沖縄集団自決検定/「政治的介入はあってはならない」のマヤカシ

2007-10-03 12:55:25 | Weblog

 昨07.10.2、朝7時からのNHKニュース――
 昨日町村官房長官が「沖縄の皆さんの方の気持を何らかの方法で受け止めて、訂正できないものかどうかですね、修正できるものかどうか。それは関係者の工夫とチエって言うものがあり得るのかもしれない」

 解説を箇条書きに纏めてみると、
一方で町村官房長官は政治的思惑で動かされることがよいのかと述べ
  ている。
政府内には政治的介入すべきではないという意見も根強い。
今年3月に行われた高校の歴史教科書検定、沖縄戦を扱ったのは5社7
 種類の日本史の教科書。このすべてに検定意見がついた。
「中には日本軍に集団自決を強いられた人もいた」との記述が
  、「日本軍に」という言葉を削除する形で、「中には集団自決に追
  い込まれた人もいた」と修正させられた。
沖縄戦の集団自決については昭和50年代に教科書に記述されるように
 なったが、検定意見がついたのは今回が初めて。
キッカケは一昨年起こされた裁判で、日本軍の守備隊長だった男が集
 団自決を命じていないとしているのに対して自決命令を受けたと主張して
 いた住民も、国から遺族に補償を受けられるよう、集団自決を指示された
 とするウソをついていたと、守備隊長の主張を証拠立てる証言をしている
 事情を受けて、文部科学省はこれらの証言が日本軍が集団自決を命じたと
 いう根拠は揺らいていることを示す新たな資料だとして集団自決について
 の記述について初めての検定をつけた。
この検定に対して沖縄住民が反発。先月29日主催者発表で11万人が参
 加した県民集会を開催、検定を激しく批判。
都内の大手教科書会社は沖縄県民の反発を重く受け止めるとして、日
 本軍の関与を示す記述を盛り込んで訂正申請する方向で検討を始め、
 別の教科書会社も今月中にも訂正申請を行う方向で執筆者と検討を進めて
 いるといった動きが出てきている。

 ここで教科書問題を取材しているという社会部の阿部千恵子なる若い女性が登場。

 女子アナ「訂正申請が行われる。あんまり聞かないのですが、あることなんですか?」
 阿部「そうですね、誤植とか歴史的事実の変化、例えば政権の交代ですとか、こういったケースについて訂正が行われているというのはよくあるんです。あの、但し、今回のように文部科学省の検定意見がついて一度削除された記述について、再度訂正しようと、こういう動きというのはきわめて異例のことなんです」
 女子アナ「教科書会社側が今月中にも記述の訂正申請を行うという動きが出てきましたけれど、これですんなりですね、記述の修正が進むんでしょうか」
 阿部「そうですね。それがそれほど簡単なことではないんですね。まあ、なぜかと言いますと、文部科学省が日本軍が集団自決を命じたという根拠が揺らいでいる。そういった検定意見は変えるつもりはないとしているからなんです。この検定意見を覆すような新たな歴史的事実が見つかったわけではないからなんです。そのため申請を行う教科書会社ではどういった修正ならば、検定意見の範囲内で、しかも沖縄県民の思いを踏まえたものになるのかどうか、執筆者と連絡を取りながら、検討を進めています。いずれにしても、一旦検定という行政手続きがを経た教科書を修正することになるわけですから、とりわけ修正を認めるかどうかを判断する文部科学省側には、なぜ前回の記述ではダメで、今回ならば認められるのか、これまでの議論の経過も踏まえて、明らかにする責任があると思います」――

 町村の「沖縄の皆さんの方の気持を何らかの方法で受け止めて、訂正できないものかどうかですね」云々は、発端の趣旨が沖縄の県民感情を考慮して記述を訂正できないかということになり、集団自決という事実を脇に置いた訂正となる。

 修正して沖縄県民が納得した場合、沖縄県民感情への考慮から発した修正だということになって、「考慮」は「事実」とは異なるとする暗黙の思惑が裏打ちされることになり、軍命令による「集団自決」はなかったが永遠の動かぬ「事実」だとされかねない。

