えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

PCなおりました!

2008-04-30 | 日記
パソコン、修理から帰ってきました。
キーボードの交換をしました。
それでも、何だかまだ不安が残っています・・・

また、少しずつ機嫌をみながら、書き続けます。

 最近、「いよいよ」ということばを何度も使うようになった。
なぜなら、東京高裁の決定の時期が話題に上がるようになって来たからだ。
2005年9月、土浦で『再審開始決定』が出て、すでに2年7ヵ月が経過している。夫は、水戸地裁土浦支部の決定に「異議あり」と即時抗告をした検察が、ほとんどその理由を示すことをしない姿勢(現実にはできないのだと思うが)に怒りでいっぱいだが、反対に夫たちにとっては、高裁に行ってからも次々と明らかになる事件当時の捜査の不正に確信を持ち、声を大にして訴える材料はいくらでもある、と全国を回って「布川事件の真実」を訴え続けて来た。

 仮釈放になって11年が過ぎた。
そんな夫の、およそ10年という月日は、私も夫のそばで一緒に歩いてきた。
夫と出会うまで、裁判のことも、ましてやえん罪のこともほとんど関心を持たずに生きて来た私にとって、何もかもが戸惑うことばかりだった。
「いいよ。解らなくて、当たり前。俺の傍で黙って立っているだけでいい。そのうち、少しずつ解って来るから。」
夫はそんなふうに言ってくれたのだった・・・・。

 解ってきたら、なんとこの国の裁判は「デタラメ」が多すぎること!
一生懸命正直に生きようとしている者が圧倒的に多い日本の中で、ほんの一握りの特権を持った人たちによる「権力」の乱用で、想像もつかないほど人権が無視された取り調べが行われていること。そんな中での「自白」を唯一の証拠として、裁判官が真実を見抜けないまま判決を下している現実が数多くあることを知った。

憲法は、国が国民を守るためにあるものなのに・・・と思う。
憲法第36条、第38条って?
基本的人権ってなに?



夫と人生を共にする、と決めた時
「最高裁まで行って決まったことに間違いはない。
 お国の決めたことに逆らうような道を選ぶのか」
と言われ、言葉を返すことができなかった私だったけれど、今ならはっきりと言える。

「私の夫は無実です。無実なのに、裁判で有罪となった。だから、裁判をやりなおして欲しい、という当たり前のことが認められるよう夫の傍で力になりたいのです」と・・・。

 夫の「無実の訴え」は41年目となった・・・。
4月末までに、弁護団の最終意見書が作成され、裁判所に提出されたらいよいよ東京高裁の決定が出る。
その時期がおおよそ予測ができるところまで進んできた・・・。






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