えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

手紙が届いた日

2006-06-04 | 日記
 あの日、「初めての手紙」が届いたときのこと、きっと忘れないだろうな・・・

 あの日、keikoさんは仕事を終えてから、その日のうちに夜行バスに乗って友人と「尾瀬ヶ原」に行くことになっていたんだ。
6月の第2金曜日だった。
仕事が長引き、バスに乗り遅れては大変と、あせって帰ってきたkeikoさんはいつものように階段したのポストを開け、そこに見慣れない白い封筒を見つけたんだ。
それは、syoujiさんからのものだった。
keikoさん、すぐにも開封して読みたかったけれど、とにかく時間が無かったんだ。
読みたい気持ちを抑えてその手紙をリュックに押し込んで、出かけて行った。
バスに乗り込んではみたけれど、友人には話してないことだったし、みんなの前で開けるわけには行かない・・・。
 結局、その「初めての手紙」は水戸に届けられてから、車中泊し、尾瀬ヶ原をkeikoさんのリュックの中で開封されることなく一緒に旅をしてきたんだ。
keikoさん、読みたくて、読みたくて旅行どころの気分ではなかったらしい・・・

 実は、keikoさん、完全に舞い上がっていたんだ。
救援美術展が終了し、その3日後、syoujiさんからハガキをもらったんだ。
「美術展ではお世話になりました」って書かれてあった。
「えっ!?なんで?どうして私のところに?!」
住所はどうして分かったの?

 疑問がいっぱいあった。
けれど、「返事を書かなければ!」と思ったんだ。
だって、あの1月の「新年会」のとき、『恋をしてしまって』、5月初めには日本テレビが『えん罪で29年も無実を叫び続けているふたりがいる』というドキュメント番組を放映し、その中にsyoujiさんがいて、
『こんな恐ろしいことが本当にあるんだろうか』って心が凍り付いてしまったことなど、どうしても伝えたかったんだ。
それより、なによりkeikoさんは「私にハガキをくれたんだもの!」と思ったんだ・・・。(後になって分かったことだけれど、syoujiさんは、お世話になった人には全員、すぐにお礼状を出すのが『しごと』だったことを知って、大笑い!)

 だから・・・
きっと、あの時の手紙には、どんなに冷静に書いても、keikoさんの「恋心」がでてしまったんじゃないかなぁ~・・・

 そんなふうだもの・・・
syoujiさんが、どんな返事をくれたかドキドキして舞い上がるのも仕方ないのかもしれないけれど・・・

 手紙の中に
「時間があったら電話ください」ってあったんだ・・・。「○○時頃には帰っています」って・・・。
keikoさん、益々胸の高鳴りを押さえられなくなってしまって、あの時は本当に
もう、10代の「恋する乙女状態」だった・・・。

syoujiさんがはがきをくれなかったら・・・
keikoさんが手紙を書かなかったら・・・
syoujiさんが返事を書かなかったら・・・
「電話をください」ってかいてなかったら・・・
keikoさんが電話をしなかったら・・・

 今のsyoujiさんとkeikoさんはなかったかもしれないのに・・・

でも、あれから8年・・・
やっぱり出会うようになっていたのかなぁ・・・
やっとこの頃「夫婦らしく」なってきた・・・そんなふうにみえるから・・・


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