 政府にしてもそもそもからして軍命令による集団自決があったかどうかの徹底的な検証から入るべきを、そうせずに「沖縄の皆さんの方の気持を何らかの方法で受け止めて、訂正できないものかどうかですね、修正できるものかどうか」とすること自体が沖縄県民に対してだけではなく、歴史的事実に対しての巧妙・狡猾な薄汚いゴマカシとなっている。

 「政府内には政治的介入すべきではないという意見も根強い」という点を昨日の『朝日』朝刊≪集団自決検定 文科省が対応検討 沖縄県民大会を受け≫で見てみると、渡海文科相「(検定に)政治的介入があってはいけない。しかし、沖縄県民の気持ちを考えると、両方ともものすごく重い。その中で何かできるか考えたい」と出ている。

 いわば「政治的介入」とはNHKが言っていた「文部科学省が日本軍が集団自決を命じたという根拠が揺らいでいる。そういった検定意見は変えるつもりはないとしている」姿勢への関わりを指していて、そのことの否定である。

 このことはNHKのニュースで述べていた町村官房長官が「政治的思惑で動かされることがよいのか」と述べていることと対応し合っている。

 町村や渡海だけではなく「政治的介入」否定派の保守政治家(そうは見えなくても、本質は国家主義者でもある)の間違いは「政治的介入」や「政治的思惑」で〝歴史の事実〟を歪曲するのは正しいこととは言えないが、明確ではない〝歴史の事実〟を明確とする方向に向けた「政治的介入」や「政治的思惑」はそれが独裁意志によってではなく、また特定の意図を持ったものでもなく、民主主義的な手続きによって公正を図る意図のもとに行うなら、必ずしも否定されるべき事柄ではないことに気づいていないことであろう。

 そうでありながら、「政治的介入があってはならない」とか「政治的思惑で動かされることがよいか」などと言うのは、逆にそうしたことをして自分たちに都合が悪い〝歴史の事実〟が現れたら困るからなのは明らかである。自分たちに都合の悪い〝歴史の事実〟を自分たちに都合のよい〝歴史の事実〟に変えるべく、検定に「政治的介入」もしくは「政治的思惑」を働かせた過去・前科があることがその証拠となる。

 最初の大きな「政治的介入」は、自由党と保守合同する前の日本民主党(総裁・鳩山一郎)が1955(昭和30)年に『うれうべき教科書の問題』なる冊子を発表、社会科の教科書の「偏向教育」ぶりを批判・攻撃したことであろう。それを受ける形で文部省の教科書検定が強化されたという。これを以て「政治的介入」と言わずに何と言い表したらいいのだろうか。

 この辺の経緯をHP≪常盤台通信 15号≫
で窺ってみると、<こうした政権政党による教科書への徹底的な攻撃の圧力を受けて、教科書検定も強化される。学習指導要領の法的拘束性が謳われた1958(昭和33)年版以降、教育内容は文部省による統制の方向へ動いていく。こうした風潮の中で、自ら執筆した教科書が教科書検定で不合格とされたことに抗議して起こされた一連の訴訟が、有名な「家永教科書裁判」である。もっとも、各教科書会社は、検定での不合格を恐れ、教科書内容は画一化していった。教科書検定は、単に教科書内容のチェック機能を果たすだけでなく、教科書編集の側が事前に自主規制するという傾向を助長して、教科書の内容そのものを規制していったのだ。>

