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えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

二つの再審事件の決定に思う

2013-03-07 | 日記
 昨日、名古屋高裁で、「福井女子中学生殺人事件」の再審・検察異議審の決定があり、請求人の前川彰司さん(47歳)に不当決定が出された。
 同じく、鹿児島地裁では「大崎事件」で二回目の再審を申し立てていた原口アヤ子さん(85歳)に「棄却決定」が出された。

「無実を訴える当事者」にとって、裁判のやり直し以外に救済の場はない。
前川さんも、原口さんもどちらも、当初から「自白」をしていない。証拠もない。
一貫して「無実」を訴えてきた。
なのに「有罪判決(誤判)で刑に服さざるを得なかった。
お二人とも、満期服役後の「再審申し立て」だ。

 『福井・・・』は、再審の審理の中で、検察の抵抗の中でわずかではあるが証拠開示がされ、前川さんと弁護団にとって明らかな「新証拠」となるものが出てきた。(当然、最初から裁判で出されるべきのものだった)
なのに、今回、裁判官は、これを「新証拠」と認めなかった。

 『大崎・・・』では、弁護団が、捜査段階での証拠開示を強く求めていたにも拘らず、裁判官がそれを検察に求めなかったばかりか、今回「検討するまでもない」という、原口さんの訴えを切り捨てるような判断だったようだ。(今朝の新聞記事によると)
全く、再審の可否を審理するに至る以前の姿勢ではないか、と腹の立つ内容が書かれてあった。
85歳になられる原口さんに、あまりにも冷たい決定ではないか。
命をすり減らしながらも無実を訴え続けるには、それだけの理由があるからで、なぜ、裁判官はそれを真正面から受け止めようとしないのか!

誰のための裁判?
何のための再審?

怒りを覚えるのは、どちらの事件もそれぞれの請求人に、一度再審開始決定が出ていたのだ。
その「再審開始→再審取り消し」と、裁判官にすがるしかないお二人の思いにあまりにも冷酷な決定だったのだ。

この非情、非道ともいえる現実の中、お二人とも、新たな次の闘いに挑むため今日を迎え、歩きだしただろう。
真実が認められるまで、「人間の尊厳をかけて闘い続ける」お二人の少しでも力になれるよう、私も気を引き締めよう・・・。

『布川事件』は再審・無罪まで、44年という時間を要した。
夫はその苦しさを体験している、
だから、きっと前川さんの悔しさ、原口さんの悔しさを一番に理解できるだろう。
一緒に同じ涙を流しただろう。
そして、
「勝つまで闘い続ける」二人を、最後まで支援をすると誓ったのではないだろうか・・・。

 お二人以外にも、まだまだ、えん罪を訴えている人が日本には数多くいる。
裁判所は、この人たちの訴えに応える義務がある。
逃げないでください、と言いたい。
一日も早く、人権救済の立場で、真摯に「真実」に向き合ってください!と強く言いたい。
命には、限りがあるのです。
かけがえのない一度きりの人生を、「犯罪者で終わりたくない」という叫びに応えてください!と言いたい。


有罪を言うのも裁判官。
無実の訴えに対し、裁判のやり直しを認めるかどうか判断するのも裁判官。
そして、再審で『無罪』を言うのも裁判官。
それでも、「ここ」にすがるしかない、今の制度。
裁判官に「当たり外れ」があってはならないのです。
正義に反しない、公正な判断をしてくださる裁判官がもっともっといるはず、と信じたいです。

 国連は、誤判検証のために独立した「第三者機関」を設けるよう、日本政府に勧告している。
日本政府が、早くその方向で動き出してくれることを願うばかりだ。
一日も早く、えん罪が繰り返されない新しい法律を作ること。
そして、人間が判断する裁判に、「絶対はない」ことを前提に、誤判救済制度をしっかりと機能させられること。
それが一番望まれることではないだろうか。

 




私たちの花に

2013-03-01 | 日記
どうして昨年のことが記憶にないのだろう?

