えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

36年のご支援に感謝して

2012-05-27 | 日記
  
                              
                


 布川事件守る会の解散総会が東京で行われた。
第36回と書かれた横断幕と活動の経過報告を受け、改めて、夫たちの支援がこんなにも長く続けられたのだと再認識し、胸がいっぱいになった。
 前日の、名張事件の再審取り消し決定の直後でもあり、再審裁判の厳しさが言われる中、「布川」の勝因がどこにあったのか、何がその分かれ目になるのか、夫たちの幸運に感謝せずにはいられなかった。

 弁護団の先生方の周到な準備、守る会の多彩な分野からの支援、企画、当事者に寄り添った地道な援助、そして、当事者二人が支援者に信頼を寄せ、依拠した、意欲的な活動。
私が関わった後半の第二次再審に向けた闘いの時間は、人間関係の面から見ても、決して順調に進んできた来た事ばかりではない。
二人を囲み、大きな、大きな人間集団がそこにでき、さまざまな摩擦、感情の行き違いによるトラブルも少なからずあった。
それでも、みなさんは二人をいつも寛容に受け止め、励まし続けて下さった。
 しかし、私が見てきたのは、希望を持って前へ、前へ、と前進し続けていく姿だった。
それだけに、そこに至るまでの、展望が見えなかった時代のたたかいはどんなだっただろうと思うと、
改めて熱いものがこみ上げてきた。

 何人かの方から、私が関わる前の初期の段階でのお話をうかがうことができた。
夫の父が、守る会の方たちとどんな交流があったのか、義父がどんな人だったのか、話の断片から窺い知ることもできた。
「父子だな」と思わせられるようなエピソードも・・・。

 特に、杉山さんの叔父さんが地元の知人と、東京の松本善明法律事務所に相談に行ったこと。
そこで出会った柴田弁護士が、杉山さんの私選弁護人になり、1審敗訴から、夫の弁護も引き受けてくださり、「裁判だけでは勝てない。日本国民救援会に支援を訴えるように」と助言をいただき、二人が支援を訴える手紙を救援会東京都本部に送った事。
その手紙に高橋勝子さんが応えて下さり、
以後、東京都本部は毎月二人への面会を重ねながら、学習会、現地調査を重ね、守る会の基盤を作ってくださった。

 それから、36年間。途絶えることなく、面会、差し入れ、署名宣伝、支援コンサート、支援美術展、裁判所要請など、など、守る会活動を発展させ、二人を励まし続けて下さった。
仮釈放になってからも、精神的援助のみでなく、多彩な企画で支援カンパを作り出し、経済的援助もし続けて下さった。

 お名前を聞いて私が知る限りでも本当にたくさんの方にご支援いただいた。
すでにお亡くなりになられた方もたくさんいる。
ひとりひとりに感謝とお礼の気持ちをお伝えしたい、と心から思った。

 昨日は、
昨年「晴れて無罪を獲得」し、真の自由を得て1年が経過した二人が、「ふつうのおじさん」になれた穏やかなの表情の姿に安堵された方も多かったと思う。
共に苦楽を分かち合って来た皆さんと、喜びを持って守る会解散となり、また、新しい歩みにそれぞれが足を踏み出す、それをご報告できるステキな1日となった。


 守る会事務局の皆さん、本当にありがとうございました。
ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました
また、参加できなかったみなさんは、それぞれの場所で、それぞれの思いで感慨に浸っていただけたかと思います。
亡くなられた皆さんは、きっと天国で共に祝杯をあげてくださっていた事と思います。

 本当にありがとうございました。


 一夜明け、夫は、水戸に帰らず、そのまま京都での可視化集会?に参加するため向かいました。

私は、仏前で夫の両親に昨日の報告をしました。