3時20分ごろ、書店内にいた小学生の女子児童が黒いジャージーを着た男に手をつかまれ、店内のトイレに連れ込まれる事件もあったという。女児は逃げて無事だった。
さらに、愛知署などによると、同月23日夕には愛知教育大付属高の別の女子生徒が、今回の現場から北へ約8キロ離れた愛知県東郷町内を自転車で帰宅途中、若い男に押し倒された。生徒が大声を上げると、男は走って逃げたという。
≪愛知・女子高生殺害:高校周辺に不審者 校長ら会見≫(毎日jp/08年5月3日 23時05分)
(沈痛な表情で会見する愛知教育大付属高校の佐々木徹郎校長(左)と山本建一副校長(中央)=愛知県刈谷市で2008年5月3日午後2時59分、竹内幹撮)
清水愛美さんが通う愛知教育大付属高校では、佐々木徹郎校長と山本建一副校長が3日午後記者会見し、「登下校時の指導を徹底していた。大変ショックを受けている」と沈痛な面持ちで語った。付近では不審者の目撃情報が相次ぎ、学校への防犯カメラ設置や不審者情報のメール伝送など児童・生徒の安全対策に力を入れていただけに、関係者や住民は衝撃を受けている。
事件が起きた地域は田畑に交じってトヨタ自動車やアイシン精機、デンソーなどの工場が建ち、住宅も点在する。伊勢湾岸自動車道の豊田南インターが開通したことで、人の出入りも増えていた。
山本副校長によると、学校周辺では4月30日午後4時半ごろ、校門の外や竹やぶで男が体を露出させ、同月中旬には下校途中の女子生徒が男に襲われかけた。学校はこれらの情報と、連休中の部活動中止を全校生徒に電話で伝えたという。
清水さんの家がある愛知県豊田市によると、同月29日、現場近くの書店で男がトイレに女子を連れ込むなど、07年1月以降11件の不審事案が起きている。
市が把握した以外にも、昨年12月ごろ現場近くの公園で不審者が複数回目撃され、清水さん自身も今月1日午後7時、自分のブログに「なんかこわいんだけど/お母さんおそいよお」と書き込み、2日正午すぎには「気持ち悪い/部活どうしよ」と書き最後の日記を終えている。
相次ぐ事態に、豊田市は昨年度、生徒や保護者に不審者情報を一斉メールするシステムを導入。小中学校には警報装置を設置し、民間警備会社にパトロールを委託するなど防犯体制を強化していた。
さらに、付属高の所在地・刈谷市でも、すべての市立保育園に監視用ビデオを設置したり、小中学校に鍵付き門扉を取り付ける対策を実施し、豊田市に隣接する岡崎市では3年で街路灯を2130本増設する防犯計画を実施に移していた。
こうした自治体の努力にもかかわらず、今回事件が起きた。清水さんが住む地区の神谷幹夫区長(65)は「学校の防犯対策は向上している」としたうえで、今回のような事件を防ぐには自治体間の一層の連携が必要と訴えた。【式守克史、木村文彦、丸林康樹】
≪愛知・女子高生殺害:死因は窒息死≫(毎日jp/08年5月3日 20時29分)
3日午前5時半ごろ、愛知県豊田市生駒町の田で、同市駒場町、愛知教育大付属高校1年、清水愛美(まなみ)さん(15)が首にビニールテープを巻かれて死亡しているのを両親の知人の女性が見つけた。清水さんは2日の下校後行方不明となり、持っていたショルダーバッグが現場の南東約15キロの土手に放置されていたことから、県警捜査1課と豊田署は下校途中に殺害されてバッグを奪われたと断定、同署に特別捜査本部を設置し、強盗殺人容疑で捜査を始めた。
司法解剖の結果、ビニールテープは緩く巻かれていたため、死因は口を圧迫されたか、顔などを殴られたことによる気道閉塞(へいそく)を原因とする窒息死とみられる。死亡推定時刻は2日午後7時25分から遺体発見時まで。
調べでは、清水さんは高校の制服姿であおむけに倒れていた。争ったような跡があり、制服は泥だらけで、顔や頭に殴られたような傷が数カ所あった。首には幅約4センチ、長さ約3.8メートルのビニールテープが七重に巻かれていた。近くに通学用の自転車が横倒しになっていたほか、靴と携帯電話が落ちていた。
一方、バッグは3日早朝、同県岡崎市稲熊町の小呂川土手に投げ捨てられているのを散歩中の女性が見つけた。中には教科書、腕時計、電子辞書などが入ったままだった。普段使っていた財布は自宅にあった。
清水さんはサッカー部のマネジャーで、2日午後6時半ごろまで部活動に参加。同6時45分ごろに校門付近で友人と別れ、1人で自転車で帰宅した。通常帰宅する午後7時半を過ぎても帰らず、携帯電話にかけても応答しなかったことから、家族が知人らと捜すとともに、同署に捜索願を出した。携帯電話は最初、呼び出し音が鳴っていたが、途中から不通になったという。
清水さんは団体職員の父、力さん(52)の長女で、母と兄3人の6人家族。
現場は伊勢湾岸自動車道の豊田南インターの西約150メートルの田園地帯。清水さんは普段、現場を通学路に同県刈谷市井ケ谷町の同校まで約4キロを自転車で通っており、自宅まで南西にあと約1キロだった。近くに民家はなく、人通りは少ない。【飯田和樹、米川直己】
4月25日午後7時半頃に別の高2女子が襲われた事件では相手の男の顔が黒のヘルメットをかぶっていて確認できなかったとしても男の体型、声の質は確認できたはずである。
