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えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

寒い朝

2013-01-10 | 日記


実家に泊まった。
今朝の日の出前の気温は、氷点下4℃。
母が「さむいなア」と言う。
でも、
「この前なんか、氷点下8℃だったぞ」
とも。
母のケロッとした言い方に、「凄いなア」と素直に思う。

水戸市内で暮らすようになって私もウン十年。
夫との生活も落ち着き、やっと居を構えることができた私たち。
夫が、
「寒い間だけでも、水戸に来てもらったら」と言ってくれたけど、母の「慣れた生活」を離れさせられないと思う今朝の会話だった。

のんびりゆ~ったりのお正月が終わって

2013-01-09 | 日記

 私の実家で新年を迎え(喪中なので静かな?)、自宅で初めての人寄せ・友人たちとの新年会をして、房総半島方面にドライブに行き、映画に行って…と、ずっと夫と一緒の行動でした。
年末から、こんなに長い時間を一緒に過ごしたのは、初めてのような気がします。

で、思ったことは…

夫の精神的余裕が、寛大さとなって表れ、つい、つい、つい、私がそれに甘え、ぐ~たらな生活をしてしまったな~ってこと。

 昨日は、夫と二度目のスパゲティ店へ。
同じお店に二度目ではなく、スパゲティを一緒に食べるために、また、新しい店に入ってみた、ということ。

 長い拘束期間の中で、本来の「美味しいスパゲティ」を食べたことのなかった夫は、私とであった当時、
「スパゲティなんて、何で美味しいと思うのか、俺には分からない。あんなの俺は絶対食わない!」と、強い口調で言われ、以来、夫と一緒に10年以上一緒にスパゲティ店に入ることも、家で作ることもなかったのです。
なのに、なのに、色んな意味で進化?が続いている夫なのです♪

「少し、食べ歩きしてみよう!」と、言うまでに…。
で、写真は、昨日一緒に入ったお店です。

ブログも、ずいぶん休んでしまいました。

 少しゆるんだ気持ちを引き締めて、再開します。
更新していないところに何度も足を運んで?くださった皆さん、ごめんなさい。
今年もよろしくお願いいたします。

歳月・・・

2012-12-15 | 日記
 子どものころ、バスで通るたびに気になっていた小さな洋館があった。
私の家から、バスで30分ぐらい乗ったあたりにある隣町(現在は合併で同じ町内だが)だ。
それは、その後、私が中学生になっても、高校生になっても、そこをバスで通るたび、私は必ずその家に目をやった。

「どんな人が住んでいるんだろう?」

と、いつも考えていた。

 あれから、ずいぶん歳月が流れた・・・。
私が大人になり、自分で車を運転するようになり、それでも、必ず視界に入ってくるその不思議な家は、住む人のいないことを示すように朽ちていった。

今年になって、父と一緒に車の中から、いつもと同じようにその家が私の視界に入った。

「あの家、子どものころから気になっていたの。どんな人が住んでいるのかなァって。洋風だったんで、何だか特別な憧れみたいな気持もあって・・・。あんな姿になって、それでも取り壊されないで、何だか寂しいなァ」

父が言った。

「戦後、まもなく建ったように思うな。外国の人だったけど、すぐに誰も住まなくなったようだったぞ」と。

ということは、誰も住んでいなかった家を見て、私はいつもひとり自分の空想だけを膨らませていたのだった。

でも・・・

朽ち落ちた家は、あまりに寂しい姿だけれど、父の話を聞いてからもこの家を見るたび、

「どんな人が住んでいたのだろう」と私の想像は膨らむ・・・。


 55年目ぐらいになるだろうか・・・。
今日、初めて、車を止めて、父との会話を思い出しながら、
私は、今は半分になってしまった思い出の洋館をカメラに収めた・・・。

投票

2012-12-15 | 日記
いよいよ投票日が二日後と迫ってきた。
私も、できることはやったつもりだが、あと1日、電話かけをがんばろう!

 今日、母に、
「投票所にはどうやって行くの?いっしょに行く?」
と、聞いたら、
「来てくれるんだったら、助かるなァ」・・・とのこと。

投票所まで、そんなに遠くはないけれど、今の母には、やはり歩いて行くには少し無理があると思える距離だ。
これまでは、父が車で一緒に行っていたけど、もう父はいない。
「わかった!来るよ。午前中にね!午後から、私も、ショージさんと一緒に行くんだ。」
と、答えた。
すると、母が、
「そうか。ショージさんも、今度は選挙ができるの?よかったなァ」・・・と。

夫に、「投票所入場券」が届き、夫の「投票行動」そのものに意味がある。

86歳の母の1票と、65歳になって初めて投票する夫の1票・・・。

何だか、胸に熱いものが込み上げてくる・・・。

よかった・・・

2012-12-08 | 日記
 昨日、母のところに行ったら、「歯が欠けちゃった・・・」と言うではないか。
原因を聞いたら、先日、私が頼んで夫に持って行ってもらった「りんご」を食べたからだと言う。