ここに越して来て、ちょうど1年。
10年以上誰も住んでない状態(定期的な管理はされていた)のまま、庭に残されていた草木の整理から私たちの生活が始まったのだが、クリスマスローズの花の記憶がない。
父と母の看護に明け暮れていたせいだろうか…。
今年は、少し繁っていた葉を切り、しっかりとつぼみに光を当ててあげたせいか、きれいな花を見せてくれている。
一年、鉢にあげて管理してきたが、花が終わったら地植えにしてあげよう。
これから庭作り、楽しみです。

春の訪れ

2013-02-27 | 日記
ご近所に97歳にになられるAさんがいる。
とてもお元気で、昨年、ここに越してきた私たちを温かく迎えてくださった。
「桜井さんのことは、知っていましたよ。応援していましたよ。」とのこと。
初対面の私たちは、正直戸惑ったが、でも、Aさんは春夏秋冬の季節の物を、
「うちの庭のものよ」と
タケノコ、タラの芽、それにいろんなお花、野菜も届けてくださったり、伺った折に持たせてくださったり。
Aさんの長い人生のご苦労もお聞きした。
お出かけの時は車での送迎もさせていただくようになった。
そんなお付き合いが1年続いた。
 今日は、
 「寒いので、家の中で待っていてくださいね」と言ったのに、時間までにちゃんと家の角に出て待っていてくれたAさん。
手には、輪ゴムで束ねた小さな花を持たれて。
「この花、分かる?車の中に入れておくといいわ。いい香りがするわよ」と。
それは、蝋梅(2種類)とネコヤナギ(これも白ではなく赤いのでした)でした。

 車の中はもちろんいい香りでしたが、帰宅して、部屋に飾ると、部屋の中でもいい香りを放ってくれています。

 そう・・・
ここにきて、丸1年になったんですね。

 蝋梅の香りをかぎながら、ふっと「1年」を考えています。

確定申告付き添い

2013-02-22 | 日記
 母の確定申告に付き添った。
一度足を運んだ母は、担当者に「話の分かる人ともう一度来てください。午前中は混み合いますから、午後に来た方がいいですよ」と言われたとのこと。

 父が亡くなり、心細い思いで、それでも気丈に一人で足を運んだ母に頭が下がる思いだった。

 
 場所は、私が通った小学校の跡地だった。
今は、校舎の面影を少しだけ残した形で「生活改善センター」に変わっていた。
ここに、臨時の申告会場が設けられていた。

 87歳の母は、すでに収入、支出を科目別にまとめて計算したものを私の兄(東京在住)が帰省した折りに頼んで、PCで印刷したものを準備していた。
それを、提出し、若い担当者の質問に答え、必要書類も、父と母、それぞれの病院支払い、年金の証明などを示し、答えていた。
私などより、しっかりと、「慣れている」感じがするほどだった。
父のように亡くなった者は、「準確定申告」となるらしい。
私は、申告書の氏名欄に、父の名前や、母の名前を代筆する役割だったが、隣の席にも、高齢の父親(農業収入がある?)に付き添う会社員風のスーツを着た息子さんの姿があり、この人も私と同じように付き添いで来ている様子がうかがわれた。
 
 担当の若い職員は、母に、丁寧に対応してくれ、とても印象が良かった。
でも、大変な仕事だなァ、と思った。
過疎化、超高齢社会、同居する者がなく一人暮らしの高齢者が多いこと、などなど・・・。
否応なく、今の社会のありようを思わずにはいられなかった。

  母が
 「悪かったなァ、忙しいのに来てもらって」というのを聞きながら、
 「ごめんね。3時から、救援新聞の発送と、それから守大助さんの集まりの資料作り、夜も会議なんだ。帰るね。また、来るから」という私。

 自己矛盾を覚えながら、私は、母を車から降ろすと、家に入らず、水戸に向かう車のハンドルを握っていた。
せめてもの救いは、救援新聞を隅から隅まで読んでくれていること、時にはクロスパズルを楽しんでやっていること、守大助さんのこともちゃんと理解してくれていることだ。

 次に行くのは、月曜日の午前。母の歯科診療のため。午後は、やっぱり、予定あり、だ・・・・。
でも、もう少し、何にもしないで一緒にいられる時間が欲しい・・・。
これも正直な気持ち・・・。