さらにその2日前の4月23日夕方の同じ愛知教育大付属高に通っていたの別の女子生徒が愛知県東郷町内で自転車で帰宅途中に若い男に押し倒された事件に関しては手口が似ていて同一犯人の疑いが濃いが、顔の確認、声の確認の有無を窺わせる報道が何もない。
このことは「情報の共有」と「共有情報の活用」という点で重要な事柄となる。顔の確認ができていたなら、犯人の似顔絵なりモンタージュ写真なりの作成が可能となり、公共の場所に貼り出せば、犯人逮捕とまでいかなくても、その行動を制約させるはずである。
小学生女児や女子高生が被害対象となっている。当然警察を筆頭に小中高の学校、各地域・自治会・子供の親たちが事件に関わる情報を共有していたはずであり、そのことは記事も伝えているが、共有した情報をそれぞれがどう活用したかが問題となる。
警察は共有情報をどのように活用していたのだろうか。つまり共有情報に立って、どのような防犯対策を講じ、どのような捜査を行っていたのだろうか。被害者を出した愛知教育大付属高校は「登下校時の指導を徹底」させていた、「防犯カメラ設置や不審者情報のメール伝送」対策に力を入れていた、そして「連休中の部活動中止を全校生徒に電話で伝えた」としているが、「連休中」に限った情報活用の根拠はどこにあるのだろうか。他の2人の女子高生が襲われた4月の23日と25日は平日の登校日であり、時間帯は夕方から7時半までで、今回の事件は登校日の5月2日、部活動後の下校途中の7時前後の発生という共通点を持っている。共通点からは休校日という項目は一切見当たらない。
不審者情報をもっけの幸いとして部活動を中止すれば教師の付き添いが必要なくなり教師も連休の間学校を休めるから「連休中」に限ったのではないかと疑いたくはないが、その根拠を学校当局に問い質すべきだろう。犯罪決行日が休日に限定されていないということなら、すべきことは可能な限り人家のない場所を通らないこと、遠回りとなっても少しでも人家のある場所を選んで通学するよう注意するといったことではなかったろうか。こういったことが共有情報の活用ということではないだろうか。
豊田市は民間警備会社にパトロールを委託する防犯体制を敷いていたということだが、今後の学習資料とするためにもどのような時間帯、どのような体制でパトロールを行っていたのかを検証し、防げなかった原因がパトロール方法に不備・不足があってのことなのか、それとも不可抗力だったのか情報公開すべきであろう。
明らかにされた情報が新たな情報としての共有を受け、情報の新たな活用へとつながっていくだろうし、つなげていかなければならない。それが学習というものだろう。
多くの地域が幼児童犯罪対策から自治会やボランティアが中心となって時間帯を決めてパトロールを行っているが、インターネットで調べたところ、豊田市でも行っているようである。被害者の地区で行っているかどうかは不明であるが、書店で小学女児がトイレに連れ込まれる事件が起きていたのだから、行っている自治会では情報の共有へと進んだはずである。パトロール対象を幼児童に加えて中高生にまで広げた活動となっていないとしたら、例え情報を共有したとしても、共有した情報の活用にまで進んでいないかったことを示す。
このことも今後の学習のために検証すべきである。特に警察や連合自治会からの要請を受けて各自治会が行うこととなったからと上からの指示を受けて半強制的にメンバーを狩り集めたパトロールは決められた時間に機械的に巡回するといった義務的な惰性行為となりやすく、見ているようで見ていない事態――いわば共有情報の活用麻痺の状態へと進んでパトロール自体が実質的な意味を成さなくなる危険性を抱えかねない。
また生徒や保護者に不審者情報を一斉メールするシステムの導入にしても、警報装置や防犯カメラの設置、街路灯の増設にしても、一見犯罪対策のように見えるが、犯罪が発生してからの犯人逮捕に役立つことはあっても、犯罪の抑止自体には必ずしも有効に機能しない前例から鑑みて、それら対策のみで踏みとどまっていたのではハコモノを造っただけのことで終わりかねず、そのことに安心していたなら、却って共有情報の活用を阻害しかねないことに注意を払う必要がある。
関係者は事件が起きてから口癖のように「二度とこのような事件が起きないように万全を期したい」といったことを言うが、まずは情報の共有の有無、共有した場合はどの程度の共有だったのか、それをどの程度に活用し得たのか、活用し得なかったのかの検証を省いたなら、「二度と」の誓いは口先だけで終わることになる。尤も事件が自分たちに関わる形で再度起こらなければ、その偶然に助けられて誓いが口先だけであることは露見せずに済むだろうが、その省略による学習不全が学習した場合の情報の共有と共有した情報の活用を妨げて、他の場所での類似事件を防ぐキッカケを奪うことにならない保証はない。
当然、今回の事件で警察・学校・生徒・地域(自治体・各家庭及び自治会)がどう情報を共有し、どう活用したのかの検証を決して省かせてはならないことになる。省いて終わりにさせるか、そうはさせないかはマスコミの見識にかかっている。