 これは戦争中の新聞・ラジオが内務省の検閲に対して次第に自己規制していった姿と重なる。

 「家永教科書裁判」を「新しい歴史教科書を作る会」のHP「教科書問題の遍歴」で見てみる。

昭和38(1963)年06月
 家永三郎氏(東京教育大教授)著の『新日本史』が検定で不合格になる
(昭和39年 東京オリンピック開催)
昭和40(1965)年06月
 家永氏、昭和37,38年度の教科書検定当否について提訴(第一次訴訟)
昭和42(1967)年06月
 家永氏、昭和41年度の検定不合格処分取り消しを求めて提訴(第二次訴訟)
昭和43(1968)年08月
 教科書検定基準が全面改定される
昭和45(1970)年07月
 家永裁判第二次訴訟判決(東京地裁)で、家永氏勝訴<検定制度は合憲だが、本件不合格処分は検閲に当たり、違憲との判断>
昭和49(1974)年07月
 家永裁判第一訴訟判決(東京地裁)で、家永氏一部勝訴<検定は合憲だが、検定意見の一部を不当として国側に10万円の賠償命令>
昭和50(1975)年07月
 家永裁判第二訴訟判決(東京高裁)で、家永氏一部勝訴<検定制度の憲法判断はされなかったが、一貫性を欠いた文部省の検定は、行政の裁量権を逸脱しているとの判断>
昭和52(1977)年09月
 検定制度改定。検定意見への反論権や不合格処分への救済措置が設けられた
昭和53(1978)年08月
 高等学校学習指導要領を全面改定
昭和55(1980)年11月
 経団連、教科書批判レポートを発表
昭和57(1982)年04月
 最高裁が、家永裁判第二次訴訟の審理を高裁に差し戻す
        06月
 新華社通信(中国)が、昭和58年度用高校社会科教科書の検定で、文部省が「侵略」という記述を「進出」に書き換えさせたと報道
        07月
 中国、韓国からの抗議が高まったが、小川平二文部大臣は、参議院文教委員会で「書き換えさせた事実はない」と答弁
        08月
 宮沢喜一官房長官が、「政府の責任において、教科書の記述を是正する。今後は近隣諸国との友好、親善が十分実現するように配慮する」と発言
        09月
 鈴木善幸首相、訪中。小平氏に謝罪。
        11月
 検定基準に「近隣のアジア諸国の近現代の歴史的事象の扱いに、国際理解と国際協調から必要な配慮をする」という「近隣諸国条項」が追加され、「侵略」などの表記に検定意見を付さないという基準が設けられた
昭和59(1984)年01月
 家永氏、昭和55年度検定、57年度正誤訂正申請、58年度検定について提訴(第三次訴訟)
昭和61(1986)年03月
 家永裁判第一次訴訟判決(東京高裁)で、国側全面勝訴<検定制度は合憲で、検定処分に裁量権逸脱もなしとされた>――

 「新しい歴史教科書を作る会」・「教科書問題の遍歴」は昭和61(1986)年09月の項目に<藤尾正行文部大臣が『文藝春秋』誌上で「日韓併合は、形式的にも事実上も両国の合意で成立している。日韓併合は、韓国側にもいくらかの責任なり、考えるべき点はある」と発言。9月中に予定されていた韓国訪問と、近隣諸国との関係悪化を懸念した中曾根康弘首相は、藤尾文相を罷免。後藤田正晴官房長官は、近隣諸国に無用の誤解を招いた藤尾発言を遺憾とし「近隣諸国との友好関係を維持前進させる外交姿勢に変更なし」との談話を発表>、さらに昭和63(1988)年 04月の項目に<奥野誠亮国土庁長官は、閣僚の靖国神社参拝を問題視する傾向を批判。中国に対しての外交的配慮についても「小平氏の発言を無視することは適当ではないが、日本の性根を失ってはならない。中国とは国柄が違う。占領軍は国柄、国体という言葉の使用を禁止し、教科書からも削除したが、教科書では神話、伝説をもっと取り上げたほうがよい」「戦前は白色人種がアジアを植民地にしていたのであり、だれが侵略者かと言えば白色人種だ。それが、日本人だけが悪いとされてしまった」と発言。中国および韓国はこの発言を強く非難し、竹下登内閣への影響を考慮した奥野氏は発言の撤回はせず辞任を表明>と書き入れている。

 これらは表向きは(ウラでは何をしているか分からない)教科書検定に対する直接的な介入ではないが、こういった政治家の歴史認識意識の影響を受けて文部省の「侵略」という記述の「進出」への書き換えがあり、歴史認識に関して両者は共同歩調を取っているという点で、まさしく教科書検定への「政治的介入」と言えるし、政治家たちの「政治的思惑」を受けた文部省側の検定思惑と言える。

 これ以降も続く政治による教科書批判をHP≪東京地裁平成01年10月03日判決/家永教科書検定第三次訴訟第一審判決≫で見てみると、<1980(昭和55)年には、政権政党だった自由民主党が、いわゆる戦争・平和教材の増加に神経をとがらせ、『今、教科書は… 教科書正常化への提言』と題した小冊子を発行し、主として国語教科書の内容について非難を展開した。このときは、ジャーナリズムを含めて、自民党の批判についての大きな抗議が寄せられた。

