えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

確定申告付き添い

2013-02-22 | 日記
 母の確定申告に付き添った。
一度足を運んだ母は、担当者に「話の分かる人ともう一度来てください。午前中は混み合いますから、午後に来た方がいいですよ」と言われたとのこと。

 父が亡くなり、心細い思いで、それでも気丈に一人で足を運んだ母に頭が下がる思いだった。

 
 場所は、私が通った小学校の跡地だった。
今は、校舎の面影を少しだけ残した形で「生活改善センター」に変わっていた。
ここに、臨時の申告会場が設けられていた。

 87歳の母は、すでに収入、支出を科目別にまとめて計算したものを私の兄(東京在住)が帰省した折りに頼んで、PCで印刷したものを準備していた。
それを、提出し、若い担当者の質問に答え、必要書類も、父と母、それぞれの病院支払い、年金の証明などを示し、答えていた。
私などより、しっかりと、「慣れている」感じがするほどだった。
父のように亡くなった者は、「準確定申告」となるらしい。
私は、申告書の氏名欄に、父の名前や、母の名前を代筆する役割だったが、隣の席にも、高齢の父親(農業収入がある?)に付き添う会社員風のスーツを着た息子さんの姿があり、この人も私と同じように付き添いで来ている様子がうかがわれた。
 
 担当の若い職員は、母に、丁寧に対応してくれ、とても印象が良かった。
でも、大変な仕事だなァ、と思った。
過疎化、超高齢社会、同居する者がなく一人暮らしの高齢者が多いこと、などなど・・・。
否応なく、今の社会のありようを思わずにはいられなかった。

  母が
 「悪かったなァ、忙しいのに来てもらって」というのを聞きながら、
 「ごめんね。3時から、救援新聞の発送と、それから守大助さんの集まりの資料作り、夜も会議なんだ。帰るね。また、来るから」という私。

 自己矛盾を覚えながら、私は、母を車から降ろすと、家に入らず、水戸に向かう車のハンドルを握っていた。
せめてもの救いは、救援新聞を隅から隅まで読んでくれていること、時にはクロスパズルを楽しんでやっていること、守大助さんのこともちゃんと理解してくれていることだ。

 次に行くのは、月曜日の午前。母の歯科診療のため。午後は、やっぱり、予定あり、だ・・・・。
でも、もう少し、何にもしないで一緒にいられる時間が欲しい・・・。
これも正直な気持ち・・・。

(夫は、今週は、九州に出かけています)
 

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