「えっー?!それは大変!!すぐに、歯医者さんに行こう!私が一緒に行くから」ということに。

金曜日であることも私の頭にあり、何としても「今日中に」の思いがあった。
幸いにも、予約は午後一番に取れて、一応応急処置をしてもらい、なんとかお正月を迎えられることになった。
ほとんどが入歯で、残っていた自分の歯を折ってしまい、母は悲しそうだった。
「早くやってもらったから、よかったよ」とは言っていたけれど・・・。
ごめんね・・・。

新しいたたかいへ

2012-11-30 | 日記
 長い間お世話になった「日本一」の、布川事件再審をたたかった最強弁護団。
その弁護団の解散パーティが、日比谷松本楼で行われ、私も夫と一緒に出席しました。

「日本一」、「最強」、「42年たたかい抜いた」先生方が、
「本当はひっそりとやるつもりでした」との開会挨拶に、
「あ~、『布川の先生方らしい』」と思いました。
弁護団の先生方、日弁連布川担当の事務局の方々、杉山さん夫妻と夫と私、守る会関係者も本当に限られた方のみの40名弱のパーティは、本当にアットホームの雰囲気で行われました。
 
 弁護団長の柴田先生は、
「布川事件に関わって42年・・・」と仰っていましたが、本当に長い間お世話になりました。
「再審冬の時代」と言われた時期を越え、長い年月をかけてやっと「完全勝利の無罪判決」まで夫たちを支え、守り続けてくださった先生方には、どんなに感謝してもし尽くせるものではありません。

 でも、夫は言いました。
「国賠で何としても勝利し、えん罪を繰り返させない司法改革の実現に向けて頑張りたい。そして、ご恩はこれからの自分の生き方でお示ししたいのでこれからも見守っていてください」と。
先生方お一人お一人のお話を聞きながら、笑ったり、熱いものがこみ上げてきてウルッとしたり・・・。

 国家賠償裁判という夫の新たなたたかいの弁護団に、このあたたかく熱い先生方のほとんどの方が参加してくださっています。
再審裁判の終結、そして新しいたたかいの始まり・・・。
この弁護団の一番の特徴は、
「弁護団、依頼者、守る会が皆平等だということです」と仰られた方がおりましたが、私もその通りだと思いました。

皆さんが、
「奥さん、よく頑張りましたね。よく『あの大変な人』をここまで支えてくれましたね」と言ってくださったが、私は逆に皆さんに同じ言葉をお返ししたい気持ちでいっぱいでした。
「皆さん、本当に『この大変な人』を離さず、いつもあたたかく支え続けて下さってありがとうございました」と・・・。
それは、私が関わったほんの10年余、それも再審に向けどんどんと上げ潮状況の時期でさえそう思うのですから、それ以前の30年以上のもっとも厳しい時期を夫たちと越えて下さった皆さんのご苦労を思わずにはいられませんでした。
『大変な人』とは、そのような理不尽な日本の裁判に翻弄され、重荷を背負って生きざるを得ない、精神的肉体的後遺症をもったえん罪被害者という意味です。それは、時に焦りとなり、思いが伝わらない苛立ちにもなり、わがままにも見えたり、涙を流して悔しさを訴えたり、不穏状態になったり・・・など、など・・・。
これらが、今、再審無罪が確定した事で本当に「遠い記憶」になりつつあることを思うと、この40年以上の時間のどの部分で共有して下さったとしても、すべての皆さんに「ありがとうございました」の言葉以外は見つかりません。

 家を出る前、夫の両親の写真に向かい、
「行ってきます」と挨拶しました。
そして、義父と義母の思いこそ、
「本当にありがとうございました」
その言葉がすべてなのだろう・・・と感じながら東京に向ったのでした・・・。

 皆さんと遅くまで楽しい時間を過ごし帰宅が深夜になってしまいましたが、その夜パーティが始まる前から煌々と輝いて皆さんの話題になっていた月が、水戸の我が家の真上でいっそうきれいに輝いているのを見て、夫も私も改めて「新しいたたかい」の始まりを感じていました・・・。
というのも、夫には、『(国賠の)第1回公判が1月に決まりそうだよ』と帰りの電車の中で告げられていたのです。


(支援する会の事務局の方もこれまで中心的に関わって下さった方が、引き続き担って下さる事ですでにスタートしています。今回の横断幕もN事務局長の手作りと聞きました。この「あたたかさ」がいいですよね。弁護団主催のパーティのはずなのですが・・・。)


 