 さらに1982(昭和57)年、社会科教科書の検定で、文部省が日中戦争などの記述で「侵略」という用語を使用しないよう求めたことに端を発して、中国、韓国が日本政府に抗議した。政府はこれを受け入れ、教科書の検定基準に「近隣諸国との国際理解と国際協調に配慮する」といういわゆる「近隣諸国条項」を追加したが、このときも教科書検定のあり方が大きな問題になった。・・・・・>――

 98年6月に、<全部の中学校歴史教科書に従軍慰安婦の記述が登場するという検定結果を文部省が公表>(01.3.13『朝日』朝刊≪政治に揺れる『検定』≫)という事態に至ったのは、<従軍慰安婦問題は91年末、韓国人の元慰安婦らが補償を求めて訴えたことから表面化。日本政府が調査し、旧軍の関与を認めると共に、93年8月には、当時の河野洋平官房長官が歴史教育などを通じ「永く記憶にとどめ、過ちを繰返さない」との談話を発表。これを受け、97年度版歴史教科書が一斉に従軍慰安婦を取り上げた。>(同記事≪加害の記述大幅減≫)といった経緯による。

 これも「政治的思惑」を受けた文部省側の検定態度であって、正す方向の一種の「政治的介入」と言える。

 同じ『朝日』の記事は97年1月に発足した「新しい歴史教科書をつくる会」に<呼応する形で、自民党国会議員が97年に「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を結成。教科書から従軍慰安婦の記述を削除するよう求め、国会質問でも繰返し取り上げた。地方でも、記述削除を求めて、議会に陳情、請願する動きが活発になった。>と「若手議員」たちの「政治介入」を取り上げている。

 こういった「政治的介入」、「政治的思惑」にまさしく共同歩調を取る形の文部省側の動きを同記事は紹介している。

 「つくる会」や「若手議員」の活動、地方の状況推移があったあと、<それまで戦争記述についての許容基準を広げ、全体に検定緩和の方向を示していた文部省の姿勢も徐々に変化する。
 98年6月、当時の町村信孝文相は国会で「日本の歴史、特に明治以降、否定的な要素を余りに書き連ねている印象を与える歴史教科書が多いような印象を持っている」と答弁した。>――

 これは町村代弁による「政治的思惑」の押し付けだろう。文部省はさらに共同歩調を強める。<一方、文部省内では歴史教科書検定に関連し、担当者の更迭など異例の人事が続いた。98年秋、日本史担当の主任教科書調査官が月刊誌座談会で、検定基準の近隣諸国条項に触れ、「がんじがらめの体制になっている」と批判した。文部省は厳重注意処分にすると共に主任調査官から外した。>ところまではいいが、<昨年秋、教科用検定調査審議会の委員である元外交官が、「つくる会」の中学歴史教科書について「アジア諸国への侵略行為を記述しておらず不適切」とする手紙などを他の委員に送ったことが問題とされた。法令上の問題はないが、「若手議員の会」などが更迭を強く求めたこともあり、文部省は元外交官を検定に直接タッチしない分科会に配置換えした。
 教科書会社はこうした動きに反応。昨年4月に7社が検定申請し、近く合否が決まる中学歴史教科書(2002年度版)は戦争中の加害行為の記述が大幅に減ってきている。従軍慰安婦は、7社中3社がまったく触れず、「慰安婦」と言う言葉を使ったのは取り上げた4社中1社だけ。現行教科書でやはり7社が取り上げている「南京大虐殺」も、被害者数を示していた6社のうち4社で数字が消えた。7社中2社が名称を「南京事件」に改めた。>――

 政治家の言葉による「政治的介入」、「政治的思惑」の強制とそれを受けた文部省の追従、さらに教科書会社の自己規制の形を取った権威主義社会ならではの追従。

 こういった教科書会社の対応を大歓迎して、中山元文化相の04年11月に機嫌よく発した「歴史教科書から従軍慰安婦や強制連行という言葉が減ってよかった」という発言となり、ご丁寧にも東京都内で地方議員らを前にした講演で文部科学省の当時の政務官だった下村国家主義者が中山発言を支持するというさらなる発言へと発展したのだろう、