(夫は、今週は、九州に出かけています)
 

事務所開き

2013-01-30 | 日記
夫の国賠裁判は、9月提訴からすでに4カ月が過ぎた。
第1回口頭弁論を、当初1月30日と予定していたが、3月21日と延期になったことから、今日は、守る会事務局を置く「事務所開き」が行われた。

午後3時から7時まで、いろんな方が、いろんな所から来てくださり、再審裁判の時とはまた違った新しいたたかいの始まりが感じられた。

事務局の方が、それぞれに飲み物や手作りの料理を持ち寄ってくださり、参加者は都内はもちろん北は山形県、西は広島県からも駆けつけてくださった。
古くから布川事件を支援してくださった方、事件関係者、支援されている方も各々の思いを語って、夫のたたかいを激励してくださった。

厳しいたたかいになるだろうが、何としても、夫の目的とする取り調べの可視化、全面証拠開示へと流れを変えるたたかいになることを祈りたい。
3~4年はかかるだろうと言われているが、夫には、元気でたたかい抜いて欲しいと思う。

人生をかけた夫のたたかい…。
東京まで度々出掛けていくことは無理なので、私は、私の立場で出来る支えをして行こう…。

やっぱり救援会

2013-01-22 | 日記


        

                

                      

 救援会茨城県本部の新年会が行われた。
「新年から難しい話ばかりでなく楽しい新年会に」の意見で、恒例の挨拶、年末募金の経過報告や裁判を闘っている当事者への激励金、事件当事者や全県各地からの発言のあとに、「みんなで歌うコーナー」を入れた。
伴奏のアコーディオンは、昨年水戸支部に入会してくれたKさんにお願いし、進行も水戸支部員が担当。
往年の大先輩達も、みなさんが声を出し、一つになって大合唱。
久しぶりに参加した人たちから
「たまにこんな風に思いっきり歌うっていうのもいいなあ。楽しかった!」と好評。
初めて参加した人たちからも、
「救援会って、難しい話ばかりで堅苦しい所と思っていたけれど、参加してよかったです。楽しかった!」と。
若い人たちも、女性も多く参加し、
今年1年、元気に活動できそう…と思える新年会でした。

 15年前、初めて新年会に参加し、「桜井昌司」と出会ったとき・・・。
あの時は、女性は、3人ぐらいしかいなかったような・・・。

 私の人生そのものが、この「救援会新年会」で変わったんだった・・・と、家に帰り、改めて思った。
あの時以来、私は救援会の先輩たちとここまで歩いてきた。
若い参加者や新しい会員さんたちの力を借りれば、今年1年、いままでよりもっと元気に活動していけるような・・・。
今度は「次につないでいく」ことを頭に置いて今年も頑張ろう!

 新年会の前に、先日大雪のため、できなかった名張宣伝も行った。
若い会員が、救援新聞の名張事件を題材にした仲代達矢主演の映画を記事にしたものを拡大コピーしてパネルにしてくれた。
   

          
    



 

知らなかっただけ?

2013-01-17 | 日記
 自宅から6キロぐらいのところに、「七ツ洞公園」というところがあることを広報誌で知り、夫と出かけた。
車で12、3分。

 昨年、映画のロケ地として使われたことから、少しずつ情報が耳に入ってはいたのだけれど、行って見てびっくり!
イングリッシュガーデン風で、まず、そこに興味が湧いたこと。
広大な土地(山)を利用し、農業用用水池をその中に水のある風景としてデザインされていて、そこには偕楽園公園の千波湖とはまったく違って、静かな環境の中水鳥がたくさん群れていて、周辺は散策路がめぐらされている。
シーズンオフでほとんど人がいないのに、歩道もきれいに管理されていた。
もともと、古墳が7基あって、そのうち5基は水量が少なくなると湖面に表れて来るという。

夫と、
「花の季節や新緑の季節にまた来たいね」と、短い時間の中で、歩き回り、少しわくわくした時間を過ごすことができた。