無事夫が帰国

2012-11-24 | 日記
 夫がネパールに行き、その様子をブログで追っていたが、携帯でのUPにトラブル?があり、更新されない日が続いた。
2回ほど、現地からと直接夫の番号でない携帯から電話をくれたが、本日、予定通りに無事帰国した、と連絡が入った。
そして、溜まっていた、ブログが一気に更新された。
その内容から見ると、まあまあ大変なことがいっぱい!
よくぞご無事で・・・と思う。
でも、夫らしい・・・とも。

 「行って良かった!」の思いで帰国できた事が何より。
ゴビンダさんのご家族のご多幸をお祈りしたいと思います。

 明日、夫は、小学校の同窓会なので、それが済んだら水戸に戻るとの事。
お土産話が楽しみです・・・。

 夫のブログは
    ↓
 http://blog.goo.ne.jp/syouji0124  です。

徹夜が無駄になってしまった

2012-11-19 | 日記
 毎日「喪中」のはがきが届くようになり、我が家も早くしなければと、印刷やさんにお願いしたはがき。
夫のお付き合いがあって、数が半端じゃなく多いため、早く作業に掛からなくてはと気になる毎日だった。
昨夜は、夫も留守なので、意を決して昨年の住所録の再確認をした。
進めて行くうちに、だんだん時間が過ぎて、結局朝の3時半まで掛かってしまった。
それでも、あとは宛名印刷をするだけだと安心して、明け方にベッドに入った。

 今日一日、昼はそれなりに忙しくって、夜になってから、
さあ、印刷しよう!とはがきの束を出してみたら、えっ?注文したものとちょっと違う、何で?
何だか、1工程忘れられた感じ・・・。

 印刷やさんに電話するには時間が遅い!
仕方なく、今夜の作業は出来ず終い・・・。

 急に、眠気を感じて来た・・・。
今夜は、もう、ねよう!

夫は、何とかネパールに着く事ができたかな・・・。

鹿児島から青森、次はネパールへ

2012-11-18 | 日記
 青森での夫の記念講演、そして二次会にお誘いいただいて夫も私も楽しい時間を過ごさせていただいた。
そして、今朝・・・
朝から雨が続いていたが、5分毎に空模様が変り、

さあ、どうしよう?
雨では、どこも回れないね。まっすぐ帰ろうか・・・

と、二人で話し合っていたら、青森支部のSさんが、

どこか行きますか?
帰りは、新青森駅まで送りますよ。

と、お電話をいただいた。
空模様は相変わらずだったが、やはり、

三内丸山遺跡だけは行ってみよう!

と云うことになり、案内していただいた。

縄文時代は1500年ほど続いたらしく、三内丸山遺跡が発見され、発掘が進むにつれ、それまでの日本の歴史教育が一変する事になったという。
この遺跡から、500人近い集落が統率されていた事、知恵、文化 生活を推測できるものがたくさん出て来たらしい。

ボランティアの案内を聞きながら、その時代に思いを馳せ、楽しく見学できた・・・が、時折り冷たく強い風が吹き、小雪も混じって、とにかく寒かった!!!

Sさんに送って戴き、午後12時前に、新青森駅を後にした。
そして、上野駅に。
そこで、またしても、夫と

「じゃ~ね。気をつけて行ってらっしゃい!」

と言って、別れた。
なぜなら、夫は明日からネパールのゴビンダサンに会いに行くのだ。
今夜のうちに、成田に前泊する。

私は、一人、水戸に向うスーパーひたちの中で思った。

あ~ぁ・・・
どうして「見送りにいく」ことを考えなかったのだろう・・・と反省した。

当初、

同行者がいるのでなんでもない。大丈夫!

と、言っていたのに、急に一人で行く事になったのだった。

明日の私の予定を変更しても、行くべきだったなぁ・・・

今、すっごく後悔している・・・。
帰国時の、出迎えも行けないのだから・・・。

ハードスケジュールが続く夫・・・
健康で無事に帰ってきてくれることを願うのみだ・・・。



青森へ

2012-11-16 | 日記
 明日、夫と青森に行ってきます。
救援会青森支部結成20周年記念の祝賀会にお誘いを戴いたのです。
映画「ショージとタカオ」を観てくださった皆さんが、「奥さんにも会いたい」と言っていただいたとか。何を期待されているのか・・・?
皆さんの知らない「夫の『あるがまま』を暴露して来ましょうか・・・。

 先の見えないたたかいの最中は、夫がいつも神経が張り詰めていて、楽しめなかったのですが、今回は心軽く出かけられそうです。

布川事件の現地調査、裁判所要請に青森から参加していただいた事など、皆さんにしっかり感謝の気持ちを伝えてきます ♪

 明日、朝が早いので、しばらくぶりに北松戸に前泊します。
夫は、今夜、鹿児島から戻って来るので、そこで合流。
夫はすべてが活動の一環ですが、私は、正直『久しぶりのふたりでの旅行』気分です・・・。