 このことを紹介している05年3月7日の『朝日』朝刊≪「教科書、慰安婦の言葉減り良かった」 文化相発言、下村政務官が支持≫にはさらに次のようなことが載っている

 <また、下村氏は近隣諸国との歴史的関係について配慮を求めた教科書検定基準の「近隣諸国条項」を批判して「自虐史観の教育が行われていることを『看過できない』と議員連盟を作った」と述べた上で「7、8月に(06年度から使用する中学校教科書の)採択がある。正常な形で正しく採択されるようにしていただきたい」と語った。>

 これはまさしく教科書検定への「政治的介入」圧力以外の何ものでもなく、自らの「政治的思惑」の露骨な押し付けそのものであろう。

 さらに下村国家主義者は従軍慰安婦に日本軍当局の関与と強制性を認めた「河野官房長官談話」を安倍首相が自らの主義主張を内に隠して美しくもなく内閣としてだけではなく、個人としても認めると国会答弁したことについて、<「安倍首相も首相の立場として答弁している。客観的に科学的な知識をもっと収集して考えるべきだ」>(06.10.27『朝日』朝刊≪麻生氏 核保有論議 下村氏 河野談話見直し 「逸脱発言」与党も批判≫)と、首相の立場になれば誰でも「河野談話」を踏襲せざるを得なくなる、踏襲しないで済むように「河野談話見直し」を図るべきだとする警告を発している。

 このことも教科書検定への圧力となり得る「政治的介入」に当たる。

 町村や渡海は「かつて政治的介入があった。その反省の上に立って、今後あってはならないという趣旨で発言した」と強弁するだろうが、では安倍前首相の従軍慰安婦問題での強制的な軍の関与はなかったとする主張は「政治的介入」に当たらないと言うのだろうか。

 安倍晋三を筆頭とする国家主義者たちの慰安婦軍関与説否定は今回の沖縄集団自決での軍関与否定に通じる。表面的には軍関与の根拠は揺らいでいるとしているが、内心に疼かせている歴史認識はこれまでの経緯を見ても、否定したくてうずうずさせたさせたものだろう。

 日本民主党の『うれうべき教科書の問題』を論旨とした社会科教科書に対する「偏向教育」批判と攻撃、文部省の教科書の「侵略」という文字から「侵攻」もしくはさらに薄めた「進出」なる文字への検定指導、「従軍慰安婦」や「強制連行」記述の削減、あるいは「南京大虐殺」なる文字の「南京事件」へとの文字変更と被害者数の消滅、さらに「河野談話」の見直しの画策を目的の一つとしている「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」等の活動、さらに安倍1年ポッキリ首相が代表していた従軍慰安婦の軍関与否定、そして今回の文部省の沖縄集団自決における軍関与文字の教科書からの削除検定、こういった「政治的介入」が向かっている方向は日本の戦争の無実化を措いて他にない。

 日本の戦争が侵略戦争ではなく、自存自衛の戦争だった、アジア解放の戦争だったとすることも、東京裁判否定も、A級戦犯は国内法では戦争犯罪人ではないとする考えも、逆に安倍晋三も得意としていた特攻隊美化も、すべて「日本の戦争の無実化」に行き着く。他にどこにも行き着かない。

 日本の国家主義政治家たちにとっての「日本の戦争の無実化」とは、戦前の日本を「美しい日本」、あるいは「間違いのない日本」としたい計らいであろう。安倍晋三無責任内閣投げ出し人間の「規律を知る凛とした美しい国、日本」とは戦前の「日本の戦争の無実化」を果たして獲ち取った「美しい日本」を引き継いでの戦後の日本がそうあるべきだと言うことで、それが「戦後レジームからの脱却」によって戦前の「美しい日本」と戦後の「美しい日本」とが首尾一貫した歴史となり、伝統となると言うことなのだろう。

 万世一系の天皇とか2600年の歴史という誇りの意識が戦前と戦後のつながりを求めて止まない歴史的欲求を日本の国家主義者らに持たせている。

 日本の国家主義政治家たちの「日本の戦争の無実化」を図る教科書検定への「政治的介入」、「政治的思惑」の押し付けは「日本の戦争の無実化」を獲ち取るまで止むことはあるまい。但し、獲ち取ったとき、日本の社会は日本民族優越意識が満ち溢れることになるだろう。

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